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3rd day 颯真と愉快な仲間達

降り積もる、雪。

空から落ちる白銀の宝石屑ダイヤモンドダストは、雲間の光を器用に吸い取って、きらきらと輝く。それは、生物から熱を奪う、欲を持つ人間に対する誘蛾灯。見惚れたが最後、緩やかな寒さと共に、目覚めぬ眠りに落ちていく。


そんな白い結晶を傘越しに感じる。

例え直接肌に触れなくても、その寒さは風に乗って温度を奪っていく無垢な掠奪者を前に、ただの人間は震えて逃げるしか道はない。


傘を差しながら、大学帰りの学生は、身体を震わしながら自分の身体を両手で抱いた。彼の命を守っていたカイロは、先ほど無残に寿命を迎えた。天寿と言うには早すぎる、あっけない最後だった。


暖を求めてさまよい歩く。

そんな中、彼はやっと暖かな光を見つけることが出来た。看板はかすれて見えないが、ドアにかかった“営業中”の札が、その場所を暖かな店だと指し示していた。学生は、喜び勇んでドアに手をかけて、開く。からんからんと鳴る鈴の音が、心地よい。


かすれた看板に対して、清潔で手入れの行き届いた店内。

暖房が効いていて、店内は思わず息を吐かせる程暖かい。

漸く寒さの地獄から解放されて、彼は小さく頬を緩ませた。


「いらっしゃいませ!」


鈴の転がるような、美しくも可憐な声。その幼い声の主を捜そうと、学生はきょろきょろと周囲を見る。そしてすぐに、声が幼かったことに思い至り、苦笑を零しながら下を見た。


「ぁ――――」


そして、思わず息を呑んだ。

プラチナを溶かしたような白銀の髪は、腰下まで滑らかに伸びている。

済んだ浅瀬を思わせる色素の薄い青い目は、ぱっちりと大きく円らだ。

雪を溶かして人の形に固めたような、繊細で儚い白い肌と、上品な真紅を乗せた朱色の唇が、いっそ神秘と言っても過言ではない、芸術的なバランスを保っていた。

桃色のベストと白いシャツ、水色のスカートの上から緑のエプロン。


その全てが女神の彫像のようで、学生は生唾を飲み込む。


「なんめいさまですか?」


滑舌がスムーズにいかないのは、彼女がまだ蕾みだからだ。

まだ花開くことも知らない、閉じた花。学生は、自分の手を持ってその花弁を開きたいと、邪な願望を秘めた目で、少女を見た。


一向に帰ってこない返事に、少女は小首をかしげる。

その姿が、紳士ロリコンとしての彼の本能を呼び起こしているとも、知らずに。


学生は、少女に夢中だった。

夢中だったから、気がつかなかったのだ。この場所にいるのは天使だけではない。むしろ対極に位置する、魔王の根城に足を踏み入れていたことなど、知りもしなかった。


「よ、よし、ここにあめ玉が」

「何をやっている」


低く重たい、声。

厨房の奥から出てきたのは、そう――“黒”だった。


漆黒の髪と目、ウェイトレス服を身に纏った顔の怖い男が、学生を睨み付けていた。

その重圧に、学生は我に返る。そしてついに、美少女という餌によって、自分が魔王に誘い込まれたと言うことに、思い至った。


いつまで経っても動かない客に声をかけただけとは、思わない。これから食事的な意味で食べられるのだという最悪の思考が脳内を駆け巡る。そして、学生はついに耐えきれなくなって踵を返す。彼は今、十九年の人生の中で、一番速い動きで駆けだした。


