もう図書室が来い
「お嬢様……その、本当にこちらで、宜しいのですか?」
「? ええ、そうよ? だってもうお父様が先日買ってきてくださった分は読み終わってしまったし、家にある本も全部……。だから王宮図書室から本をいくつか借りてきてもらったの」
「それは承知しております。けれど、その……。……こちらは古文書でございますが……」
「……。……な、内容を理解するためじゃないからいいのよ。ただやることもないし、眺めたいだけだから」
「は、はい。かしこまりました。お嬢様がそれで宜しいのでしたら……」
そう言いながらもそのメイドは何か言いたげな顔をして頭を下げた。しかし結局何も言わずに部屋を出ていくところは流石侯爵家のメイドか。教育がしっかりされている。そう言えば今のメイドさんは初顔だったな。私が仮病を使ってから使用人を増やしたそうだから新入りさんかな?
そんなことを頭の片隅に、しっかりと閉まった扉を見つめながら、私はこの時漸く既に自分が失敗していたことに気づいた。
「そうか……普通の5歳児はこんなに片っ端から色んな本を読んだりはしないか……」
考えて見れば当然か。暇で仕方ないからと言って家中の本を読み漁る5歳児がいたら普通に怖いよね、うん。しかもお父様の書庫にあるのって結構専門的な本ばっかりだし……それこそ貿易とか政治とか戦争とか。前世の自分にもしそんな親戚がいたら何かが乗り移ってる可能性を考えるね。いや、ある意味的を射ているけれども。
お父様に医術の本をおねだりした時は、診察してくれたお医者様が格好良かったからって子供らしい理由をつけて納得してもらったし、料理の本だって食欲はないけど本を読んだら食べたくなるかもとか言ったら笑って買ってくれたけど……。
「古文書とか、流石に5歳児が興味持つ理由は作れないわ。何を言っても胡散臭いもの」
本のタイトルも見ずに適当に予約入れて借りたのが間違いだったか……。お父様の書庫を読み漁った時点で既にジャンルなんてないようなものだったから、借りられる予約一覧にあったリストを上から順番にチェック付けて使用人に渡してしまったが……。
いざ開いたらそこにあるのはミミズ文字。普通なら興味持って開いても数秒で本棚に戻す。元のシンディなら投げ捨てただろうね。いや、まぁ今の私の場合は、実はこれ全部一応日本語だから、読もうと思えば読めるんだけど……。
フェアエンゼルの世界観は色んな国の色んな時代が混ざり合って良いとこ取りをしたような感じだ。
ベースは多分中世以降のイギリス。だけど料理はイタリアだったりフランスだったり、お米はないがパスタはある。それも私がよくしる細長い日本のタイプの。パスティーナもあるにはあるけど。
だけど文学的なベースは何故か日本。話し言葉も書き言葉も日本語。だから古文書も日本語だ。どんなに読みづらくても、読めないものではない。なのに名前は英名。見た目も西洋。なんだろう、この、祖国を軽く馬鹿にされた感じは……確かに横文字の名前で見た目は金髪とかの方が映えるけれども! 最近の乙女ゲームじゃ舞台が江戸時代とかでも何故か髪の色がカラフルだったりするからそれよりはマシかもしれないけれども!
