浮気者の婚約者に「ドレスがダサい!」と怒られましたが、このドレスをデザインしたのは皇女殿下です
「なんだそのダサいドレスは! 今すぐ着替えてこい!」
と、金髪碧眼の令息――私の婚約者であるロイ・グレン伯爵令息が鼻息荒く怒号を浴びせてくる。
私の名前はミランダ・ハルフォード。子爵家の長女で今年17歳になる。
派手で整った顔立ちをしているロイとは対照的なガリ勉地味娘。それが世間の私に対する評価だ。
白い肌にゆるくウェーブしたマロンブラウンの髪。瞳は淡くぼやけたベージュ色。どこまでも平凡な顔立ち――。
華やかな舞踏会の大広間。煌びやかなシャンデリアに照らされ、色とりどりのドレスが花のように咲き誇る中、ロイの怒声は嫌でもホールへ響き渡る。
周囲の視線が一斉に私たちへと向くのがわかった。
「……ロイ様、そんなに大きな声を出さなくても」
「うるさい、お前ごときが口答えするな! なんでこんな地味な色のドレスにした? 婚約者がこんな冴えない格好をしていたら、俺が恥をかくだろうが!」
大げさな動作で手を広げ、私をぎろりと睨みつけるロイ。
(恥をかくって……こんな大声で騒ぐ方が恥をかくと思うのだけれど。それにドレスがダサいって……そうは思えないわ。むしろ最高のドレスよ。生地は綺麗なミントグリーン色だし、デザインも洗練されてる)
ドレスにはところどころ、繊細な小鳥の刺繍が銀糸で施されている。確かに派手さこそはないかもしれないが、気品ある皇国風のデザインだ。私はこのドレスをとても気に入っている。
なによりこのドレスをデザインし贈ってくれた人物を、私は心からとても尊敬していた。
しかしロイには審美眼がないらしい。というのも、彼は昔からとにかく派手なものを好む性質だからだ。真っ赤な生地に、背中がガッツリ開いたようなドレスばっかり着ろといつも要求してくる。露出の多いドレスは控えたいと訴えても聞く耳を持たない。
すると突然ロイの隣へ一人の令嬢がやってきて、自らの腕をするりと彼の腕へ絡ませた。そして彼女は私を見下すようにフフンと得意げな笑みを浮かべる。
「ロイ様のおっしゃる通りですわ。ミランダさん、王国の流行をご存じないの? そんなドレス、この舞踏会では誰も着ていませんことよ」
「ミレーヌ嬢……」
ミレーヌ・アーレン男爵令嬢。黒目黒髪の妖艶な美女だ。最近ロイの周りでよく見かけるとは思っていたが――。
(婚約者である私の前で、よくもまぁそんなにベタベタくっつけるわね……)
だがロイは注意するどころか、私に見せつけるようにミレーヌの腰を抱き寄せこう言った。
「ミランダ、お前には華やかさが足りない。そんなお前と婚約を続けるのはもううんざりなんだよ」
そうはっきり言い捨てられ、胃の底がズシンと重くなる。
「……婚約破棄、ということでしょうか」
静かに問い返すと、ロイは胸を張り勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「あぁ、その通りだ! お前はもういらない。俺にはこの美しいミレーヌがいるからな」
周囲から同情の視線と好奇の囁き声が聞こえてくる。ミレーヌはロイの肩に寄りかかりながら、甘えた声で呟いた。
「うふふ! ごめんなさいねぇミランダ様。ねぇロイ様、わたくしの今日の装いはいかがです?」
「とても似合っているぞミレーヌ。今夜咲いている花の中で、お前が一番美しい」
「ロイ様……! わたくし、とっても嬉しいですわ!」
――滑稽なほど薄っぺらい会話だ。
私は深く息を吸い、淡々と告げた。
「婚約破棄の件は承知いたしました。ですがグレン卿、あなた様のために申し上げます。さきほど卿は私のドレスが『ダサい』とおっしゃいましたが……その発言を、撤回してはくださりませんか?」
