表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SHIFT  作者: 鉄箱
10/12

after days plus 1 初めての授業参観

太陽が西に傾き始めた頃。

時計の針が午後の三時を指し示し、子供達にとっての“楽しみ”であるおやつの時間がやってきた。


この時間は、颯真から顔を逸らしながらも、冷えた身体を温めようと常連の客が入る。

三時に来れば、おやつを食べるアリアを見て、身体だけではなく心も温まるのだ。

颯真と目があって心が冷え切らない限りは、温かく過ごすことが出来る。


常連客にとって、如何に“運”が試されるかという勝負の時間だった。


アリアは学校から帰ってくると、笑顔で颯真に「ただいま」を言って、おやつを食べる体勢を作る。つまり、手洗いうがいに荷物を置いて、カウンターへやってくるということだ。


だが今日は、いつもとは少し様子が違うようだった。


まずは帰って、「ただいま」を言う。

だが、今日はいつもよりも元気がない。

次に手洗いうがいをする。

この後、いつもは生活区に走るのだが、今日はそれがなかった。


アリアは期待の篭もった目で、颯真を見上げる。


「あの、あのね、おとーさん」


アリアは言葉を紡ごうと、口をもごもごと動かす。

颯真はそんなアリアを、ただじっと待っていた。


「あのね――これ、なんだけど、ね」


アリアが颯真に差し出したのは、一枚のプリントだった。

颯真はそのプリントに目を通すと、大きくため息をつく。

その様子にどこか怯えたように顔を上げたアリアの頭を、颯真はそっと撫でた。


「はぁ……明後日、か。わかった」

「ぁ――――うんっ!」


満面の笑みを浮かべるアリアに、颯真は苦笑いを浮かべて見せた。

その雰囲気の柔らかさは目を瞠るものがあった。


そうしていると男前なのだが、この雰囲気を味わうことが出来るのはアリアだけである。親ばかを嘗めてはいけない。


そんな颯真の手に握られたプリントには、大きな活字で主題が綴られていた。


その題は――――“授業参観のお知らせ”だった。











SHIFT











春の日差しが、大きな窓から教室に差し込む。

その暖かさに身を任せるように、アリアは机の上にぺたんと顎を乗せていた。

正面から見れば、机の上に乗ったアリアの顔という、シュールな光景が拝めることだろう。


「はふぅ」

「アリアちゃん、きもちよさそうだね」


そんなアリアに声をかけたのは、黒い髪を姫カットにした少女だった。

少女は、丁寧な物腰でアリアの顔を覗き込み、口元に手を当てて小さく笑っていた。

一々の仕草が上品なことから、良いところのお嬢様であるということが、伺えた。


「みみちゃんも、する?」

「わたしはいいよー」


少女――月見里やまなし七海は、アリアの提案を笑顔のまま拒んだ。

嫌な訳ではないが、少し恥ずかしいのだ。


そんな二人の様子を見ていた桜は、少し考えてから自分もアリアに倣った。

机の上に垂れてみて、その予想以上の心地よさに、動けなくなる。

ひんやりとした机と暖かな日差しのハーモニーが、桜に和みの感情を与えていた。


「みみも、するといい」

「さくらちゃんまで……や、やってみようかな」


七海は机に垂れる二人を見て、息を呑む。

そのあまりに気持ちよさそうな体勢に、好奇心が打ち克った。


「おお、これは、なかなか」


そして、行動に移す。

教室の窓側、一番前の席がアリア。その隣が桜で、アリアの後ろが七海だ。

こうして三人で「L」字に垂れる姿は、なんともシュールなものだった。


「なにへんなことやってんだよ。ばっかじゃねーの?」


そんな三人に、幼い少年の声が届いた。

その声で初めて気恥ずかしさを覚えた七海は飛び上がったが、アリアと桜は依然として垂れたままだ。その様子に短髪の少年――向日坂むこうざか律人は、顔を赤くした。


「むししてんじゃねぇよ!ババァ!」


ババァという言葉は、アリアに向けて放たれたものだ。

律人はアリアの銀髪を“白髪の老婆”と揶揄して、こう呼んだのだ。

子供らしい、安直なからかい文句である。


「りっくん、おんなのこにそんなこといっちゃだめだよっ」


