卒業式の思い出に、僕は2度目の告白をする
僕の大好きな穂波──。
思い出のこの校舎を去る前にもう一度……。
もう一度、あのセリフを言ってもいいかい?
※
卒業した。
今年は桜の開花が例年よりかなり早いらしく、僕らは満開に咲く桜の中での卒業式となった。
そこここで、涙を流しながら別れを惜しむ同級生たち。
「先輩、好きでした」と決死の表情で訴える下級生。
最後の思い出にと写真を撮りまくる女子たち。
皆思い思いにこの“卒業式”という人生の一大イベントを過ごしている。
「卒業……しちゃったね」
そんな中、卒業証書の筒をギュッと握りしめながら間中穂波が隣でつぶやいた。
「うん、卒業しちゃったね」
そんな彼女の言葉に応えるように僕もうなずく。
晴れ渡る青空と、散りゆく花びらがまるで僕たちの門出を祝福しているかのようだった。
満開の桜の木の下でそんな光景を眺めながら「これからどうする?」と彼女に尋ねた。
「うーん。どうしよっか。たけるはどうしたい?」
「別にどうしたいっていうのもないなあ」
「じゃあさ。校舎の中、見てまわらない?」
「校舎の中?」
「うん、だって今日で見られるの最後だもん」
「文化祭とかでまた来られるじゃん」
「そうじゃなくって……。このセーラー服を着ながらっていう意味」
そう言って、彼女はスカートのすそをひらひらさせながら言った。
この学校は男子は学生服、女子はセーラー服といういまどき珍しい高校だ。
だからだろうか、この高校には学生服男子を見たい女子、セーラー服女子を見たい男子が集まっている。
当然、僕も「セーラー服女子に萌えを感じる男子高校生」である。
「そうだね。穂波のセーラー服姿を目に焼き付けながら、最後の思い出に一緒にまわるのも悪くないね」
その言葉に彼女は「あはは」と笑う。
「なんか言い方がおっさんみたい」
「な、おっさん!? 失敬な!」
怒ったセリフもなんだかおっさんっぽいなと思いながらも、僕はセーラー服姿の穂波の手を握った。
この姿の彼女とこうして歩くのも最後かと思うと物寂しい。
「じゃあ、どこから行く?」
尋ねると、少し悩む仕草をしながら言った。
「んーとねえ、やっぱりまずは自分たちの教室!」
「3-2ね」
手と手を繋ぎながら歩き出す僕らを、同級生・下級生たちが拍手をしながら見送ってくれた。
それがなんだか恥ずかしくて、申し訳なくて、二人でそそくさとその場を後にした。
やってきた3年2組教室は、すでにもぬけの殻だった。
当然だ。
今までここにいた主役たちは、今や外で卒業のお祝いに盛り上がっている真っ最中なのだ。
使われていた机の中身も、ロッカーも、みんな空っぽ。
持って行く荷物はすでに運び出されている。
この1年、楽しく過ごさせてもらった3年2組教室は、すでに次年度の生徒を迎える準備を整えている。
黒板には大きく「卒業おめでとう」の文字がチョークで記されていた。
これも夕方には先生たちの手によって消されるだろう。
穂波は僕の手からするりと離れ、今まで座っていた席にちょこんと座った。
「……?」
何をするのだろう、と思って眺めていると彼女は振り返って言った。
「たける、何してるの? もうすぐ授業始まるよ」
「……あ、うん」
意図することに気づき、僕も慌てて自分が使っていた席に座る。
彼女の左斜め後ろ。
窓際の席。
がらん、とする教室の中で僕と彼女の二人が座っている。
さあっと窓から春の風が吹いてレースのカーテンを揺らしていた。
そんなカーテン越しから見える彼女の後ろ姿。
こうして見ていると、今までの授業風景が思い出されてくる。
そうだ。
推薦入試ですでに大学進学が決まっていた僕は、授業などそっちのけで公立を目指す彼女の後ろ姿をずっと眺めていたんだっけ。
必死にノートを取るその姿がいじらしく、そっと後ろから抱きしめてやりたいと何度思ったことだろう。
その成果が実って、彼女はこの春、希望していた大学へと進学する。
めでたい気持ちと寂しい気持ちが同時に沸き上がっている自分がいる。
そんな思い出にひたっていると、穂波から「こら」という声が発せられた。
「河瀬たける! 授業中に間中穂波に見惚れてるんじゃない!」
突然のセリフに「ぶほっ」とむせる。
気付けば、穂波は顔だけを振り向かせながらニヤニヤと笑っていた。
「いや、別に見てないし……」
反論しようとすると、彼女は椅子から立ち上がりドヤ顔で言った。
「ふふん、知ってるのよ。たけるが授業中ずっと私を見てたって」
「は?」
「よっちゃんがいっつも教えてくれてたもの。今日も見てたよって」
よっちゃん……?
