after days plus 2 アリアの冒険 ~はじめてのおつかい~
菫ヶ丘小学校の教室に、自慢げな声が響いた。
胸を張って“その話”をする律人の前で、アリアは頬を膨らませていた。
「それで、ちゃんと“にんむ”をこなしたってわけだ」
「むぅ~」
天狗っ鼻になって自慢し続ける律人の前で、アリアは反論することも出来ずに呻り声を上げていた。
そんな律人とアリアの間で、巧巳は青い顔をしていた。
アリアの後ろで真っ黒な空気を醸し出している桜と七海に気がついているためだった。
「り、りっくん、そろそろ……」
「ほら、たくみも“はずかしい”っていっているぞ!」
そんなことは、一言も言っていない。
だがそんな事実は関係なく、黒い空気が巧巳の方にも注がれた。
巧巳は既に涙目になっていて、今にも崩れ落ちそうだ。
「わたしだって、やればできるもん!」
「やれば、ねぇ?」
「むぅ~っ」
膨れるアリアに、律人は胸を張っていた。
子供らしい虚栄心。初めてやって出来たことを、好きな人に自慢したい。
その方向がからかう方に走ってしまうから、彼は良いところが目立たないのだ。
不憫だが、これも自業自得と言えた。
「いいもん!わたしも、おとーさんにたのんでいってくるもん!」
「できないことは、やめておいたほうがいいーんじゃねぇのか~?」
いつになくうざい様子の律人に、桜の額の血管は切れそうだ。
実は律人は、この空気に気がついていて開き直っていただけだった。
そこで止めておくのではなく開き直るから、ダメなのだ。
「むぅ……わたしだって――――“おつかい”くらいできるもん!」
そう、律人は、母親に頼まれた“お使い”が出来たということを、自慢していたのだ。
その発端は、偶然頼まれてこなしたと巧巳が話したためなので、巧巳も一緒に怒られることだろう。おそらく、桜が律人、七海が巧巳という役割分担だ。
未だにらみ合うアリアと律人。
その後ろで動き出した、桜と七海。
巧巳は自分の未来を思い描いて……一滴だけ、涙を流した。
SHIFT
五月の始め、そろそろ暑くなってきたこの季節。
禁煙を始めて口が寂しくなっていた颯真は、アリアにタバコの代わりにと勧められた棒付きキャンディーを舐めていた。似合わないこと、この上ない。
骨張った手で丁寧にコップを洗い、片付けている。
冷房を点けるにはまだ早く、暖房を点けるほど寒くはない。
けれど厨房近くは熱が篭もるので、仕方なくドアを開けて風を取り入れていた。
ドアを開ければ、ある程度涼しい。
最近はマスコット(アリア)のおかげで客の入りが良くなってきたので、店にも活気が出てきた。
そうなると、人口密度の関係で暑くなるため、まだ夏にはなっていないというのに“ある程度”しか涼しくならないのだ。
かといって客を追い払うような行動に出る訳にも行かず、颯真は胡乱げにキャンディーを噛み砕いた。
その硬いものを砕く音に客の何割かが肩を竦ませて怯える。
何か気に障るようなことでもしたのだろうかと、自分の人生を振り返り始めた客の戸惑いなどに気を向けることもなく、颯真は洗い物を再開していた。
「ただいまーっ」
鈴の転がるような、柔らかく綺麗な音。
この喫茶店最大の“癒し”である、アリアの声だった。
アリアは小さな歩幅で走る。
スニーカーが床を叩く度に鳴る、リズミカルで可愛らしい音が、客の心を和ませる。
まずは颯真に並んで、手洗いとうがい。
それから生活区の方へ走り、着替えて戻ってくる。
この一連のプロセスは、喫茶店“konzert”の、名物である。
元気の良い足音を立てて部屋から戻ってきたアリアの姿は、綺麗な洋服だ。
カッターシャツに紺のプリーツスカート。
赤と銀色の、チェックのネクタイがワンポイントだ。
いつもより少しだけ、気合いの入った服装。
今日は特別なことでもあっただろうかと、颯真は顎に手を当てて考えていた。
そんな颯真を、アリアは小さく息を吐くことで気合いを入れて、見上げた。
「おとーさんっ」
「……どうした?」
強い意志の炎が灯る、空色の目。
颯真はその色に“面倒ごと”の気配を感じ取りつつ、しかし顔には出さずにアリアの言葉を待った。
アリアは大きく息を吸うと、頼み事を口にした。
「わたし……“おつかい”がしたい!」
「特に頼みたいものはない」
「っ!?」
颯真は、反射的にそう答えていた。
そもそも、七歳そこそこの子供を一人で出歩かせるのは、色々と危ない。
そんな親ばかな思考を、颯真は顔に出すことなくつらつらと重ねていた。
にべもなく断られたアリアは、大きく目を見開いていた。
こんなにあっさりと断られるということが、予想外だったのだ。
だが、ここで諦める訳にはいかない。
