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逍遥恋歌  作者: あんかけ
3/6

3.

「ハル」

休み時間、束の間の自由を謳歌するような喧騒の中でも彼女の声だけは澄んだ音で耳へ届く。話の途中だった級友にごめんのジェスチャーを見せて席を立った。

「どしたの、辞書?」

「うん、英和」

「待って」小走りでロッカーへ向かい目的の物を手に取る、ふと振り返るとじっとこちらを見るユウと目が会った。

「はいこれ、辞書は逃げないよ」

「どうかしら。ありがと、お昼でいい?」

頷くと彼女は用は済んだとばかりに身を翻した、いや実際用事は終わったのだけれど。

着崩すわけでもなく固い印象もない、制服をさらりと着こなす彼女の背を見送っているとふと彼女が振り向く、逃げないわよ?そうにやりと目で告げられた僕はどうだかな、と首をすくめて応えるしかななかった。


「ユウ」

お昼、少し遅くなった板書を終えてノートを片付けているとハルが入り口から呼ぶ声が聞こえた。

声変わりが終わり少し低くなった彼のテノールは声量を出さなくても不思議と良く響く、気がする。

辞書とお弁当を二つ抱え教室を出るとハルがひょいと荷物を取り去る。

去年か一昨年か、ぐんと背丈の伸び始めた彼との頭身の差にまだ少し慣れず時折どきりとしてしまう。

ちらと彼を見遣ると「ん?」と少し上から覗くように柔和な表情が降ってきて、やっぱりまだ慣れないなと跳ねる胸を抑えるように歩を進ませた。


この学校に入って良かったと思える事の1つに4階の図書室が入る。

騒がなければ昼食の場として使用出来るけれど、学校のパンフレットでもウリにされているテラス席付きの食堂に人が集まるので自然と穴場になっていた。

土地柄海への距離が近く、校舎はなだらかな丘に立地しているためテラスからも海を一望出来るけれど街を遠目に見下ろしながら水平線まで見通せるこここそが特等席だと思う。

「もう2年目なのに飽きないわね」

「ユウだって好きな本を何度も読み返すだろ?」

「それとこれとは話が違うわ」

少し頬を膨らませそっぽを向く彼女。

昔からどこか大人びた風でご近所さんからもしっかりした子だなんて褒められていたけど、ふと見せる表情は年相応、なんなら少し幼げな少女のそれだ。

ユウの素敵な所はたくさんある。皆に知って欲しいなんておこがましい事はいわないけど、彼女のそんな部分を知って自然寄り添ってくれる人が増えればいいなとは思う――ぐらり、足元が揺れた気がした――


「ハル、ハル……?」

頬に添えられた手にはっとする、切なげに細められた顔を見ると僕まで胸が痛くなってしまう。

「顔真っ青だけどどうしたの、体調は、悪くない、よね。」

付き合いが長いとそんな事まで分かってしまうのかという驚きで少し立て直した僕は大丈夫、と頬の手を取りそっと握る。

どうかこの心の内まではばれてしまいませんようにと祈る僕をいつもより湿った潮風が撫ぜていた。

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