006 冬の訪れ
剣閃が舞う
痛くない――人は鋭利な刃物で勢いよく斬られた時、痛みなど奔らない
血しぶきだって飛ばない――飛ぶのは押し出された脂肪球など剣の摩擦に引きずられて飛び出す油だ
右腕、小指側の力が入らない――斬られたのは防具のない肘の内側
俺は剣を手放し鉄の小手で次の剣撃を逸らす
「クライ!!守るだけじゃ“今死ぬ”が“後で死ぬ”に変わるだけだ!!」
長く黒い髪を振り乱し細く鋭い剣を振るう。カーティスはルビーのような|双眸に魔力の光を灯していた。そのスラリと長い手足は魔力により強化され、その剣は魔力を纏い軽く疾く――『剣を振った』などと丁寧に認識していれば瞬く間に追い詰められるだろう。そう今の俺のように・・・
「ま゛すだぁーもぉむり゛ぃ…うぁぁぁぁん」
眉間で切っ先がピタリと止められる。腕からは思い出したように血が溢れだす。
「 … شفاء عظيم …“生命の奔流”――ほら、すぐに『泣くんじゃない』、斬られた次は悪く無かったんだから」
体が暖かい風の渦にいるような感覚がすると斬られた傷は塞がり痛みも消えて行った。でも怖いものは怖い。途中まで俺も体に合わない刀でいえば小太刀のようなサイズの剣を持っていたのだが、それが握れなくなるほど斬られたのだ。
確かに痛みも傷も今は無いけど、斬られて痛かったことを忘れるわけじゃないし手先までベットリと、衣服にも飛び散った血が元に戻る訳ではないのだ。
回復魔法で大丈夫にはなる。大丈夫だが、痛くないわけでは無いのだ。
びぇぇぇんと子供みたいに泣くクライを見下ろしながら溜息をつくとカーティスは
「分かった。今日は武術はここまでにしよう…はぁ。男の子だというのに、全く」
と言うと家に戻っていく。
先月、虎の牙という、この森の現状を聞き取ることを国からも任されるベテラン冒険者パーティーが俺が来たことにより食料などマスターが新たに必要だと考え頼んでおいた物資を届けてくれた。
何より、まず!俺はパンを食べれた!!
マスターの分は「食べるか?」と言われても拾われて食べさせてもらっている負い目から今までも決して受け取らなかった。備蓄部屋の棚にはマスターが空間拡張とかいう、もともとの空間を広げるか、小さな別空間をつくるような魔法が各所に施されており、パンなどは腐ったりカビたりしないように保存されている。肉や野菜も同じように特性に合わせた空間拡張とかいう何だか手間をかけ保存がしてある。箪笥のような木箱が、そのまま実際の大きさより多く入る冷蔵庫化していたり、その壁の向こうは外ですよね?というところにある扉を開くと冷凍庫となっていたりと、とにかく便利だということは分かっている。
しかし、もともと一人分しかないはずの備蓄だったのだ。俺が来たせいで切り詰めていたんだと思うと手が出せなかった。
でも!!パンは俺に齎された。備蓄庫も満タンだ!!俺は、その日からパンが大好きになった。過去の記憶にあるモノと比べたら硬くてパサパサしているけれど、もともと白米派であったけれど…
俺はパンが来た日、一口かじると椅子から降りマスターの足に抱き着く程にテンションが上がったものだ。ゴッと拳が落ちてきて「『座って食べろ』」と使い魔化まで駆使した指導が入ったが、俺は嬉しさで、寝て起きて、ジンジン痛む頭のコブを確認するまで痛みを忘れていた程に舞い上がっていた。
そして俺は、服を手に入れた!