そんな律人を止めたのは、薄茶の天然パーマの髪を持つ少年――城島巧巳だった。

巧巳は暴言を吐く律人の後ろに回り込み、羽交い締めにしていた。


「はなせ!たくみ!」

「やだっ!どうせ、かえりうちにあうのはりっくんなんだよっ!?」

「うっ」


そう、律人は実は、この中では一番弱い。

もちろん力ではない、口である。口論になったら涙目で逃げるのは律人だというのに、彼はちょっかいをかけるのをやめなかった。この年頃の少年に、よく見られる心理である。


そう、すなわち――――“好きな人に、構いたい”という。


あらゆる意味で茨の道であると言うことにも気がつかず、律人はアリアに懸想をしていた。

彼にとっての障害は、シフター的なものではない。言うまでもなく、颯真である。


「おい、きいてんのかっ!」

「やめなよ、りっくん!」


完全に無視を決め込むアリアの反応に、律人は涙目だった。

意地悪をしてくる少年に構ってあげるほど優しくはない――のではなく、日差しに包まれて和むことの方が、律人に反応することよりも遙かに優先順位が高い。

ただ、それだけの話だった。


「もうーなに?りっくんうるさいよぉー」


アリアはそういうと、嫌々ながらも起き上がった。

それに続いて、桜も起き上がる。

律人は漸くアリアが起き上がったことに嬉しく思い、早速からかおうとするが、すぐに言葉を詰まらせた。


アリアとの和やかな一時を邪魔された桜が、無表情ながら恐ろしい雰囲気で律人を見ていたのだ。


「それで、なにかようがあったんじゃ……りっくん?」


律人は小首をかしげて己の名を呼ぶアリアを、“可愛い”などと思っていた。


……現実逃避である。

顔色は、颯真に塵芥ちりあくたにされた某マッドサイエンティスト並に青白い。


「だいじょーぶ?かぜ?」


そんな律人と桜の事情など気がつきもせずに、アリアは律人の顔を覗き込んだ。

そして、熱を測るつもりなのか、自分の額を律人の額に合わせた。


「ぁう」

「ちょっと熱い?」


律人の顔が、白から赤に変化した。

紅白というめでたい色だが、アリアの後ろで般若の顔をしている桜のことを考えれば、素直に顔を赤くしたままではいられなかった。


「アリア、わたしはりつとと、ちょっとはなしをしてくるから」

「あ、うん」


桜はそういうと、必死に桜から目を逸らしていた律人の後ろに回り込んだ。

そしてその首に手を添えると、少しだけ力を入れた。


「ぐぇっ」


蛙の潰れたような声を出して、律人は蒼白な顔で身体を傾かせた。

桜は、律人の身体が倒れきる前に羽交い締めにして、そのまま引きずっていく。


「ねぇたっくん、りっくんだいじょうぶかな?」

「どうだろう……」


アリアの心配そうな呟きに、巧巳は肩を落としてそういった。

そんな巧巳の肩を、七海が同情するように叩く。

実際同情するだけで何のフォローも入れない辺り、このメンバーで一番の苦労人が誰であるか、指し示しているようにも見えた。















授業開始前には、律人は桜と一緒に戻ってきた。

律人の言葉は何故かカタコトになっていて、その姿に巧巳がひっそりと涙を流していた。

律人はまるで別人のような爽やかな笑顔で席に着くと、妙に良い姿勢で授業の準備を始めていた。不気味である。


「りっくん、なんかへんだね」

「そんなことないとおもう」


桜が間髪入れずにそういうと、アリアは戸惑いつつも頷いた。

あまりに迷いのない返答だったために、丸め込まれてしまったのだ。


アリアは、気にするべきではないのだろうと自分を納得させると、授業の準備を始めた。

これから行うのは、算数だ。アリアの得意な科目の、一つである。


「はーい、皆さん席についてくださいね」


教室の扉が開き、女教師が入室してきた。

赤茶のセミロングに、焦げ茶の目の若い女性だ。

彼女の名前は“式浜奈々子”……アリア達の、担任教師である。

やや気弱だが、若いながら熱意溢れる、子供達から人気の教師だった。


「あれ?今日は大人しいね、律人くん」


奈々子は教科書を広げながら、教壇の正面の席に座っている律人を見て、そういった。

律人は普段、授業が始まるギリギリまで騒がしい。それなのに今日は、奈々子に怒られるまでもなく大人しくしていたのだ。

