ビッグシティ・ドリーム (5)
現れたのは甲板の上だった。薄青色の硬い鉄板の上にゼロ距離で降り立ち、間髪入れず身を屈めて潜むように奴ら――スーツ姿の男たちの様子を窺う。
俺を探しているような気配はないが、警戒を緩めた様子もない。素人目に見ても、連中が必要以上に神経を研ぎ澄ましているのが分かる。
印象的なのは、ほとんど全員が何かを背中に合わせていることだった。倉庫の壁、コンクリートの護岸、朽ちた木材、錆びたドラム缶、そういった物に背中を預けて立っているのだ。
まるで何者かに予兆なく背後から襲われても、瞬時に反応できるように備えているみたいだ。
(俺への対策か)
そう考えると、俺の中に何か誇らしいような思いがこみ上げてくる。奴らに与えた俺の影響は、大きいらしい。
――さて、ここからどうするか。
心機一転、というようなことを浮かべて思考を切り替える。勢いとテンションのままにここまで戻ってきたが、具体的な打開策は特にない。はっきりしていることは、テレポートが唯一にして最大の武器であって、それを活用する以外に勝機はないということだ。
とは言えじっくり考えている余裕もない。
例えば、これは最悪の想定だが、治らの目的が俺を利用したこいつらと何らかの取引をすることだったら。向こうにとっては商品――カモ、玩具、マウス、奴隷――がホイホイ寄って来ることになる。いまはまだテレポートで翻弄できているが、やがて治たちが合流したらどうしようもない。為す術なく餌食にされるだけだ。それは避けねばなるまい。
――なら、短期決戦だ。
俺は呼吸を整えつつ、一番見やすい位置にいるスーツ男を観察する。注意深く、座標と輪郭を目に焼き付ける。スーツを着た、比較的焼けた肌色の顔、そこから生えている短い茶色の髪、それにわずかに隠されている、こめかみの部分。
男はゆっくりと首を左右に振っているが、それ以外に大きく動く様子はない。座標と輪郭は、完璧に把握した。
俺は一度大きく息を吐き、その場で立ち上がる……が、迂闊に立ち上がって見つかったらヤバいと思い、操舵室の裏へ回って身を隠してから、もう一度大きく息を吐く。そして頭の中でピピのフリーキックをイメージしながら、右足を踏み込んで左足を思い切り振り抜く。と同時に、転移――!
次の瞬間には、先ほどじっくり観察した茶髪の側頭部を、俺の左足が見事に捉えていた。
ゴンッ! と凄まじい音がする。自分でも予想外だ、ここまでえげつない音がするとは。茶髪が側頭部を抑えてその場にうずくまるのを視界の隅で確認し、俺はすぐにまた別のターゲットに狙いを定めて転移する。
右拳を強く握りしめて、上へ大きく突き上げながら。
「グゴッ」
次に転移したその瞬間には、俺の拳が次のターゲットの顎を正確に突き上げていた。相手は舌を噛んだのか、口から血を飛ばして仰け反っている。
もちろんそれに構っている暇はない。敵の上体が揺らいでその先が開けると、真っ直ぐに銃口を向けているスーツ男が視界に映る。視界に映った。
俺は力いっぱいのパンチを宙に放ちながら転移する。次の瞬間には、先ほどまで銃口を向けていた男の後ろから、そのうなじの少し上辺りを俺の右拳が打ち付けている。
瞬く間に3人を倒した。俺の中で少し余裕が生まれる。フッと切るように息を吐く。それと同時に、ある種のトランス状態から解放されたような、平生の世界に戻ってきたような、そういう理性的な感覚が取り戻される。
そうして神経が普段の働きに戻ったところで、ようやく俺は自分が囲まれていることに気付いた。正確な人数は数えていないが、少なくとも眼前に3人はいる。全員が銃口をこちらに向けている。
「~~~~~」
後方から誰かが何かを言った。俺の真後ろからなので、誰が言ったのか分からない。日本語で(そしておそらく英語でも)ないので、何を言ったのかも分からない。
「~~~~~‼」
もう一度。おそらく先ほどと同じ声の主が何かを言った。今度は先ほどよりも強い口調だった。滑稽なほどの激昂が伝わってきたので、大袈裟に両手を上げて肩を竦めて見せる。
「~~‼」
「~~~‼」
挑発するような俺の動作に、まんまと釣られた男たちは口々に怒声を放つ。意味は理解できないが、大きく分けて2種類だった。
おそらくこう言ったのだろう。
「撃て‼」と「撃つな‼」。
思わず笑みを零しながら、空を仰ぐ。
正解は――。
パン、パン、パン、というねっとりと乾いた音がする。俺を狙って放たれた3発の弾丸は、俺のいない空間を真っ直ぐに突き抜けて味方のスーツ男に当たる。そんな同士討ちの瞬間を、俺は上から見下ろしている。