「すいませんでしたッ!!」


走り去っていく、学生。その姿に妙な苛立ちを覚えた男――颯真は、あらん限りの握力で固めた雪玉を投擲した。


すると、雪玉は風を切って一直線に進み、鈍い音を立てて学生の頭に激突した。


ゆっくりと雪の中に倒れる学生の姿に、颯真はがしがしと頭を掻く。苛立たしげに店内の入ると、首をかしげる少女――アリアの姿に、ため息をついた。


アリアの姿に釣られてふらふらとやってきて、颯真の姿を見て逃げ出す。

昼前だというのに、もう三人目の“逃亡者”だった――――。











SHIFT











しんしんと降る雪に、颯真は苛立たしげな様子だった。

自室の窓から見える冷たい雪。その一粒一粒を、消滅させんが如き勢いで睨み付ける。

この寒さは、颯真にとっての仇敵だ。

なにせ、冷暖房と言った空調設備は、店内にしかないのだから。


自分に抱きついてすやすやと寝息を立てるアリアを無造作に引きはがすと、ベッドから降りる。

颯真は、埋め込め式のクローゼットまで歩いて、今日のウェイター服を選ぶ。


クローゼットの中身は、六種類程のウェイター服が入っていた。颯真にしか解らない違いがあるため、六セットではなく六種類なのだ。颯真以外のものが見ても全て同じに見えることから、彼の友人はこれを“変則的裸の王様”と呼んでいた。別に誰に買わされた訳でもないのだが。


ベッドで寝息を立てるアリアが、眉をしかめた。

彼女の朝は、隣の暖かさを失う喪失感から始まるようだ。

白いシーツの上で、手を滑らせる。上を下へと動き回り、自分で動かした手が送った風で寒気を覚えて、猫のように丸まった。


寒い寒いと震えながら目を開けて、朝だと悟ると物音がする方を見る。


颯真がウェイター服に着替え終わると、ぼんやりと焦点の合わない目で自分を見るアリアと目があった。アリアは颯真に初めて気がついたように目を丸くして、すぐにへにゃりと笑って見せた。


あまりにその笑顔が幸せそうで、颯真は少しだけ気圧された。綺麗なものから目を逸らすのは、汚れた大人の宿命である。


「おじさん、おはよー」

「……おはよう」


颯真が挨拶を返すと、アリアはその言葉を噛みしめるように、笑顔で何度も頷いた。

眼を細めて頷く姿には、求めていたモノを手に入れたと喜んでいる、そんな感情が見て取れた。


複雑な事情が、聞いてもいないのに転がり込んでくる。颯真はその事実に、大きく大きくため息をついた。


まだ引き返すことが出来ると思っている辺り、この男は楽観主義者なのかも知れない。


壁に左手を当てて、項垂れる。

そんな颯真をよそに、アリアはぺたぺたと歩いて箪笥の前に立つ。そして、いそいそと着替え始めた。白い小さな手が慌ただしく動いている様子を一瞥すると、颯真は部屋を出た。


アリアはお気入りの服に着替えると、大きく伸びをして、クローゼットの扉に構えられた姿見の前へ移動した。そして、少しだけ朱の刺した頬に両手を当てて熱を感じ取ってから、姿見の前でくるりと回った。颯真に買って貰った、お気に入りの服だ。


左手の握り拳を口元にあてて、ころころと笑う。

部屋を出ると、階段を下りて店内へ歩いて行った。ドアを開けて、横に置いてある靴を履く。これも、颯真に買って貰ったアリアのお気に入りだ。

アリアは座り込んで靴を履くと、立ち上がって地面つま先を、とんとんと当てる。しっかり履けたことに満足して、頬を綻ばせた。


そうしたら、小走りでカウンターの中へ入る。


朝食を作っている颯真の横で、手洗い顔洗い歯磨きをこなす。冷たい水は、顔だけでなく背筋も冷やしたようで、アリアはぎゅぅっと目を瞑って顔を拭いた。


カウンターに座って、朝食を待つ。

颯真は、昨日は洋食だったので、今日は和食を作っていた。


ふんわりほかほか真っ白ご飯。

わかめと豆腐と油揚げ、それからエノキの入った合わせ味噌のお味噌汁。

あつあつのだし巻き卵に、ほうれん草のおひたしと、塩もみキュウリのお漬け物。

こんがり焼かれた鮭の切り身は、塩味だ。

ついでに湯飲みに熱いお茶が注がれていて、見ているだけで身体が温まる。


「いっしょに、たべよー」

「ちっ……わかってるよ」


颯真は苛立たしげに舌打ちすると、頭をがしがしと掻いてから、自分の分の食事をアリアの左横に並べた。既に尻に敷かれ始めている哀れなアラウンドサーティーである。


「おじさん、いただきますっ!」


笑顔で手を当てて、アリアはじいっと颯真を見た。ここまでくれば、颯真もアリアの言いたいことが解る。無視しようかとも思ったが、結末は見えているのでさっさと終わらせることにした。


