二人の兄
ノック音より先に。足音に気づく前に。がちゃりと。遠慮なく、放たれた扉。
その人が顔を出す前に。光の速さで平静を装う、私。
「シンディ!」
「……っ、お、お兄様……どうかされたのですか?」
「ん? お前今なんかしてたか?」
「いえ何もしておりませんでしたわ」
「そうか? じゃあなんでそんな汗だくなんだ?」
「私は体が弱いので、ベッドから起き上がるだけでも汗をかいてしまうんですの」
「ベッドから起き上がるだけで?!」
本気で驚いて心配して下さっていただいてなんですが、そんなわけないですお兄様。ただ隠れて運動していただけなので。
実は最近、このままずっと引きこもっていたら本当に病弱になるのではないかと、誰もいない時に部屋でこっそり運動をしようと試みていた。激しい運動でなくてもいい。それこそ準備体操をしたり、軽く腹筋してみたり、ベッドに寝っ転がって足を動かしたりとか、そんなんだ。
それだけでもやるのとやらないのとは全然違うし。毎日少しだけでも出来たら良いと思って実践してみようとしている……が、現実は難しい。なんせこんなことをしているということは、誰にもばれてはいけないのだから。
しかしそうはいっても、鍵をかけて誰も部屋に入らないでね! というわけにもいかないシンディの”秘密の運動”は大変だ。
なんせ毎日三回は食事が運ばれてくるし、私付きのメイドが本などを持って部屋にやって来ることもある。お父様は一日に数回は私の顔を見て心配をしていくし、お母様もそうだ。週に一度はアンバー先生が、週に三回は医者が私の部屋を訪れるし、加えてお兄様方は他の人達と違ってノックもなしにいきなりやってくる為、毎日決まった運動をするのも一苦労……。いやこんなコソコソ隠れる必要がなければ別に苦労することもないんだろうけども!
「ええとお兄様、何か用があっていらしたのでは?」
「ああそうだ! お前にお土産を持ってきたんだ」
「お土産……でございますか」
「そうだ。ほら、この前たまには甘いものが食べたいと言っていただろう? だけど母上が駄目だって。でもその時のお前があまりにも悲しそうだったから……ほら」
「っこれは! まさか最近巷で噂の……」
「ああ。ルノワリティ商会の新商品、苺とナッツのファッジ、」
「アルお兄様大好きですわ!」
がっしりと捕まって出来る限りぎゅーっと抱きつけば、お兄様は頬を緩ませて「そうかそうか私もシンディが大好きだぞ!」と優しく抱きしめてくれた。
母上には内緒だぞ? と微笑むこの人は私の兄、トワール侯爵家の長男、アルヴィン・トワール。
将来的にはトワール侯爵家の当主になる長男で、シンディとは4歳差になる。妹のシンディを目に入れても痛くないほど可愛がっていて、お父様と並ぶほどの過保護なシスコン。
ゲームでは殆ど出てこないためシンディになる前は名前くらいしか知らなかったが、シンディになった今ではアルヴィンがどれだけ凄い人なのかが分かる。
今のシンディは転生者であるから天才だ神童だと騒がれているが、当然そんなのは反則に近い。良い年した大人が足し算出来るくらいで天才だと褒められても嬉しくなどないし、エレクトーン歴数年の私がドレミを覚えた如きで神童だと拝まれては神様が可哀想だ。いや現段階で可哀想なのは私なんだけども。本当どうしてこうなった?
