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ビッグシティ・ドリーム  (2)

「結局のところ」


 石英の敷かれた路を歩きながら、治に尋ねる。「これはどういう仕事なんだ?」。


「まだ言えない」


 治はほぼ即答で返す。


 『ひと稼ぎ』の誘いを受けて以来、俺は同じことを何度も治に尋ねた。


 そして治はその度に「まだ言えない」とか「内容じゃなくて、やるかやらないかだけ言ってくれ」とか「少なくともお前に向いた職業なのは確かだ」とか、そういう曖昧で誤魔化すような返答しかしなかった。


 これに関してはさすがの俺もおかしいと思ったが、結局は『億単位を狙える稼ぎ』に釣られて、「まぁいっか」と追求しないままここまで来てしまった。


「どうして言えないん……」


 いい加減痺れを切らして、俺は咄嗟に理由を聞こうとした。そしてその時、ふと俺の脳裏を一抹の不安がよぎった。



 俺はこいつに騙されている?



 今までもそんな風に危惧したことは何度かあったが、その度に治への信頼が障害となって(あるいは金銭的なアレコレに欲を抱いて)、深く考えたり何か対策したりせずにいた。


 しかしここに来てようやく、それも地元ではない場所で生活のほとんどを他人に依存した状態にあって、ようやく俺は現状の恐ろしさを実感した。理解ではなく、身を持った実感だ。


 例えばもし、これが人身売買の話だったら? ヤクザが絡んでいたら? 薬物売買だったり、強盗だったり、人殺しだったりしたら……。


 恐る恐る治の様子を窺う。首は動かさず、視線だけをチラリと横に移動して、歩みは止めずに目の色を窺う。その横顔からは何も読み取れない。


 やがて俺は、路肩に停められた黒いセダンのもとまで連れられる。黒いセダン、それだけで怪しさの指数が跳ね上がる。おまけに窓にはフィルムが貼られていて、車内の様子が全く見えない。怪しすぎる。


「乗ってくれ」


 治は俺のキャリーケースを受け取りつつそう言うと、車の後ろへ回っトランクに放り込む。


「あぁ、うん」


 俺はほんの僅かに躊躇いつつも、結局は治の言う通りして、助手席のドアを開けて乗り込んだ。


 ――本当にやばくなったら抜け出せばいい。


 そうやって自分に言い聞かせて、焦る鼓動を無理やり落ち着かせる。


「やぁ」


 車に乗り込むと、後部座席から声を掛けられた。ギョッとして振り返ると、不気味なくらいに穏やかな笑みを浮かべた男性が、前のシートの背もたれに両腕を掛けてこちらを見ていた。


「君がさとうれん君だね?」


 俺はゆっくりと頷く。その動作を強制され、なおかつ恐る恐る振る舞うことしか許されない、そんな錯覚を覚えた。なによりこの男には、そういう圧倒的な雰囲気があった。


「その人は俺たちのチームのボス」


 俺らと同じだ、と運転席に座りながら治は付け加える。そして手際よくエンジンを掛けていき、やがてセダンはゆっくりと発進する。最初のうちはゆっくりだと思ったが、徐々にスピードが上がっていく。


「初めまして。辻島修太(つじしましゅうた)です」


 辻島修太、ボスはそう名乗ると俺に片手を差し出した。


 穏当で飄々とした態度とは裏腹に、その容貌はつま先からつむじまで洗練されたような、言うならば「隙が無い」感じだった。


 細目だが眼光は鋭く、髪型は丸みを帯びているが刺すような整髪料の匂いがするし、口角は上がっているが口元は締まっている。黒のジャケットやたら身体にフィットしていて張り付いているかのようだし、インナーシャツは光沢を放ちそうなほどに白い。ズボンもまた、かっちりとした黒いズボンだった。唯一シルバーのネックレスが砕けた雰囲気を醸しているが、全体で見ればやはり「出来る大人」な感じだ。


 第一印象では決して接しやすい人に見えなかったが、求められた握手を無視するのもはばかられるので、拭いきれない威圧感と戦いながらその手を握り返す。


 辻島は満足げな表情で何度も頷いていた。


「蓮」


 俺の横でハンドルを握る治が言う。


「シートベルト」


 慌ててシートベルトを締めた。これは俺が悪い。


 セダンは東京の街を滑らかに、かつスピーディに走った。聞いていた通り都心部の道は狭いように思えたが、治のドライビングテクニックが優れているお陰か、フラストレーションの溜まるような滞りを味わうことはなかった。