奈々子はついに自分の気持ちが伝わったのかと密かに喜んでいたが、勘違いである。


「それでは、今日は――」


春の日差しにくるまれると、頭と身体がふかふかの枕とベッドを要求してくる。

その意識を奪おうとする羊の群れをなんとか退治しながら、アリアは授業に耳を傾けるのだった。















眠気に耐えきった、放課後。

大きく腕を振り上げて背筋を伸ばすと、アリアの耳に背中の鳴る心地よい音が届く。

ぐっと止めていた息を吐き出すと、自然と強ばった身体から力が抜けた。


「おっわりー」


学校は楽しいし、勉強も好きだ。

けれど、放課後に友達と集まったり、颯真と一緒に居たりすることの方がずっと好きだった。だから、この終業のチャイムは、他の児童達同様心地よいものだった。


「アリアちゃん、かえろー」

「かえろう」


七海と桜に右手を差し出されて、アリアは両手で以てそれを掴んだ。


「うんっ」


すると、七海と桜の間にアリアが立つ形になった。

手を繋ぐときに感じる、友達の温もり。アリアはそれが、好きだった。


アリアが歩き始めると、それについて行くような形で律人と巧巳も歩き出す。

彼らも、なんだかんだと言ってこうして一緒に帰っていた。

律人は少し意地悪なことも言うが、それも“日常”の内になっているので、アリアは気にしていなかった。


そもそも、律人は本当に嫌なことは言わない人間だった。

少しだが過ぎたことを言ってしまうことは確かにあるのだが、すぐに謝ることが出来るのだ。


そう、本当に嫌なことを言う。

そんな人間が――この学校には、いるのだ。


「源!」


廊下を歩くアリアの背後から聞こえる、男性の声。

アリアの顔が強ばり、桜と七海が眉根を寄せる。

律人と巧巳まで、あからさまに嫌そうな顔をしていた。


「――やまうちせんせー」


手をほどき、嫌々ながらも振り向いた。

髪を短く刈り上げた、筋肉質な男性。

服は白いラインの入った青いジャージで、首からはホイッスルを提げていた。

その目に宿るのは、蔑みの色。強調してこそいないが、目でアリアを疎んでいた。


「“まだ”染めているのか!早く染め直してこいと言ったはずだ!」


幼い子供相手にそう怒鳴りつける。

この男の名前は“山内健吾”――この小学校の体育教師で、生活指導の先生である。


「せんせー、アリアちゃんのは“じげ”です」

「そめてねーっていってんだろ」


ジト目でそう告げる七海と、アリア側に立って嫌そうに言い放つ律人。

律人はさりげなく、アリアを庇う位置に立っていた。

さりげなさ過ぎて誰も気がついていないが。


「地毛で灰色になんかなるはずがないだろう!そんなこともわからないのか!」


自慢の白銀色の髪を貶されて、アリアは眉根を寄せた。

アリアの周りの大人達は、アリアの髪を褒めてくれる。颯真は声にこそ出さないが、嫌なことは嫌と言ってしまえる人なので、嫌ではないと知っていた。


「おいしゃさんのしょーめいしょだってあるよ!」

「医者がそんなことまでするか!いいから黒に染め直せ!最近のガキは何を考えているんだ……」


その見下す目が、アリアはなによりも嫌だった。

颯真にも“ガキ”と呼ばれたことはあったが、これほどの嫌悪感はなかった。

その“嫌な目”から逃げたくない一心で、アリアは健吾を真っ向から見上げて見せた。


「なんだその反抗的な目は?子供のくせに、大人に逆らうのか?……来い!たっぷりと指導してやる!」


生徒指導室に連れて行こうと、アリアに手を伸ばす。

それを防ぐために七海と桜がアリアを庇うように立ち、それと同時に巧巳と律人が動いた。

アリアに掴みかかろうと近づく健吾に、巧巳が足を引っかける。

そして、体勢を崩した健吾の後ろに回った律人が、その背を押した。


「おおっとてがすべったっ!」

「あしがすべりました!」

「うわっ!?」


アリアにひれ伏す形で、健吾はその場に転んだ。

それを見届けてから、律人と巧巳が走る。


「いくぞっ!」

「りっくん……うんっ!」


律人の言葉に従い、アリア達も走る。

膝を打って痛みで立てないのか、健吾はまだ蹲っていた。

そんな健吾に、七海が一言だけ残す。


「――そこはおふとんじゃありませんよ。ゆかでねないでください」

「ぐっ……、き、貴様らっ!待て!」