その点を考えれば、アルヴィンは本物の天才だと言える。
齢10歳にして多くの逸話を持つ兄だが、中でもアルヴィンが僅か8歳の時に見つけた方式はこの国で永遠に語り継がれるべき偉業の一つだ。それはぶっちゃけ私も良く知る面積計算の一つなのだが、当然教育水準が前世の日本に遠く及ばないこの世界で、二等辺三角形の面積を計算する方法など知っていたところで意味が無い。故に誰もそんなこと気にしないしそもそも計算してみようだなんて思わない。
しかしアルヴィンは違った。前世の人間の誰もが「こんなん大人になったら役に立たない」と思うようなことを、誰かに教えられるまでもなく発見し、独自で研究し続けた。
分かりやすく言うと、つまり時代の寵児。
私のよく知る世界にもいた、人類が発展するのに大きく貢献するような人間。己は勿論家族友人知り合いも全て一般人で構成されていた私の世界とは到底違う世界に生きる人間だ。
……まぁ関数すら知られていないのに電気は通ってるというこのアンバランスな世界における発展にどうつながるのかは、よく分からないけれども。
そんなアルヴィンのその知識量は当然4つも上のアカデミー生では比べられもしないらしく、現在ついている家庭教師は本来ならアカデミーを卒業後に博士を取るような生徒につく先生ばかり。現代で言うなら小学生が大学受験してるみたいな感じだ。
日本ではありえないがアメリカなどでたまに飛び級で大学入学している天才などがいるが、まさかそれがこんなにも身近にいようとは恐れ入る。
しかしアルヴィンが凄いのはそれだけではない。
前世でもしいたら嫉妬されること間違いないが、この兄が完璧で天才なのは何も勉学に限ったことではなかった。
馬に乗らせれば一流。ただの乗馬は勿論、狩猟も得意と聞いた。おまけに剣を持てば騎士の息子を打ち負かし、ダンスは見る者すべてを魅了する見事なリード。そして最も重要である貴族としての手腕。将来的に侯爵の爵位を継ぎ領主にもなるべき長男である彼は、既にお父様のお仕事にも何度か同行して領の発展にも貢献しているときたから非の打ち所がない。
そんな兄のため、社交界デビューを前にして既にその秀才っぷりが噂になっているらしい。
まさに天才。だけど努力も怠らないというその姿はその年で女性の噂になっているという。……社交界デビューした暁にはどうなってしまうのか、今から苦労が目に見えるとお父様が溜め息を吐いていたっけ……。
「でもそれは分かるわ。お兄様は格好良いし、お優しいし、気も利くし、こうして私の為にお土産まで用意をしてくださって……嘘をついているのが思わず心苦しくなるほどの、」
「……」
「……」
「……ニックお兄様、いつからそこに……?」
アルヴィンがこっそり食べるんだぞと言い残して部屋を出てからすっかり油断していた。久しぶりの甘味を前に気が緩んでいたのかもしれない。まさか部屋の中に自分以外の人が立っていたことに今更気づくとは……。
……私の独り言、聞かれてないよね? お願いそうだと言ってくれ。ファッジを手にくるくる踊りながら喋っていた私なんて見ていなかったと言ってお兄様……。
「お前、もう体は良いのか?」
「よ、よくはありませんが、今日は比較的調子が良いので……」
「今更後ろに隠しても無駄だ。兄上が帰りにファッジを買っていたことは知っている。勿論、お前の為にということもな」
「……」
アルヴィンが甘いものを好まないということは、トワール侯爵家にいるものなら誰でも知っていることであった。
「あ、あの、お兄様……」
「母上が甘いものは体に障るから駄目だとおっしゃっただろう」
「……そうでしたか?」
「しらばっくれるな。お前がそんな簡単なことを忘れたりするものか」
偉そうに腕を組みながら私を睨むこの男はニック・トワール。トワール侯爵家の次男でありアルヴィンの弟でもある彼は、アルヴィンとは似ても似つかない私のもう一人の兄だ。……どっちかというと私に似ているところが皮肉だよね。アルお兄様とはどちらも似てないのにさ。
そんなニックが父や私と同じ真っ赤な髪を揺らしながらゆっくりと私に近づいたと思えば、次に来たのは軽い衝撃。……え。私、今、手を叩かれた? 突然の所業に驚いた私は暫く茫然と自分の手を見つめていたが、それから自分を少し上から睨みつける顔を見上げて漸く、私は自分が先ほどまで持っていたファッジが兄の手の中にあることに気づいた。
「これは預かる」
「あっ?!」
そんな殺生な!
一体何年ぶりの甘味だと思っているの?! このままでは可愛い妹が甘味不足で死んでしまう……ようしこうなったら泣き落としで、ってこの手はこっちの兄には効かないんだった!!!