「はぁ……いただきます」

「いただきますっ!」


手を合わせて、アリアに従う。子供に従うというのも嫌だから、颯真は脳内でアリアの願いを仕方がないから聞いてやったという表現にシフトした。デレ期は近い。


和食は、箸を使って食べるものだ。なれた人にはわかりにくいが、この箸を扱うのは結構難しい。

幼い子供となるとそれも顕著で、鮭をほぐすのにもいちいち体力を使う。

アリアはちらとらと隣りの颯真を見て、動きを盗もうと凝視していた。

颯真の食べ方は、日本人でも目を瞠る程繊細で美しい。顔に似合わないにもほどがある。


自分の手を凝視するアリアの様子に、颯真もだんだんと苛つき始めた。

四苦八苦して、失敗しては眉をしかめて呻りながら、颯真の手を、穴が開く程見つめていた。


颯真としてもこんな視線に晒されていたら、食べにくかった。

蹴散らせばいい対象ではないというのが、彼にストレスを与える一番大きい理由だ。


颯真は大きくため息をつくと、長い手をアリアの背中側から回して、抱え込むような形を作る。そして、箸を持つ手に自分の手を重ねた。その体勢に、アリアはどきりと胸を弾ませていた。


「即、覚えろ。こうだ」


颯真としては、教える手間を省くために“横着”したに過ぎない。

だがその形は優しげなお兄さんか父親のようで、彼を知るものが見れば目を瞠ることだろう。彼自身も、客観的に冷静にこの状況を見ることが出来ていたら、やはり同じように本人か否か疑うことだろう。


アリアは胸をどきまぎとさせながら、颯真の強ばった手を感じていた。

堅くてごつごつとした大きな手は、冷たいのに暖かい。心を温める、不思議な温度。

この手に包まれていれば、アリアは何だって出来るような、そんな気がした。


「こう?」

「そうだ、よし、できたな」


すっと、颯真が手を離した。

手は離れたが、隣りに颯真がいるというだけで、アリアの心は暖かいままだった。

温もりの残る手でまだ拙くても扱えるようになった箸を動かして、だし巻き卵を口に運ぶ。ふんわりと口の中で優しくほぐれる、甘い卵。

アリアはそれが、颯真に箸の使い方を教わる前よりもずっと、美味しく感じた。


「えへへ――――おじさんっ!」

「……今度は何だ」


アリアは、少しだけ恥ずかしそうに、それでもやはり可憐に輝いた笑みを見せた。


「だいすきっ」


それは、アリアの心からの言葉だった。

心に響かせる、鈴の音。暖かい空気が、やんわりと流れる。


アリアは白い歯を見せて頬をやや紅潮させたまま、はにかんだ笑顔を見せ続けた。えくぼが頬に出来て、アリアの明朗活発な可憐さを印象づけている。


アリアは何も答えない颯真から目を逸らすと、両手を頬に当てて冷やそうとしていた。

赤いままなのがなんだか恥ずかしくて、上目遣いで颯真を一瞥すると、照れているのを誤魔化すために、ぺろりと赤い舌を出して笑った。


対する颯真は、湯飲みを口に当てたまま固まっていた。

彼は今、必死だった。幼い少女に抱く情欲の念を抑えるのに必死だとか、そういった話ではない。聞かれたら確実に牢屋に入れられる。外で言わないようにと言いつけて中で言われて、やっぱり聞かれたらこれはもう海外逃亡しかない。


どうせ周辺住民からは“やっぱり高飛びか”としか思われないのだろうから、世間体は気にしなくて良い。いっそ埋めてしまおうか?などと思案しているが、物騒なだけで彼なりの照れ隠しだった。方向性が間違っているが。


