2話 迫りくる恐怖
「あっ……警察? ……いや、救急?」
正常な思考が止まっていながらも、ふと緊急時の一般常識がマサキの口からこぼれる。
マサキの言葉でマサキ自身を含めた三人の意識が少しづつ、ゆっくりと氷が融けていくかのように甦っていく。
しかし、現実は三人が正常に戻るのを待ってはくれない。
血によって赤く染まった男の顔が三人の方へと向けられたのだ。
瞳に色はなく、まるで白目のような濁った目をした男の視線が三人の姿を捉える。
男は立ち上がり、遅めの駆け足程度の速さで近づいてくる。
「……ッ! 逃げるぞ!」
もっとも速く意識を回復したケンタが二人へと声をかける。
だが、二人の意識は未だ回復しておらず、体を硬直させたままである。
そうしている間にも男は着実に距離を詰め、迫ってくる。
ケンタが現状に焦る。
「——————くっそぉ!」
ケンタは動けない二人を見捨てられず、声をあげながら男へ突っ込む。
男は近づいてくるケンタを押し倒そうと両手を伸ばした。
ケンタは男の伸ばされた両手に対して体を横に曲げることで回避する。
「くたばれぇ!」
ケンタは回避したままの勢いのつけた蹴りを男の腹へ全力で叩き込む。
男の体はくの字に折れ曲がり、体勢を崩して倒れる。
男が倒れたのを確認するとケンタは硬直したままの二人の元へ戻り、二人の胸倉を掴んだ。
「俺を見ろ! 俺についてこい! 行くぞ!」
ケンタは二人の意識を戻そうと怒鳴りつけ、胸倉を離すと自転車に乗った。
ケンタの一喝で目を覚ました二人はケンタの行動に引っ張られるかのように自転車に乗り、三人でその場から急いで逃げた。
男は起き上がったが、三人から引き離されると追いかけるのをやめた。
その男の姿をケンタは遠目から訝しそうな目つきで見ていた。
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「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろ」
「だろうな」
マサキが息を切らして自転車を漕ぎながら口をこぼすと、同意するようにジュンが答える。
ケンタは考え事をしているようで黙ったままだ。
三人は公園から逃げ出した後、日常的な行為の所為か何も考えず、高校を目的地とした道のりを全力で進んでいた。
高校は山を切り崩した所に建てられているので、いくつも坂があり、通うのに大変な場所である。
三人はその道を先程の異常な出来事もあった所為か世間体も気にせず、並列走行で進んでいる。
その中で坂道を下りながら三人の一番右側を走っていたマサキだけが、右側の前方にある山の茂みで物音がしたことに気づく。
マサキが音のした茂みを注視しながら、その茂みに差し掛かると茂みから白目をした老人が現れた。
「うわあああぁぁ!」
マサキは老人に驚き、叫ぶ。
老人が自転車に乗っているマサキの服を掴むと、マサキは下り坂の勢いと相まって自転車ごとその場に転倒する。
マサキは倒された後、老人に覆いかぶさられた。
ケンタとジュンは下り坂であったことと、マサキの突然の叫びに怯み、体が硬直したことによって、マサキから離れた所でブレーキをかけ始め、自転車を止める。
「マサキぃ!」
ケンタが名前を呼びながら後ろを振り返るとマサキは老人の攻撃を必死に捌いていた。
マサキは老人の噛みつきを老人の頭や首、胸を手で押して抑え、掴もうとしてくる腕は払って防いでいた。
時折、隙をみては辺りをまさぐり、茂みの辺りでついに拳ほどの石を見つける。
すかさず、マサキはその石を握り込むと老人の側頭部を殴りつけた。
老人は殴られて体勢を崩し拘束を緩める。
「どっけぇぇ!」
マサキは、老人の腹を力いっぱい蹴り飛ばす。
老人を離すと、すぐに自転車に乗って二人の元へ行き、三人でまた逃げ出した。
ケンタは老人の姿を先の男の時と同様、また訝しそうな目つきで見ていた。
「大丈夫だったか?」
「ああ、大丈夫だよ。さっきの奴見た? 興奮しながら俺の体を求めてきたぞ?」
襲われた所から離れるとケンタが心配して声をかけ、ジュンも心配そうな視線を送ると、マサキが笑いながら冗談まじりの言葉を返す。
しかし、血の気が引いて青くなっている表情から無理していることが分かり、二人の心配はより深まった。
けれど、体は休めず三人は高校を目指して進み続けた。
高校に着くと三人は異変に気づく。
明らかに人が少ない。
三人は話し合うと屋上へ向かうことにした。
屋上へ出る扉に手を掛けると鍵がかかっている。
最近では、自殺防止や落下防止のためか、よく鍵をかけられている。
すると、ジュンが職員室へ鍵を取りに行き、屋上の鍵といっしょに理科室の鍵を持ってきた。
マサキが聞くと、屋上の鍵は普通には貸し出されないため、理科室の鍵を借りると言って屋上の鍵は黙って持ち出したようだ。
何はともあれ、鍵を手に入れることができたため、三人は屋上へと出た。
屋上へ出るとマサキは用心のために外側からすぐに鍵を閉める。
ジュンはマサキの顔色が良くなっていることを確認するとケンタへ問いかけた。
「ケンタ、あの異常者たちを見て何を考えてたんだ?」
ジュンの質問にケンタが目を丸くする。
まさかそんなことを聞かれるとは思ってもいなかったのだろう。
ケンタは微かに笑うと口を開いた。