「ニックお兄様、せめて一つだけでも……!」
「一つも二つも同じだろう」
「なら二つ下さいませ!!!」
「お前今の状況が理解できていないのか? 母上の言いつけを破ったこと、僕から言ってもいいんだぞ」
「……!」
「それとも自分から言うか?」
さっきまでの自分を見つめる優しいアンバーの瞳はどこへやら。キッと私を睨むそのエメラルドの瞳はお母さまに似ていて少し苦手だ。いや、お母様自体は苦手ではない。だがこのトワール侯爵家で一番怒らせていけないのは普段は温厚で何もおっしゃらず影のように佇んでいるあのお母さまであるからして……。
「ふん。まさかお前が、母上の言いつけも守れないほど馬鹿だとは思わなかったな」
「……(かちん)」
「兄上も兄上だ。こんなことをしておいて、母上が黙っているはずもない。怒られることは目に見えているだろうに。愚かなことを」
「(かちんかちん)」
「そもそも病弱だというのならずっと寝ていればいいだろう。それを本だのお菓子だの、自分の立場を分かっているのか? この、トワール侯爵家の面汚しめ」
「(ぷっちーん)」
だがこの兄はお母さまとは違う。お母さまはそんな風に人を頭ごなしに貶したりはしないし、馬鹿にしたりもしない。私の、存在そのものを、否定するようなことは、しない。
正論のように言葉をいくら綺麗に並べ立てて見せたところでその中身は所詮子供の酷い暴言だ。……しかもお前それ、全部全部私へのやっかみだってこと、私が知らないとでも?
「……そう言えばお兄様は、家庭教師の方に出された問題はいつも一問しか間違えないそうですわね」
「なっ、何故お前がそれを?!」
「お兄様の家庭教師であるリアン先生はアンバー先生のお弟子さんですもの。お話はよーく聞いておりますわ。お兄様の秀才っぷりは、ね?」
「……!」
かーっと一気に顔が赤くなったお兄様は、何か言いたそうに口をパクパク開いては閉じて、最終的には歯ぎしりをして拳を握った。
ニックは馬鹿ではない。が、天才でもない。彼は良くも悪くも平凡で一般的な子供だった。
しかしそんなのは普通のことであり、そんな子供はこの国に溢れるほどいる。彼は決して不幸な子供などではない。ただ言うのなら、彼の不幸は国一番の天才が自分のすぐ上にいる兄であることだったのではないだろうか。
ニックを見る全ての人はあのアルヴィンの弟なのだからさぞ優秀なのだろうと、勝手に決めつけて期待をしハードルを上げ、いざ平凡な子息だと分かれば無責任にがっかりした。きっとそれは幼心に彼を傷つけ続け、プライドだけは一人前の彼に意味なく兄を恨ませたことだろう。馬に乗っても、剣をとっても、涼しい顔で全てを難なくこなす兄の足元にも及ばない。どんなに努力して勉学に勤しみ、例え同い年の子供には負けずとも、兄が自分と同じ年の頃にしていた問題には……一歩及ばない。
そんな中、一つ下の妹が兄以上の天才で神童だと言われてはたまらないだろう。彼だってきっと、普通の子息として育っていれば普通に優秀な部類なのだ。それが天才に挟まれ勝手に凡才にされる日々。ぐれないのが不思議なくらいだ。
どんなに努力しても努力しても兎のようには怠けてくれない二人相手では埋まることはなく。しかし誰に文句を言ったところで現実は変わらない。だが――きっと相手がアルヴィンだけなら涙を飲んで影になったことだろう。所詮次男では爵位は継げない。自分が長男でアルヴィンが次男であるなら最悪の状態だが、そうでもなし。家を出ても自身の力で生きていける程度であるのなら、何も兄に勝とうとする必要などない。当然、嫁に行けば姓すら変わる妹など、気に留める必要すらない。……と。
考えられたのなら、きっと楽だったろうに。しかし当然、そんな兄などではなかった。彼は。
「……お前まで、僕を馬鹿にするというのか」
小さな体。シンディの体で見上げた兄はそんな風には見えなかったが、何故だろう。見上げて起きながら私はこの兄がとてもとても小さく見えた。いや、器の話ではない。……ないとも言いきれないしじゃあ大きいかと言われると頷き難いが、そのことではない。
まるで誰も味方のいない小動物のようだと。私はこの兄をそんな風に感じた。
「……そんなことないです」
「は。鏡を見るんだな。そんな目もしてないくせに」
「……」
一体どんな目だ。悪役か? 悪役令嬢の冷たい目をしているというのか? それは少し、嫌だな……。
「何も、分からない、くせに……」
その言葉に思わず溜め息をつきそうになって慌てて飲み込んだ。いくらなんでもここで油を注ぐのは得策ではない。目の前にいるのは10歳にも満たない子供なのだ。大人になれ。
