005 退行
エルフであるエミルは森の中を得意としていた。
「ゼルは昔から説明が足りないんです」
隣を歩いている頭の兜から爪先まで鋼の装備である全身甲冑という重装備にて表情が見えない相手に拗ねるように言った。鎧の中身であるゼルは綺麗な銀髪を目の上で切り揃えた褐色の肌をしたダークエルフの女性だ。
「エミル、死にそうだったから」
呟くようにゼルは返した。エミルは2週間前まで瘴気を浴びすぎ、死を待つだけの隔離病院にいた。やつれきっていた彼女は“神の気”を含んだ水を飲み瘴気が完全に抜け、今は元気そのものと言った様子だ。ただ、入院生活を送っていたため体力は、かなり落ちてしまったと本人は自覚している。
「そーれーでーもっ!!何をするか位は、教えてくださぁい」
もともと腰まで伸ばしていたフワフワの金髪も入院生活で傷んでしまったため、大分切った。それでもまだ肩甲骨の下くらいまであるのだ、長い髪をしっぽのように振りながら『封印の森』と呼ばれる瘴気が濃く生き物の気配がない森を本を抱えながら歩んでいた。ゼルもエミルも女性とは思えない程の大きな荷物を担いでいる。
エミルとゼルの前には大荷物を背負った、後ろから見るとまるで幌馬車の荷台に足が生えたように見える大男が歩いている。上半身は甲冑を下半身は革の鎧を着ている2足歩行の喋る虎――ギュンターは今日までに何度も聞いた二人のやりとりを無視し
「ジーノ、エリック、ここれへんで今日はどうだ、ここで泊まれば明日の昼には着くだろ」
と、ギュンターより更に前を歩く2人の男に言った。ミディアムヘアの茶髪をツンツンと立てジーノと呼ばれる男は大剣を斜めに背中に担ぐ。その上から後ろからだと頭も見えない大きな革のリュックを背負い、体の前にも同じような鞄を担いでいた。隣にいる金髪碧眼の優しそうな男もまた、ジーノより一回り小さな…といっても一人で冬の雪山にでも登山するのかという程の鞄を背負っていた。
「あぁそうしようぜ、今回は荷物多すぎんだよ、休も休も」
ジーノは言うや否や足元に前後の鞄を落とした。
「半分程はクライ君のですけどね」
エリックも鞄を置きながら、後ろを振り返る。
5人は『虎の牙』というパーティーの冒険者だ。
今は封印の森の奥深く、中心部に住む大魔導士カーティスと、その使い魔となっている少年の生活物資を輸送しているところだった。
5人は手際よく周囲の木々を利用しテントを張り、野営の準備を整えた。
エリックが土魔法で小さな岩をいくつも出し、そこへ周囲から集めた木の枝などを集めエミルが火魔法で火をおこした。ゼルは、器用に一人で鎧を脱ぐと、すぐさまテントの中、毛布に包まって寝た。野営は順番に見張りを立てる。自分の番になったら誰かが起こすだろうと早めに眠ったのだ。
エミルは抱えていた本を開いた。エミルは瘴気隔離病院を退院後、『虎の牙』に入ると、全財産をはたいた上にゼルに頼み込んで大金を借り『魔道言語考察写本』と書かれた本を購入。「おい、装備を買え装備を」というギュンターの言葉も無視して買った本を真剣に読んでいた。
魔道言語とは、精霊や晶霊、幻獣などと契約するときに使われるとされる言語だ。多くの冒険者は、精霊は無理にしろせめて晶霊と契約出来るようにと自分の名前と契約文位だけを覚える。しかし、精霊使いや召喚士と呼ばれる上位の魔法使いでもない限り、魔道言語を修める者はいない。その契約に重きをおいた上位の魔法使いですら、魔道言語の定型文を多く覚えているに過ぎないのだ。『魔道言語考察写本』とは、魔導士が覚える魔道言語の単語や文節などの構造を理解するための所謂教科書のような本だ。分厚すぎるため背表紙に取っ手がついており鞄のように持ち運べるという極めて特殊な本である。