一瞬「誰だ?」と視線をさ迷わせる。
そして「あ」と気が付く。
僕の右斜め後ろの女子か!
穂波と仲が良かったソフト部のキャプテンだ。
そういえば彼女も指定校推薦で大学合格が決まってたんだっけ。
授業に集中していなかったのは他にもいたってことだ。
「なんだよ。僕の知らないところで結託しちゃって」
「なに? 妬いてるの? 相手は女の子なのに」
「妬いてなんか……」
「っていうか、いくら私が可愛い彼女だからって、後ろからずっと眺めてるのはどうかと思いまーす」
「ふ、ふんだ!」
僕はガタンと椅子から立ち上がると、そそくさと教室を出た。
あまりの恥ずかしすぎて顔をまともに見ることが出来ない。
「待ってよー」
追いかけてくる穂波は笑いながら謝ってきた。
「ごめんごめん、ちょっとからかっただけ。ゆるして。ね!」
まったくもう。
この天真爛漫さが可愛くて仕方がない。
「お詫びに、今度はたけるの好きなところに行っていいから」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
「じゃあ図書室」
「出た」
「なにが?」
「思い出の場所としてベタなやつ」
「うっさい」
コン、と穂波の頭を叩き二人で階段を駆け上がる。
図書室は3階にあり、僕にとっては忘れられない場所だった。
彼女、穂波と初めて会話したのがそこだったからだ。
穂波は今でこそ明るくて活発だが、クラスも違っていた2年生当時は図書室で本ばかり読んでる大人しい子というイメージしかなかった。
「あの時、私文学少女に憧れてたんだ」
そう言いながら、穂波はたどりついた図書室の扉を開けた。
すぐに本独特の香りが鼻腔をくすぐる。
「今でもそうじゃん」
僕は目一杯その紙とインクの入り混じったような匂いを吸うと、窓がわに視線を向けた。
「穂波はいっつもあそこで本を読んでたよね」
「うん」
「分厚い、難しそうなやつ」
「同じ本だったけどね」
「同じ本?」
「うん。『罪と罰』」
「あれ? ドストエフスキー好きだったっけ?」
僕の問いかけに、穂波は「ふふ」と笑いながら本棚からドストエフスキーの『罪と罰』を抜き出して椅子に座った。
「そうそう! そんな感じ!」
思わず写メを撮りたくなるくらい似合ってる。
僕が見惚れていると、彼女はいたずらっぽく笑って言った。
「言ったでしょ? 文学少女に憧れてたって。実はね、私これ読んでないの」
「え?」
「つまりね。読んでるフリをしてただけ。こういう分厚い本をいとも容易く読むような人に憧れてたから」
「は、はあ!?」
まさかの衝撃発言!