このままでは、律人に胸を張ることが出来ないのだ。
「おとーさん!わたし――」
「――ハーイ、颯真……って、あら?」
アリアが再度挑戦しようと、言葉を紡ぐ。
だがそれも、突然の闖入者によって、あっさりと遮られた。
「ヴィヴィアンか……」
「えぇ、ちょっと近くまで来たからコーヒーでもって思ったのだけれど……お邪魔だったかしら?」
褐色の肌にブロンドの髪。
紺のスーツに身を包み、胸元を艶やかに広げた大人の女性。
颯真の友人である、ヴィヴィアンだった。
ヴィヴィアンはカウンター席に座ると、困ったような笑みを浮かべてアリアを見た。
アリアは目を瞠ったままヴィヴィアンに顔を向けて、ヴィヴィアンをますます苦笑させていた。
「そんなとはねぇよ。待ってろ」
颯真はそんな二人の様子に気を払うそぶりも見せず、コーヒーを煎れる。
一気にタイミングが掴めなくなり混乱するアリアに助け船を出したのは、ある意味元凶ともいえるヴィヴィアンだった。
「何か困りごとがあるのなら、お姉さんに話してみない?アリアちゃん」
そう言って優しく笑うヴィヴィアンに、アリアは幾ばくかの逡巡を見せる。
そして、自分一人の力ではミッションの遂行は難しいと思い至ったのか、アリアはゆっくりと頷いて見せた。
「じつは――」
話すのは、“事”の顛末から。
今日、学校で起こったアリアの事件。
すなわち、律人の自慢話だ。
「わたしも、りっぱに、おとーさんのやくにたちたい!」
そう言って自分を見上げるアリアに、ヴィヴィアンは小さな“ときめき”を覚えていた。
小さい子が、顔の怖い旧友のために一生懸命になっている。
ここで力を貸さなければ、女が廃ると意気込んでみせる。
「やらせてあげればいいじゃない、颯真」
「必要ない」
颯真は煎れたてのコーヒーを、静かな手つきでヴィヴィアンの前に置いた。
いつもの颯真ならば、適当に仕事を与えてさっさと“面倒”なことを終わらせるだろう。
なのに今日は、頑なに拒むだけで、一番簡単な解決策を提示しようとしない。
そのことに、ヴィヴィアンは小さな“違和感”を感じていた。
「まさか、変質者に狙われでもしないかと低い確率を想定して、お姫様を守るように、目の届くところに置いておきたいとか考えている訳でも、ないでしょう…………し?」
ぴたりと動きを止めた颯真に、ヴィヴィアンは声を詰まらせた。
まるで図星だったかのように顔を逸らす颯真の姿は新鮮で、新鮮すぎて気まずかった。
ヴィヴィアンは大きく、大きくため息を吐く。
颯真によく、聞こえるように、と。
「アリアちゃん、颯真が“お使い”してほしいもの、思い出したって」
「え?……ほんとっ!?おとーさんっ!」
「なっ、ヴィヴィアン!?」
目を輝かせて、颯真を見上げる。
その純粋な輝きに、颯真は怯んで後ずさった。
清めの塩をまかれた悪霊のような反応に、ヴィヴィアンは小さく苦笑していた。
「あー……っはぁ、わかったよ」
「わぁーいっ!ありがとうっ、おとーさんっ!」
満面の笑みで、アリアは飛び上がった。
そんなに嬉しそうな仕草をされると今更無かったことになど出来るはずもなく、颯真は右手で頭をがしがしと掻いた。思えば、この仕草をするのも久しぶりである。
ヴィヴィアンと手を合わせて喜ぶアリアを尻目に、颯真はメモと地図と財布を用意する。
一度生活区に戻り、自分の部屋から地図とメモを用意して、続いてがま口の財布を箪笥の奥から引っ張り出した。
何かの折りに購入したのだが、使わなかったその財布に、急ごしらえで紐を縫い付ける。
縫い物までできるのはすごいが、ギャップがありすぎて違和感を感じる画だ。
それを持って店に戻ると、アリアが行儀良く姿勢を正して待っていた。
大人用のがま口財布は大きめで、畳んだ地図くらいなら入ったので、他に何か持たせる必要はない。
颯真はその紐をアリアの首にかけると、メモを手渡した。
「それに書いてある物を買ってこい。いいな?」
「うん!おとーさん!」
元気よく返事をするアリアに、颯真は満足げに頷いた。
その様子は“血の繋がった親子”と言われても納得することが出来るほど温かい光景だ。
ヴィヴィアンもそんな二人を、目を眇めて優しく見ていた。
気合いは充分。
アリアは、大きく深呼吸をして、初めての“お使い”を開始する。
爛々と光る太陽を一身に受けて意気込むその姿は、どこか力強い。
「いってきますっ!」
「あぁ、気をつけていけ」
「うんっ!」
優しいやりとりの後に、アリアは歩き出す。
残された店の者達にとっては、心配はあるが微笑ましい、少し特別な日常のワンシーン。
その余韻に浸ろうと、ヴィヴィアンはコーヒーを口にした。
「さて」
