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謎の少年

「へクター・オールポートと申します。これからどうぞ宜しくお願い致します、お嬢様」

「……こちらこそ、」


 それは、私が大量の蜜蝋を無駄にした末に漸く「今回はこれで許してやる」なんて吐き捨てる程度にはなんとか形になったクリームを作り上げたくらいの時だった。……因みに日数的には数日が経っている。そう、数日だ。決してもうすぐで一週間だったなんてそんなことはない。

 まあそれはともかくとして。とりあえず私の体調的は回復し、それに伴って周りも大分落ち着き、いつも通りの日常を過ごしていた平和な毎日のことだった。

 突然、何の前触れもなくお父様が孤児院から、一人の少年を我が侯爵家の使用人として引き取って来たのは。


 オールポート男爵家。かつては港町である領地の運営で栄えた家であったが、今から三代前に水害により港町及び交易船が大破。それでも立て直すべく奮戦していた男爵家であったが、とうとう今から二代前に領地を経営することが出来なくなり、借金の末に破産した。

 現在では既に爵位も領地もなく、血筋のみが細々と残っている状態だったが、数年前に唯一の直系である人……つまりこの少年の父親が他界。母親は出産時に既に亡くなっていたらしく、天涯孤独の身となった少年は孤児院へ。

 そしてそんな事情を先日知ったお父様が、少年を不憫に思い、侯爵家の使用人見習いとして引き取ることにしたらしい。


「流石お父様お優しいですわ! ……でも、どうして侯爵家へ?」

「それはね、オールポート男爵家とはお前のひいひいひいお爺様の代に親しいやり取りがあったからだよ」


 お父様曰く。最早先祖というレベルの昔ではあるが、我がトワール侯爵家の領地がかつて日照り続きにより民たちの生活が困難になった時。何の縁もなかった当時のオールポート男爵が率先して支援を申し出てくれたことにより、その危機を乗り切ったことがあるらしい。

 その為、代々爵位を継いできた嫡男には「いつかオールポート男爵家にこの恩を返すように」との言葉が残されてきたとか。

 ……だけどそんな言葉が伝わってきたのならどうして二代前にオールポート男爵家は没落してしまったのだろう。その時にトワール侯爵家が支援を惜しまなければそんなことにはならなかったと思うんだけど。まぁ曾祖父?のことを言っても仕方ないしその時にも事情があったのかもしれないが、それでもお父様がもっと早くにコンタクトを取っていれば少なくとも少年が孤児院に行くこともなかったのでは……。

 うーん、謎だらけではあるけれど、今はこうしてかつての恩を返すべく最後の子孫を引き取ったわけだし、お父様にもきっと何かしらの理由があるのだろう。聞きたいことは沢山あるけれど、今それを聞いたらシンディとしてはおかしいし、いつかその理由を聞けたらいいかな。


「爵位がないから貴族として扱うことは出来ないが……丁度シンディと同い年と言うことだし、仲良くしてやっておくれ」

「……勿論ですわ!」


 例え貴族のような扱いをされることがなくとも、トワール侯爵家の使用人というだけで平民にとってそのステータスは大きい。従者としての振る舞いを覚えればどこにいっても恥ずかしくないし、結婚する際には前世で言う退職金も出る。メイドたちが持参金を稼いでいるように、貴族でない彼にとってはこれ以上ない職場になるだろう。

 だが問題はそこではない。私はお父様から今朝この話を聞いた時からずっと、正体不明の胸騒ぎに襲われていた。


 お分かりいただけるだろうか。ゲームの世界に転生してその世界で生きてきた私にとって最も警戒するべきは攻略対象やヒロインの存在――ではない。それは私のような(・・・・・)イレギュラーだ。

 勿論それは転生者という括りだけには留まらない。知識があるかないか、それも勿論重要だが問題はそこではないのだ。つまりは私の知る未来には居なかったはずの存在。それが意味するところの答え。

 そして正にそれこそが、問題なのだ。


 フェアゼルには顔のないキャラクター……つまりモブが沢山いる。当然そのキャラクター達には名前すらない。顔すらないんだからまぁ当たり前だが。

 中には名前や設定はあるが殆ど出てこないキャラクター、先述した中では一番上の兄であるアルヴィンお兄様なんかがそうだ。さらっとシンディにはニック以外にももう一人兄がいてその兄がニックと違ってイケメンの天才という話だけが出てきて、結局ゲームの本編には一度も登場しなかった。それこそファンブックで漸く顔と名前が登場したレベルだ。