空高くに転移して相手の視界から消え、そしてさらに地面の上に転移して落下を防ぐ。土壇場で閃いた簡単な作戦だが、見事に嵌ったようだ。
上空へ逃げた俺を見失って狼狽えるスーツ姿の男たちをもっと見ていたかったが、そのまま落ちるのも嫌なので、倉庫の方に転移して物陰に潜んだ。
日光の差し込まない倉庫へ逃げ込み、壁にもたれかかって大きく息を吐く。これで何度目だろう、こうして呼吸を整えるのは。
チラリと外の様子を窺ってみる。誤射したスーツ男たちは明らかに狼狽えていて、俺のことは二の次らしかった。いよいよ体力も気力も尽きて来たので、ここで休めるのは本当にありがたい。
「さとーれんクーン?」
鼻に掛かったような甘ったるい声が聞こえたのは、その時だった。すなわち、俺を探すスーツ男達の足音と話し声がして、銃声の代わりにカモメがどこかで絶え間なく鳴き、充満する無言の殺意が響き渡る、そんな時だ。
さとーれん、というのが佐藤蓮おれのことだと理解するのに、数秒の間を必要とした。
なぜ、この状況で聞き覚えのない女性の声で俺が呼ばれている? しばらく考えても答えは分からなかった。
「さとうれんクーン? いないのー?」
甘ったるい鼻声がもう1度俺を呼ぶ。スーツ男に撃たれるのは嫌なので、「ここだよー」と飛び出していくわけにはいかない。それに恐らくだが、彼女は治の一味なのだろう。東京で俺のことを知っているのは、治とその周りの人間くらいなのだから。
「~~~!?」
どこの言語か分からない怒声がした。ここからでは見えないが、俺を呼ぶ女に銃を構えているのだろう。「だれだ!?」とでも聞いているに違いない。
彼女(もちろん極度に中性的な男性の可能性もあるが)の身を案じる余裕はなかった。心臓はバクバク鳴っているし、おまけにテレポートの使い過ぎで身体がだるい。いまの状態では、満足に戦闘もできないだろう。
テレポートのストック的には、ここから逃げるのがやっと。誰かを助けるために転移する体力も気力ももはや残っていない。
やがて、銃声がした。俺は目をつむってひたすら時を過ごした。呼吸を整えて、鼓動を落ち着かせ、自分のタイミングが図れたらすぐにでも転移しよう。見知らぬ彼女に何かがあっても、俺のせいじゃない。
やがて吹き荒れるような轟が鳴り響き、遅れて野太い悲鳴と人体が倒れる重い音が聞こえる……。
野太い悲鳴?
俺は驚いて倉庫から飛び出し、音のした方へ駆け出した。息を切らしてそこまで辿り着くと、何人もスーツ男たちが倒れているその真ん中に立つ、俺の同い年くらいの女がいた。
肩で息をする俺に気付くと、女は弾むような足取りで駆け寄って来る。
「もしかして、君がさとーれんクン?」
女が尋ねた。嘘を言う発想も勇気もなかったので、俺は正直に頷いた。
「やっぱりぃ! あたしは川井尚美って言うの。よろしくネ」
川井と名乗った女は、そのまま空の彼方まで飛び上がって行くんじゃないかと思うくらいはしゃいでいた。何がそんなに楽しいのか分からないが、スッと右手を差し出されたので、戸惑いつつもぎこちなく握手を交わす。
とりあえず悪い人ではない、のか……?
「で、ボスと堀木くんは?」
前言撤回、やっぱりグルだ。今すぐ逃げよう。
テレポートしようとしたその瞬間、
「そいつの目ぇ塞げ!」
エンジン音と共に背後から聞き覚えのある声がした。俺が何かアクションを起こすよりも早く、川井が両手で俺を抱き寄せて視界を覆う。
「これでいいの!?」
「ホールドしてろ!」
川井と治が大声でやり取りするのを聞きながら、俺はジタバタと川井の拘束に抵抗した。しかし、本当に女性の力なのかと疑いたくなるほど拘束は固く、どんなに暴れても引き剥がせない。
やがてエンジン音が止んだ。次いで、バタンッ! とドアを開閉する音がして、さらにドタドタと慌ただしく走るような足音がする。
「視界塞げば転移できないから……」
次に聞こえた治の声は、グッと近くのものであるように感じられた。あるいは本当に近くなのかもしれない。視界を覆われているから、距離感が分からない。
「マジでコイツ……女相手にこんな暴れる!?」
本気になって拘束を解かんとする俺を押さえ付けながら、川井が嘆くように叫ぶ。
「代わるよ」
治が小さく言った。やがて彼が近付いてくる気配がする。治の手が背中に組まれている俺の両手に掛かり、川井が俺から離れたその一瞬の隙。
――ここでっ!