おもむろに、颯真がコートを手に取った。
その行動が理解できず、ヴィヴィアンは首をかしげた。
「莉奈」
「ぁ――――は、はいっ!なんですか?」
ヴィヴィアン同様、端の方の席で余韻に浸っていた莉奈が、突然声をかけられて飛び上がった。もうこの時点で、“嫌な予感”が止まらない。
「“任せた”」
そう一言だけ零すと、颯真はコートを羽織ってサングラスをかけた。
そして、そのまま店を出ようとする颯真を、ヴィヴィアンが慌てて引き止めた。
「ちょ、ちょっと!どこ行くのよ!」
「散歩だ」
振り向いたときに、僅かに鳴った金属音。
それがコートに隠された拳銃のものであることに思い至り、ヴィヴィアンは顔を引きつらせた。散歩の目的など、今更問いただすまでもない。
「はぁ……私も行くわ」
一人で行かせたら、何をするか解らない。
気分は、手のかかる弟を持つ姉のそれだ。
「ちっ――――勝手にしろ」
そう言って、踵を返す。
離れてしまう前に追いかける必要があるから、焦っていたのだ。
ヴィヴィアンは一度だけ振り向くと、固まる莉奈に申し訳なさそうな視線を送った。
その視線に莉奈は、ただ悲痛な表情で、首を振った。
アリアを中心とした、波乱の一日は、こうして幕を開けるのだった……。
†
学校へ行くにも街へ行くにも、この街で一番大きな川である“竜胆川”を渡る必要がある。
川幅三百メートル余りのこの川に架かるのは、コンクリート製のアーチ橋で、名称を“紫陽花橋”という。
爛々と光る太陽と、突き抜けるような青空の下。
その紫陽花橋の中央で、アリアは地図を広げた。
目的地は、全部で三カ所。
橋を抜けて直進した場所にある八百屋。
八百屋の角を曲がって、公園を抜けた先にある果物屋。
そして、川側へまっすぐ歩いて、通りを抜けた場所にある肉屋だ。
歩くべき道筋に、アリアは小さな白い指を這わせる。
そして、その道程を確認すると、引き締まった表情で頷いた。
気合いは充分。颯真からの任務をこなす準備が、ここに整った。
「よしっ!みっしょんすたーとっ、おーっ!」
地図は左手に持ち、勢いよく右腕を振り上げた。
気分は困難な任務に立ち向かう、秘密のエージェントだ。
意気揚々と歩き出すアリア。
その様子をじっと見つめる影があった。
灰色のロングコートに黒いサングラス。
ウェイター服に、すらりと伸びた背。
黒い髪をオールバックに撫でつけた、三十路間際の男――颯真だ。
もう一人は、女性。
カシミアのコートに、胸元の開いた艶やかなスーツ。
タイトスカートから覗く褐色の足が艶めかしい、ブロンドヘアの女――ヴィヴィアンだ。
建物の影からアリアの様子をじっと伺う二人の姿は、一言で言って“怪しい”。
颯真だけならば、すぐに通報されていただろう。
だが、隣で周囲に謝るヴィヴィアンのおかげで、国家権力を行使されることなく尾行できていた。
色々と問題のある光景だが、気にしてはならない。
「もうっ……信じて待ってあげられないの?」
「俺は散歩をしているだけだ」
「素直じゃないんだから」
颯真が素直でないせいで、ついて行く必要が出てきてしまったのだ。
颯真はもう少し、この苦労人の美女を労るべきだろう。
「――動いたか」
「隠すなら、もう少し隠そうとして頂戴」
尾行をしていることを隠そうともしない颯真の様子に、ヴィヴィアンは眉をひそめた。
眉間の皺を指先でほぐす仕草が、彼女の面倒見の良さを表しているようだった。
一人、お使いに挑むアリアと、尾行を続ける颯真とヴィヴィアン。
長い一日は、まだ始まったばかりである。
†
橋を渡って一直線。
アリアは大きな道路の前で、立ち止まる。
左を見て、右を見る。
もう一度左を確認すると、笑顔で頷いた。
「かくにんよーしっ!しゅっぱつしんこーっ!」
白い部分の上しか渡ってはいけない。
そんな自分ルールの下、スキップで歩道を渡る。
「ほっぷ、すてっぷっ、じゃんっ、ぷっ!」
向こう側に辿り着くと、両手を挙げてバンザイポーズ。
これで今日一日は良いことのある日だと、アリアは満足げに頷いた。
「うんしょ、こらせ」
八百屋は近いと意気込むアリアだったが、すぐにその足を止めた。
大きな荷物を背負った老婆が、おぼつかない足取りで横断歩道を渡ろうとしていたのだ。
任務と老婆、二つを天秤に……かけるまでもなく、アリアは老婆に声をかけた。
「おばあちゃんっ」
「うんせ……おや、どうしたんだい?お嬢ちゃん」
柔らかく微笑む老婆に、アリアは太陽のような朗らかな笑顔を見せた。
「おにもつ、おもちしますっ!」
「ほう、立派な子だねぇ……それじゃあ、お願いしようかのぉ」
「うんっ!」
アリアは老婆の後ろに回ると、風呂敷袋を両手で支えた。