これには理由があった。
退院直後、パーティーに入るとギュンターは封印の森の2人について話す中
「浄化できるクライっつーガキはよカーティスにソックリでな、目つきに似合わず人懐っこいんだが魔道言語しか喋れなくてよ」
恩に対し、とても律儀なエミルは、ギュンターの話もそこそこに、クライと呼ばれる少年に感謝を伝えるため、すぐに行動に移したのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「『立て』クライ!!転がったままだと、いい的にしかならん――氷弾」
目にもとまらぬ速さの木の棒で足払いをされた後、地面に転がる前に蹴飛ばされ、痛みに蹲っていた黒髪の少年に拳大の丸い氷塊が4つ程当たった。
「ぐべッ…ますた…も、ムリ…」
4歳前後だろう少年の紅い瞳から大粒の涙をポロポロの流しながらも、『立て』という魔力の篭った声に体は逆らえなかった使い魔化されている少年、クライは、体のあちこちに痛いところがありすぎて、もはや自分でもどこが痛いのか分からなくなっていた。
マスターと呼ばれた漆黒の長髪にルビーのような双眸を携えた美女、カーティスはクライに近づくと溜息交じりに
「男だろう。こんなことで泣いていてどうする。…回復。ほら、もう一度」
クライが来たばかりの頃は一日の大半を畑づくりという名の大地の浄化が占めていた。しかし半年たった今、畑仕事と家事を半日行うと、あとは武術や魔力による言語伝達などに費やしていた。カーティス曰く
「私も鈍っているいるからな…体を動かすのに丁度いい、稽古をつけてやる」
とのことだが、運動がてらボコボコにされているのだから俺にとっては、たまったものではない。
マスターは鬼だ。木の根に足を置きクラウチングスタートのように踏み出す準備をしながら俺は思った。こ木の棒を握りしめ体内に『神の気』を溜め――踏み出す
「わぁぁぁぁっ!」
掛け声をあげ小さな全身をバネのように使い飛びかかる
マスターが右手の棒を構える様子はない、今日は何度も何度も、こうして直線に突っ込んでいる。“今回の突撃のために”だ
俺はマスターが踏み込んでも3歩はかかる位置で全力で『神の気』を放つ
眩い後光があたりを照らす中、俺は右にサイドステップを踏みマスターに対し思い切り棒を投げつけた
くらえ!!
カンッ
涼しい表情で飛んできた棒を打ち落とす。
「ほう、今までのは前フリか・・・考えたな。よし、今日はここまで」
カーティスは、踵を返しログハウスへと帰っていった。
当たらなかったが、俺は悔しくも無かった。視界に映る森を少し歌った程度で吹き飛ばすようなマスターに俺なんかの攻撃が当たるなんて思ってもいないからだ。俺は、さっき氷を当てられたときに泣いていた目元を拭うと小走りで家へ帰っていったマスターを追った。
「ますたぁ今日ごはん、なにかー?」
「さて、お前の餌は何にするかな」
マスターは俺のご飯は必ず餌と言う。でもマスターも同じものを食べるから気になったことは無い。もうじき約束のパンが食べられるようになる。俺は虎とその仲間が来るのを心待ちにしているのだった。
最近少し寒くなってきた。
夜眠るときにクライは思う。来たばかりの頃は畑づくりの後で小川の水を頭からかぶるくらい暑かった。でも最近は、このバスタオルを半分に折って、折り目に穴を開けて首を通している服じゃ朝晩の冷え込みが辛い。
最近は部屋の藁状の干し草――これは暖炉の種火をつけるためのものだったらしいのだが、その山に袋状にくっつけた布切れを入れ藁の祠にして眠るようになった。
「もうじき冬だからな」
