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後編

 隼斗はまたスマホをチェックした。19時22分。約束は18時30分。七海はまだ来ない。


 待ち合わせ場所を柳川神社の鳥居に決めたのは間違いだったかもしれない。周りに照明も無く、そろそろ視界も怪しくなってきた。

 場所を間違えたんだろうかという考えも浮かんだが、連絡が取れないので確認のしようがない。メッセージには既読も付かなかった。


 今まで付き合った彼女にこんな扱いを受けた事はなかった。待たせてしまった事はあっても⋯⋯。

 軽く見られているんだろうか。今日はもう来ないのか?これは別れたいというメッセージなのだろうか。

 胃がキリキリと痛んだ。


 声をかけてきた女子大生を追い払ううちに、更に10分程経った。

 しゃがみ込んだ隼斗の前に、ようやく七海の姿が見えた。キョロキョロと辺りを見回し、隼斗を探している様だった。


 可愛い浴衣姿に、隼斗は待たされて積もった怒りがスーッと引いていくのを感じた。自分の為に着てくれたのだ。多分。


 隼斗は立ち上がり、腕を挙げて七海に合図した。七海は隼斗を見てビクンと立ち止まり固まった後、周りをキョロキョロ見回した。

 そして何故かそのまま隼斗の前を通り過ぎた。


「七海ちゃん!」

「へ?」

「何かあったの?遅いから心配するじゃん」


 七海は挙動不審に目を泳がせて、自分の顔を指さした。


「⋯⋯あたしですか?」


 今日の七海のよそよそしい態度は何なんだろう。眉を寄せて七海を見下ろし観察した。隼斗の心に暗雲が漂う。別れるのだけは受け入れられそうにない。


 長い間、片思いを拗らせたせいか、七海への思いは自分でも引く程強くなっている気がする。付き合えば落ち着くかと思っていたが、全くその気配もない。

 もっと先に進めばこの気持ちも治まるのだろうか。間違って急いだら、逃げられてしまいそうだけど。


 隼斗は七海の手を掴んで、逃さないように指を強く絡ませた。


 驚いて顔を真っ赤にする七海に少し安心する。まだ嫌われてるわけじゃない。


「あ、ちょっと!深澤君!?」

「行こう」


 隼斗は足取りの重い七海の手を引っ張って、明るい夜店の方に向かった。夜店の通りから花火会場の川沿いには、既に人がごった返していた。




 絡み合った手に気を取られて、七海は下駄を履いた足を躓かせた。隼斗が振り返り、気遣わしげな表情を見せて、七海に歩調を合わせる。


 いったい何が起きてるの?

 七海は握られた手を見て、次いで隼斗の広い背中を呆然と見つめた。

 体が沸騰しそうに熱くなってきた。隼斗の手がひんやり冷たく感じる程に。

 会話したことも無いのに、隼斗はまるで付き合っているみたいに話しかけてくる。パニックになりそうな心を何とか抑えた。

 深澤隼斗がおかしくなった⋯⋯。それともおかしいのは自分⋯⋯?もしかしてこれは夢?


 それにしては妙に現実的な事が気になった。


「あの⋯⋯⋯⋯、多部さんは?」


 立ち止まり、振り返った隼斗は、険しい顔をしていた。


「何?」

「多部さんと付き合ってるんでしょ?」

「は?」


 隼斗は自分を落ち着かせる為に大きく一呼吸をした。もちろん多部美波とは付き合っていない。

 多部から告白された事を誰かから聞いたのか?

 以前なら多部と付き合っていたかもしれないが、今はあり得ない話だった。七海と付き合っているのだから。

 それを知りながら告白してくる多部にはむしろ不快感を覚えていた。


 今日七海の様子がおかしいのは、多部美波との関係を誤解しているせいなのか?


「多部さんとはそんな関係じゃない。俺が七海ちゃんと付き合っているのに浮気する男だと思ってるの?」




 付き合ってる?付き合ってるって言った⋯⋯。


 やっぱられこれは夢に違いない。相当に欲求不満で、欲望まみれの夢。


 七海は空いている手て自分の頬を強めにパンッと叩いてみた。

 リアルな痛みだった。少し涙が出た。

 隼斗がびくっとして、その手も掴んだ。七海は隼斗に両手を拘束された様な状態になってしまった。


「七海〜!」


 振り返ると、萌と和樹がニヤニヤしながらこちらを見ていた。


「萌!」


 萌と和樹のもとへ向かおうとするのに、隼斗の手に力が入って動けない。何て力だ。

 萌はすれ違いざまに()()()()と七海に向けて口を動かすと、和樹と手を繋いでフライドポテトの行列に並んだ。


 和樹と手を繋いで?