これでだいぶ、楽になるだろう。
信号が青になるのを待って、歩き出す。
黒いところも歩いてしまうことになるが、老婆の方が大切だ。
お年寄りは、大事にしよう。奈々子から教わったばかりの、“大切なこと”である。
渡りきって、老婆と和やかに別れるアリア。
その温かい風景を離れたところから見ていたヴィヴィアンは、大きなため息を吐いた。
そして、アリアの行動に感心して頷いている颯真を見た。
「どうして颯真の娘があんな良い子に――あぁ、反面教師ね」
「何か言ったか?ヴィヴィアン」
「いいえ、な・に・も」
それだけ聞くと、興味を無くしたのかアリアに視線を戻す颯真。
真逆の思考パターンでどうしてあんなに仲が良いのか、ヴィヴィアンは理解できずに額を抑えた。頭の痛い限りである。
とにかく、アリアは一つの困難を乗り越えた。
続く活躍をせめて優しく見守ろうと、ヴィヴィアンもアリアに視線を戻した。
†
視界に収まる、八百屋の看板。
まだこの漢字を読むことは出来ないが、陳列されている青々とした野菜で、この看板に書かれている漢字は“やおや”なのだと、アリアは判断した。
がま口財布から取り出したメモを見て、口の中でもごもごと暗唱する。
メモを見て言えばいいのだが、見ない方が“カッコイイ”と思ったのだ。
「やおやさんっ!」
「へいらっしゃい!……って、おぉ?」
捻りはちまきの中年男性が、響いた声を聞いて奥から出てきた。
だが見あたらない客の姿に首を捻り、そしてすぐに声が幼かったことに思い至って下を見た。
「おう、らっしゃいっ!お使いかい?嬢ちゃん」
「うんっ……えーと、うーんと……」
このやりとりで頭から抜けてしまったのか、アリアは渋々とメモを見た。
第一ラウンドは、アリアの負けである。
「にんじんと、じゃがいもと、たまねぎくださいっ!」
「あいよ!」
男性はビニール袋に注文の野菜を入れると、それをアリアに渡す。
「全部で六百万円!」
「えぇっ!?」
男性は、大きな声で値段を言った。
浪速のおじさんがよくやる冗談。子供のお使いで、誰もが一度は経験する道だ。
「うーんと、えーと……ま、まかりませんか?」
安くしたいと思ったら、こうすればいい。
常連客の一人に教わった、上目遣いの攻撃だ。
混乱から潤んだ空色の目は、男性の父性を刺激した。
「だめ?」
口元に手を当てて、不安げに首を傾ける。
男性はその姿に屈したのか、鼻を抑えて顔を逸らした。
「六……いや、四百円だ!」
「ほんと!?やったぁ!――ありがとう、やおやさん!」
「おうよ!毎度あり!」
アリアは財布から、銀色の硬貨を四枚取り出した。
それを自分の左手の平の上で広げて、念のため数える。
「いちまい、にまい、さんまい、よんまいっ!はい、やおやさん!」
「へい、確かに!」
可愛らしい小さな手から硬貨を受け取ると、男性はだらしない顔で笑った。
そして、元気よく手を振りながら去っていくアリアを、笑顔で見送った。
「ふぅ、可愛い嬢ちゃんだなぁ」
「辞世の句は、それでいいか?」
底冷えするような、声。
その声に、男性は足がその場に縫い付けられたような感覚を覚えた。
頭の後ろに当たる、冷たい感触。
映画でしか見たことのないシチュエーションに自分が立っているということに、男性は脂汗を流す。
「そうか――――じゃあな」
声帯は動いてくれず、悲鳴どころか遺言すら残せない。
せめて最後に可愛い奥さんが欲しかったなどと、自分の人生に涙する。
だが、可愛い奥さんと考えてつい先ほど別れたアリアが思い浮かぶ辺り、この男も相当“ダメ”な分類の人間である。
ちなみに、可愛くない奥さんなら、いたりする。
大きく目を瞑って、その衝撃を待つ。
だが、いつまで経っても訪れない自分の最後に、男性は首をかしげた。
それどころか、威圧感まで消えている。
「あれ?」
「アンタ!そんなところでなにぼうっと突っ立てるんだい!」
「へぁっ、か、かあちゃん!?」
奥から出てきた恰幅の良い女性に引きずられて、男性は店の中へ戻っていく。
彼女は、男性の“可愛くない”女房だった。失礼である。
そしてその、未だ疑問に包まれながら引きずられていく男性を見る、人影があった。
言うまでもなく、颯真とヴィヴィアンである。
ヴィヴィアンは大きく息を切らせながら、憮然とした表情で立つ颯真を見た。
「何を考えているのかしら?」
「あの男が、死にたそうに――」
「――それまさか、言い訳のつもりじゃないでしょうね?」
縦に割れた瞳孔で自分を睨む、ヴィヴィアンの視線。
後ろ暗いのか、颯真はその視線から目を逸らした。
「アリアちゃんの父親を、犯罪者にするつもり?」
二人続けて父親が犯罪者。