「はぁ? なぜ撤回しなければならない!? そのドレスは救えんほどダサい、それは紛れもない事実だ! そのドレスを作ったやつを今すぐ張っ倒したいくらいだよ!」
ハハハ! とロイが大口を開けて笑うと、ミレーヌ嬢も同調するようにクスクス笑みをこぼした。
ひどく不快になり眉をひそめる。ロイをたしなめようと口を開きかけたその時――。
ホールに凛とした声が響いた。
「まぁ、それは傷つくわねぇ」
途端に、あたりがしんと水を打ったように静まり返る。誰もがその声の主の方へハッと視線を向けた。
そして息を呑む。突如として現れた謎の令嬢が、あまりにも美しかったからだ。
雪のような白い肌に、海を思わせる青い瞳。薄桃色に色づいたさくらんぼのような唇――。シャンデリアの下、腰まで伸びたストレートのプラチナブロンドがキラキラと光り輝いている。
顔立ちは庇護欲をそそる美少女でありながら、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
何より目を引くのは彼女が身に纏うドレスだ。私と同じ皇国風のデザイン。ウエストは強く締め付けず、胸元からふわりとチュール生地が広がるエンパイアラインというものである。
生地は一見、アイスブルー一色に見える。だが彼女が歩き出すと、生地が光に反射しまるでオパールのように煌びやかな輝きを放った。
その複雑で美しい輝きにその場にいた誰もが目を奪われる。今まで見たこともない美しいドレスだ、と――。
すると、召使いが焦ったような声を上げた。
「――ユ、ユーフェミア・フォン・トーランティネット皇女殿下の御成り!」
ユーフェミア・フォン・トーランティネット皇女。
その名にホールには大きなどよめきが起こる。まさかこの国――アレスを含め、辺り一帯の周辺国をまとめ上げている大皇国の、次期女帝とも噂されている皇女が現れるなど思ってもみなかったのだ。
そんな彼女の隣には、弟であるテオドア・フォン・トーランティネット第二皇子殿下の姿があった。
彼を目にした令嬢たちが、頬を染めほうっとため息を零す。なぜなら彼もまた皇女殿下と同じく絶世の美男子であるからだ。輝く銀髪に澄んだアイスブルーの瞳。まるで絵物語の王子が現実に飛び出してきたかのような、文句のつけようもない貴公子。
そんなとてつもなく目立つ二人が、まっすぐに私とロイのところへやってきて足を止めた。
だがロイは皇女殿下を目の前にしても、固まっているばかりでいっこうに挨拶しようとしない。痺れを切らした私は、これ以上お待ちいただくのは失礼だと皇女殿下へ頭を垂れ淑女の礼を執った。
「皇国の華と謳われる皇女殿下にご挨拶申し上げます。私はハルフォード子爵家のミランダと申します。本日はこのような場でお目にかかれましたこと、大変光栄に存じますわ」
「まぁ、ご丁寧にどうもありがとうミランダ嬢。こちらは私の弟であるテオドアよ。テオドア、ミランダ嬢にご挨拶なさい」
皇女殿下が目線でテオドア殿下に挨拶を促す。するとテオドア殿下は一歩前へ進み出て私の手を取り、そこへ口づけを落とした。
思いがけずカッと頬が熱くなる。周囲からきゃあと令嬢たちの悲鳴じみた声が上がった。
「僕はテオドア・フォン・トーランティネットと申します。ミランダ嬢──今夜お目にかかれることをずっと心待ちにしておりました。お会いできてとても嬉しく思います」
「は……は、い……。それは何と言いますか――とても、光栄でございます……」