クワッ、とテレポートのために思考を切り替える。俺の脳が座標を計算する、その瞬間。そこで突如、バサァッと何かが羽ばたくような音がして、俺の視界が再び覆われた。今度は誰かの手ではない。眩しい日光を透かす、白い布地のこれは……
「そのシャツ、清澄白河の古着屋で買ったんだ」
「……お前のかよ」
「アレ結局買ったんだ」
背後から聞こえる治の言葉に、俺はシャツで顔面を覆われながらも、諦めたようにそう返す。川井が挟んだ合いの手には、治が「スポーツブランドだけじゃ足りねえなーって思って」と答えていた。
俺のテレポートは、視界に映っている範囲内かよく見知った場所に転移できる能力だ。逆に言えば、視界が覆われてしまえば実家にしか転移できない。
「なあ、別に悪いことはしないって」
穏やかな声色で治が言う。俺は何も答えなかった。
「ただ普通の仕事じゃないから、ちょっとした馴らしが必要だったんだよ」
「馴らし?」
「そう。まぁ今回はちょっとした手違いがあったけど」
俺はもう1度黙り込んだ。
情報過多というわけではない、むしろ分からないことが多すぎる。しかし何を聞くべきか分からない。言語も文化も分からないどこか異国の地に突然放り出されたような、そんな気分だった。
俺はこれから何をされるんだ? 異能の力がそんなに珍しいか? ならどうして治は元気でいる? 川井尚美って結局誰なんだ? どうして知り合いなんだ? あのスーツ男たちは結局なんだったんだ? どうして俺は殺されかけた?
いや、そもそも普通じゃない仕事ってなんだ?
尽きない疑問がグルグルと渦を巻いて俺の脳内を支配する。やがてその渦の中心に溜まった疑問の集積のようなものが、分かりやすい具体的な形になっていく。
「おさむ」
俺は短く切るようにして名前を口にする。背後にある治の気配が、俺を迎え入れるようなものになった。
「お前たちは何者なんだ?」
「無頼。特殊異能組織」
「言ってないの?」
俺の簡潔な問いに、治もまた簡潔に答える。川井の素っ頓狂な声は、おまけ程度に聞こえてくる。
「それが俺の新しい仕事なのか?」
治が頷いた。正確には、治が首を縦に振る気配がした。
次に何か言おうとして、そこで言葉が詰まった。それは息苦しさや不完全燃焼な感じの残るものではなく、ある種の落ち着きや安定を得たような、そういう種類のものだ。
そういう穏やかな心地でいると、また別の足音が聞こえて来た。ゆったりとした、隙のない感じの足音だった。
「いろいろ不満は残るだろうけど」
次いで別の声。
「とりあえずは、我々について来てもらうよ?」
俺は肯定も否定もしない。ここでどちらかの判断を下すのが純粋に怖かったからだ。頭のどこかでは従ってはいけないという警鐘が鳴っていて、またどこかでは逃げてはいけないという声もしていた。
結局俺はうんともすんとも答えず、代わりに治と川井が「ボス」と言った。先ほどとは打って変わって、砕けた色合いの読み取れない、畏敬を強く含んだ声だった。
「断ったら?」
絞り出すようにして放った俺の返答はそれだった。返答というより、一種の駆け引きのような言葉だ。
「俺のメンツが潰れるな」
答えたのは治だった。その隣で、川井が小さく笑っている声が聞こえた。ここでもまた打って変わって、2人の声色はふざけているように聞こえる。
「まぁ冗談はさておいて」
辻島が言う。二人が砕いた空気が、俺の周り(あるいは俺と辻島の間で)だけ再び張り詰めたような気がした。
「断っていいのかい?」
「なぜ」
「聞いたところ、君は丹波の方から今日ここへ出て来たばかりなんだろう? 住居と稼ぎの当てを我々に依存して」
グヌヌ、と俺は唇を噛み締める。完全に痛いところを突かれた。目から鱗の気分だ。
「我々の誘いを蹴って、帰ると言うならそれは止めない。そんなにあっさり逃げ帰ると言うならね」
ゾクリ、と今度は悪寒が走った。この悪寒の正体は、セダン車の中で感じた焦燥や、最初に銃口を突き付けられた時の恐怖ではない。言うならば、重圧。
――期待してたのに。
けいの声が俺の脳内を反芻する。
――もう1回頑張りなよ。
東京へ行くと決まった俺は、きっと自信に満ちていたのだろう。
――応援してるから。
頭の中でけいの言葉が響く。
関係ない、と俺は思った。
俺自身がどうであろうが、関係ない。けいのエールを受けて(ついでにテンションでコクって)、俺はここに来ている。簡単に逃げるわけにはいかない。
「話だけでも聞いてみますよ」
俺がそう言うと、辻島は満足げな笑い声を洩らした。
やがて俺は治のアウターシャツから解放され、彼らに連れられてセダン車に乗り込む。きっとこれは序章に過ぎない、そんなことをぼんやりと考えながら。
そういえばけいにコクっちゃったアレどうしよう。