僕は思わず腰を抜かしそうになった。
『本、好きなんですか?』
当時、僕はそう言って彼女に声をかけたのだ。
『ええ』と言った彼女の顔を、今でも覚えている。
「あれ、ウソだったの!?」
「ふふ、あの時はね。でも、たけるに嫌われたくない一心であれから本をたくさん読んだわ。それからは読書が趣味になった、これはほんとよ」
なんてこった。
僕はこの2年間……いや、彼女と付き合い始めたのは去年の夏だから1年半か。一年半、ずっと騙されてたのか。
「隠しててごめんね」
本当に悪びれた様子で謝る穂波の姿に、僕の心はキュンと高鳴った。
「う、ううん、いいよ。僕だって隠してたことあるし」
「隠してたこと?」
「あの時。僕が声をかけた時……、『僕も本が好きなんです』って言ったの、あれ、ウソなんだ」
その瞬間、彼女は「ぷーっ!」と思いきり吹き出して笑った。
「あは! あははは! あははははは!」
「え、あれ? なんかおかしいこと言った?」
「知ってたし! 全然、隠しきれてなかったし!」
彼女はゲラゲラ笑いながら机をバンバン叩いた。
卒業式で誰もいないからいいものの、図書委員がいたら速攻で注意されてるだろう。
「し、知ってたの!?」
またもや知らされる衝撃事実に、彼女は笑いながら教えてくれた。
「知ってたっていうか、バレバレだったわ! だってあの時、プルプル震えながら本を逆さまに持って言ってたんだもん! 貸出記録をだよ!? 適当にカウンターの上にあったやつを持ってきただけだって、すぐにわかったわ!」
「げげげ」
な、なんて観察力!
……じゃなくて。
まさか、そんな失態をおかしていたなんて!
今になって知らされる衝撃事実に、僕はもう腰を抜かすどころか地べたに突っ伏しそうになるくらい恥ずかしくなってしまった。
……あ、穴があったら全力で入りたい。
顔を真っ赤に染めているであろう僕の名誉を回復させるためか、穂波は「でもね」と続ける。
「たけるがね、授業で使われた資料を返すためにちょくちょく図書室に来てたのは知ってたの。だから、私も声をかけてもらいたくて必死にここに通ってた。たけるがたくさんの資料を抱えて図書室に入ってくるのを、いつもカッコいいなあって思いながら眺めてたんだから」
その言葉に、今度は別の意味で顔が火照ってくる。
そっか、僕が彼女を見初める以前から、彼女は僕を見ていたのか。
授業のたびに、放課後地図やら歴史書やらを持たされて「返却してこい」と言ってきた当時の担任に礼を言いたくなった。
「私がこうしてたけると一緒にいられるのは、この図書室のおかげね」
木製のテーブルをさすりながら、しおらしくそうつぶやく彼女。
僕はその頭をポンポンと叩き、図書室をあとにした。
そうやって僕らは一つ一つの教室を順番に回って、当時の思い出話に花を咲かせた。
どれも取るに足らないようなくだらない内容だったけれど、穂波と一緒に綴られたその思い出はキラキラと輝く星々のように、スッと僕の心の中に吸い込まれていった。
「そろそろ帰ろっか」
穂波がそうつぶいた頃にはもう、外の喧騒はなくなっていた。
どうやら卒業生も在校生もそれぞれの場所に散って行ったらしい。
卒業生は、卒業パーティーという名のカラオケ大会。
在校生はきっと、部活や塾、自分の家に向かってるに違いない。
「そうだね。そろそろ帰らないと、みんなに大人の階段を上っていたと思われるね」
「ふふ、私は別にかまわないけど?」
誘うような瞳でそう言われて僕は「ぶふっ!」と吹き出してしまった。
穂波はたまにこういう冗談をつくから困る。
「そ、そういうのは……やめてくれる?」
あたふたしてる僕を面白がりながら
「あはは、ごめんごめん」
とまた悪びれもせず謝られた。
でも、なんだか少し寂しそうな顔をしている彼女を見て心が痛んだ。
きっと、ごめんって言うのは僕の方なんだろう。
彼女が僕との関係でさらに一歩進みたがっているのには気づいている。
けれども、僕にはその勇気がなくて。