 七海はポカンとなった。

 2人は体を寄せ合っている。萌が和樹の肩にこてんと頭を預けた。


「うわ!」


 思わずおっさんみたいな声が出た。隼斗の視線を感じ、可愛く咳払いして誤魔化した。


 いつから2人はそんなことに?

 ⋯⋯いや、これは夢だった。混沌とした夢なのだ。


 七海は、そうだよね?と問う様に隼斗を見上げた。やや不機嫌そうな顔からは何も伺えない。


 そう言えば隼斗をこんなに間近で見たことは無かった。なのになんでこんなに睫毛の一本一本まで生き生きと再現できるのだろう。

 自分の想像力には驚くばかりだ。


 夜店の照明が隼斗の輪郭を美しく照らしている。切れ長の一重の目が妖しげに煌めいて見えた。

 七海は急に息が上手く出来なくなった。何でこの人は男なのにこんなに綺麗なの?夢補正でもかかっているのだろうか。




 隼斗は早く行けと思いながら、冷たい目を和樹の背中に向けていた。

 あの2人が付き合い出して心底嬉しかった。それでも森本和樹は気にいらない。いや、気に入らないなんてもんじゃない。

 幼なじみだからと言って七海に馴れ馴れし過ぎる。七海は知らなかったが、以前は七海と和樹が付き合っているという噂があった程だ。


 そして隼斗はそれをずっと信じていた。


 なかなか移動しない和樹達に苛立ち、七海の手を引いて2人のから離れた。

 射的、綿あめ、たこ焼きと、歩みを速め夜店をどんどん通り過ぎる。


 七海の息が切れている。隼斗は、はたと冷静になり立ち止まった。


 これじゃ七海は楽しめるわけがない。まるで癇癪持ちだ。彼女といると調子が狂って、何かと上手く振る舞えない。


 本当は今日はのんびりと過ごして、もっと心を通わせたかった。


 隼斗は手を解いた。

 七海は痛むのか手首をさすっている。自分はいったい何をしているんだ。


「ごめん⋯⋯」

「萌と和樹が見えなくなっちゃった。戻っていい?」

「いや⋯⋯、やめとこう」


 森本を下の名前で呼ばないでという本音は、カッコ悪過ぎて言えない。




「何か食べる?」


 七海は首を横に振った。とても食べる気分にはなれない。

 隼斗の眉が残念そうに下がる。


「え、なに?」

 お腹空いてた?

「好きに食べて」


 隼斗が首を横に振った。


「⋯⋯七海ちゃんが食べてるとこ見たかっただけ」


 隼斗は少し唇尖らせてそっぽを向いた。やばい可愛い。


「あ、えっと⋯⋯やっぱ食べようかな」

「何にする?」


 七海は慌てて適当にクレープの夜店を指差した。10人程並んでいて、適当に選んだ事を少し後悔した。

 店の行列に並ぶと、先頭に多部美波がいた。運の悪さを呪ったが、まあ夢だから仕方ない。


 多部の隣にはピアスを付けた男が居た。おかげで浮気をしている様な後ろめたさは少しマシになった。男は同じ高校の生徒だろうか。それとも夢なら実在しない人物かもしれない。

 2人とも浴衣を着て、男は多部の体に腕をまわしている。


 こちら気付いた多部は、蛇の様に憎々しげな目を七海に向けてきた。隼斗が舌打ちをして、視線を遮る様に七海の前に立った。

 多部が別の男といるのに、隼斗は怒る様子も嫉妬する様子も見せない。2人は本当に付き合っていない様だった。夢の中では⋯⋯。


 グレープを買い終わった多部は、わざわざ人混みをかき分けて七海の横を通り過ぎていった。

 七海の体を下から上までジロジロ見て、最後に髪に挿したバラを見て鼻で笑った。

 人混みに消える多部の背中を睨み返しながらも、七海はカーッと頬が熱くなるのを感じた。


 頭のバラに手を伸ばす。ひらひら揺れる浴衣の袖を見て、手をピタリと止めた。


 ラベンダー色にうちわ模様の生地。

 苦労して着付けた浴衣は間違いなく黄色の向日葵柄だったのに。


 バラの庭園に消えたあの人の浴衣に似ている。思えば似てるのは浴衣だけじゃなかったかもしれない。


 何処からが夢なんだろう。

 隼斗と会ったところ?もっと前?それとも今日の出来事全てが夢?