 ニックやハロルド王太子のように、あからさまに"攻略対象"とか"お前を殺す可能性あり"なんてレッテルが付いているのなら警戒するのは子供でも出来ること。いやシンディ子供だけども。

 だけどもし――例えば「実は貴方の侍女であるメアリは貴方を殺すために雇われた暗殺者なんですよ」とかなら。私は恐らく彼女に抵抗の一つさえ出来ずに殺されるだろう。


 だけどそんなことはあり得ないと私は知っている。何故か? それは私が"この先の未来を知っているから"。少なくとも自分で窓から投身自殺でもしない限りシンディが学園に通う前に死ぬなんてイベントは起きない。何故なら"それが私の知っている未来だから"――。


 うん。なら、この目の前にいる少年は一体、なんだ。


「……こちらこそ、宜しくお願いしますわ……」


 そして、冒頭に戻る。


 沈黙を破ってなんとか捻り出した言葉とその引きつった顔は、恐らく私のマナーレッスンを見てきたアンバー先生が見たら今すぐベッドで横になって熱を測るよう指示を出すだろう。

 貴族令嬢たるもの例えどんなアクシデントが目の前で起きたとしても平然と平静を装い、常に殿方を落ち着かせるように微笑むべし――そうその調子ですわお嬢様エックセレント! まるで美の女神の彫刻のようですわっ! どこからかそんな幻聴さえしてきたくらいだ。

 それにしても彫刻みたいですねってそれは褒め言葉なのだろうか? 今思っても仕方が無いけれど。


「ははは、そう言えばシンディは同い年の子供と会うのは初めてだね。緊張しているのかい?」

「……ええ、少し」

「でも大丈夫。へクターはシンディと同じように大人っぽいからね。少し感情を表に出すのが苦手のようだが、従者になるには向いていると言えるだろう。ああ、もう少し二人の背が伸びたらダンスマナーなんかも教えるつもりだ。アルやニックではシンディとは身長差があり過ぎて大変だろうからね」


 やめてこれ以上フラグを立てないでお父様。

 私は目の前で私よりもずっと彫刻と言われるにふさわしい表情で挨拶をした時からぴたりと変わらず同じ体勢と表情を保っている美少年――へクター・オールポートをちらりと一瞥すると、今度こそ先生から花丸を貰えるであろう笑顔で微笑んだ。


 シンディ・トワール侯爵令嬢。幼少期から傲慢で我儘で自分大好きであったこのお嬢様は、将来的には大勢の使用人や騎士、そして取り巻きの令嬢を何人もひきつれ我が物顔で廊下を闊歩していたと記憶している。

 だが当然その殆どには名前も顔もない。まぁ当然と言えば当然だ。何故なら彼ら彼女らの存在は全くもってゲームの進行に関係がないから。シンディの取り巻きの名前がメロンだろうとスイカだろうとまさかのタマネギだろうとイベントやゲームの進行に滞りなどないし、使用人の数が10人でも11人でも13人でも全くもって変わりないし、実はメイドの一人が女装した男性でしたなんて謎の設定があったとしてもヒロインがその男性と恋に落ちるという誰得なのか分からない展開でもない限りはそんな濃い設定すら意味のない裏話だ。


 つまるところ、例え未来の展開を何パターンも知る私と言えど、その時にいた使用人や取り巻きなんて分かるはずもないのだ。取り巻きの何人かは役割があって名前や顔があったものもいたが、使用人にいたっては後ろに沢山いますよ的なエフェクトがあっただけで名前や顔どころかその数さえ明確にはされていなかったし。しかしそれも当然だ。意味がないから。

 従って今の私にも、あの中の誰かがエミリやメアリだったのかも分からないままだ。


 今の私にとってこの世界は既にセーブしてやり直せるゲームなどでは当然なく、メアリやエミリも物語には関与しないモブキャラなどでも決してない。

 侯爵令嬢としては正しくないのかもしれないが、今のシンディにとって、彼女たちは家族も同然。もし私が自分の運命に抗えずに泣く泣く国を追放されることになったとしても――その際には何が何でも彼女たちを自分に同行させはしないだろう。