なんとか必死に声を絞り出した自分を褒めてあげたい。だが挨拶が終わっても、テオドア殿下はいつまでも手を握ったまま放してくれない。じっと熱のこもった目で見つめられ、ソワソワと落ち着かなくなったその時――皇女殿下がゴホン! と一つ咳払いをした。
「テオドア。嬉しいのはわかるけれど、私のミランダ嬢を独り占めしないでいただける?」
「これは失礼いたしました、姉上」
テオドア殿下が苦笑いしてするりと手を放す。同時に緊張がほどけホッと息を吐いた。皇女殿下が優雅に扇子を広げ、私の横に立つロイへと目線を投げる。
「ところで――ミランダ嬢の隣にいらっしゃるのはどなたなのかしら?」
そこで初めて、固まっていたロイはハッと我を取り戻し彼女へ一礼した。
「こ、皇女殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう! 私はグレン伯爵家の嫡男、ロイ・グレンと申します! どうぞお見知りおきを!」
「まぁ、グレン卿でいらっしゃいましたの。確かミランダ嬢のご婚約者だと伺っておりますが……。なぜそれほどまでに親しげに他の令嬢と寄り添っておられますの? いかなるご事情によるものか、差し支えなければ私にお聞かせ願えますか?」
「そ、それは……!」
皇女殿下に問いかけられ、ロイはすぐさまミレーヌ嬢の腕を乱暴に振り払った。相当焦っているようで額には汗が噴き出し始める。密かに笑いをこらえていると、皇女殿下が更に口を開いた。
「それから……先ほどのグレン卿のお言葉に私とても胸を痛めましたの。ミランダ嬢にお贈りしたあのドレスは、わたくしが心を込めてデザインした特注品でございましてね。皇国の職人が丹精を尽くし仕立てたものなのですのよ。けれど卿とお隣のご令嬢にはご不興だったようで、とても残念でなりませんわ。なにせ『ドレスを作ったやつを今すぐ張っ倒したい』くらい『救えんほどダサい』ドレスのようですし……?」
ロイとミレーヌ嬢の顔からみるみるうちに血の気が無くなっていく。
「ちなみに――こちらのエンパイアラインのドレスはいま皇国で大流行しているデザインなのですけれど、どうやらお二人はご存じなかったようですわね……?」
クスッ、と冷たい笑みがロイたちへ降りかかる。
ミレーヌ嬢は『そんなドレスこの舞踏会では誰も着ていませんことよ』と言っていたが、実際にはこの舞踏会で同じ皇国式のエンパイアラインドレスを身に纏っているご令嬢は割と存在する。
しかも、いずれも流行に敏感で王都でも『情報通』として知られる婦人方ばかりだ。
つまり、今回の件で露わになったのはただひとつ。
流行を把握していないのは、ロイとミレーヌ嬢の側――という確固たる事実であった。
二人の顔色が羞恥のためか今度は茹でだこのように真っ赤に染まる。この時点でだいぶオーバーキルな気もするが、皇女殿下の口撃は止まらない。
「あと私の勘違いでなければ、大衆の面前でミランダ嬢に婚約破棄を宣言しておいででしたわよね? 信じられなさ過ぎて幻でも見ているのかと、思わず我が目を疑いましたわ」
皇女殿下の表情と声色がどんどん鋭いものへ変化していく。
「ご存じないようなので申し上げますが、ミランダ嬢は百年に一人の才女であらせられますのよ。古代精霊語の解読に初めて成功した、とても優秀な言語学者でいらっしゃいますの。私とテオドアはそんなミランダ嬢に師事し、文通で数年間ほど古代精霊語を教えていただいておりました。――つまり、ミランダ嬢は私と弟の師匠にあたる立場のお方、ということになりますわ」
「ミ、ミランダが皇女殿下とテオドア殿下の、し、師匠だって……!?」
ロイの顔色が青色を通り越し、今すぐ卒倒しそうなほど真っ白になる。
(そ、そんなに褒めていただかなくても……!!)
