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SHIFT  作者: 鉄箱
8/12

last day ここより続く未来へ

繁華街の外れ。

寂れた時計屋の地下室で、颯真はシャツのボタンを留めていた。

その正面では、和彦がパイプ椅子に座りながら、悲壮な表情でカルテを見ていた。


「颯真君」


その声には、後悔にも似た悲しみが含まれている。

颯真はそれを、承知しているとばかりに聞き流す。


「君の身体はもう、ぼろぼろだ」


和彦は、眼を伏せて唇を噛む。

颯真はそれに答えずに、黒のベストを着る。


「それこそ、あと十五年も生きられたら、奇跡としか――」

「――関係ねぇよ」


颯真は灰色のコートを羽織ると、それを翻して和彦に背を向けた。

和彦はその背に何か言おうと立ち上がる。だが、すぐに口をつぐんで座り込んだ。


「俺はギリギリまで、好きに生きるだけだ」

「――本当に、君らしいね」


和彦はそれきり、何も言わない。

颯真はそんな和彦に振り向くと、気負いのない表情で不敵に笑って見せた。


「そう簡単に、くたばらねぇよ」


その顔に、和彦は頷いた。

そして自分も、なんとか笑ってみせる。


「簡単には死なないって、約束だよ――颯真君」

「あぁ、おまえとの約束も、たまには守ってやるよ」


颯真はそう言うと、今度こそ歩き出す。

その大きな背中に背負うものは、今までとは比較も出来ない、重くて大切なもの。


だからその背中は――――ずっと頼りになる、力強いものに見えた。











SHIFT











燦々と光る太陽が、雲一つ無い空に昇っている。

四月の初め、春一番で桜吹雪が舞うこの季節は、温かかったり寒かったりと落ち着かない。

三寒四温とはいうけれど、まだまだ一週間の半分以上は寒かった。


ピンクのラインの入った運動靴で、アスファルトを叩く。

その気持ちの良い反動に、アリアは顔を綻ばせた。


空色のスカートが風でふわりと翻る。

真冬ほどではないが風は冷たい。


その風に、アリアは両手で身体を抱いた。

背中は赤いランドセルのおかげで温かいが、身体の正面は守れない。

首や手も寒いがマフラーを巻くほどではない気温に、アリアは唇を尖らせた。


「うぅ、さむいよー」

「そう?」


アリアがそう呟くと、隣から返事が返る。

アリアよりも低めの声。その声の主は、シンプルな黒のパーカーに紺色のプリーツスカートという、特に寒くも温かくもない格好だ。


「さくらちゃん、さむくないの?」

「うん。アリアが、さむがりすぎ」


眼を細めて唇を尖らすアリアに、声の主――桜が答えた。

現在の彼女のフルネームは、香川桜。村正の、養子である。

アリアは、源アリア。正式に、颯真の娘となっていた。

ちなみに、アリア=源ではないらしい。


通常は、結婚歴がないと養子は取れないのだが、そこは村正がどうにかしたようだ。

聞かない方が良いような類の方法で。


そんな桜の背にも、真っ赤なランドセルが背負われている。

彼女たちは二人とも、今年度から地元の小学校の一年生になっていた。


桜の両目には、現在は何も巻かれていない。

目を瞑っていられるので、そうしているのだ。

怪我をしている訳ではないのだから、包帯で気負う必要もない。


アリアはそんな風にして顕わになって桜の顔を見て、嬉しそうに笑う。

友達になりたいと思った少女と友達になって、同じ学校の同じクラスで授業を受けて、こうして一緒に下校している。


そのことが、嬉しくてたまらないのだ。


「わたしだけじゃないよ。りつとは、はんそでだったし」

「りっくんはべつだよー」


よく話す、クラスメート。

ちょっと意地悪な男の子で、そのことが後ろめたいのか颯真を見る度に顔を青くしている少年だ。


「それじゃあ、わたしはこっちだから」

「うんっ!さくらちゃん、またあした!」


曲がり角で手を振って、桜と別れる。

一人になったアリアは、変わらず笑顔で歩いていた。