 沈むと分かっている泥船に彼女たちを巻き込むつもりは毛頭ない。そのくらいには、大切に思っているのだ。


 だけどもし……彼女たちが将来的にシンディを断罪する一員であることが初めから分かっていたらどうだっただろうか。少なくとも、今のように接することは出来ないのだろうと思う。既に攻略対象として知っているニックが、そうでないアルヴィンお兄様とは違ってしまうことと同じように、知っている私は知らない私と同じように生きることは出来ない。


 でも、だからこそ、と私は思う。


「……」


 目の前の少年。へクター、だったか。当然この名前に聞き覚えなどはない。

 だけど普通に考えて、これが全くもって関係がない当たり前で日常的で平和な毎日の一日である――とは思えないのだ。私は。


 目の前にいる少年は幼いにも関わらず整っていることが分かり、平民生まれで数年を孤児院で育ってきたからか痩せていて背は低いが、侯爵家で育てばすぐに栄養が回り成長すれば女性にモテる男性になることは見て取れた。

 そして元々この顔なのか緊張しているのか分からないが無表情……人によっては仏頂面であるともとれる顔は、ツンとした吊り目と輝く金の瞳……そしてそれを際立てるような黒い髪にが寧ろよく似合う気がした。

 極め付けにその血筋は没落した貴族の子孫。爵位こそないが、この国で最も尊ばれるべき血筋を彼は確かに持っている。おまけにシンディと同い年で、侯爵家の従者見習いとして引き取られ、将来的にはシンディのダンス練習のお相手に? ……いくらなんでも、盛り込み過ぎじゃあないだろうか。


「この子も疲れていることだろうし、今日は美味しいものを食べてよく眠ると良い。シンディも、夕食はいつも通りとられそうかな?」

「……ええ、お父様」


 こんなにも攻略対象と同じくらいのポテンシャルを持っている彼を、フェアゼルで見た記憶がないなんて。それも、一度も。かのゲームを何周もクリアした私が言うのだから間違いない。まぁ彼が噂の隠しキャラだったなんてことがなければだが。……多分それはない。あるとしたら隠れ過ぎだろお前は忍者か何かか?


 もしフェアゼルにいたのだとしたら、それこそちらっとお付きの執事がいる描写くらいあってもよさそうなものなのに、影すらなかったなんて逆に違和感を感じる。

 いや、なんだったら"悪役令嬢おつきのイケメン執事"なんて攻略対象の一人でもおかしくないだろうに。既に兄がそうだから被ると思って運営がやめたのかな。


「……それなら初めからそんなキャラいらないよね?」


 私は夕食前に少し休みたいと言って戻ってきた自室でベッドに体を沈ませてまだゲームの記憶が鮮明であった頃に書いたノートを広げていた。

 しかし隅から隅まで書かれたその文字をいくら追ってみても、やはりへクターなんて名前は当然、シンディの従者や執事なんて言葉も出てくるはずもなかった。


「モブキャラ、にしてはキャラが濃い。いや、アルお兄様もそうだけど、それは一応ニックの対抗心を作るために仕方のない設定だったから納得出来たし……」


 シンディのお付きの従者を攻略対象と変わらないキャラなんかにしたら、霞むのは他の攻略者だ。漫画のヒロイン以外に可愛くて優しくて強い女キャラを出すとヒロインが霞んで一部の読者からバッシングを受けたり真のヒロインはどっちだなんて言われてしまうように、そんなことをして乙女ゲームとして良いことなんてあるはずもない。


 となると、考えられるのは三つだ。


 まず一つ目は、彼は本編に出てこない。つまり本編の時間軸の時にはシンディの従者ではなかったというもの。

 単純にお付きを外れたのか。学園には付いてこなかっただけなのかは分からないが、そもそも彼は"トワール侯爵家の従者見習い"になるのであってシンディのお付きの従者見習いではない。従者のあとに執事見習いになり最終的に執事になったとしても、その場合仕えるのは私ではなく侯爵家。代としてはお父様ではなくアルお兄様に仕えることになるだろう。