「これが乙女ゲームのご都合主義か……」
多分分かりやすく運営の都合なんだろうな。まぁ完璧に歴史に忠実にやるとちょっとした間違いがあるとファンから叩かれそうだから中途半端なのが一番楽だったんだろう。
そんな世界だから、当然テレビや携帯はないが電気は通ってるし水道がある。交通手段は馬車が主で連絡手段は手紙だが、冷蔵庫もあるしお風呂もある。流石にシャワーはないので使用人が水を汲んできてお湯を沸かしたものを使って体を洗っているが、侯爵家である我が家にはゆっくり浸かれるだけの湯舟もある。トイレだって洋式だ。和式は苦手なので助かったが、確かこの時代はそれどころではなく、汚物を窓の外に投げ捨てていたとかなんとか……想像しただけでキツイな……ご都合主義でよかった……。
だけど紙は貴重で前世で使い慣れた木製の紙は少なく、殆どが羊皮紙。勿論その羊皮紙でさえ庶民には手の届かない代物なので、この国の平民の識字率は低い。それどころか王都で働いているような人達だって実費で羊皮紙を買おうとはまず思わない。仕事で必要な分は職場にある分しかなく、そう言う人達は普段は木簡やパピルス製の紙を使っているらしい。まぁそもそも日常生活で紙を使うことなんてないんだろうな。だって周りの人は読めないんだし、メモするくらいなら木簡でいいしね。
だから文句なんて言えないけど、それでも羊皮紙ってやっぱり木の紙に比べたらガタガタしててどうしても書きづらいと思ってしまう。そもそもインクと羽ペンで書く大変さよ……。まずペンにインクを付ける加減が分からない。タイミングすらもだ。ボールペンとシャーペンに慣れた現代っ子には中々厳しい。まぁそれでも他の5歳児に比べれば凄いらしいが。当然だよね。方や満足にペンも握れない5歳児、方や中身はもう20代後半のおばさんだもの……。歳については多分だけど……。
因みにこの世界、魔法とかはない。最近の乙女ゲーム及び悪役令嬢が出てくる小説には魔法が使える世界の場合も多いらしいが、設定が大雑把なだけでファンタジー要素はない。
あったら面白かっただろうにな……。そこはちょっと残念。折角前世の記憶持ったまま転生するなら私だってファンタジー感溢れる魔法と剣の異世界に生まれたかったよ。そこで無双とかしたかった。せめて魔法だけでも使いたかった……永遠の憧れ……。どうせベースがイギリスなら某魔法学校の世界とかでも良かったんですよ?
「いや、勿論全く知らない世界よりは全然マシだけどさ」
本当の中世イギリスにでも生まれたら普通に死ぬ自信あるしね。多分今以上に食事で耐えられずに死ぬと思う。私別に前世グルメってわけじゃないけど、日本人ってそもそも普通の人でも海外からみたら食に煩いもんだって言うし……。
「そこは乙女ゲームの世界であったことに感謝だね。しかもクリア済みだから余計に」
ここ最近本ばかり読んでいたのでゲームには出てこなかった設定もばっちりだ。ゲームだと必要最低限の情報しかないからね、本や漫画と違って、ファンブックでも買わない限りは細かい設定はクリアしても知ることはない。ファンブックにだって、ゲームとは関係ない設定までは載ってないしね。
ゲームではとある大陸にある王国とかしか記載がなかったが、どうやら私のいるラヴァンティラ王国は大きな大陸のど真ん中にある大国らしい。地球儀はおろか、大まかな地図しかなかったので正確には分からないが、日本と同じくらいの季節感と気温だということは北半球で、緯度も同じくらいなのだろう。太陽は東から西に動いてたしね。
家にあった地図にもラヴァンティラ王国以外の国は殆ど名前くらいしかかかれていないため情報がなく、おまけにシンディが国外追放を受けた時に行くことになった国の名前がそもそも分からないためどこの国だったのかは分からないけど、地図を見る限り、同じ大陸に小国が沢山あるから多分それらのどこかだったのだろう。
歴史を見る限りラヴァンティラ王国はここ最近大きな戦で負けたことはないが、他の国はそうではない。負け続けて滅びた国もあるくらいだし、当然治安も悪い。貴族に生まれても餓え死ぬかもしれないとか怖すぎるよね。私トワール侯爵家の令嬢で良かった……。