そして――――事態は、悪化する。


吹き込む風に、颯真は身体を震わせた。

颯真が喫茶店の入り口側に座っているので、颯真の影で照れていたアリアは、扉の方から冷たい風が流れていることに気がつかなかった。

颯真は寒さを誤魔化すために熱いお茶を飲み干す。彼は沸騰したお湯を一気飲みすることが出来るという、微妙な特技の保持者だ。


身体を芯まで温めたところで、颯真は疑問に思う。どうして、暖房の効いたこの店内で、寒いと背筋を震わせているのか、と。


――どさっ


何かが、落ちる音がした。

もう気がついてはいるのだが、颯真は必死にその現実から目を逸らそうとしていた。だが、逃げたところで変わるものではない。現実は、非情である。


「颯真、さん……そんな、“本当”だったなんて」


準備中の札がかかっていても気にせずドアを開けてしまうのは、彼の私的な繋がりのある人物達……つまり、颯真の友達連中だけだ。


開け放たれたドア。

会話を聞いていたのだろう、開けてすぐに手鞄を落とした人物。

茶色の手提げ鞄から、ゆっくりと視線を上げていく。紺のジーンズに白いシャツ。その上からダッフルコートを着込んだでいる。

大きな鳶色の目と、薄い茶色の髪。セミロングのその髪と体つき、顔立ちから、女性であることがわかる。


「待て、美穂。その“本当”ってのはなんのことだ?」


美穂と呼ばれた女性は、ふらふらと店内に入る。

おぼつかない足取りに心配になるアリアにそっと近づくと、丁度食べ終わってごちそうさまのために合わせていた手に、自分の手を重ねた。


そして、少しだけ潤んだ目で、アリアに優しい笑みを作って見せた。

背に合わせて腰を屈めている辺り、“まともな”大人である。


「あたしは安土美穂。お嬢ちゃんは?」

「わたし、アリア!」


美穂はアリアに名前を聞くと、噛みしめるように頷いた。そして、アリアに気がつかれないように、颯真を鋭い目で一瞥して、再び視線をアリアに戻す。

その顔に浮かべられているのは、変わらず優しい微笑みだ。


「源アリア……アリア=源かな?良い名前だね」

「みなもと…………うんっ!わたし、アリア=みなもとっ!」


颯真の目が細められ、濃厚な殺意が込められた視線が美穂に突き刺さる。

美穂は、慣れているはずの自分の体調を悪くさせるその眼力に、身体の底から沸き上がる恐怖心を、気丈な精神で押しつぶす。

ここで負ける訳にはいかないのだ。この少女のためにも。


一方、颯真は苛立ちが最高潮まで上がっていた。

美穂のせいで、アリアはこれからも“源”と名乗るだろう。

子供に強く言い聞かせることが颯真に出来ない以上、止めることは出来ない。

ちなみに、言い聞かせることが出来ないのは、言い含めようとするのにも加減が解らず、結局失神と通報、尋問、留置所のスペシャルコンボが確定するからだ。経験済みなので、間違いはない。


「アリアちゃんかぁ、良い名前だね。年はいくつ?」

「えへへ、ななさいっ!」

「二十一の時の子供、か……ちゃんと答えられて、偉いねぇ~」


聞き捨てならない、言葉があった。

颯真は勢いよく美穂の両肩を掴んだ。

そして、テーブルを軋ませる程の握力で、万力の如く押しつぶす。

めきめきと体内が鳴る音と形容できない痛みに、美穂は顔を引きつらせた。引きつらせることしかできなかった、というのが正しいだろう。


「誰に何を聞いたのか、正直に話せば両腕“だけ”で許してやる」

「あいたたたたっ!?……むむむ、村正君が!」


出てきた名前に、颯真は手の力を緩めた。当然、緩めるだけだ。


逃がしてはいないし、逃がす気も無い。


その“本気”を感じ取って、美穂は顔を青くした。アリアは信号機のように顔色を変化させる美穂を、無邪気な笑顔で見つめていた。時折、拍手も混ぜている。


「村正君が、颯真さんに隠し子がいて、母親に認知を迫られて今頃になって引き取ったって……あいたたたたっ!?」


颯真は大きくため息をつきながら、両手に力を込めた。美穂は涙目になっている。

まんまとからかわれてまんまとお仕置きされている辺り、哀れである。


「アリア、俺はちょっとこいつと“話し合い”をしてくる。大人しくしてろ」

「?――うんっ!おじさん!」

「アリアちゃん、そこは“おとうさん”でも……いいいたいっ!?」


どす黒い空気をまき散らしながら、颯真は美穂を引っ張る。

掴んでいる手首からは、骨の軋む嫌な音がしていた。明らかに震えている美穂と、異様な空気の颯真。そんな二人を見ながらも笑顔で返事をするアリアは、将来大物になるだろう。