 そうなればシンディと一緒に学園に着いていかないというのは普通に思えた。アルヴィンは既に学園を卒業してしまうからね……。


 二つ目は、"彼"がイレギュラーであるということだ。

 勿論それは私と全く同じような存在であることから、別に知識とかはないが特別なキャラクターであるという可能性もある。本編に出てこなかっただけで特別……と言うと考えられるのは前からほのめかされていた続編の存在だが、ノーマルエンド以外では国外追放の後に暗殺されるシンディの従者が続編における重要人物になるとは考えにくい……。

 寧ろ考えられるのは彼が他家のスパイである可能性だ。勿論お父様が自ら孤児院から連れ出したのだからその可能性はないと思うが……。そうだ、そもそもの元凶となりうる、シンディを暗殺した主犯の可能性だって有りえなくはない。

 あの時オールポート男爵家を助けてくれなかった恨み! みたいな……え、どうしよう考えたら普通にありえそうで怖くなってきたんだけど……。


 そして三つ目が……私が最も恐れたもの。彼が"私"というイレギュラーのせいで現れた"イレギュラー"だという可能性。

 これが実は一番濃厚で、そして一番現実的。何故なら、実は既に前例があるからだ。それがまさかのあの平凡なるメイド。先週私の仮病騒ぎのせいで足腰を痛めるわ目が腫れて折角の美人が台無しになるわと後日私が心の中で謝り倒すことになった彼女、エミリである。


 彼女は元と言えばシンディが部屋から出られなくなったために雇われた新人メイド。そしてそんな幸運なるメイドである彼女は、シンディがシナリオ通り健康なら侯爵家のメイドという王宮に次いで優良な職場につく運命にはなかっただろう。少なくともシンディお付きのメイドになることはなかった。必要のない使用人、それも他家からの紹介でもない平民であるエミリを雇うメリットはどこにもないからね。

 しかしエミリは現在公爵家にて着々と将来の持参金を貯めている。それは何故か? それはシンディが病弱に"なった"から――そう、つまりこれこそが、本来のシナリオにはなかったことを私がしでかした結果なのである。彼女こそ、私の行動によって大きく運命が変わった人間の一人と言えよう。


 しかし私はそれに対しては何も思っていなかった。後になって、そういえばもし私が仮病という選択肢を選ばなければ彼女に出会うことはなかったんだななんて思ったくらいだった。勿論エミリからすれば悪いことではないし、彼女がトワール侯爵家にさえ来なければ実は王宮で奉公出来たという細すぎる未来を勝ち取る運命にあった場合以外は、私の行動によって良い方向に変わったのだと寧ろ喜んだくらいだ。

 だが、彼女と言う存在は確実に私に一つの可能性を頭に思い浮かべさせるには十分だった。


 すなわち、私の行動次第で未来は簡単に変わるという可能性だ。


 それは死ぬ運命にある悪役令嬢である私からすれば吉報であると共に、それは凶報でもあった。

 一つは当然、シナリオ後も死なずに済むという本来の目的。そして二つ目は、私の知るシナリオからの逸脱。本来のシナリオにはない展開や出てくるはずのないキャラクターの登場……それはつまり私の知らない未来に変わったことで私の"未来を知っている"という最大にして唯一のアドバンテージを失うということ。

 そうなれば私はこれからのイベントを回避する術を失い、現時点で避けたいと思っているものを避けることが出来ない――最悪バッドエンドまっしぐらになるというわけだ。悪役令嬢を勝手に病弱な深窓の令嬢に変更してしまったのだからその可能性は十分にあるとは知っていたが、いざそれによって変わっていく未来を知るのは「嬉しい」よりもずっと、「恐ろしい」……。


 シンディが病弱ではなく家から出られないとかそんなこともなく他人を家に連れてきても対応できる普通の令嬢だったのなら。

 へクター・オールポートが侯爵家に来ることはなかったという可能性。


 それが吉と出るか、凶と出るか……。


「ああもう! ファンブックとかにもっと詳しく書いてあればこんなに悩まずに済んだのに!」


 彼の存在が原作に存在していた確証さえあれば全ては自分の考えすぎだと思えた。しかし答えのない問題を眺めて頭を捻らせている今はそんなことを言っていても仕方がない……。