大人しい七海から吐かれた自然でキツイ毒舌に、健吾は顔を真っ赤に紅潮させた。

呟かれるように言われたその言葉はアリア達には届かなかったが、偶然近くにいた巧巳は聞いてしまい、顔を引きつらせていたのだった。















喫茶店へ続く道のりで、アリアは大きく息を吐いて、肩を落としていた。

明日は授業参観。だというのに、不安で胸がいっぱいだった。


颯真が来ないかも知れない。

実のところ、そんな心配は欠片もしていない。

それよりも、健吾が颯真に嫌なことを言うかもしれないということの方が、ずっと苦しかった。


桜達とも別れて、一人で歩く。

やがて見えてきた喫茶店の看板を見て、胸に広がった不安を覆い隠す。

曇った顔を、颯真に見られたくはなかった。


嫌な気持ちに蓋をする意味も込めて、走って帰って、大きく声を上げた。


「ただいまっ!……あれ?」


だが、ドアを開けても颯真の姿は見えなかった。

そのことに首をかしげながら、アリアは店内を歩く。


「お帰り、アリアちゃん」


奥の席から聞こえた声に、アリアは顔を上げた。

黒い髪にセミロングの女性。この喫茶店の、本当に数少ない常連客。

地元の大学生で、“御條莉奈”という名前だ。


「りなさんっ……おとーさんはどこにいるか、しっていますか?」


身体の前で手を合わせて、一生懸命丁寧な口調で訊ねる。

背筋をまっすぐ見せようと頑張っている姿は、この顔の怖い店長の居る喫茶店の、オアシスと言えた。


「店長さんなら、買い出し」


客を残して、である。

あの顔で“任せた”と言われて断る勇気は、残念ながら備わっていなかった。

そしてそのまま“任された”莉奈は、やってくる人に颯真が買い出しに行ったということを伝えるために、こうしてここに残っていた。


「あう……ごめんなさい」

「うん、別にいーよ」


莉奈はそう、笑って許す。

アリアは申し訳なさそうな顔を戻して、安心したように息を吐いた。

莉奈は時折、こうして“任される”のだが、報酬なのか、たまに試作メニューを無料で味わうことが出来る。

味が気に入って、通い始めたのだ。この報酬は、莉奈としても望むところだった。


「なんだか、浮かない顔してるね」


莉奈は、見かねたようにそういった。

アリアのやせ我慢など、お見通しだ。それは颯真だって、同じだったことだろう。


「え?」


だが、気がつかれると思っていなかったアリアは、困惑していた。

隠し通せたと思っていた自分に恥ずかしくなり、少しだけ頬が赤くなる。

莉奈はそんなアリアに笑いかけると、立ち上がってアリアの後ろに回った。

そして、抱き上げて自分の正面の席に座らせた。


「さて、と。源さんが帰ってくる前に、お姉さんにちょっとお話してみよう?」


颯真が帰ってくる、前に。

その言葉を反芻して、考える。

このままこんな表情をしていたら、見破られてしまう。


――心配を、かけてしまう。

そのことが心苦しくて、アリアは逡巡してから、口を開いた。


「あのね、がっこうで――」


その思いの丈を、アリアはゆっくりと語り始めた。

そして、話が進む度に、莉奈はアリアに感づかれないように怒りを抱いていた。

小さい子に“当たる”不条理で理不尽な教師。

これならば、小さい子に優しいという分だけ、彼女の幼馴染のロリコン学生の方が何倍もマシだった。


「――源さんが、嫌な気持ちになっちゃうんじゃないかって、心配なんだね」

「うん……」


もしかしたら、授業参観に呼ばない方が良いのかも知れない。

そんな感情を抱いているのであろうアリアに、莉奈は優しく語りかけた。


「でもさ、そのことを言わないっていうことの方が、源さんはずっと“嫌”だと思うよ」


首をかしげるアリアに、莉奈は正面から言葉を重ねていく。


「大切なアリアちゃんに、頼られないって思ったら、源さん、悲しくなっちゃうんじゃないかな?」

「おとーさん……かなしくなるの?」


莉奈は「そうだよ」と言い、続けていく。

その言葉は優しく、アリアの胸に響いていく。


「アリアちゃんが嫌だって思ったら、源さんに頼るんだよ。助けてって、しっかり言うの。そうしたら、源さんも嬉しいと思うんだ……だって、大好きなアリアちゃんに、信頼されているって感じられるから、ね」