そのことに言われて気がつき、颯真は気まずげに頭を掻いた。
アリアを一々絡めないとろくに説教も出来ないが、アリアを絡めれば聴く分だけ今までよりはマシだろうと、ヴィヴィアンは大きくため息を吐いた。
「あー――――次からは、上手くやる」
「その思考回路をどうにかしなさいっ!」
だが結局変わらず、ヴィヴィアンは思わず声を張り上げる。
ヴィヴィアンにとって颯真は、頼りない兄か大きすぎる弟なのだ。
そう、少なくとも、今は。
「さて……置いていくぞ」
「っ……もうっ、待ちなさい」
振り返ることなく歩き出す、颯真。
ヴィヴィアンは額を指でほぐしながら、そんな颯真の後を追いかけた。
†
八百屋で野菜を購入したアリアは、満足げに歩いていた。
野菜の入った袋は重いが、足取りは軽い。
「ふぁーすとみっしょん、くりあっ!」
呟く言葉は、映画の受け売り。
ダンディなエージェントが、映画の幕間でそう呟くのだ。
アスファルトを踏みしめて歩いていると、公園にさしかかる。
地図を開いて確認すると、公園を抜けると近道になることが解った。
思わぬ抜け道に、アリアは顎に手を当てて笑う。
この仕草も、映画の受け売りだった。
エージェントが、敵の要塞への抜け道を見つけたとき、こうやって笑うのだ。
「よーしっ、れっつごーっ」
秘密の抜け道を通るのなら、声は潜める。
興奮が抑えきれないせいか、声は大きいままだが、そのトーンで意図はわかる。
ひっそり行こうという、心構えであった。
アリア達の暮らす菊ノ瀬市で一番大きい公園が、この芍薬公園である。
アスレチックに噴水、小さなメリーゴーランドと、子供達にとっての絶好の遊び場所というだけでなく、近所のカップルのデートスポットでもあった。
そのため、アリアは昼間からいちゃつくカップルや、元気に遊ぶ子供達の合間を縫って進まなければならなかった。
これは、遊びたい盛りの子供にとっては、大きな試練でもある。
「むむむ」
噴水の側で遊ぶ子供達。
男女の遊びに拘らず楽しいことが好きなアリアは、混ざりたい気持ちをぐっと我慢する。
天真爛漫な人柄のおかげか、知らない子供達ともすぐに溶け込むことが出来るのだ。
「あぅ」
縄跳び、サッカー、ケイドロ。
おままごとやあやとりも好きだが、バスケットボールなんかも好きだ。
「あれー?アリアーっきょうはあそばないのっ?」
「おーい、こっちにはいれよ、アリア!」
「むぅ、アリアちゃんはわたしたちとおままごとするのっ!」
そうやって輪に加わり、一緒に遊んで仲良くなった子供達。
沢山の友達からの誘惑に、アリアの心は傾きそうになる。
ふらりと足が向き、感情よりも深い本能が、アリアを遊びの誘惑へと導く。
けれど、アリアは……ぐっと踏みとどまった。
いつもと変わらない、朗らかな笑顔。
それを浮かべて、友達に手を振る。
「ごめんねーっ、わたしいま、みっしょんのさいちゅーなんだっ!」
そう言って、拙いウィンクをして見せた。
すると、男の子の何割かは、顔を赤らめて引き下がる。
女の子はそんな男の子達をジト目で見ながら、アリアの笑顔を見てやはり引き下がった。
「またあそぼうねーっ」
「やくそくだかんなぁーっ」
「サッカーボールもって、まってるぞ!」
「アリアちゃんは、わたしとあやとりするからだめっ!」
口々に、子供達はまくし立てた。
アリアはその勢いに、負けじと大きく頷いた。
「うんっ!またねっ!」
手を振って、歩く。
未練を残さないためか、今度はさっきまでよりも早足だ。
決断したのなら、即行動。それが、任務遂行への近道なのだ。
誘惑を振り切り、歩き出すアリア。
……その姿を、木陰から見守る、颯真とヴィヴィアン。
ヴィヴィアンは、草木に身体を隠す自分の情けなさに、泣けてきていた。
せめて颯真にアリアの十分の一程度でも優しさや思いやりがあれば、こんな気苦労は必要なかったのだろう。
そう思うと、ヴィヴィアンとしてもやるせない。
「いや、多いわね。百分の一でもいいわ」
思わず、声に出してそう呟いた。
十分の一もあったら、それは颯真ではなく、颯真の皮を被った別のイキモノだ。
ヴィヴィアンも、たいがい失礼である。
巻き込まれている以上、言う資格はあるのだが。
ここでふと、ヴィヴィアンは颯真が大人しいことに気がついた。
伏せていた目を開き、顔を上げる。
そして……視線の先に颯真が居ないことに、顔を青ざめさせた。
慌てて周囲を見回すと、颯真の姿はすぐに見つかった。
「もうっ……本当に、手がかかるんだからっ」
子供に対して言うように呟くと、颯真の後を追いかける。
今度はアリア関連で何が起こったのかと、颯真の視線の先にいる男の言葉に、耳を傾けた。