 この夢は現実と似ているけど、少しだけ違う。

 不意に以前オカルト掲示板で見た、平行世界から迷い込んで帰れなくなった人の話を思い出した。七海はぞっとした。 


 馬鹿げていると思いながらも、そのスレッドの話が妙に脳裏から離れなくなった。



 カウントダウンのアナウンスが聞こえる。少ししてドンッと大きな音が響いた。夜店の天幕越しに、打ち上げられた花火の端っこだけが見えた。わーっと歓声が上がった。


「ここからじゃよく見えないね」


 そう言う割に、隼斗は七海をずっと見ている。花火にまるで興味が無さそうだった。


 うっかり隼斗と目が合ってしまったせいで、七海の胸は苦しい程疼いた。

 隼斗の表情に、熱のこもる眼差しに、───愛情に似た、それよりもっと激しい感情のようなものを見た気がした。

 

 七海は夜空を見上げた。遮られてほとんど見えていないのに、花火を見ているふりをした。


 まだ夢から覚めたくない。

 


 隼斗が視線をバラに向けた。


「可愛い花だね」


 かすれた声が妙に色っぽい。


「⋯⋯あ、うん。多分バラ⋯⋯」

「へー」

「パラレル ユニ⋯⋯なんとかって種類みたい。」


 隼斗が生真面目にスマホで検索する。


「パラレル ユニバース?」

「そうそう」


「平行世界って意味だって。パラレルワールドとも言う⋯⋯」


 七海は腕に鳥肌が立った。


 ───迷い込んで帰れなくなった人───


 もし⋯⋯もしここがパラレルワールドなら⋯⋯。

 恐ろしいと同時に、帰りたくないとも思った。


 存在を主張する様にバラが甘い香りを漂わせた。頭がクラクラするほど濃厚な香りを。


 隼斗がバラに手を伸ばして触れた。


「だめ!」


 思わず大声で叫んだ。




◇◇◇

 七海の目の前が再び真っ白になった。

 今度は恐怖を感じなかった。


 ──ああ、終わってしまった──


 もう()()隼斗には会えない。まぶたを閉じて、胸に迫る喪失感と戦った。


 足元には七海が頭に挿していたバラがポツンと落ちている。

 