あのバスタオルを半分に折り真ん中に穴をあけて頭を通し、紐で腰のあたりを縛って身に纏う冗談のような服装ともサヨナラをしたのだ。タンクトップのようなものやポロシャツのボタンの部分が靴紐みたいになっているようなシャツを何枚もと、少し成長しても履けそうな長ズボンだってある。
今は裾をクルクルまくって履くしかないが。大人ようの丈夫なハーフパンツが数枚あったのは動きやすさ+丈夫さということで虎の牙の寡黙なダークエルフの女性―ゼルからの提案であったらしく「子供にはいいな!グハハハ」とギュンターも乗ったとかで、このカーゴパンツのようなポケット付きの作業服のような硬さのある大人用ハーフパンツを長ズボンのように履くことが一番多い。
農具だって揃った。
今まで備中鍬というフォークを折り曲げたような農具だけであったが、クワにスコップ、ハンマーに大きなジョウロ、ツルハシ、手斧、大鉈に、鋸も大小。
種や苗もだ。今はカボチャのような野菜。見た目はアボカドのようだが、中身は味も色もカボチャという野菜をメインに家の前の畑は本格稼働している。冬の間に食べられるようになるそうだ。
ビワのような杏子のような実が付くという果樹の苗木もある。これに俺は凄く期待している。2年ほどで実をつけるそうだ。俺はマスターに家の風呂側となる方角の少し奥を『吹き飛ばしてもらい』、本気で神の気により土を照らしながら果樹専用にした。
神の気は作物を、すくすく育てるのには大変有用だった。確かにマスターも土が綺麗になる的なことを言っていたし、果樹は1か月で根付いただけでなく既に大きな成長を見せている。はやくオレンジ色をした甘い実をつけてくれ。俺は毎日夕飯前、果樹園に行っては一日の元気を使い果たしても問題がないので、疲れるまで神の気照射を行っている。マスターが口の端を吊り上げ企むような顔つきで夕方の照射を窓から見ているのが少し気になるが、果物への希望を消し去るには至っていない。
しかし、虎の牙は希望だけを齎した訳では無かった。
剣、短剣、槍、ナイフ、ダガー、弓……
農具とは異なり、そこからは“暴力”の香りしかしない
残念ながら修行とかいう虐待は明らかに酷くなり刃物で切り刻まれるレベルへと進化している。考えてみれば服は何度洗っても着られる丈夫なものばかりだし裁縫道具や糸に布地もマスターは注文していた。
あの虎男たち、散々喜ばせておいて落とすところで絶望まで急降下させるという『逆パンドラの箱』だったらしい。
今まで打撃で吹っ飛ぶだけだったものが今は油断していると本当に命を脅かすような傷になる。俺は光ったり剣を投げたり、とにかく文字通り“必死”の思いで臨んでいる。喉を斬られて息が出来なくなっても、耳が上下に分かれても、マスターは治せるが、治せればいいというものじゃないんだよ!
俺はマスターの後を握れなくなって落とした短剣を拾い、木陰に置いてあった鞘に戻すと、鞘についているベルトを鞄のように掛け走って家へ戻る。
ここからは『まほう』の勉強だ。
武術の修行が(俺の精神の限界により)終わると家の中や畑の付近に腰かけて魔法の練習をする。―――と言ってもまだ俺は『魔力』なるものを感じ取る練習だ。
ご飯を食べる時のようにテーブルの椅子をマスターの座る面の横の面に椅子座る。この椅子だけ、他より一段高くなっている。エルフの女のひと、初対面では不審者だったエミルが椅子の座るところに丁度置ける枕木を作ってくれたからだ。正確には作ったのはギュンターで発想がエミルと言うわけだが。接客モードだと対面に2対2だが、そうでないときはマスターの近くで食べる俺はマスターの左側の、その高くなる椅子に座る。
「……分かるか?クライ」
マスターは体をこちらに向け俺の両手を掴んでいる。右手で左手を、左手で右手を。マスターの手は子供の俺からすると大きい、最近この魔力を感じる練習。魔力感知で分かったことだがマスターは冷え性だと思う。そんなことを思いながら
「わかんないです。ますた、今日も、てつめたい、さむいか?」
ズシッ!クライ頭にチョップが落とされた。ぐぇ…と声を出した後、涙目で顔を上げる紅い双眸に半眼に細目た目を合わせ
