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ビッグシティ・ドリーム  (3)

 出来るだけ遠くへ、出来るだけ川を隔てて、何度も何度もテレポートを繰り返す。越える川はいつしか湾に変わるが、それでもテレポートは止めずに逃げ続ける。


 テレポート、瞬間移動。


 異能の力が当たり前の――数字で言えば少数だが、それが確かに存在するこの時代にあって、俺の異能力は瞬間移動だった。ある地点からある地点へ、あらゆる隔たりも距離も無視して移動することができる能力。……転移できる場所は、実家や学校と言った強く馴染みのある場所を除いて、視界の中のみに限定されるが。


 今回はこの能力がすこぶる役に立った。車から瞬時に抜け出すことはもちろん、成人男性2人(しかも異能者)を相手に難なく逃げられたのである。


 奴らが何に俺を巻き込もうとしていたのかは分からないが、俺のテレポートを必要とする――少なくとも狙っていることに変わりはない。


 10回近くテレポートを連発した辺りで、言いようのない気怠さに襲われてその場にへたり込む。尻ポケットからスマホを取り出して開くと、治からの着信が何件も入っていた。舌打ちをして電源を落とす。


 大きく伸びをして、身体からダルさを取り除く。立ち上がって尻を叩くと、俺はどこか手持ち無沙汰になった。辺りをぐるりと見回してみる。


 そういえば、ここはどこなのだろう? 現在地を調べようとして、スマホの電源を切ったのを思い出し、代わりに案内表示のようなものを探して辺りを散策してみる。


 さっき奴らは「晴海ふ頭に向かう」と言っていた。ここが晴海ふ頭なのかは不明だが、目の前に広がる海はまず東京湾で間違いないだろう。俺は手すりのない護岸の上に登ってそこに腰掛け、鈍色の東京湾をぼんやりと眺めた。


 海面を抉るような風が吹く。潮風、と呼ぶにはあまりに人工的な臭いと冷たさだった。風に酸味を含む生臭さが乗っている。これが何の臭いで、ここがどういう場所なのか、いまいち見当がつかない。確実なことは、この風も海もコンクリートの護岸も、すべてが人工的な間に合わせのものであるということだ。波の音ですら、誰かがこういう風になるよう設定して流しているかのような、そんな風に聴こえてしまう。言うならばどこまでも無機質な世界。


 しばらく波の音をBGMに海を眺めていたが、ふと脳内に何かが迸るような感覚がして、半ば強制されるように意識が切り替わった。反射的にコンクリートから降りて、砂利道を歩きながらこめかみに指を当てる。


 どこかから忙しなさそうな声が聞こえたのは、それとほぼ同時だった。他に人がいたのか、と思いつつ声の主を探す。見れば、遠くの方の波止場に中型の船が1艘停まっていて、その周囲に小さな人だかりが出来ている。


 俺はしばらく人影を眺めていたが、やがて向こうが俺に気付いたようで、早歩きでこちらに近づいて来た。


 しまった、ここは関係者以外立ち入り禁止とかだったか。しかし俺としても、何かやましいことや意図があるわけではない。きちんと弁明をしたいので、俺もゆっくりとそちらへ歩み寄る。


 互いの距離が縮んでいくと、やがて相手方の輪郭がはっきりとしてきた。春も盛りだというのに暑苦しいスーツ姿で、中にはハット帽を被っている人すらいる。


 全員が体格の良い成人男性で、顔立ちや皮膚の色を見たところ、どうも日本人だけではないようだ。恐らく中国の人だろう。


 だが、そこではない。俺の目を釘付けにしたのは、そんなことではない。


 スーツ姿の男たちが持ち、真っ直ぐこちらに突き付けられた、銃口。


 ピストル。


「っ!」


 俺が何か言うより早く、スーツを着た男たちが引き金を引く。


 そして、それよりも早く俺はテレポートを使う。音速よりも速く、それどころか、速度を超越した次元での転移。俺は男たちの背後に現れると、物陰を探して駆け出す。


 足音に気付いた男たちが、日本語でない言語で何か叫びながら銃を向け、そして発砲する。俺は再びテレポートを使って銃弾をよけ、再び男たちの背後に転移する。


 日本語でない言語は、今度は明らかに困惑や驚異の色を含んで叫ばれていた。やがて複数のスーツ姿は、銃口を向けたまま俺を取り囲むように散開する。俺を護岸の方へ追い詰めようと、ジリジリと距離を詰めてくる。が、相手の狙いに嵌るより先に再びテレポートを使い、再びスーツ姿の背後へ。俺を囲う円から外れるように転移する。


 しかし相手もいい加減慣れたのか、俺が現れた次の瞬間には背後を振り返って俺に照準を定めていた。


 わずかにだが、確かな俺の不利。


 どう打開しようかと思考を巡らせていると、視界の端に移ったのは1艘の中型船――。


 俺はすぐさまテレポートを使うと、次の瞬間には薄青色の甲板の上に現れてる。岸壁に対して水平に停泊しているこの船は、恐らくスーツ男達のものだろう。遠くの方で、男たちが何やら叫んでいるのが聞こえる。