「ハァハァッ……銀髪美幼女……ハァハァハァッ」
真性だった。
ヴィヴィアンは、颯真を止めようとした手を引いて、ついでに脂ぎった男から顔を逸らした。
なるべく視界に納めない。それが、精神衛生を保つコツである。
「な、なんだおま……へぶっ」
「ちょ、ちょっと、まっ……ふんぐっ」
「な、ななな、なん、なん……あるぶっ」
数回の、打撃音。
その後すぐに聞こえてきた、サイレンの音。
これは、変質者として脂ぎった男が通報された為なのだが、そんなことは知らない颯真は慌ててその場から立ち去った。
「あ、ちょっと!」
ヴィヴィアンは、勢いよく走り出す颯真を追いかけた。
颯真が去った後の公園。
そこで、一部始終見ていた子供達が、小さく呟いた。
「だーくひーろーだっ」
あながち、間違いではない。
この後、この子供達は、親に一部始終を話して、暴力はいけないとみっちり教え込まれるのだが……それはまた、別の話である。
†
公園の誘惑を振り切ったアリアは、何度か角を曲がりながら順調に進んでいた。
塀の上にいる猫に和み、吠えてくる犬に飛び上がりながらもめげずに進むと、目的地の一つである果物屋に辿り着いた。
「みつけたっ」
陳列されている果実。
その色とりどりの果物は、アリアの食欲を促す。
だがその誘惑を、アリアは頭を振ることで払った。
思い浮かべるのは、颯真の料理。
颯真の作る料理を待った方が、絶対に“おとく”なのだ。
「くだものやさんっ!」
「はいよっ、おや?お嬢ちゃん一人かい?」
出てきたのは、口調に反して若い女性だった。
薄茶色のショートヘアの上から、トラ柄のパンダナを巻いている。
この女性は果物屋の一人娘で、次期店長である。
「えーと……りんごっ」
と、そこまで言って。言葉に詰まってしまう。
暗唱できたのは、名称だけ。数は頭から抜けてしまっていたのだ。
「りんごを、ふたつくださいっ」
結局メモを見てしまったので、判定負けだ。
だが、勝利には一歩近づいた。アリアは、前向きなのだ。
「お使いか……偉いねぇ。ほらっ、リンゴ二つで百七十円だよ!」
「ありがとうっ、おねえさん!」
アリアはリンゴの入った袋を受け取ると、がま口財布を開いた。
百円硬貨を一枚出して、それを女性に渡す。
それから、穴の開いた五十円硬貨を一枚渡して、今度は銅色の十円硬貨を二枚、自分の手のひらに載せた。
「いちまい、にまい、はいっ!」
「おっ、賢いじゃないか。ありがとねっ!」
「えへへ……うんっ」
女性に褒められて、アリアも上機嫌だ。
リンゴの袋も持つと、想像以上に重かった。
それでもアリアは気合いを入れて、運んでいく。
女性はその姿を、和やかな表情で見送った。
「リンゴを一つ、貰えるか」
「はいよっ!……って、源の旦那」
続いてかけられた声に、女性は驚いたように言った。
颯真はここを定期的に利用しているのだが、まだその時ではなかったはずだ。
「はいよ、一個“百円”だ」
「あぁ、ほら」
颯真が取り出したのは、一万円札だった。
女性は笑顔で受け取ると、お釣りをレジから用意しようとした。
だがそれは、他ならぬ颯真によって止められた。
「釣りは要らん」
「え?そんな、珍しい」
万年金欠で、割と金勘定はキッチリ行う颯真の言葉に、女性は目を丸くしていた。
「“娘”が世話になったからな」
「ふふ、不器用でごめんなさいね」
ぶっきらぼうにそう言うと、颯真はリンゴを囓りながらその場を去る。
その後に続くように、ヴィヴィアンが柔らかい笑みを残していった。
「へ?――むすめ、むすめ、むす、め………………娘っ!?」
颯真とヴィヴィアンの後ろから、女性の驚く声が響き渡った。
†
川側へ近づくと、そこに見えるのは牛の看板。
今日、最後の目的地である肉屋を視界に納めて、アリアは歓喜の笑みを浮かべた。
一直線に走り、肉屋のケースに張り付いた。
大きく深呼吸をして、今度こそと意気込む。
「おにくやさんっ!」
だが、返事はこない。
アリアは、押し負けそうになる心に渇を入れて、立ち向かう。
「おにくやさんっ!」
これが“ぷれっしゃー”かと、アリアは小さく呟いた。
意味は理解していないが、大体あっている。
「おにくやさんっっ!!」
「はいっ!ねねね、ねてませんよっ!?」
若い男性の声がした。
アリアは漸く届いた声に、一息吐いて安心した。
黒いぼさぼさの髪の男性。
アリアは何処か見たことのある顔に首をかしげて、男性はアリアを見て頬を染めた。
肉屋でアルバイトをしているこの男性は……十二月の雪の日に、颯真に撃退されたロリコン学生だった。
「君、アリアちゃん、だよね?」
「あれ?おにーさん、わたしのことしってるの?」
事前に調べておいた名前を、口にする。