「だいすき、な……うん……うん――――ありがとうっ!りなさん!」


一転して明るい表情になる、アリア。

扉に背を向けているアリアは気がつかないが、莉奈の視線の先では、入るに入れない大きな影が見えていた。この親子の様子が温かくて、莉奈は好きだった。


「ちっ……今帰った」

「あっ、おかえり!おとーさん!」


椅子から飛び降りると、走って颯真に飛びつく。

颯真は足にしがみつくアリアを持ち上げると、右手一本で抱き上げた。


「おとーさん、あんまりりなさんにめいわくかけたらだめだよ!」

「迷惑だったか?」

「いいいいい、いいいえっ!!」


ちぎれるのではないかと心配したくなるほど首を振る莉奈に、アリアは安心していた。

颯真から威圧感を感じなかったので脅しはしていないだろうと思い至ったのだが、実のところ照れ隠しの強い視線は送られていたため、怖かった。


「試作品のケーキがあるから、御條と一緒に食え」

「うんっ!ありがとう、おとーさんっ」


多少恥ずかしくても、娘の悩みを聞いてくれたのは事実。

だから颯真は“いつも”のように、気合いの入れたケーキを振る舞うのだった。















授業参観日、当日。

児童達が、今日この日を緊張と気恥ずかしさを覚えながらも、心待ちにしていた。

普段見せることが出来ない、学校での様子。

ここで張り切り、お小遣いアップを目指すのだ。


そうして気合いの入った子供達の様子に、奈々子は顔を綻ばせた。


子供が子供らしく、楽しそうに笑っている。

そのことが、奈々子はなによりも好きだった。

子供の笑顔が好きで、子供を笑顔にしたくて、結果として子供を導く小学校教師になった。

その本懐が、ここにはあるのだ。


前の席で目を輝かせる、銀髪の少女を見る。

この少女……アリアからは、日頃から“おとーさん”の自慢話を聞いていた。


格好良くて、頼りになって、ちょっと照れ屋で、力強くて、すごく優しい。

子供からそんなにも好かれる“素敵な人”に合うのが、子供を導く人として、奈々子は楽しみだった。


この小学校――菫ヶすみれがおか小学校の授業参観は、一日通して行われる。

増えてきた共働きの両親の家庭でも、時間を調整しやすいように、という配慮だった。


一時間目から、子供達の保護者が顔を見せ始めていた。

学校でどのような生活をしているか、両親が居る以上普段の気が抜けた態度を取ることは出来ないが、それでも勉強をしている姿勢を見ることは出来る。


その様子を、保護者である大人達は、優しい笑みで見ていた。


授業を進めていくと、奈々子の耳に足音が届いた。

革靴でタイルを叩く音に、一時間目にしっかりと間に合わせることが出来なかった親御さんなのだろうと、奈々子は苦笑した。

焦るあまり、足音を立てしまうことを抑えきれない。

そんな両親は、数多くいる。


やがて、教室の後ろの扉が、開く。

その姿に――――誰かの、息を呑む音が聞こえた。


オールバックの髪は、宵闇を思わせる夜の色。

黒曜石の様な漆黒の双眸は、刃を思わせるほど鋭い。

高い身長を包む、喪服のように黒いスーツは、死神の風貌で。

その上から羽織る灰色のコートは、くすんだ色の死装束。


その“道”の人でも凍り付くような威圧感を放つ男が、場違い極まりない姿で立っていた。


「おとーさんっ」


笑顔で手を振るアリアの姿に、奈々子は現実に引き戻された。

アリアに向かって気怠げに手を振り返す姿こそ、彼女と彼が親子であるという証明だった。


アリアの語る、格好良くて、素敵なお父さん。

その真実に、奈々子は密かに胃の痛みを感じていた。

そして、ぎこちなくも授業を再開する奈々子の様子に、颯真の後ろに立っていた村正が、小さくため息を吐いてから、桜に手を振っていた。


授業参観はまだ、始まったばかり。

全てが全て、“これから”である。


元来気弱な奈々子は、その事実に、突然胃薬が欲しくなるのだった。


だが、そうは言っていられない。

自分は教師で、今は授業中。だったら、やることは一つだ。