二人が離れていき、アリアはぼんやりと美穂に言われたことを思い出していた。

おとうさんでもいいという言葉。アリアは、居ないものについてどんなものかわからない。

だから最初に颯真に、両親について訊ねられたときも、首をかしげた。


知識としては知っていても、颯真が聞きたいことはそんなことではないと、幼いながらに感じ取っていたのだ。


美穂は、アリアに颯真を“おとうさん”と呼ぶように勧めた。

それは、颯真が家族になると言うことだが、それは簡単なことではない。家族を得ることは、簡単なことではない。アリアにそう教えた人物を、アリアは覚えていなかった。


湯飲みに残ったお茶を飲むために、両手で持ち上げる。

湯飲みを斜めにすると、まだ少しだけだが温かさの残る緑茶が、アリアの喉を通る。

こくりこくりと二口分程目を閉じて飲むと、ゆっくりとカウンターにお茶を置いた。

一人で過ごすということが、アリアは無性に寂しかった。


「いやーごめんねぇ、アリアちゃん。あたし、なんか勘違いしてたみたい」


戻ってきた美穂は、開口一番でそう告げた。

ぶらんと下がっている左腕に何があったのかは解らない……解りたくないが、妙に痛々しい。美穂はへらりと笑うと、アリアの隣りに座った。そして、お茶をねだる美穂に、颯真は苛立たしげに水を置いた。