……いや待て。トワール侯爵家の令嬢に生まれてしまったから今、こんな齢5歳で延命するための工作をしなくてはならなくなったのでは……? ……うん。とりあえず考えても仕方ないから、生まれてしまった運命は受け入れて、悲惨な未来が来ないために今を頑張ろう……。
「って言っても、仮病生活を決断した今では、ぶっちゃけやることなんてないんだよね……それこそ本を読むことくらいしか」
なのにその本さえ読みつくす始末。自室が本棚で埋まってしまうのも時間の問題だ。その為何度も読む気がない本はこうして借りてきて返すと言う方法を使っているが、この調子では王宮図書室の本を読みつくす可能性だってある。貸し出ししていない本を買うと言う手もあるが、いい加減お父様におねだりするにも限界だし……かと言って他に出来ることもなし。
「折り紙とかあればよかったのになぁ」
暇すぎて千羽鶴量産出来そう。それも1センチサイズの。この部屋に飾るにはちょっと浮きすぎててあれだけど、商品にしたら結構ヒットしそうなんだけどな……。いやまぁ、そんな目立ちそうなことしませんけどね。オブラットの時とは違うんだから、いくら暇だからと言って天才フラグとかはごめんだよ。
「あ、あとはお絵かきとか? 前世ならこのくらいの年に塗り絵とかしてなかったっけ……」
今の私ならクレヨンでも画伯になれる自信あるね。暇すぎて前世よりも細かい傑作描けそう。でも仮にこの世界にお絵かきセットがあったとしても、そんなこと出来ないよね……。だって殴り書きがいいところの5歳児が背景模写なんかしたら神童だって騒がれると思うんだ……うん……。だからそんなことはしないよ。何度も言うが、目立つことはごめんだ……。
「……暇だなぁ……」
はぁ、仕方ないから大人しく古文書でも訳すか。
そんなことを呟いて羽ペンを握った私は天才ではない。それは自分が一番よく知っている。
前世の記憶を持つ私にとって本を読むなんて当たり前で、学生の時はそこそこ成績も上位をキープしていた私からすれば漢文を訳すなんてことは当然”天才の所業”にはなりえない。
だがこの時の私はそんなことは完全に失念していたのだ。そうでなければいつ誰が突然部屋に入って来て何してるのーなんて声をかけて自分の手元を見るなんて可能性がないわけでもないのにこんなことを白昼堂々出来たはずもない。
私には前世の記憶がある。ここは乙女ゲームの世界である。そしてこの二つを、私は誰にも悟られないようにしなければならない。
頭では分かっていた。それをしっかりと刻んだはずだった。だが、分かっているのと理解したフリは全然違う。私は自分を前者だと信じていたが、所詮私は今までの感覚が抜けなかった後者で、やはり天才などにはなれない凡才の一般人でしかなかったのだ。
本当の天才なら、きっとこんな血迷ったことはしなかったに違いない。
だから当然。天才ではない私は知る由もなかった。
「ねぇ知ってる? シンディお嬢様、この前は数学書をお読みになっていたそうよ」
「嘘でしょう? あの年で文字が読めるだけでも天才なのに……」
「おいそんなことより、シンディお嬢様の書かれた文字を読んだか?! あのレシピ! とても5歳児が書いたとは思えない! そこらの大人よりよっぽど達筆なんじゃないか?」
「それよりも聞いた?! あのレシピ、侯爵様が他の王宮の方々に自慢してらしたそうよ。きっと王宮からレシピ提供を申し込まれるのも時間の問題ね!」
「あの年で既にあれだけの才能をお持ちなんだ。侯爵様もご自慢されたいだろうな」
「長い歴史をもつトワール侯爵家の中でも歴代1優秀なんじゃないかしら。将来が楽しみですわね……」
「本当。これでお体が治れば、お妃様だって夢じゃありませんわ」
なんて。
既に侯爵家の使用人の間でそんな噂が立っていたこと。この日に訳した解読書をそのまま借りた本にうっかり挟んだまま返却してしまっていたこと。王宮図書室で解読されていないはずの古文書の解読書が見つかり王宮中を騒がせたこと。その騒ぎのせいで父が暫く夜も満足に眠れなかったこと。次に借りる本を20冊まとめて予約し、本を運ぶ係のメイドが腰を痛めたらしいことも――全部知らなかったのだ。
知っていたら少なくとも、次に古文書を借りる時の言い訳なんて考えたりはしなかった。多分。
2020年6月22日改稿