まぁ、確かにニックの生い立ちには同情するべきところもあるとは思う。私のせいで原作よりももっと惨めな思いをさせたことは事実だ。申し訳ないとは思う。だけど……。
(そもそも、あまり関わりたくないんだけどなぁ……)
仮病がばれるかもしれないからそもそも誰とも関わりたくないのは事実だ。しかしニックは違う。そんな理由ではない。
勿論ニックがアルヴィンと違って私に優しくないとか何かと私に突っかかって来て面倒だからなんてそんな子供みたいな理由でもない。……いや子供だけども。シンディは子供で間違っていないのだけれど、確かにもっと兄らしく優しくしてよとか突っかかって来るの面倒とは思っているけれども、そんな理由では決してない。もっと深刻で私に関わる問題だ。
なんせ私の兄であるニック・トワールは、フェアゼルの攻略対象の一人なのだから。
(悪役令嬢の兄が攻略対象とか、いっそ新鮮だよね。使い古されすぎてて)
私の言葉にまだ文句があるのか睨みつけてくる兄から視線を逸らして、私はまだ忘れていないゲームのシナリオを思い出していた。
そもそも、本来のシンディならば、今の私ではなく、ただの我が儘で傲慢なお嬢様であれば、ニックはこんな風にシンディに対抗意識を燃やすようなことはなかったのだ。
フェアゼルのシナリオでは、ニックはアルヴィンという天才に勝てず、そのため父からの期待には応えられず、周りからは失望されれ、それなのに大して何も出来ない馬鹿な妹であるシンディは父から無償の愛を受け、期待はされないくせに当たり前のように何でも与えて貰えるというのが気に喰わなくて仕方がなかった。その為シンディが意地悪をするヒロインに味方していたが……次第に家のこととは関係なく自分を頼ってくれるヒロインに惹かれていくことになる。
しかしシンディにとってそんな展開が面白いはずもない。
シンディはお父様に全てを密告。自分の婚約者である王太子との仲を裂こうとするヒロインと、そのヒロインに加担する兄。シンディを溺愛する父は当然激怒。……シンディ目線の曲解に曲解を重ねたシンディのためだけの都合の良いお話を、可哀想なことに父はまるっと信じた。
不幸だったのは、ヒロインとニックが原因で王太子とシンディに亀裂が生じたのが真実であったことだろう。例えその元の原因がシンディによるヒロイン苛めだとしても、侯爵家の令嬢が格下の令嬢に些細な嫌がらせをしたところで当然お咎めなどあるはずもなし。
シンディの言葉によってありとあらゆる権力を行使した父は遂にヒロインの家や領地にまで圧力をかけ、最終的にヒロインは学園を追い出される。ニックは責任を取るため海外留学へ行かされることになり、その怒りから全ての元凶であるシンディを窓から突き落とす――これがニックルートでのバッドエンドだ。……勿論シンディにとっても。
(ていうか、いくらしてやられたからって、いくらなんでも実の妹を窓から突き落とすか? ヒロインを殺されたわけでもないのにやり過ぎでしょ)
ハロルド王太子の時とは話が違うぞ単細胞。
因みにニックルートでハッピーエンドになると、王宮直属の家庭教師になるため勉学に励むニックの話が見られる。天才の兄に負けたくない一心で努力してきた非凡な次男は、ヒロインに勉強を教えた時の「ニック様には教える才能がありますわ。きっとこれこそ持って生まれた天才には分からない、努力の賜物ですわね」という言葉を覚えていたのだ。「あの時のお前の言葉で、今までの全てが報われたんだ」……ニックは二人を祝福し、初めて兄や父、あんな妹でさえも愛せる気がする――とファンの中でもトップを争う素敵なスチルだった。……勿論その後愛されることなく妹は国外で殺されてしまうわけだが。
(ハッピーエンドの場合は良いよ。だけどバッドエンドにならない保証なんてどこにもない。そんなのヒロイン次第だし私にはどうしようもないんだから……)
勿論ハッピーエンドですらシンディは死ぬ運命なのだが、この時はヒロインも王太子もニックも関係ないのだから仕方がない。だがバッドエンドのシナリオ通りなら自分を殺しにかかると分かっている兄なんて、当然関わり合いになりたいはずもない。
「嫁に行くだけの女は気楽でいいな。いや、普通なら嫁入り修行で少しは大変だろうに、病弱なお前はそれさえ免除だ。ただそうして毎日好きに暮らしていればそれで良い。そんなお前に僕の気持ちが分かるはずもないな」
は? 仮病使って引きこもらないと死ぬ運命の妹の気持ちがお兄様は分かるとでも?