この寒いのに、氷入りの冷たい水だ。悪意を感じずにはいられない。


ここで藪をつついて悪魔を召喚する度胸はないため、美穂は顔を引きつらせながらも水を飲んだ。


「で、何しに来たんだ?」

「何って、村正君に聞いて心配になったから見に来たんですよぅ」


美穂はそう言うと、唇を尖らせた。颯真と付き合いのある友人だけあって、立ち直りも早かった。伊達に慣れてはいないのだ。


美穂は既に寛ぐ体勢に入っていて、颯真はそんな美穂を見て青筋を立てている。

明らかに怒っている颯真を前に寛ぐことが出来るのだから、この女性は案外と肝が据わっているのかも知れない。もちろん、ただ抜けているという可能性も否定できないのだが。


「ねー、おじさん」


アリアは、迷ったあげく、結局“おじさん”と呼んだ。“おとうさん”とは簡単に呼んではいけないような気がして、この呼称に落ち着いたのだ。


「なんだ?」

「どーしたの?」


怖い顔のまま聞き返す颯真と、明るく首をかしげる美穂。

対照的で、アンバランスな二人だった。アリアはそんな二人を見て、決めていたことを言おうと大きく息を吸い込んだ。


アリアは考えていたのだ。どうすれば家族を得る“資格”を得ることが出来るのか、と。

そして、辿り着いた答えは、とりあえず出来ることからやろう、というものだった。


「わたし、おじさんのおしごとの、おてつだいがしたいっ!」


その純粋な叫びに、颯真はぽかんとしていた。

同じように美穂も驚いていたが、こちらはすぐに正気に戻って笑った。隣を見て我が振りを直したのだ。颯真が踏み台にされるという、珍しい結果だった。


「アリアちゃんは偉いねぇ……それじゃ、お姉ちゃんがエプロンを進呈しよう!」


美穂はそう言うと、緑色のエプロンをアリアに渡した。

手提げ鞄からごく自然に出てきたのだが、どうして持っていたかは謎だ。


「おい、余計なことを……」

「じゃあね!アリアちゃん!」

「うんっ」


美穂は、その場から全力疾走で逃げ出した。

颯真が雪玉を使って撃墜するまでの間に、アリアは器用にエプロンを着た。颯真が戻ってきたときには、すでにやる気に満ちたアリアが、満足げに佇んでいた。


ならばやらせて見ようと玄関付近にいさせるマスコット扱いにしたところ、何故かロリコンがこぞって来るようになった。


そして、冒頭に戻るのだった。















薄暗い雲間に浮かぶ太陽が、頭上にまで昇ってきた。

いつものように客の一人も来ないまま、正午である。


颯真はそれに関して苛立つことはあまりない。客が来ないことなど日常茶飯事で、いつもの光景が眼前に広がっているにすぎないのだ。だから、特に気にした様子もなく、新聞を広げてのんびりとしていた。


だが、アリアはそうはいかない。

ドアの前でそわそわと身体を揺さぶりながら、腕を前に組んだり後ろに組んだりと小さな焦燥に似た気持ちを、身体で表現していた。


手伝いをすると決意したはいいが、一向に客が来ない、来てはいるのだが、何故かアリアを見て顔を赤くした後、颯真を見て顔を青くして逃げてしまうのだ。

これでは、颯真の役に立つことが出来ない。


――純真な子供には、“大きいお兄さん”の気持ちを理解することなど、できません。


唇をとがらせてみたり、頬を膨らませてみたり。

不満を身体で表現したところで、何かが変わる訳ではない。

だが、ここで止めてしまうのもいやで、アリアは姿勢を正しくして立ち続ける。ここで座るように促すことが出来る程優しい颯真ではないので、直立不動の構えで扉を睨み続けた。


そして、ついに扉が開く。顔に浮かべるのは満面の笑み。逃がしてなるものかと声に力を入れてみる。気分は獲物を見つけた狩人だ。


「いらっしゃいませーっ!なんめいさまですかっ?」


ところが、先ほどまでと同じように、返事が来なかった。

また逃げられるのかと思うと、上げた顔も下がってしまう。


残念、獲物は逃がしてしまった。


だが、ここで諦めたりはしない。再チャレンジだと力強く顔を上げると、新しい客が自分を見下ろしていることに、アリアは気がついた。


ぼろぼろのジーンズとぼろぼろの黒いシャツ。

薄汚れた茶色のコートに切りも整えもせずに無造作に後ろへ流した白い髪。

周囲にどこかで感じたことのある無駄な威圧感を撒き散らす三白眼は、焦げ茶に近い黒い色をしていた。颯真がマフィアなら、こちらは脱獄犯だ。


「子供、か……一人だ」

「え――――は、はいっ!おたばこはおすいになりますかっ?」

「カウンター席で構わん」

「はいっ、ごあんないいたしますっ」


帰ってきた言葉に、アリアは一瞬、惚けてしまった。

ぽかんと目を見開き、口は半開き。そんな顔をさらしてしまったことに、アリアは顔を赤くする。

そして、待たせるのは良くないと、颯真にねだって聞き出した接客方で席に案内する。

この店で始めてこの接客方をしようしたのは、アリアだったらする。つまり、颯真は一度も慇懃な態度をしたことがないと言うことだ。彼はもっとアリアを見習うべきだろう。切実に。


「ヴァンか、珍しいな」

「近くまで来たのでな」


男――ヴァンも、颯真の友人だった。美穂とは違い“いかにも”颯真の友人らしい風貌の男だ。二人で歩いていたら機動隊を呼ばれるだろう。そして、妙に逃げ足の速いヴァンだけ逃げ切り、颯真一人で取り調べを受けるのだ。


