ビッグシティ・ドリーム (4)
ハッと気が付いた時、俺はどこかの部屋のベッドの上にいた。随分と慣れた、懐かしい匂いと暖かさのある部屋だった。
ここは……。
「何してるん?」
声がした。慌ててそちらに顔を向けると、スナック菓子を食べながら漫画雑誌を読むけいが、目を丸くしてこちらを見ていた。
ここは
「俺の、部屋か……」
東京から新幹線で2時間、京都駅から電車で一時間前後掛かる、俺の実家。その2階にある、俺だけの部屋。
転移できる場所は、実家や学校と言った強く馴染みのある場所を除いて、視界の中のみに限定される。
逆に言えば、
馴染みのある場所であれば視界の中でなくとも転移できる。例えば実家のような。
「助かったぁ……」
俺は大きく息を吐きながら、ベッドの上で大の字に寝転がる。それから思い出したように、靴を脱いだ。
「東京はどうしたの?」
困惑した様子のけいが尋ねてくる。俺がこの場にいることが信じられず、頭に浮かぶ言葉を適当にポンポンと口にしたような、言わば継ぎ接ぎだらけの言い方だった。
確かに、彼女にとっては困惑のみだろう。一攫千金を夢見て意気揚々と東京へ出た幼馴染が、命からがらその日のうちに自室へ戻ってきたのだから。
だがとにかく今は、死と隣合わせでない平穏な現実がありがたい。感極まって泣き出しそうだった。
「まぁなんていうか、色々あってな」
「ふぅーん」
なんとか平静を装ってそう返すと、けいもそれ以上言及してくることはなかった。束の間の安堵に身を委ねて落ち着きを取り戻そうとしていると、
「逃げてきちゃったんだ?」
不意に、けいがそう言った。決して含みのある言い方ではない。むしろ一切の他意が込められていない、素直で素朴な種類のものだ。
それでも俺は、何も言い返せない。咄嗟のことだからではなく、その言葉がのしかかってきて、押し潰されるような感覚に襲われたからだ。
「なにかあったの?」
「えっと」
魚のように口をパクパクさせながら、なにか言おうと言葉を探す。しかし「実は治に拉致されそうになって逃げてたら今度はピストル持ったマフィアみたいな連中に殺されそうになってさ」と言ったところで、けいには呆れられるだけだろう。真実であろうと、伝わらなければ意味がない。
何か別の言い訳をしなければ、などと考えたところで上手い言葉が見つかるはずもない。思考はいつまでも、グルグルと巡るばかりだった。
「えっとの次は? なに?」
「あー、いや……」
結局俺は「何でもない」とだけ言って、曖昧に笑う事しかできなかった。
けいはもう一度「ふぅーん」と言った。それから、
「期待してたのに」
今度こそ、けいの言葉に押し潰された。
「期待?」
「うん」
俺の動揺を知ってか知らでか、漫画のページを捲りながら、けいはただ淡々と言葉を紡ぐ。
「堀木くんからメール来た時はあんなに元気だったのに」
俺は黙ってけいの言葉の続きを待つ。普段なら「アプリだからメールとは言わない」と茶々を入れていたが。
「大学辞めてずっとしょんぼりしてたから、いい機会なのかなって思ってたんだけど」
「いい機会?」
「うん」
いい機会、とけいはもう一度言った。
「その、いい機会っていうのは、どういういい機会?」
「えーなんていうの」と言って、けいは漫画雑誌を閉じて傍らに置く。
「だって蓮、昔は明るくてうるさい感じだったじゃん?」
「そう……だっけ?」
「そうだったよ。でも大学落ちた辺りからかな。一気に元気なくなったの」
「そりゃ受験落ちたら誰でもへこむだろう」
「でも、傍から見てたらあのまま死んじゃいそうだったよ」
「そこまで酷かったか」
そこで俺は苦笑して見せた。目は動かさず、口と頬の筋肉だけを歪めるような、そういう笑い方だ。
「それで1年浪人して違う大学入っても、それでもずっとダラーッとしてた感じだったじゃん。結局ダラーッとしたまま辞めちゃうし。ダラーッとしたままフリーターやって。私思ったもん、あの頃の蓮はどこへ行っちゃたのかなーって」
そこでけいはスナック菓子を齧った。ヒロインとしては立派なセリフだが、その口調にはどこか淡々としていて人間味を欠いたようなものがあった。
いつもそうだった、と俺は思う。感情が読み取れない、とぼけたようなドライな態度。
吉岡けいはずっとそうだった。
そんな懐かしさを感じていると、不思議と俺の中で、平静さのようなものが取り戻されてきた。
「東京行くーって言い出した時は『あ、昔の蓮に戻った』って思ったし、今日出発する時も自信満々だったじゃん?」
たしかに、と俺は短く簡潔に言った。既に俺の中には、冷静さと勇気――けいが言うところの、「昔の俺」がいた。
――やってやる。俺は瞬間移動ができるんだ!
そんな風に決意を固めていると、突然頭の中に実体のない何かが入り込んでくるような、そんな感覚に襲われた。思わず俯いて額に手をやると、視線の先に人影が落ちる。顔を上げると、目と鼻の先にけいの顔があった。
「もう1回頑張りなよ」
けいが言う。俺はゆっくりと頷く。
そして、おもむろに、けいが俺の顔に両手を当てて額と額を触れさせてきた。
――応援してるから。
けいの声が俺の脳内に直接語り掛けてくる。今度こそ明確に、頭の中に実態のない何かが入り込んでいる。それが俺の中で形をつくっていき、やがてそれは「けいの意思」として形成されていく。
――ありがとう。
ありがとう、と普段は口に出さない言葉が、脳内に浮かんだ時点でけいの中へも伝達される。それを理解してから、全身が少し熱くなる。
やがてけいが額を離すと、俺の中に入り込んでいた「けいの意思」も雲散霧消する。
「じゃあ頑張って」
けいのエールを受けながら、俺はさっきまでいた甲板を強く思い出す。薄青色の、固い鉄板で出来た、人工的でダーティな臭いのする潮風が吹き、スーツ姿の男たちがピストル片手に俺を探し回っている、そんなふ頭に停泊にしている、船の甲板……。
徐々に俺の中でその場所のイメージが形作られていき、転移に向けて思考が加速する。俺自身が動くのではなく、周りの風景が動く、そんな感覚。やがて俺は、かつての自室からもけいの前からも消えて、
「そういえば」、と俺は勢いに任せたように口を開いていた。怪訝な様子でこちらを見るけいに、俺は真っ直ぐ視線を返す。もはや理性は働いておらず、本能あるいは催眠のような激情だけに突き動かされていた。
「けい」
「なに」
「ずっと好きだった」
ポカンとした表情のけいに見送られて、、俺は再び東京へ行く。