 ただ俺にとっては、治の運転がこれほどまでに上手いのは衝撃だった。昔も下手というわけではなかったが、こんなにスイスイ進めるのはプロのレベルと言える。あるいは本当に、治は日頃から運転しているプロなのかもしれない。


 やがて車は大きく左折して、曲がりくねった車道を進む。


「仕事のことなんだけど」


 セダンを走らせながら、治が話を切り出した。俺の背筋に再び悪寒が走った。


「今から俺たちは有明のふ頭まで行く」


「何しに?」


 そう言って、恐る恐る治の横顔を見る。何か企みや思惑があるような感じも、変に空気感が変わった様子もない。ただただ、至って普通に運転しているようにしか見えない。


「そこで仕事があるんだ」


 治は前方を見据えたまま言う。やはり表情に変化はない。この動揺が自分だけのものだと思うと、孤独感に苛まれて不安が加速する。


「どういう仕事なんだよ」


 言い終えてから、俺の言葉に少なからず苛立ちが含まれていることに気付いた。


「今日の夜、そこで薬物売買がある。確かな筋からの情報だ」


 治は俺の苛立ちには気付かず(あるいは意にも介さず)、機械的にも思える平静さで話を続ける。


 薬物売買。


 先ほどから稲妻のように迸っている悪寒が、ひと際鋭く背筋を駆け抜ける。


 いつの間にか車は、大きな橋を渡っていた。隅田川に架かる長い橋だ。


「何すんだよ。薬物売買に首突っ込んで」


 俺は、できるだけ平静を装って喋る。努めて落ち着いて、震える声を抑えて。


「なんだ、言ってないのかい治くん」


 そう言って、ひょっこりと首を突っ込んできたのはボスだった。その柔和で剽軽な物腰が、このひっそりとした車内では異質に思えて、それが俺には殊更恐ろしかった。


「彼の初仕事だろう? 親切に教えてあげないと」


 弾むような声色で、ともすれば俺を落ち着かせようとする意図すら見え隠れする、そんな調子でボスが言葉を続ける。


 ボスが俺の方に顔を向けたのを視界の端に捉えて、しかし俺はその視線を見返す勇気が微塵もなかったので、ただ曖昧に笑みを浮かべることでしか応じられなかった。それはある意味では強がりでもあった。


 鼓動が速い。心臓が激しくバクバクと鳴っているのが分かる。大きく深呼吸したかったが、ボスも治もいるのでそれはできない。意図せず片手が口元を覆う。吐き気はないが、嘔吐に備えようと体が勝手に動く。


 ようやく俺は気付いた。さっきから俺は苛立っているんじゃない。焦っているんだ。逃げなくては、急いで逃げなくては。さもないと、死ぬかもしれない。


「まぁ詳しいことは現地に着いてから話しますよ」


 治が言った。


「今じゃダメかい?」


 ボスが穏やかに尋ねる。


 車は橋を降りて、殺風景な街に入る。


「ダメですよ」治はハンドルを握ったまま淡々と言う。「そいつ逃げるから」


 瞬間、俺は車から姿を消して外の歩道へ現れた。


 黒のセダンが、歩道に乗り上げそうな勢いで路肩に急停車する。治とボスが慌てて飛び出して来るが、既に俺はそこから消えている。



 ☆



「くっそ!」


 灰色の歩道に飛び出た治は、蓮を見失ったと分かった途端、太ももをはたいて大袈裟に悔しがった。


「彼は友達なんじゃないの?」


 辻島は間延びした声で尋ねる。悔しさを露わにする治とは対照的に、のんびりとした様子だ。まるで、かくれんぼを楽しむかのように。


「テレポート。それが蓮の異能ですよ」


 辻島の問いを無視してぶっきらぼうに言い放つと、治はダメもとで蓮のスマホを鳴らした。当然彼は出ない。大きくため息を吐いて、治はスマホをしまう。


「テレポート……瞬間移動か。珍しいね」


「ボスの精神干渉も中々でしょう」


 途方に暮れた2人がダラダラと会話していると、辻島のスマホに着信が入った。


「もしもし」


「ボス! 大至急東葉防波堤へ向かってください」


「まさか?」


「ガセネタでした! 取引場所は東葉防波堤です!」

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