マスターは冬が近いと言っていた。最近は暖炉にも火がともる。俺はあまりに寒いときはマスターが寝た後、燻っている暖炉に再び薪をくべ、暖炉の前で寝ることもある。そうした時は起きるとマスターが黒いコートをかけていてくれていることを俺は知っている。
最近の変化は寒暖の差だけではない。どうやら俺は体に合わせたのか精神的にも幼児化してきてるように感じる。まず体が体だから性欲が全くない。そのせいなのか慣れなのか、マスターは前世の世界であれば振り向かない人もいない程に美人だが、特になんとも思わない。美人どうこうよりも“怖さ”が勝っているからかもしれない。
そしてよく泣く。いやこれは精神が大人でも何でも泣くだろう。今日なんて棒で叩かれて宙を舞っているところを蹴飛ばされた上に野球の硬式ボールのような氷の塊を高速で連打されたのだ。前世であっても泣いて謝るレベルだと思う。
人はあまりに過酷な状態にいると精神が退行したりすると聞いたこともあるし、体にあった精神になってきているとも受け止められた。
とにかく、痛ければ泣くし、些細なことでも嬉しければ笑う。そんな風になってきたのだ。言葉が足りないため、マスターに何か伝えるためのジェスチャーも小さな手足を全部使って表現するしかないのだ。そんな生活が板についてきたのだ。
今日の餌はマスターが朝捕って来た大きな鳥の肉を焼いたものに、鳥肉と木の実を使ったスープと干しキノコを水でもどしたものに山菜を合わせたようなサラダであった、鳥肉が美味しくニッコニコであった自覚がある。マスターは無言で食べるが俺は逐一どんな味でおいしいかと話しかけている。作ってくれたマスターへの感謝のあらわれでもある。
朝が来た。
藁の祠からでると頭を払い草を落とす。寝ろと言われる時間が早いこともあり、起きるのも比較的早い。全力全開で毎日体力を使っているから本当によく眠れる。
部屋を出て木の机と4脚の椅子のあるリビングに行くと既に暖炉はともっており暖かい。昨日の鳥肉のスープがキッチンに暖められた状態で置いてある。これを朝食にし、水汲みに出かけるのが朝の日課だ。
マスターは朝森の見回りに出ている。気が狂った魔物がいれば、それを退治し、高濃度の瘴気が吹き出す“綻び”とか言うものが出来ていたら、それを封じているんだそうだ。ついでに俺が耕した場所や水を汲む小川などの点検もしているらしい。
畑はできているが種がないのだから何ともしがたいが、畑は畝も出来、いつでも稼働できる…というのに冬がくる。注文したという種は、ちゃんと冬に出来るか、冬を超えられる品種なのか不安だ。
サクッサク、サクッサク…サクッサク…
フォークを大きくし先を折り返したような農具を備中鍬という。
この世界に来てから毎日全身をつかって、これで地面の土を解している。今ではログハウスの前の畑は全部が見てわかるほど肥沃な土となっている。落ち葉を集め土に混ぜ、残飯を埋め、暖炉の灰を混ぜ土づくりをしたのだ、それとマスターがいうには『神の気』は光らなくても垂れ流されてるらしく、それが土を良くしているとも言っていた。そんな訳で早く作物を育てたいのに…
そんなことを考えて昼まで土を解し、小山の列=畝を作っていると背中の方から声がした――
「クライく~~ん!!」
長い金髪と、たわわな胸を揺らしながら手を振り走ってくる。遠目にも綺麗な人だと思ったが・・・誰だ!?結構本気で走っているであろうその速度と、この世界で絶対にあったことないという確信から
「ますたぁぁぁ!!!ヘンなの来たぁぁ」
よく分からないが、瘴気が起こした異変だと断定し、何かされるのではないかと言う恐怖により泣きながら家へ駆け込んでいた。
一所懸命に本を読んでいただけあって意味の分かるエミルはヘンなの呼ばわりされたことがショックで後の4人が来るまで蹲って沈んでいるのであった。