二人の関係は未だにプラトニックなままだ。
そんなところは本当に申し訳ないと思う。
もう少し大人になったら。
もう少し自立できるようになったら。
その時は彼女との関係を一歩進めよう。
そう思いながら、僕はギュッと繋いだ手に力を込めた。それに呼応するかのように、彼女もギュッと握り返す。
顔を向けると、まるで僕の心を見透かしてるのかのように微笑んでる穂波がいた。
やがて校門にたどり着いた。
案の定、そこにはすでに誰もいなかった。
昼間のお祭り騒ぎはどこへやら。いつもの、静かな校門が目の前にある。
遠くのグラウンドから、野球部の声だけが聞こえてきていた。
卒業式の日にまで練習なんて、ご愁傷様としか思えない。
「エイオー、エイオー」というかけ声が聞こえる中で、ふと昔の記憶がよみがえってきた。
去年の夏、グラウンドから聞こえてくるかけ声を聞きながら、大勝負に出たあの時の記憶が。
「……あ」
「ん?」
「もう一カ所、回ってなかったところがあった」
「もう一カ所?」
僕は怪訝な顔をする彼女の手を引っ張っると、「ち、ちょっと!」と叫ぶ言葉を無視して校舎の中へと逆戻りしていった。
「ねえ、どこ行くの?」
「僕にとって忘れられない場所」
そう言ってやってきたのは2年3組の教室だった。
「ここって……」
着くなりガラッと扉を開けて中に入る。
そうだ、ここは彼女が2年生の時に使っていた教室だ。
僕は隣の4組だったけど、この教室が学校生活の中で一番思い出深い場所だ。
「たける……」
つぶやく彼女の手を引っ張って、教室の窓側に連れて行く。
そして前から3番目の席に立たせた。
「覚えてる? この場所」
「……うん。私の席だった場所」
「そして……僕が告白した場所」
穂波が控えめにうなずく。
心なしか、顔が赤い。
「あの時、君はここに立ってたよね?」
「うん、忘れ物を取りに戻ってた時だった」
「放課後で、誰もいなくて。チャンスだと思ったんだ」
「本当にびっくりしたよ? 目の前でたけるが頭を下げて叫んでるんだもん」
「もう、後先考えずに駆け出してて。気づいたら告白してた」
「覚えてる。今でも鮮明に」
「でも、しどろもどろでうまく伝えられなかった……」
「噛み噛みだったよね」
ふふふ、と笑う彼女の言葉に、顔が火照ってくる。
きっと今の僕の顔は真っ赤になっているに違いない。
「あ、あのさ」
「なに?」
「せっかくだから……最後だから……。もう一度きちんと告白しても、いいかな?」
決死の思いで伝えると、穂波は一瞬戸惑いながらも「……うん、いいよ」と言ってくれた。
それが嬉しくて。
幸せで。
僕はするりと彼女から手を離し、正面に立った。
恥ずかしそうにうつむく彼女の姿を見つめながら、スウッと深呼吸する。
2度目の告白。
想いを伝えるのは、やっぱり緊張する。
もともと少し赤みを帯びていた顔が、さらに真っ赤に染まっている。
僕はそんな彼女の前に手を差し出し、精一杯頭を下げた。
「間中穂波さん! 本を読んでいるあなたの姿に惚れました! 好きです、大好きです! どうか、あなたのこれからの1ページに僕を付け加えてください! お願いします!」
今度は噛まずに言えた。
我ながら恥ずかしいセリフだけど。
頭を下げながら、喉がからからになっていく自分がいる。
と、差し伸べる僕の手を握り返して彼女は当時と同じセリフを言ってくれた。
「はい、喜んで」
その瞬間、僕は思わず穂波をグイッと引っ張って強く抱きしめていた。
「穂波! 卒業しても! 遠くの大学に行っても! 僕の恋人でいてください!」
そう叫ぶ僕に、彼女は震える声で「うん」と答えてくれた。
「たけるも……。卒業しても……遠くの大学に行っても……私の恋人でいてください」
耳元でささやくその言葉に、僕も「もちろん」とうなずく。
そうして。
僕らは互いに身体を離すと、そっと口づけをかわした。
グラウンドの「エイオー」はいつの間にか、聞こえなくなっていた。
お読みいただき、ありがとうございました。