帰って始めに見られるだろう顔を思い浮かべて、アリアは嬉しそうに笑う。

足取りも自然に軽くなって、小走りになった。


車もろくに通らない道の、曲がり角。

改装されて綺麗になった木製の扉と、白い羽の絵がアクセントになった、看板。

窓ガラスは空の青を反射して、向こう側までそらが続いているように見えた。


扉に手をかけて、押し開く。

額より少しだけ高い位置にあって大変なのだが、もうコツは掴んでいる。

最初の頃よりは、大変ではない。


「ただいま!おとーさん!」


満面の笑みを浮かべてアリアがそう言うと、カウンターの向こうで皿洗いをしていた颯真が顔を上げた。


颯真はアリアを一瞥すると、一言「おう」と返事をした。


「手を洗ってこい。ケーキがあるぞ」

「ほんとっ?!やったっ!」


喜び勇んでカウンターの裏に入り、皿洗いをする颯真の横で、手洗いとうがいをする。

それから、生活区の方へ駆け足で行くと、高い階段に苦戦しながら二階へ上った。


一番最初にアリアが目覚めた部屋。

颯真が使っていたその部屋の扉には「ありあとそーま」と拙い字で書かれた札が、かけられていた。


ドアノブに飛びつくようにして扉を開ける。

質素だった部屋には、可愛らしい勉強机が置いてあった。

アリアはそこにランドセルを乗せると、足音を立てながら部屋を出た。


「けーき♪けーき♪」


颯真は、決してアリアに市販のものを出さなかった。

ケーキもチョコレートもクッキーも、全て颯真の手作りだ。

市販のものよりも美味しくて、健康にも配慮されている。

さらに、アリアの好みにも合わせてあって、颯真の本気さが伺えた。デレ期である。


「おとーさんっ!けーき!」


皿洗いを追えてカウンターを拭いていた颯真は、アリアの後ろ側に回ると、両脇に手を入れて持ち上げた。そして、カウンターの上に座らせると、厨房に回って冷蔵庫からケーキを取り出した。


ふわふわのスポンジと、真っ白なクリーム。

スライスされた苺がのっていて、見た目でも楽しむことが出来る。

大抵の子供が喜ぶ、定番のショートケーキ。

それを、颯真がオリジナルアレンジしたものだ。

チョコレートソースが、アリアの食欲をくすぐる。


「わぁ……いただきますっ!」


フォークを突き刺して、ほおばる。

一口目で目を輝かせて、二口目で満面の笑みを浮かべた。


口元にクリームをつけて食べるアリア。

颯真はカウンター越しに手を伸ばして、その頬についたクリームを指でぬぐい取って、そのまま舐めた。そして、今日も良い出来だと頷いた。


「えへへ、ありがとっ、おとーさん!」

「いいから大人しく食ってろ」


颯真はそう言うと手を洗って、自分のためのコーヒーの準備を始めた。

無邪気にケーキを楽しむアリアを見ながら、少しだけ息を吐く。


いずれはアリアに、その出生のことについて教えなければならないだろう。

鳩のシフターだった母親の末路も、颯真が伝えるべき事柄だった。


熱いコーヒーをブラックで飲む。

苦みが口に広がり、吐きだした息が白くなる。

コーヒーを置くと、今日の夕飯を考えるために、料理本を開いた。


アリアはそんな颯真をじっと見ていて、颯真もすぐにその視線に気がつく。


「夕飯、何が食いたい?」

「えへへー……はんばーぐっ!」


その無垢な笑顔に、颯真は頷く。

アリアがもう少し、大人になったら。


――命が尽きるその前に、颯真はアリアに伝えようと決めていた。


アリアが成人するまで一緒に居られるか、解らない。

だが、高校卒業までだったら、ギリギリかも知れないが、なんとかなるだろう。


颯真はアリアの頭をかき回すように、撫でる。

アリアは手の動きに合わせて頭を動かすことになり、目を回していた。


「おとーさんっ!」

「なんだ?」


だが、もうしばらくは。

この、太陽のような笑顔のそばで。


「だいすきっ!」


共に笑い、共に泣き、共に過ごそう。




――――いつか訪れる、“別れ”の日まで――――


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