「…クライ『集中しろ』私の右手から魔力を流し、お前の左手から右手へ流れ、私の左手へ還っていく流れをつくる。いいか『集中して』その流れを感じ取れ」
使い魔へ魔力を宿らせた声で命令をだす。さすがに俺もソレには逆らえない。目を閉じ自分の体、マスターの冷たい手に意識を集中する…さすがにこれを始めて1ヵ月。集中していれば自分の体に“なにかのエネルギー”がはいってくることを感じ取れてきだしている。
「ぐにゅっとした何か…きた」
「そのまま『集中』」
その柔らかいゼリーが体の中を這うような感覚が強まる、ゼリーより水、水より風、風より…
「はやい、ますたぁ、何かきたやつ、すごいはやさ」
「そのまま『集中』、それの流れを自分でつくるんだ」
マスターは俺の右手を左手に持っていく。俺は両手の指を組み祈るような姿勢のまま集中する。
「ぅぅ…ながれ、遅い、になってきた…ぅー」
俺は集中して、何とかしようと体の中に今まで流れていたものが循環するイメージをつくると少し、この流れが維持できる。これが少しずつ長く維持できるようになってきたのだ…が
「クライ・・・後光してどうする。止め」
こうして集中がズレることが多い。俺はこれでも手が空いている時も、畑仕事しているときも、体をこの“魔力”が流れるイメージをしているのだが、これがなかなかに難しいのだ。
「ホラ、もう一度最初から」
手を取るマスターの手は冷たい。
もうじきこの森に初めての冬が来る。
俺が来たのが暖かくなりはじめの季節らしい。冬を越えたら1年となる。
目つきは鋭く、口調はキツく、指導は死ぬほど厳しい、でも俺は、この冷え性のマスターは悪い人ではない、そう思う。
この日の夜は、特に冷え込んだ。
俺は、もう藁の祠ではなく。ギュンターが組み立てた簀の子に足が生えたようなベッドに、ちゃんと布団を敷いて眠っている。神の気で熱を発せればムシの駆除も布団の暖気もバッチリだ。果樹に照射して寝ていたが、トイレに起きる。
暖炉がついていた黒いコートを肩にかけてはいたが寝るときの服装のマスターがいた。
「どうした、トイレか?」
火に照らされるマスターは陶器のカップから湯気の出る何かを飲みながら、今日、剣で斬った俺の服を直しているようだ。
「ますたぁ、さむいです。だいじょうぶか?」
足元に寄り水を白湯に変えるときの感覚で神の気を放ってみた。
「ふふ、大丈夫。そんなことせずとも暖炉もある。冬など慣れたものだ」
「ますたぁ、て、つめたいのに」
ふふっと笑うマスターはいつもより優し気だった。珍しく俺を足元から抱きかかえ自分の膝の上に乗せたのだ。魔力感知の練習で時々抱きかかえ、全身から立ち上る魔力を掴むときには抱きかかえられることもあったが、意味もなくというのは初めてのことだった。
「もうじきお前の服も直る。それまでだから大丈夫だ」
マスターの膝の上で、服を直す作業を見ている。俺がやっても落ちなかった血の染みも薄くなっていた。
暖炉の揺らめく明かりと、背中から伝わるマスターの温かさで、俺はうつらうつらしていた。
マスターは、そんな俺に特に何も言わず、黙々と服の修復作業をしていたのだった。
気が付くと俺は眠っていたようだ。
布団の中だ。まだ真っ暗く深夜であるだろう。布団は柔らかく気持ちが良かった。
そうここは俺の布団では無かったのだ。隣で眠る…いや、俺を抱えて眠るマスターにより俺は動けなかった。だけど、人の温かさと布団の柔らかさが心地よく俺は、そのまま気にすることなく再び眠気に身を委ね寝た。性欲もない子供の体に、美人とはいえ2人だけで暮らし続けているマスターである。
明日になれば、また難しい魔法の練習も、眩暈と吐き気のする言語の落とし込みも、恐ろしい武術の修行も待っているのだけれど。
マスターに抱えられながら身動きも取れないけれど、不思議なほど心穏やかに安心感につつまれて俺は眠気に身を委ねられたのである。
・・・冷たッ!!
パチッと目が開いた。
「起きたかクライ。ほら、餌を食べたら、畑が待ってるぞ」
もうすっかり普段着に着替えたマスターの手が俺のおでこにあてられていた。
「ますたぁ、て、つめたい」
クスクスと笑ったあと
「お前が全身温かいだけだ。はやく支度をしろ」
マスターが笑うなんて珍しい。
…どうか雪が降りませんように