情報源は、彼の幼馴染だった。
「俺はね、莉奈のお友達なんだ」
「りなさんの?」
アリアは思い至ったのか、両手を打って頷いた。
男はその仕草に、密か和んでいた。
だが、警戒されては元も子もないので、顔には出さない。
「りなさんが、“りなのおともだち”ってなのるおとこのこには、ちかづくなって!」
「ぬぐ……莉奈め、余計なことをっ!」
身を引かせるアリアを見て、男性は呻り声を上げた。
実はアリアは、莉奈から“こういう態度”をとるようにと言われていただけで、実際のところよくわかっていなかった。
「ま、まぁいい、これからチャンスは、いくらでもあるんだ」
そうぶつぶつと呟く姿は、はっきりと言って不気味だった。
「お兄さんは、笹上政臣っていうんだ。よろしくね、アリアちゃん」
「うんっ!まさおみさんっ」
銀髪の美少女から“さん”づけで呼ばれるという状況に、新しいものを感じて悶える。
すぐに通報されてもおかしくはない姿だった。
「それで、今日はどうしたんだい?」
「あ、うんっ…………えーと、うーんと」
間に濃厚なやりとりを挟まれてしまったせいで、アリアの頭から情報が抜けかけていた。
だが、ここで諦めるアリアではない。
自分は、百戦錬磨のエージェントなのだと言い聞かせる。
「あっ――――ぎゅうばらにく、にひゃくぐらむくださいっ!」
三ラウンド目は、アリアのKO勝ちだ。
粘りに粘った左アッパーが、見事に炸裂した瞬間だった。
要望を聞き、政臣はガラスケースを見る。
牛バラ肉、残っているのは国産和牛で少し値段が高い。
だがここで安めに売れば、親にも伝わって自分の印象が変わるかも知れない。
政臣は、その“親”が近くで見ていることも知らずに、そんな打算を実行した。
……浅はかである。
「はい!二百グラムで、千円だよ!」
「ありがとう、まさおみさんっ」
アリアはがま口財布から、野口英世を一枚取り出した。
そしてそれを、笑顔で政臣に手渡す。
その小さく柔らかい手に胸をときめかせながら、政臣はゆっくりと受け取った。
一分一秒でも長くこの時間を味わいたいという、死亡フラグだった。
ビニール袋に、牛バラ肉と保冷剤を入れる。
流石に重かったらしく、持った右側に身体が傾いた。
「おっ、ととと、と?」
一歩二歩三歩と、右にステップ。
四歩目で漸く身体を止めて、両足でしっかり立った。
政臣はそんなアリアに、惜しみない拍手を送った。
「えへへ――――またねっ、まさおみさんっ!」
「うん、またね、アリアちゃん!」
照れを隠すように走り去るアリア。
そんなアリアを見て、政臣は幸福の絶頂にいた。
少女幼女の笑顔が、政臣に力を与えるのだ。
「ふぅ、眼福眼福」
「で?他に言い残したいことは?」
目を瞑り、和んでいると、重い音が耳に届いた。
政臣は目を開けるまでの一瞬の間で、幸福の絶頂からの転落とその後の達観までプロセスを終えて、悟った顔で目を開いた。
「俺は、幼女の泣くことはしません。それはここに、誓えます」
「若いのに……どうしてこんなことに」
ヴィヴィアンの悲痛な声が、政臣に突き刺さる。
それでも政臣は、ただ穏やかな目をして、首を振った。
「俺はロリコンです――――でも、紳士です」
「そうか」
颯真は一言で切り捨てると、コートの裏側に手を伸ばした。
それを、ヴィヴィアンが横から慌てて止める。
「ほ、ほら、早くしないとアリアちゃんが行っちゃうわよ!」
「なに、大した手間にはならねぇよ。肉屋に肉が増えるだけだ」
にべもなく、颯真は拳銃を取り出した。
人通りがないのを良いことに、堂々と銃口を政臣の額に当てる。
「この子のことは、そう……莉奈ちゃんに任せて!さっき言っていたけど、幼馴染なんでしょう?お肉も安くしてくれたし、ね?」
「ちっ――――命拾いしたな、小僧」
莉奈には、颯真も普段から色々任せている。
今日だって店番を任せているし、政臣も疚しいことは考えているが実行しようとはしない。
現に利益しか置いていないと言うこともあり、颯真は矛先を納めた。
重いため息を吐くヴィヴィアンの横で、颯真は颯爽と踵を返した。
その後ろ、肉屋のカンターで、政臣はゆっくりと――意識を、失った。
彼はもう少し、思考と言動を改めるべきである。
†
肉屋から一直線。
竜胆川に架かるもう一つの橋……それが、“水仙橋”だ。
アリアは重い荷物を持って一生懸命渡りきると、橋の終わりで大きく息を吐いた。
少し進んで曲がれば、後は家まで一直線、曲がることなく辿り着く。
額に汗をかいて、一歩。
少し痛む足の裏を感じて、一歩。
痺れて感覚の無くなり始めた手に力を入れて、また一歩。
あと少しで、颯真に褒めて貰える。