「それでは、この問題がわかる人は……」


三足す二という簡単な算数の問題を、黒板に書く。

すると、少年少女達が元気よく手を振り上げた。


「はいっ!」


その中でも、一際強い瞳で奈々子を見るアリアの姿に、奈々子は頬を緩ませる。

大好きなお父さんに、良いところを見せたい。

そんな幼い願望が、明るい双眸に込められていた。


「はいっ、それではアリアさん」

「はい!ご、です!」

「正解です。良くできましたね」


奈々子がそういって褒めると、アリアは満面の笑みで振り向いた。

視線の先にいた颯真は、周囲に気がつかれない程度に薄く笑うと、すぐに表情を引き締めて頷いた。


笑顔に気がついたアリアは、頬を紅潮させて、微笑みながら座る。

教壇に立つ奈々子も位置の関係上その笑みに気がついていて、心が温かくなるのを感じていた。


見た目で判断してはいけない。

間違いなく彼は、アリアの“素敵なお父さん”なのだから。


――だが、そんなに簡単に割り切れるはずもなく。


「はい、律人くん」

「えーと……ろく!」

「正解ですっ」


「巧巳くん、どうぞ」

「なな、ですか?」

「正解ですよ~」


「桜さん、七足す三は?」

「じゅう、です」

「はい、良くできましたっ」


他の子供を当てる度に増していく、威圧感。

その内殺気に変わるのではないだろうかと思わせるその重圧感に、奈々子は教師としてのプライドだけで耐えていた。胃薬が保健室に置いていなかったら、倒れそうである。


そんなことを考えながら、奈々子は笑顔を引きつらせまいと頑張るのだった。















休みの度に、奈々子は保健室で貰ってきた胃薬を飲んでいた。

それも漸く終わり、やっと放課後がやってきた。

今日は、両親と家に帰るために、多くの保護者と子供が帰宅の用意をしたまま待っていた。


大人同士の会話も子供同士の会話も、時間がかかるのだ。


颯真が村正となにやら会話をしている間、アリアは桜達と人の少なくなった廊下で話をしていた。今日は存分に活躍することが出来て、嬉しかったのだ。


そんなアリア達の気分を、壊す声があった。


「まだ直していないのか!」


そう声を張り上げる体育教師の言葉に、眉を寄せる。

健吾は、直接親に言いに行く前に、説教をしてやろうと思っていたのだ。

ちなみに、まだ颯真のことは、見ていない。


「両親はどこにいる?」

「おとーさんは――」


いざとなったら、頼る。

信頼しなければ、颯真を悲しい気持ちにさせる。

だから、詰まった言葉を呑み込まず、どこにいるのか告げ……ようとした。


「お父さん?母親は?」

「――いないもん」


その言葉に、一緒に居た桜達は厳しい表情をした。

大人の言うことではない。それくらいは、解る。


「いない?――あぁ、そういうことか」


ニュアンスから判断したのか、健吾は“いない”の意味を汲み取った。

だが、汲み取ることが――必ずしも“良いこと”に繋がるとは、限らない。


「はぁ……それも、片親“だから”……か」


その目に宿るのは、憐憫だった。

哀れみの込められた目に、アリアは唇を噛みしめた。

桜の周囲には風が渦巻き、七海も顔を強ばらせる。

律人と巧巳も、良く意味はわかっていなかったが、怒っていた。


「ちっ、仕方ない。それなら、父親のところに――」

「――今、なんと言いましたか?」


見下し続ける健吾の背後から、凛とした声が響いた。

健吾が怪訝そうに振り向くと、そこには奈々子が立っていた。

奈々子はそのまま歩いて、アリア達を庇うように立ち、頭二つほど高い健吾の顔を睨み付けた。


「おや、式浜先生。まったく、貴女が甘やかすから子供達がこうやって――」

「取り消してください」


颯真に怯えていた女性とは思えないほど、強い声。

その声に、健吾は首をかしげた。


「はぁ?」

「彼女は朗らかに笑い、友達を大切にする、普通の少女です。誰よりも心優しい女の子です――――“片方しか親の居ない、可哀相な子供”ではありません。取り消してください」