皇女殿下から初めて手紙をいただいたときは、それはもう驚いたものだ。本来であれば直接、家庭教師として皇国へ赴くべきだったのだが、私には婚約者がいたため皇女殿下が『文通で構わない』と気を遣ってくださったのだ。
それがこんな形で婚約破棄されることとなり――。
皇女殿下としても思うことがあったのだろう。いや、思いが棘となって口から出てしまっておいでではあるが。まだ言い足りないと皇女殿下が口を開く。
「公務が落ち着いたため、こうして師匠であるミランダ嬢にご挨拶申し上げに参りましたが……。まさか私の敬愛するミランダ嬢がこんなにひどい扱いを受けているなんて――思ってもみませんでしたわ。ねぇテオドア」
「そうですね、姉上。これは一刻も早く我が皇国へミランダ嬢をご招待しなければなりません」
「えぇ、ぜひそういたしましょう。なにせこの国には優秀なミランダ嬢に公衆の面前で恥をかかせるような愚かな婚約者と、それを把握できず放置していた愚かな婚約者の親と、それを笑う愚かな貴族どもしかいないようですし?」
貴族どもて。皇女殿下ったらたまに粗野な言葉遣いを零されることがあるのよね。幼少期、剣と弓を手に叔父上の領地で魔物狩りを教わっていらっしゃった名残なのかしら。それもまた彼女の魅力ではあるのだけれど――。
すると、テオドア殿下が優雅な動作で私へ掌を差し出した。
「ミランダ嬢。どうか私たちと共に、我がトーランティネット皇国へおいでくださいませんか?」
その背後で皇女殿下が固唾を呑み、縋るような視線を向けてくるのがわかった。
(そんな目をされたら……)
「――はい。私でよろしければ……喜んで両殿下にご助力いたします」
なにせ、皇国へ行けなかった理由は先ほど綺麗さっぱり無くなった。そんな私が皇女殿下の御誘いを断る理由などもうどこにもない。
「っ! ミランダ! 嬉しいわ!」
テオドア殿下の手を取る前に、皇女殿下が駆け寄ってきて私の手を握りしめた。まるで少女のように可愛らしい笑みに、私も思わず笑みが零れる。
こうして私は、呆気にとられたロイとミレーヌ嬢と、貴族たちの間をすり抜け――。
故郷である王国を離れ。
海を渡った先、トーランティネット皇国へと旅立つことを胸に決めたのだった。
*
婚約破棄から一か月後。
私は皇国の宮殿で、忙しくも充実した毎日を送っていた。
「ミランダ、聞いて! あなたのおかげでついに精霊を召喚できたの!」
皇女殿下は嬉しさを隠しきれず、東屋に腰かけていた私へ少女のようなあどけない笑顔で抱き着いてくる。
幸いこの場所は限られたものしか立ち入ることができない、秘密の花園。私は彼女の抱擁をたしなめることなく受け止めた。
「まあ、本当におめでとうございます、皇女殿下!」
自然と笑みが零れる。皇国では私の論文が高い評価を受け、自分の居場所を見つけることができた。
一方、かつて身を置いていた王国では――。
ロイとミレーヌ嬢はあの夜の騒ぎの後、互いを責め合ってすぐに破局。
皇女殿下を侮辱したことでグレン伯爵家は王家から睨まれることとなり、社交界で総スカンを喰らうこととなった。
その信頼失墜によって伯爵家は急速に傾き、更には事業が失敗。ロイは廃嫡された上に、家から追放され、その家も今では没落寸前だという。
私を容易く手放した王国は、人材を保護しない国だと思われ、他国に優秀な人材が渡ってしまいじわじわと国力を落としているらしい。
「で、いつになったら私はミランダに『姉上』と呼んでもらえるのかしら? ねぇテオドア」
と、皇女殿下。
「いつになるのですか? ミランダ嬢」
と、テオドア殿下。
「そそそそそ、それは……っ」
かぁ、と頬が熱くなって慌てていると、突然二人がプッと噴き出した。からかわれたのだ。
穏やかな笑い声が青空へ響く。
美しい二人の笑みを眺めながら、私は静かに微笑んだ。
こうして私は――皇国で穏やかな幸せを手に入れたのだった。
本作を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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