「いっそ僕もお前になりたいよ」
どうぞどうぞ。いくらでも変わって差し上げますよ。寿命の短いシンディなどでよければいつでもどうぞ。
「……父上がお前に甘いのは、お前が女だからだ。お前がもし男に生まれていれば、今頃は、」
自由に外を駆けまわり、好きな物を食べ、好きなことをして自由に生きられたでしょうねぇ。
「僕はお前が嫌いだ」
「存じております」
これで好きだったらとんだツンデレだよ。デレはどこにあるというの。ツンツンしすぎて怪我するよ。ハリネズミか。いや、ハリネズミだってもう少し可愛げがあるからお前は剣山だな。剣山で十分だ。
「兄上だって、嫌いだ。父上も、……母上だって。皆お前の味方だ。僕の味方じゃない」
「……それは、」
極端すぎやしないだろうか。
そもそも味方とか味方じゃないとかって考え方が可笑しい。私たちは家族なのだ。例え関わりたくないと思ったって、片方が一方的に嫌っていたって、その事実だけは変えようもない。
お父様が私に甘いのは事実だ。姿はどちらかというと自分に似ているとはいえ、未だに愛して止まないお母さまに似た唯一の娘である私を好きで好きで、甘やかしたくて仕方がないのだ。ましてや漸く3人目にして生まれた娘であるのだから余計に。
だけどだからと言ってニックを愛してないなんてそんなことはない。確かにお父様は兄二人には厳しい。だけどそれだって、ただお嫁に行けばいいだけの娘と違って息子がこれから先も能力がなければ苦労することを知っているからだ。
厳しいことと愛していないことは決して比例しない。寧ろ反比例していると言っても良い。厳しさを教えるのは何の為か、誰の為か。私を甘やかすのだって、嫁に行けばもうそんなことはしてやれないと分かっているからだ。いやまぁだからと言って限度というものはあると思うけれども。
愛の形なんて人さまざま。大事なのは何が一番大事であるかを見極めることだ。
「そんなことは、ないと思いますけど。……私は、お父様もお母さまもニックお兄様の味方だと思います。勿論、アルお兄様だって」
「……よくもそんないけしゃあしゃあと言えるものだな」
「私だって、お兄様の敵ではないですよ?」
だけどそんなこと、少なくともまだ社交界デビューもまだの子供が考えて分かるものじゃない。愛の大事さなんて死ぬまで分からない人だっているのだ。こんな子供が分かるものじゃない。それでもだ。
「だからそんな風に言ったら悲しいです」
「……、」
周りが全部敵だらけなんて、理解者がいないなんて、そんなのは、悲しい。
例えちょっとした激高で自分を殺しかねない兄だと分かっていても、私の精神はこの少年よりずっと年上なのだ。関係ないから放って置こうなんて思えるはずもない。ましてやシンディの兄なのだから。
少しでも知っていてくれたらいい。自分を叱る両親が誰を見て誰の為にそうしているかを。家の為に頑張っている兄が、一体誰の為に何の為にそうしているかを。……というより可哀想だから分かってほしいものだ。なんせアルお兄様はシスコンだけでなく、重度のブラコンでもあるのだから。
「……ふん。そんなこと言って、僕は騙されないからな」
「騙すだなんて……」
「そうだな、確かに母上はお前の為を思って言った。だけどそんなの僕の知ったことか。お前なんか、更に病弱になってベッドから起き上がれなくなればいい」
「わ、!」
いきなり腕にねじ込まれたそれは、先ほど取り上げられたアルお兄様からのお土産。いきなりの行動に驚いて咄嗟にそれを抱えた頃には既に扉は閉まってしまっていて、それに気づくまで私は茫然と立ち尽くしたままだった。
果たして今の行動は言葉の通り全力で悪意を込めた意地悪だったのか、それとも曲がりくねった分かりにくい生まれて初めて垣間見せたデレの瞬間だったのか。……どちらにしろそんな兄はご存じない。混乱で頭が回らずいつまでも首を捻っていたら、いつの間にかメイドが私に夕食を持って来る時間になっていたのには流石に驚いたが。
そして当然、手に持ったままだったファッジはメイドにばれ、食すことは愚か、後日お母さまにこってりと怒られることとなった。……ニックめ、絶対に許さん。大人げない? 知るか、畜生。
6月24日改稿