ヴァンがカウンターに座ると、颯真はサイフォンを使ってコーヒーの準備をする。

注文をしていないのに煎れているので所謂“いつもの”というやつなのだろうと、アリアは密かに感動していた。

店長と常連客、アイコンタクトでご注文。

自分もそんな風になりたいと、アリアは想像してはにかむように笑った。そうすれば、自分もベテランウェイトレスだ。


「あれは?」

「同輩」

「そうか」


背中越しの、短い会話。

騒がしいものではなくゆったりとした雰囲気と、不快ではない沈黙。それだけで、アリアが少し嫉妬してしまうほど、二人が親しい友人なのだということがわかった。


この風貌の男二人がこの空気を出せることには、驚かない。アリアとしては二人とも“かっこいい”のだ。このセンスは、もうどうしようもないだろう。


「娘、名は?」

「むすめ?――わたしは、アリア!アリア=みなもとっ!」

「そうか。俺はヴァン=クローデットだ」


ヴァンはカウンターに座ったまま、左側の扉の前に立っていたアリアに訊ねた。

アリアは“娘”という単語に首をかしげたが、すぐに理解して頷いた。

ちなみに、お揃いだと喜んでで名乗っているが、同じ名字が家族を表すものだとは気がついていない。妙に偏った、ちぐはぐな知識である。


「客が来ないのが、寂しいのか?」


ヴァンは、抑揚のない口調で、そうアリアに訊ねた。

アリアは人差し指を唇に当てて、少し考えた。そして、すぐに答えが出たのか、ゆるゆると首を縦に振った。その様子に、ヴァンは小さく、頷いた。


「待っていろ」

「おい、ヴァン?余計なことを――ったく」


颯真が言い切る前に、ヴァンは出されたコーヒーを一気に飲み干して店を出る。その頼もしい背中に、アリアは感動していた。やはり、颯真の友達だけあって、頼もしい。


だからアリアは気がつかなかった。

ヴァンがちゃっかり無銭飲食を働いていたことに……。


ヴァンが去った後も、暇な時間は続く。だが、今度は長くはなかった。


「ここだー」

「本当に小さい子が働いてる」

「おおっ」


次々と、人が入る。

アリアは急に忙しくなったことに驚くが、ここが正念場だ。


役に立っていると颯真にアピールするために、快活に笑いながら接客する。

颯真はやってくる客の人数に目を丸くして驚いていた。


その様子にアリアは颯真が“かわいい”などと、とても常人では考えられないことを思っていた。颯真がアリアに勝てる日は来ないだろう。


人を視線で射殺そうとする癖が発動さえしなければ、客もそこまで颯真に怯えはしない。困惑の最中に立たされている颯真は、反射的に周囲を威圧する余裕もなかったのだ。


忙しくなった喫茶店。

颯真は右手で頭を掻きながらも、金のためだと言い聞かせて、注文されたメニューを作るのだった。















「ありがとうございましたっ!またおこしをおまちしておりますっ!」


西に太陽が落ち込む頃、アリアは最後の客を見送った。

カウンターでは、颯真がぐったりと項垂れながら、レジに入ったお金を数えて笑っている。

白い魔法の粉を販売した売上金を数えている、と言われたら、納得してしまいそうな凶悪な笑顔だ。本人は至って真面目である。欲に塗れてはいるが。


「おじさん、おつかれさまっ」

「おう」


機嫌が良いので、無視することはない。

颯真は自分でそう思っているが、機嫌が悪いときでも返事をするようになりつつあることには、気がついていなかった。


アリアはぐぅっと背伸びをして、全身の骨をならす。空気の弾けるような音が、なんとも心地よい。

労働による爽やかな疲れに、アリアはにへらと、だらしなく笑った。

そして、颯真の隣りにちょこんと座る。椅子に昇らせたのは、颯真だ。

お金を数える颯真を嬉しそうに見るアリアが座りにくそうだったから、颯真はすぐに手を貸してくれた。

颯真は完全に無意識なのだが、アリアはそれに“暖かさ”を感じていた。


――本当に“冷たい”人間は“寒い”のだ。


「えへへ――おじさんっ、だいすきっ!」

「はいはい」


颯真は、そう言って抱きついてくるアリアに、軽く返した。無理にでも身体を引きはがさない優しさに嬉しくなって、赤くなった頬を隠すように颯真の腕に顔を押しつけた。


颯真はいちいち相手にしていられないという理由で引きはがしていないが、基本的に嫌いな人間に触れられることを嫌う男だ。自分でも気がついていないが、颯真はアリアに心を開きかけていた。


――からんからん


準備中の札がかかっているのに、ドアが開く。

そんなことをするのは颯真の友人なのだが、一日に三人も来るのは久しぶりだった。


颯真は扉を開けた主を見て、まともな部類の友人だったことに、安堵のため息をついた。ちなみに、美穂は“まともな友人”にカテゴライズされない。あれはあれで、まともではないのだ。性格的に。