 だが暫くは彼の存在に意識をとられてしまうのもまた致し方ないだろう。なんせ彼とエミリでは似ているようで全く違うのだから。

 

 エミリはどこにでもいるメイドであり、美人だけど平民で、既に婚約者がおり、現在は結婚するための持参金を溜めている。結婚する年になったら侯爵家を出て、自分の家庭を築く……一般的で、よくいる、普通のメイド。先日侯爵家からお祝い金を受け取ってとある男性の元に嫁いでいったとあるメイドと同じ。当たり前で普通の人生を送る普通の人。


 だけど、彼は違う。

 先述した通り、並べたプロフィールがどう考えても普通のその辺にいる少年とは思えない。孤児院から侯爵家に引き取られた使用人ってだけでも物語一つ出来そうなものなのに、将来性があって、無表情で、貴族の子孫で、しかも数代前にはトワール侯爵家とも面識があるような家系で、おまけに悪役令嬢と同い年?

 これが普通だと言うのならニックはどうなる。天才の兄と我儘な妹に挟まれた凡人なんて攻略対象としては弱いにも程がある。こんなこと言われるニックの身にもなってみてよ!


 だが、まぁ、いいだろう。可能性として彼がニックのような存在であるかもしれないと仮定するのなら、それこそニックと同様あまり関わらないようにすれば一先ず問題はないはずだ。少なくとも今死ぬとかそんなことになるわけじゃなし。最近ニックが私の部屋を訪れなくなったように、私の行動次第で関わりなんて減るだろうし。


 なんて。散々悩んだあげくに解決にもならない案で自分だけを納得させていたのにだ。


「え、隣の部屋?」

「隣と言っても離れているがね。まだ使用人ではない彼を使用人棟に入れるのはと思ってなぁ。それにへクターはまだまだ小さいし、暫くは教養を身につけつつ、栄養を取ってもらわないといけないからね」

「……」


 神様は何が何でもあの少年と私を関わらせたいらしい。

 ああ、今日はなんだかお父様のこの笑顔が憎らしく思える……。これでもし彼が他家のスパイとか復讐者だったらとんでもねぇ事態ですわよ、お父様。


「シンディ? どうしたんだ……まさか体調が悪いのか?! す、すぐに医者を呼んで……」

「ぼうっとしていただけですわお父様。ご心配ならさず」


 まだ一口も食べてないのに食事中断で診察なんて冗談じゃない。そんなさらっと私からこれ以上栄養をとらないでくださいませ。


 それにしても、まさかの隣の部屋。ニックやアルお兄様の部屋がある階では駄目だったのか。いやそもそも、いくら従者見習いにするからと言って同い年の異性を大事な末娘の隣りで生活させるとか。お父様は何を考えているのか。

 ……いや、寧ろ普段なら「いくら年端もいかないとはいえ異性を可愛いシンディと隣の部屋になんて!」とでも言いそうなのに、やっぱり、何か変だ……。

 しかし今はまだそんなことを言っても仕方ないだろう。というかシンディがそんなこと言い出したら普通におかしいし怖い。私はそう思って考えることを止めて食事を続けることにした。


 その間もお父様は何故かニコニコと私が食事を続けるのを嬉しそうに眺めていたが、数分後に何故か影のある笑顔をしたお母さまに連れられて部屋をあとにした。……もしかしてお仕事放り出して来ていたんだろうか。

 そう言えば最近ニックもアルお兄様も姿を見ないな。窓から時々金属音とニックの悔しそうな声が聞こえているけど、一体何をしているのやら……。


「……はぁ。なんか、波乱の予感」


 扉の外に待機していたメアリに食器を下げさせてからぽつりと呟いた言葉。私以外誰もいないその部屋に小さく響いたその声は、当然私以外には誰も届いてなんていなかったのだけど。


「へクター・オールポート……」


 今頃はあの少年も見慣れないベッドの上で目を閉じているんだろうか。それとも私と同じように部屋で食事を? いや、もしかしたら使用人練で食事するのかもしれない……。

 声は勿論少しの音だって聞こえないような離れた部屋で、私は何故か自分ではなく彼のことを気にしながら、ゆっくりとベッドに体を沈めたのだった。

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