矢継ぎ早に、そう告げる。

気弱な彼女“らしく”ない、想いの込められた強い“言葉”に、健吾は身じろいだ。


「な、何を言って……」

「取り消しなさい!」


見上げられているはずなのに、自分よりもずっと大きい。

健吾はそんな錯覚を感じて、身体を引かせた。その時点で、彼の負けだ。


健吾は、負けたのだ――――奈々子の“想い”に。


「う――――ぁ……ぐ……わかり、ました。申し訳、ありません」


そういって、軽く目を伏せて、小さく頭を下げる。

アリア達はずっと、健吾が大きく見えていた。

だが、こうして見ると、奈々子の方がずっと大きいように見えていた。


「謝るべきなのは、誰にですか?」

「ぬぐ…………源……すまん」


アリアに向かって頭を下げた健吾に、一番驚いていたのは、他ならぬアリアだった。

アリアは戸惑いながら奈々子を見上げ、奈々子はそんなアリアに柔らかく微笑んだ。


「わかってくれたなら、いーよ」


そういって、アリアは謝罪を受け入れた。

健吾が肩を落としてその場を去ると、奈々子はしゃがみこんで、アリアと視線を合わせた。


「アリアさん……良くできましたね」


奈々子はアリアの頭に手を乗せると、優しく撫でた。

アリアは頬を赤くしながらも、嬉しそうに頷いた。


「すっげーっ!せんせーかっこいい!」

「ぼんやりとしたひとだとおもっていましたが、すごいんですね!」

「うん、せんせい!すごい!」

「みなおしました」


上から、律人、七海、巧巳、桜である。

七海は、さりげなく非道いことを言っていたが、好意からの言葉だとは解っていたので、奈々子は顔を引きつらせるに止めた。


子供達の笑顔。

それが奈々子は、何よりも好きだった。


だから――この笑顔のためならば、頑張ることが出来るのだ。















健吾は、人気のない廊下をぼんやりと歩いていた。

瞼を閉じて浮かべる姿は、小さい身体で自分に啖呵を切った、女性だった。


「はぁ――――奈々子先生」


そういってため息を吐く。

頬に朱を刺すその姿は、控えめに言っても“気色が悪い”様子だった。


「素敵だ」


そう、先ほどの一件で、健吾は奈々子に惚れたのだ。

惚れたの女のためならば、もっと子供に優しくしよう。

健吾はそう考え始めていた。


人間、そんなに簡単には変われない。

だからこの日は、健吾にとって大きな“転機”だった。

それは、奈々子に惚れたと言うことだけが、理由ではない。

これまでに感じ取れた訳ではない――――これから、感じることになるのだ。


主に、彼の後ろに迫る、邪悪な影によって。


「俺の娘が、何か粗相をしたようで?」


後ろからかけられた声に、健吾は夢見心地のまま振り向く。

アリアの父親だろう。健吾はそう思い至っては居たが、一言二言小言を言って、笑って許そう……そんな、上から目線なことを、よりにもよってこの男に考えていた。


「あぁ、源の――――ぅひっ」