「大通りでヴァンが“狐狸理こっくり”を連れていたからまさかとは思ったのだけれど……本当に流行っていたのね」


狐狸理とは、美穂の経営する万屋……所謂何でも屋なのだが、おそらく周辺を歩いていて、ヴァンに捕まったのだろう。


年の頃は、二十六歳から上、三十歳よりも下ぐらいの女性だった。

胸の大きく開いた服に、タイトなスカート。

茶色のコートを羽織った姿が、様になっている。

髪はアップにして軽く飾り付けたプラチナブランド。

アリアよりも濃い青の瞳と、日本人離れした顔立ち。

赤褐色の肌が、服装と化粧と合わせて扇情的な、大人の雰囲気を持つ美女だった。


「ヴィヴィアンか。今日はどうした?」

「あら?用が無ければ、来ちゃいけない?――ヴァン達が“おもしろいこと”をしていたから、見に来たのよ」


カウンター席に座り、足を組む。

どこか淫靡な雰囲気を持つ仕草の一つ一つに、アリアは目を輝かせていた。


だが、“用が無ければ”と女性――ヴィヴィアンが言ったときに、少しだけ剣呑な表情を作った。


ヴィヴィアンはその表情からすぐに意図をくみ取ると、少しだけ笑ってから訂正した。

それにあからさまに安心するアリアを見ているヴィヴィアンは、実に楽しげだ。


「それで、この子、“私たち”のご同輩、らしいじゃない」

「あぁ……今一、なんだかわからんがな」


颯真はお金を数えるのを止めずに、そう答えた。

踏み込む気がないので聞く気がない。

また、子供の内は、自覚していなかった場合は藪をつついて恐慌状態を引き起こすこともある。それなりの“準備”が整っていない内は、聞き出す訳にもいかなかった。


「わからないなら……どうやってシフターだってわかったの?自己申告とは言わないでしょう?」

「あぁ、それなら――――アリア、灰皿のアレ」


二人のやりとりを横目でじっと見ていたアリアは、突然話を振られて首をかしげた。

灰皿、と聞いてとればいいのだろうと判断すると、アリアは笑顔で頷いた。


「うんっ、わかった。おじさん!」


アリアがぐっと指先に力を入れた。眉をしかめて後ろの席の灰皿に指を向ける姿は、可愛らしい。指を上に動かすと、灰皿が浮き上がる。

そして、颯真の前まで糸で引っ張られたかのように、浮いて来た。


その力に、ヴィヴィアンは目を丸くしていた。


「これって――“重核因子デュアルファクター”?」

「おそらく、な」


シフターの転換因子。

その力に、ある種特別な能力がついてくることがある。

毒蛇が溶解液を放つことが出来るのは、能力を持つ因子……“重核因子”を持つと言うことである。ヴィヴィアンは、アリアがその“珍しい”シフターなのかと、驚いていたのだ。


「それなら、狙われるのにも納得するわ」

「おまえはどこまで知ってるんだ……」


納得するヴィヴィアンに、颯真は大きくため息をついた。

アリアは何のことだか解らずに、首をかしげていた。だが、なんとなく仲間はずれにされているようで、不満に頬を膨らませた。

ヴィヴィアンはそれをみて、今度は少しだけ声を出して笑う。


その和気藹々とした風景を見ながら、颯真は大きく息を吐く。

右手でがしがしと頭を書くと、彼にして珍しい、憂鬱な表情で天を仰いだ。


「厄介事は、ご免だぞ」


そう呟くが、その声は小さい。

巻き込まれずにいられるのか、颯真は自分でも自信がなかったのだ。


日は落ち込み、町には黒い天蓋がかけられた――。

現在、思うところがあり、先の話を大幅に改訂をしています。

心理描写もいじる必要が出てきたので、すこし更新が遅れるかも知れません。

申し訳ありません。


2011/03/12誤字修正


ご意見ご感想のほど、お待ちしています。


それでは、ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

次回も、よろしくお願いします。


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