 俺はその場に座り込んで一息吐く。


 ひとまずの安堵。連中は俺を見失っているようだ。テレポートもなんとか成功――例えば転移先に何か物体があると、位置計算に誤差が生じて違う場所に現出してしまう――してくれたので、取り敢えずは落ち着けるようだ。俺はこの安堵を噛み締めるようにして、もう1度大きく息を吐く。


 そして安堵と同時に、ようやく身体中をどうしようもない震えが襲った。紛れもない、これは怯えからくるものだ。


 初めて銃口を向けられた。そして、発砲された。


 ――初めて明確な殺意を向けられた。


 恐怖。怒りや憎しみによるものでない、初めて味わう純粋な「殺意」という感情。いや、それを感情と呼んでいいのかも分からない。倫理や情の一切介入しない、単なる「殺そう」という発想。そんな狂気的なものが、自分に向けられた。


 怯え、焦り、不安。治の運転するセダンに乗っていた時とは比べものにならないほど、圧倒的で強大な恐怖が俺を支配していた。


 逃げなくてはならない。


 テレポートが常人には扱えない特異な能力であるとしても、それは反撃の手段になり得ない。


 出来るのは奴らの視界から消えて、その場を去ることだけ。しかしそれも、視界の範囲までしか転移できないので完璧ではない。そもそもテレポートは使うたびに体力も気力も削られる。ここへ来るまでに連発しているので、あまり無暗に使うことはできない。


 おそるおそる、船べりから顔を出して辺りを確認してみる。俺がここにいることには、まだ誰も気づいていないようだ。これはチャンスだ。


 ――これはチャンスだ。


 自分に言い聞かせるようにして、心の中ではっきりと言語化する。


 そうだ、いまなら奇襲を仕掛けられる。不意を突ける。一網打尽にすることができる。


 短く切るように息を吐いて、自分を鼓舞する。作戦は……そう、やはりテレポートを活かすしかない。相手の背後に現れて、不意打ちでピストルを奪い取る。そうやって次々に奴らの背後を取っていけば、相手の最大のアドバンテージはゼロにできる。そして最後には撃ち殺……。


 最後までは言葉にしなかった。殺す度胸は無いと分かっていたが、殺さないと殺されることも同時に分かっていて、それでもやはり殺すことの罪深さを恐れていて、最後に自分がどう判断するべきか分からなくなったからだ。この迷いが思考を鈍らせることは分かっていたので、結局は頭の回転を強引に止めた。


 小さく頭を振ってから、スーツ姿の男たちを注意深く観察して機を窺う。連中は2人1組に分かれて周囲を警戒しているようで、リーダー格と思しき2人の男が何やら話込んでいた。こうして改めて見ると、その密談中の2人を囲うように警戒態勢を敷いているように見える。その中でペアになっている組は、グルグルと円を描くようにして動いていた。


 ――背後から銃を奪う、背後から銃を奪う、背後から銃を奪う。


 深呼吸をしながら、頭の中でそう唱える。


 ――背後から銃を奪う、背後から銃を奪う、背後から銃を奪う。


 恐怖の源である銃声を、小さなブラックホールのような銃口を、どこまでも凶悪で色彩を欠いた殺意を、打ち消すようにして唱える。


 ――背後から銃を奪う、背後から銃を奪う、背後から銃を奪う。


 やがて決意を強く固めると、1組のスーツペアの背後に狙いを定める。そして現在の位置と背後の空間までの距離を測りつつ、その間にある遮蔽物を除外しながら計算に含めて、そして転移の対象そのものが現出するイメージを大きく膨らませる。


 思考が焼き切れそうなくらいに加速する。眩暈と共にのしかかってくる、言いようのない浮遊感――。


 次の瞬間には、俺は黒いスーツの背中を真っすぐ視野に捉えて立っている。さっきまでの固い鉄製の甲板ではなく、薄汚れている人工的で無機質なコンクリートの上だ。


「うおぉぉぉらあぁぁぁぁ!」


 気を吐く。とにかく恐怖心に抗うようにして、腹の底から大声を出して、駆け出す。


 ……駆け出す?


 そんなはずはない。俺はこのスーツのすぐ後ろから腕を掴んでピストルを奪い取れるように計算したはずだ。


 では、どこかで誤差が生じた?


 船べり、船体と岸壁の隙間、男たちの歩く歩幅……そうか、これだ。ようやく合点がいった。


 このスーツ男は、本当にたまたま、何の意図もなく――少なくとも俺のテレポートを予見したわけではなく、気まぐれのような理由で、立ち止まったのだ。



 例えば転移先に何か物体があると、位置計算に誤差が生じて違う場所に現出してしまう。



 この誤差が命取りとなる。命取りとなった。


 威勢のいい雄叫びに反応して、スーツ男は振り返る。迷いなく銃を構える。真っ黒な銃口が向けられ、間髪入れずに引き金が引かれる。


 恐怖を感じる間もなかった。殺されることのリアリティが眼前にまで迫り、全ての光景がスローに見えるその世界で、俺はただ茫然と迫りくる死を眺めていた。


 だから、そこで克明に浮かんだ「逃げる」という選択肢は、決して俺の理性によるものではない。俺の中に潜む本能的なものが、無意識のままにテレポートを行使させたのだ。

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