出張相談
「おはようございます」
寝ぼけた店に、男の声が1つ響く。
長谷川は、毎日こうして、誰もいない店に来ては、挨拶をする。
一応、住まいは職場と分けている。職場を家にはしたくない。何せ客という他人が入り込むのだから。と、よく彼は口にする。
「今日は何にしようかなー」
中古で購入したこの物件。以前は、喫茶店だったようで、厨房であると、容易に想像できるスペースがある。
その一角の冷蔵庫を、毎朝、長谷川は漁り、その場で調理をする。
男は、慣れた手つきで、丸型のフライパンに、卵を2つ落とす。
今日も完璧な形だな。
経営自体は苦しいけど、丁寧な暮らしを心がけている…ん?暮らし?
「ここは家じゃない!職場だ!!」
……
なんて、誰も聞いちゃいないけど。
長谷川は、出来上がった目玉焼きを、パンの上に乗せて、定位置であるテーブルに向かう。
オレンジジュースと、何かしらが乗ったトースト。これが、彼の朝食のスタイルだ。
「今日の天気です…」
情報の飽和した現代には珍しい、粗さのある音。
長谷川は、テレビを買う余裕まではなかったので、ここではラジオを聞いている。
喫茶店の名残りが残る店で、トーストにジュース。これはこれでオシャレだな。と、長谷川は心の内で浸っている。
カタカタカタ
そんな朝をお供に、長谷川はパソコンにもかじりつく。
経理やら、会計、数少ない請求書などの業務を行っている。
元、すなわちお客が少ないので、大した量ではないけれど。
「よし、行くか」
朝食を食べ終えた長谷川は、歯を磨いて、ジャケットを羽織り、ラジオを止めて、外へ出る。
ふぅー、いい天気だなぁ
「ハセガワ」は、出張での相談も受けている。そうでもしないと、稼げない。
今日は…10時に木村様だな…
時間を守るのはビジネスの基本!ちゃんとしてるなぁ僕。
ここか。
電車に乗って、約8分。依頼主のいるマンションの前までやってきた。
205号室だな。
電話で声を聞いた感じだと…若めの女性?といった感じだったけど…
ちゃんとした悩みでありますように!
ピンポーン
「はい」
「お悩み相談の「ハセガワ」でございます」
「あ!ありがとうございます!今行きますね」
ガチャ
「お待たせしましたーどうぞ」
「失礼します」
長谷川は、キッチン前の、テーブルに案内された。
「本日は、ご依頼いただきありがとうございます。長谷川と申します。」
「お願いします!すごいですね、時間ピッタリ!」
「恐縮です、ありがとうございます。えっと…事前に伺った内容では…職場の人間関係についてで、お間違いありませんか?」
「はい。最近、職場の上司と、合わないことがあるっていうか、私がおかしいのかな…退職とか考えちゃってて」
期待大。今までと、若干雰囲気が違う。
しかし、長谷川の感じ取った雰囲気は、その通り。「若干」であった。
「そうなんですね、具体的には、どういった…」
「私、上司と仲がいいんですけど、いや、もう良くないか…言い合いになっちゃって」
「なるほど」
よくある話ではあるな。
「先日小山…上司が、私がデスクの引き出しで飼っていたダンゴムシを…全部捨てちゃったんですよ!」
………なるほどなるほど、まだ本物とは限らないし、第一、放し飼いはありえないだろう。
「そ、そうなんですね、それは残念。どのように飼育されていたんですか?」
「え?」
「ほら、虫かごの中とか…」
「そんなー、直にですよ!」
………
長谷川は、から風の吹く季節であるのに、背中から汗が浮き出てきた。
エアコン効きすぎかな…?
「机の中にダンゴムシを飼うのに、虫かごなんて使わないですよ!直がダンゴムシへの礼儀ですよ!」
「ははは、どうして、上司の方に捨てられてしまったのでしょうか?」
「「朝出社したら、デスクの上を這いずり回っていた!」とか言い出して…それ、私のダンゴムシかも知れないですって言ったら…」
どうやら、上司の小山さんからも、僕と同じように、虫かごで飼っていたのか?と尋問されたらしい。それに対して彼女は、当然のように「引き出しがお家です」と答えたみたい。
小山さん…お疲れ様です…
長谷川は、こんな異様な出来事、想像も出来得ないのに、何故だかこの女性の上司の苦労を、想わずにはいられなかった。
「捨てなくてもいいですよね!?尊い命を。まあゴミ箱とかじゃなくて、全部路地裏に放したみたいなんで…恨みきれませんけど。」
小山さんは、きっと、ものすごくいい人なんだ。感謝しなきゃいけないよ…木村さん。
「で、では木村さん、1つ提案なんですが、上司の方に、虫かごで飼わせてくれないか…と、お願いしてみてはどうでしょう?」
「え?」
「もしかしたら、直にデスクの中に入れたのがいけなかったのかも知れません。ここは1つ、木村さんも、ダンゴムシにも我慢してもらって…」
「そう、ですよね…」
「ほら、小さい缶の中に土とか枯葉を入れてみたら、可愛いんじゃないですか?」
男は、具体的な案を出し始めた自分に驚いた。それと同時に、自分は生粋のカウンセラーなのかもしれないとも思った。
「ですよね!聞いてみます!やっぱりダンゴムシがいると、仕事も捗るので!こや…上司も分かってくれますよね!」
「その意気です!応援してます!」
長谷川は、半ばゴリ押しだった。早くこの場を終わらせたかった。
「ありがとうございましたー」
「はい、応援してますね、本日は、ありがとうございました」
ガチャン
長谷川は、エレベーターに乗り込むと共に、
「はぁ〜」
大きめのため息をついた。
後日、「ハセガワ」のレビューには、新たな投稿が。
「☆☆☆☆☆5
缶の中で飼うことを許されました!ありがとうございました!!」
しばらく、小山という、顔も性別も、声も知らない人物を、長谷川は忘れないだろう。




