脚本「一郎と美香」
登場人物
益田一郎(39)産婦人科医
岩崎美香(33)岩崎財閥の若奥様
鈴木久美(37)看護師
○誠仁病院・全景
大きな白い建物
○同・診察室
益田一郎(39)と岩崎美香(33)が座って話している。
鈴木久美(37)が近くに立っている。
益田はメガネにマスク。
益田「ご結婚されて、何年になりますか?」
美香「10年です……」
益田はパソコンに打ち込んでいく。
益田「治療は何年前から?」
美香「5年です……」
益田「どの辺まで進みましたか?」
美香「体外受精を7回トライしました」
益田「なるほど。以前はどの病院に?」
美香「愛栄病院と山能クリニックです」
益田「なぜ、うちの病院へ来られたのですか?」
美香「それは……」
美香はチラリと久美を見る。
益田「鈴木さん、ちょっと外してもらえますか?」
久美は、「はい」と言って診察室を出る。
益富はマスクをとって、
益田「美香!久しぶりだなー!元気だったか?……じゃないか……」
美香「ううん。元気だったよ!一郎兄ちゃん!ぜんぜん変わってないね!あ、でもメガネ」
益富はメガネを外しながら、
益田「勉強し過ぎてな。あはは。それより、よく俺のいる場所わかったな」
美香「園長先生に聞いたの。一郎兄ちゃんがお医者さんになったって。しかも産婦人科の。まさか自分がお世話になるなんておもってもみなかったけど……一郎兄ちゃんならなんとかしてくれるかもって」
益田「おいおい、俺は神様じゃないんだぞ。こどもは授かりものだ。人間が作るもんじゃない。最近の不妊治療はどうも好かん。俺のやり方とはちょっと違う」
美香、吹き出す。
美香「一郎兄ちゃん、変わってないね」
益田「そうかあ?美香だって、5歳のときと全然変わってないぞ。入って来たときびっくりした。でもきれいになったなあ」
と、ノックの音がして、久美が入ってくる。
久美「先生、早く検査を」
益田はメガネとマスクをして、
益田「ああ、はいはい、やりましょう。じゃあ、下着を脱いで台に上がってください」
○同・医局
デスクが10個ほど並んでいる。
益田がデスクで検査結果とにらめっこしている。
益田の手には万年筆が握られている。
それを離れた所から見ている久美。
○同・診察室
益田と美香が対座している。
近くに久美が立っている。
益田「先日行った子宮の検査で、頸部に腫瘍が見つかりました。手術をすれば完治するでしょう。ただ、どこまで浸潤しているかによります。当然、不妊治療はお休みせざるをえません」
美香は目を大きく見開いて、
美香「そんな……がん?……」
益田「大丈夫。きっと治りますよ」
美香「困ります!今年こどもができなければ離婚されてしまいます!不妊治療を中止しないでください!手術なんかしたくありません!」
立ち上がる美香を、久美が座らせる。
久美「岩渕さん、落ち着いてください」
益田「まずは病気を治すことに専念しましょう」
美香「イヤです!先生、一郎兄ちゃん、お願い!跡取りを生まないといけないの!がんはこどもを産んでから治します!」
益田が、美香の顔の前で両手をパン!と叩く。
美香が驚いた顔をする。
益田「どんな事情があるか分からないが、自分の命を大切にしない人間に、大事な命が授かるとは思えないな。美香の命は美香だけのものではないんだよ」
美香、泣き出す。
美香「私が死んだって、誰も悲しまないよ。親に捨てられた命だもの。一郎兄ちゃんならわかるでしょう?」
益富、頭をかく。
益田「……わからないな。ご主人に愛されているんだろう?ご主人に悪いと思わないのか?」
美香「主人はとっくに愛人に取られてしまったわ。私は跡継ぎを産むことだけが仕事なの。生きている意味があるの。こどもが産めないなんてわかったらすぐに捨てられる」
窓の外、雨が降り出す。
益田「てっきり幸せなんだと思ってた。家柄もいい、金持ちと結婚したってきいて。……俺が幸せにしてやってれば……」
久美「先生、しっかりしてください」
久美が益富の肩をたたく。
益富、ハッとして、
益田「美香、そんな旦那こっちから捨ててやれ!妻はこどもを産むための機械じゃないんだ。美香ならいくらでもやり直せる!俺が保証する。まずはがんを治すことに専念しよう、な!」
美香、涙をふいて。
美香「わかりました。手術、受けます。先生、よろしくお願いします」
○同・手術室
手術台に横たわる美香。
外科医が麻酔医に合図する。
麻酔医がうなずく。
手術が始まる。
ガラスの向こうで益田が万年筆を握りしめている。
○同・病室
ベッドに横たわる美香。
益田がきて、美香の手を握る。
美香が目を覚ます。
美香「手を握られるのなんて久しぶり」
益田「俺も、久しぶり」
照れて手を離す二人。
美香「一郎兄ちゃんは結婚してるの?」
益田「バツイチ」
美香「こどもは?」
益田「ひとり」
美香「男の子?」
益田「女」
美香「名前は?」
益田「……みか」
美香「えっ?」
美香が上半身を起こそうとする。
益田「ほらほら、寝てなきゃダメだろ」
益田が美香の肩を押す。
益田「初恋の相手の名前を自分のこどもにつけるなんてダサイだろ」
美香「うん。でも、なんかうれしい」
益田「かみさん、あ、もとかみさん、『あなたの心の中にはずっとほかの女がいる!』ってでていった」
美香「まさか……」
益田「その、まさか」
窓の外、紅葉した樹木から葉が落ちる。
○同・診察室
益富が万年筆でカルテに記入している。
久美がきて、
久美「先生、その万年筆、誰にもらったんですか?」
益田「ああ、これ?」
久美「当ててみましょうか?」
益田「いい」
久美は唇をかんで、
久美「岩渕さんだけはやめて」
益田「……」
久美「わたし、あなたと別れないから」
益田「……」
久美は、万年筆を取り上げてゴミ箱に捨てる。
益田「あーーー」
○同・病室
美香はベッドで本を読んでいる。
益田がきて、
益田「よう、何読んでんだ?」
美香「三浦しをん」
益田「だれだそれ?」
美香「医学書ばっかり読んでないで、たまには小説も読んだ方がいいよ」
益田はメガネに触れて、
益田「科学的根拠はあるのか?」
美香「しらない。それより……」
益田「ん?」
美香「がん、もう治ったかな?」
益田「正直、まだわからん」
美香、下を向く。
と、益田がベッドの下から花束を取り出す。美香の表情がパッと明るくなる。
益田「とりあえず、手術成功おめでとう」
美香「ありがとう」
美香、花束を受け取る。
益田「と、離婚おめでとう」
美香、吹き出す。
美香「まだ離婚してないよ」
益田「早く離婚しろよ。男なんか星の数ほどいるんだぞ」
美香「そんなに簡単じゃないわ」
と、久美が入ってきて、
久美「岩渕さん、ご主人がいらっしゃいましたよ」
益田は入り口の方を見る。
(完)