第70話:ネクサスの温度
お待たせしました!第70話です。
更新遅くてごめんなさい…。
鞠子は医療棟を出ると、朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、ギルドへと歩を進めた。
もっとも、医療棟とハンターギルドは隣接している。数十歩も歩けば、もうギルドの入口だ。
扉を開いた瞬間、ざわめきが耳を打った。
クエスト報告の声、依頼を読み上げる声、笑い声、そして怒鳴り声。
どれもが生気に満ちているのに、どこか焦燥の色を帯びている。
「ほう……ネクサスはやはり活気があるな。いや——これは、活気というより、人手不足の音か」
呟きながら、鞠子は周囲を見回す。
確かに、どのハンターの顔にも疲労の影が浮かんでいた。
無理もない。
大手事務所に所属すれば安定した報酬が得られる時代、ギルド所属のハンターはどこも慢性的に人手不足だ。
それに加え、今この都市では——。
(雪菜が休業中。そして、ギルドを裏で支え続けていた冬馬が動けない)
思わず眉を寄せる。
医療棟で見た彼の姿が脳裏に蘇った。
静かに眠る顔。だが、その奥に潜む闘志の炎は、決して消えていなかった。
鞠子はゆっくりとカウンターへと向かう。
歩く途中、耳に入るハンターたちの会話が、否応なく心を引き寄せた。
「くそっ、クエストをいくら片づけても終わらねぇ。まるで底なしだ!」
「文句言っても仕方ないでしょ! ……私たち、今まで冬馬君や雪菜ちゃんに頼りすぎてたの。こんな時こそ、恩返しする番よ!」
別の卓から、壮年の男の声が響く。
「冬馬には本当に頭が上がらん。あんな不遇に何年も耐えて、愚痴一つ言わずにギルドを支えてきたんだ。後輩の面倒まで見ながらな。……俺も見習わんと」
さらに、若い女の声が重なる。
「なんか……冬馬さんがいないと、ギルドから火が消えたみたい。普段は無口なのに、居るだけで空気が変わるんだよね……。冬馬さん、早く良くなってほしいな」
ほんの入口からカウンターまでの距離に、これほど冬馬の名が飛び交うとは思いもしなかった。
誰もが彼を慕い、信頼し、支えにしている。
(……みんな冬馬冬馬…か)
鞠子は、胸の奥に奇妙なざわめきを感じていた。
それは羨望にも似て、好奇にも似た感情だった。
やがてカウンターにたどり着くと、受付嬢・アイリスが鞠子に気づき、ピクリと肩を震わせた。
その表情に、鞠子は一瞬言葉を失う。
彼女の瞳には警戒と——痛みがあった。
(……無理もない。聞けば、アイリス嬢は冬馬と雪菜が小さい頃から世話をしてきたという。今、目の前にいる私は——その雪菜の身体を男に作り変えた張本人。憎まれて当然だ)
鞠子は受け入れる覚悟をしていた。
罵倒でも、拒絶でもいい。
その痛みを背負うのが自分の責任だと。
だが、次の瞬間——。
アイリスはまっすぐに鞠子を見つめ、勢いよく頭を下げた。
「九条先生っ! あの時は……本当に、ごめんなさい!」
「——は?」
鞠子は思わず素っ頓狂な声を上げた。
叩かれる覚悟はしていたが、謝られるとは思ってもみなかった。
「な、何を言っている? 頭を上げてくれ、アイリス嬢。一体どういうつもりだ!」
慌てて声を掛けると、アイリスはおずおずと顔を上げ、潤んだ瞳で言った。
「先日、キャラバンライナーの中で……感情に任せて、貴女を叩いてしまって……」
彼女の声は、途中からどんどん小さくなっていった。
鞠子は一瞬言葉を失い、それから静かに息を吐いた。
「いや……謝ることじゃない。あの時の君の反応は、至極当然だ。雪菜を想えばこそだろう。何より、あの場でちゃんと謝罪は受けている」
だが、アイリスは首を横に振る。
その表情は、自分を責める色に満ちていた。
「それでも……あの時の私は、完全に冷静さを失っていました。八つ当たりだったんです。雪菜ちゃんの覚悟を、踏みにじるような真似をして……。本当に、最低でした」
その言葉に、鞠子は目を見開いた。
怒りでも敵意でもない。
彼女から溢れているのは、真摯な後悔と誠実な思いだけだった。
(……なんなんだ、ネクサスの人間は。完全に私の理解を超えている)
戸惑う鞠子に、アイリスはさらに深く頭を下げた。
「それに……冬馬君を助けてくださって、本当にありがとうございました。あの子は私たちにとって、家族のような存在なんです。先生のおかげで……救われました。本当に、感謝しています」
その一言で、鞠子の胸の奥が不意に熱くなる。
それは、誰かの「ありがとう」に救われた、かつての自分の記憶を呼び起こした。
(また……冬馬、か)
ネクサスという都市の中で、彼の名は一種の“灯”のように語られている。
それを支えようとする人々の温度が、鞠子の心に静かに染み込んでいった。
「……アイリス嬢、顔を上げてくれ。君の気持ちは、もう十分伝わった」
鞠子はそう言いながら、わずかに口元を緩めた。
「むしろ私のほうこそ、礼を言わなければな。……ありがとう」
アイリスが驚いたように目を見開き、やがて安堵の笑みを浮かべる。
その笑顔に、鞠子はまたひとつ、この都市の“温度”を感じていた。
(なるほど……これが、“ネクサス”か)
人と人とを繋ぐ、確かな温もり。
その中心に立つ男——冬馬。
鞠子の興味は、もはや単なる好奇心ではなかった。
医者として、一人の人間として。
彼という存在を、もっと知りたいと強く思った。
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