『虎の牙』の5人が到着したのは丁度昼になった頃だった。
俺は虎男、ギュンターが入ってくると駆け出し飛びつこうとした…が、次いでさっきの不審者が入って来たのでマスターの後ろに隠れたのだった。その行動に大変ショックをうけているエルフの女性はエミルと言うそうだ。最近パーティーに加入したらしい。
5人は大きな革の鞄から次々に物を出していた。ギュンターに至っては、鞄から剣やら農具やら出てきたから驚いた。こんなの背負って片道5日とかギュンターは虎であるだけはあった。しかし更に驚いたのが俺が羨む金髪碧眼のエリックが唱えた呪文だった。
手を地面にかざすと1辺あたり大人が2人が縦列になったようなな長さの正方形が床に輝いたのだ。
マスターに何やら言っていたが、そのあとそこからすごい量の食料が出てきた。保存食のパンも大量にでてきたし、小麦から塩や香辛料、果物にハムのような加工肉、燻製された肉、果ては大量の卵まで出された。
「外に出てろ、片付いたら呼ぶ」
と途中で外に出されたが、あれなら間違いなく今日から俺はパンが食べられる。
俺は、うれしさのあまり一緒に出された虎に抱き着いていた。夢にまで見たパンが食べられるまで、あと半日なのだから。
「ぐはははは!」
ギュンターはそう笑いながら俺を肩に乗せてくれた。俺の目の高さは2メートルより高いだろう、見渡せば俺が今日まで頑張って起こした畑が広がる
あぁ今日までよく頑張った俺!
クライの機嫌がよくなったのは俺が来たからだなと、ギュンターは思った。おもむろにクライの両脇を抱えるとポーンと真上に投げた。
「ぐはははははは」
何やってるんだこの虎・・・
俺は今、畑を見渡すのでなく、見下ろしていた。というかログハウスの屋根を含め最早畑周辺の全景が良く見えた。
この森は巨木が多い。その巨木の頂点が今、俺より下にあった…
「や…やめ…ぐふッ」
虎男にに受け止められると、かなりのGがかかり俺は体の中の空気が抜けた。やめてくれと言うために息を吸う――瞬間俺はまた空の旅へ…エミルが「やめてっていってるっぽい」と止めるまで7度ほど遊園地のフリーフォールなみの高さから安全装置なし、力だけで上空を舞った。地上に降りたとき、虎の手形状に両脇青あざが出来、俺は声を出さずに泣いた。
エミルは俺がありがとうと感謝をのべると、俺に抱き着いて喜んでいた。よほど子供が好きなのだろう。この後、ジェスチャーで謝っていた虎男は胡坐をかくと俺をその上に座らせた。そこで俺はエミルと話した。畑に植える野菜についてとか、他愛もない話だったが、エミルは時々鞄のような取っ手のついた本をめくりながら話していることが印象的だった。
エミルは、しきりに後光を見せてくれとせがむので俺は得意になって何度も光っていた。虎男は迷惑そうにしていたが、二人とも白湯程度の持て成ししかできないのに大げさに喜んでくれていたから満足だった。
5人は夕方帰っていった。よほど水が好きなのか、家の水を沢山汲んでいった。
帰り際、エミルは「またくるからねーッ」と何度も振り返っていた。俺はギュンターとエミル以外話したことがない。次があるなら、エリックの魔法やジーノの剣技も見てみたいしゼルの鎧もしっかり見たい。
家の中は整頓されていた。テーブルには鉄器が並んでいる。
クワ、スコップはありがたい。他にもツルハシ、手斧も役に立つ、大きな鋸に今までより大きな鉈、開拓が捗る。
しかし、剣や槍、鉄の拳など物騒なものが並んでいる。俺がなるべく見ないようにしているとマスターは言った。
「これでようやく稽古らしくなるな」
それは絶望しか齎さない一言であった。