そう考えるだけで、アリアの身体はずっと軽くなった。
曲がり角に、さしかかる。
家が見えてしまえば、やる気は大きく違う。
だからアリアは、笑顔で踏み出した。
「あ、れ?」
だが、急に軽くなった手元に、違和感を覚える。
そしてゆっくりと振り向いて……凍り付いた。
辺りに散らばるのは、野菜。
特に重かった野菜の袋が、破れてしまったのだ。
その光景に、アリアは呆然と立ち尽くしていた。
その光景を、遠目で見ていた颯真は、反射的に動いていた。
だが、その手をヴィヴィアンに捕まれた。
「おい、離せ――」
「――時には、見守らなければならないこともある……それが、“親”なんじゃないの?」
ヴィヴィアンのまっすぐな視線。
その視線を受けてなお、颯真は動かない。
そして颯真は、ゆっくりと……息を吐いた。
「はぁ……わかったよ」
そう言うと、再びヴィヴィアンの横に並ぶ。
建物の影から、二人は声に出さずに、アリアを応援していた。
当然だが、アリアは颯真に応援されていることなど、知らない。
知らないはずなのに、アリアは颯真を感じて、胸が温かくなった。
「おとーさん――――よしっ」
能力を使えば、きっと簡単だ。
だが、簡単に能力に頼るのはダメだと、アリアは颯真に言われていた。
颯真との約束を破って、任務に成功。
――そんなのは、嫌だった。
リンゴの袋を左手に通して、牛肉の袋を右手に通す。
潤んだ目を強く拭ってから、拾った野菜を両手で抱え込んだ。
「えい、えい……おーっ!!」
声を張り上げて、気合いを入れる。
そこに、先ほどまでの悲壮感はない。
あるのはただ……前を向く、力強い意志だけだった。
「どう?“おとーさん”?」
「はぁ……帰るぞ」
「いいの?」
からかうようなヴィヴィアンの声に、颯真はぶっきらぼうな返事をした。
そして、別のルートを通るために、踵を返した。
「下ごしらえがあるからな……おまえも手伝え、ヴィヴィアン」
「ふふ……はいはい」
アリアが帰ってくる時間に合わせられるように、颯真は早歩きで帰宅する。
その不器用で、ぶっきらぼうで、優しい声に……ヴィヴィアンは、小さく微笑むのだった。
†
アリアがどうにか店の前に辿り着いた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
想定していたのよりもずっと時間がかかってしまったことに、アリアは悔しく思っていた。
喫茶店のドアを開けて、中に入る。
開口一番、失敗があっても元気よく。
「ただいまっ!おとーさんっ!」
「おう」
店にいるのは、颯真とヴィヴィアン、それに莉奈の三人だけだった。
他の客は、もう帰ってしまったのだ。
アリアは手に一杯の野菜を持ったまま、颯真を見上げた。
野菜を落としたことを誤魔化すなんてことを、アリアはしたくなかった。
「あのね、おとーさん。わたしね、とちゅうで、やさいぜんぶ、みちにおとしてね、それでね、もってかえって……」
涙ぐみながら、アリアは失敗を語る。
だんだんと声はうわずり、切ないものへと変わっていった。
颯真はそんなアリアに近寄ると、野菜を受け取ってカウンターに置いた。
肉とリンゴも受け取り、ヴィヴィアンに渡して冷蔵庫に運んで貰う。
「おとーさん?」
今にも泣きそうなアリア。
不安げに自分を見上げるアリアの頭に、颯真は優しく手を置いた。
「よく頑張ったな――――上出来だ」
精一杯の、褒め言葉だった。
人を褒めたりはしない颯真の真摯な気持ちが、涙を溢れさせていたアリアの顔に、温かい笑みを伝えた。
「ぁ――――うん……うんっ!」
「さて、手を洗ってうがいをして、着替えてこい。今日は、カレーライスだ」
「うんっ!」
柔らかい笑みを浮かべる颯真。
颯真のそんな表情に、ヴィヴィアンと莉奈は目を瞠って驚いていた。
アリアは手洗いうがいを済ませると、生活区に入る扉の前で、振り向いた。
「おとーさんっ!」
「どうした?」
そして、大きく息を吸って……太陽のような、笑顔を浮かべた。
「だいすきっ!」
ドアを抜けて走り去るアリアを、颯真は優しい目で見送る。
ミッションコンプリート。
アリアの初めての“お使い”は、こうして和やかに、幕を閉じたのだった――――。
来週からネット環境の無い場所に行くので、それまでになんとか一本。
アリアの初めてのお使い編です。
漸く政臣を出すことが出来ました。
次は狐狸理のメンバーか、それともエミリーか……。
じっくり、考えておこうと思います。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回も、どうぞよろしくお願いします。
2011/03/14誤字修正