自分よりも高い身長。

百九十はあるだろうその背から、見下されている。

それも――視線だけで人を殺せそうな、鋭い目で。


「それで、俺の娘が何をしたか……三十秒以内に答えろ」

「へ……あ、あの、そそそれ」

「一、二、……面倒だ。三十」


始めから聞く気がないのか、颯真は早々に切り上げた。

実は、丁度奈々子が健吾を呼び止めた辺りから、見ていたのだ。


「片方親が居ないのは可哀相らしいな?」

「いいいい、いえ、そそそ、それは」

「どれ、まずは経験してみるのはどうだ?上も下も、片方ずつにしてやるよ、親指」


颯真は額に浮かんだ青筋を隠そうともせずに、ホルスターから銀色の銃を取り出した。

実はまだ持っていたそれを、颯真は「足からか」などと呟きながら照準を合わせた。


「た、たすけっ」

「死にはしねぇよ……手が滑らない限り」

「へひっ」


颯真はそう言いながら、わざとらしく手を滑らせて、照準を健吾の股間に合わせた。

そして、既に涙を流していた健吾を一瞥することもなく、引き金を引いた。


――ガンッ

「ひぅっ」


だが、鳴ったのは、撃鉄の音だけだった。

弾切れである。当然わざとなのだろうが、そうとは思えないほど凶悪な表情だ。


健吾は情けない声を出すと、その場に崩れ落ちた。

気を失っているのだろう。目に生気がない。


「終わったか」

「あぁ」


そんな颯真に声をかけたのは、村正だった。

片親発現は、当然だが桜にも届いている。

だから、村正はわかりにくいが怒っていた。この怒りを感じ取ることが出来るのは、目で見てはいない桜くらいだろう。


「言葉はあの“先生”がやってくれたみたいだからな。なら、“こっち”は俺の仕事だ」


そうは言うが、奈々子が言わなかったら、健吾は死にたくなるような毒舌に晒されていたことだろう。さりげなく、奈々子は健吾も救っていた。


颯真はホルスターに銃をしまうと、村正を伴って歩き出す。

手を挙げた先にいるのは、娘達の、明るい笑顔だった――。






余談だが、その後、爽やかで心優しく生徒思いな、熱血体育教師の姿が見られるようになったらしい。


ついでに、さりげなさを装って奈々子を食事に誘い、撃沈する姿もあったとか……。


長らくお待たせしました。

番外編その一“授業参観”でした。


律人はやればできる男の子。

でも、やっても気がつかれない不憫な子。


彼らを主軸にしたお話も、いずれ書きたいと想います^^

ですが、今のところ次に何をするかは決まっていません。

何か良いアイデアが思い浮かべば、少しずつでも書いていこうと考えています。


ご意見ご感想のほど、よろしくお願いします。


それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。

何時になるか解りませんが、次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