 するべき事はすぐに分かった。


 七海は屈んでバラを拾うと、硬い棘を人差し指の先端に刺した。




「なに?びっくりするじゃん大声出して!」


 萌の声が隣から聞こえた。

 ゆっくり目を開けると、両隣に萌と和樹がいた。


 七海は相変わらずクレープの行列に並んでいた。


「だめって何が?」

「⋯⋯何でもない」


 萌が怪訝そうな顔で七海を見つめた。


「何にするかなー」

「あたしチョコバナナ」

「やっぱり俺はハムチーズだな」

「えー!?」

「七海は?」

「⋯⋯」

「七海?」


 隼斗はここにはもう居ない。七海のそばには。

 うなだれ、向日葵柄の黄色い浴衣を見下ろした。


 心にぽっかり穴が空いた気がした。




 クレープを片手に、3人で川辺に近づいた。人混みから少し離れて、打ち上げられる花火を見上げた。


 音楽が変わり、花火が滝の様に川に降り注いだ。

 七海は気付いた。和樹が萌に見とれている。

 髪を可愛くアレンジして、涼しげな浴衣を着た萌は、花火に横顔を照らされている。とても綺麗に見えた。

 萌は頬を染めて、不自然なほど花火から目を逸らさなかった。和樹の気持ちに気付いてるみたいに⋯⋯。そう言えば萌はいつも和樹の話ばかりしている。


 何で今まで気が付かなかったんだろう。


 スターマインで、花火大会はクライマックスを迎えた。夜空には煙だけが残った。

 観客がぞろぞろと帰り始めている。


「あ、待って、あそこに理央たちがいる!ちょっと待ってて」


 萌がクラスメイトを見つけて走って行った。七海は和樹と2人で取り残され、ぼんやりと萌達を眺めた。


「和樹ってさ⋯⋯」

「うん」

「萌のこと好きなの?」


 和樹はぎょっと目をむいた後、そっぽを向いて小さく頷いた。


「言うなよ」


 七海も頷いた。


「でも2人は上手くいくと思うよ」

「萌なんか言ってた?」


 和樹が食いついてきた。 


「いや言ってないけど」

「なんだよ〜!」

「応援するよ!」


 七海は和樹の背中をバシッと叩いた。


「いてーよ!⋯⋯まぁ、ありがとな⋯⋯」


 和樹が七海の肩を軽く叩き返した。


「なぁ七海、知ってるか?俺とお前が付き合ってるって噂されてる事」


 七海は口を歪めた。


「うぇ。きも⋯⋯」

「だよな。俺もだ⋯⋯」


 和樹も苦い顔をしている。和樹のことは保育園から知っている。お互いをそんな目で見たことが無かった。


「あ、深澤だ。橋の所」


 心臓がビクンと跳ねた?


「⋯⋯多部さんと?」

「うん」


 直接見る勇気は無かった。

 和樹がそちらに向けて手を振った。


「ちょっとやめてよ!」

「でも目が合ったし⋯⋯、あ、無視しやがった」

「知り合いなの?」

「え?全然」

「何それ」

「ほら見てみろよ」

「いやだ」


 今、隼斗が多部といる所を見たら、嫉妬でおかしくなってしまいそうだ。そんな権利は無いのに。


 背をむけた橋の方から、多部美波の笑い声が聞こえた気がした。




 5月も終わりが近づき、蒸し暑くなってきた。放課後の音楽室に部員がちらほら集まりだした。

 七海達は高校3年になり、和樹は今や吹奏楽部部長だ。

 意外にリーダーシップがあるようで、大きな通る声と謎の勢いで部員達をまとめている。

 萌は副部長として和樹を支えていた。まるで夫婦の様に⋯⋯。


 七海は生温かい目つきで萌と和樹を見つめた。二人が付き合いだして悲しいことは、三人で遊ぶ時間が少し減ってしまったことだ。

 二人きりになりたい時があるのは仕方ないこと。

 時間が余るので、七海は休日も練習に打ち込んだ。おかげでトランペットの腕は最近良く褒められる。部の後輩に、"先輩かっこいい!" と言われる様にまでなった。なので、少しの寂しさはまあ良しとした。


 隼斗とは相変わらず話した事も無い。グラウンドで練習する隼斗は、敢えて見ないようにしていた。




 サッカーコートの観客席には、もうチア部が集まっている。七海たち吹奏楽部もそばに集まった。多部美波がチア部の衣装を着て、ポニーテールを結び直していた。

 多部と隼斗は最近別れたらしい。1年近く付き合った後に。


 人の彼氏を思い続けるのは嫌だった。七海もその間に、自分の恋心は胸の奥にしまってほとんど忘れかけていた。


 サッカー部員が集まってきた。サッカー部の応援は初めてなので、七海はやや緊張していた。


 萌がこそっと耳うちする。


「七海、多部さんがあんたのこと凄い睨んでるよ。何かあったの?」

「え?何で?接点ないし⋯⋯」


 確かにぞっとする目つきだ。思わず身震いした。今日はチア部と一緒に試合を応援しないといけない。彼女とは目を合わせないでおこう。動揺してへまをしない為にも。



 主審がキックオフの笛を吹いた。背の高い隼斗はひときわ目立っていた。七海は白いユニフォーム姿の隼斗から目を逸らした。


 始まりは、七海のソロパートだ。


 練習通りに、七海はトランペットを大きく響かせた。観客席から歓声が上がる。


 振り返り見上げた隼斗と視線が重なる。一瞬のことだった。


 あの表情だ。


 隼斗の眼差しはあの日の花火大会を彷彿とさせて、七海の胸を酷く疼かせた。

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