第52話:「継承の代償」
冬夜の表情が一変する。決意を固めた戦士の面持ちで、静かに告げる。
「……これより、《銀翼の龍王》の力の一部を、冬馬に与えます」
そう言うと、冬夜はゆっくりと両手を胸の前に掲げた。すると、彼の両掌の間に、眩い銀色の光が瞬く間に生まれ、粒子が舞うように空間に揺れ始める。まるで夜空に落ちた星の欠片。見る者の心を吸い込むような、美しくも異質な輝きだった。
「この光は、龍王の“核”──魂の一部です。これを体に流し込んでから、少しの猶予の後……試練が冬馬を襲うでしょう。耐えられなければ……その肉体は、魂ごと粉々に砕けて消えます」
静かに、だがあまりにも重いその言葉に、シャロンの呼吸が止まりかけた。
「っ……そ、そんな……!」
彼女は言葉を飲み込みながら、それでも縋るように問いかけた。
「回復魔法を……せめて、回復魔法で体を強化しておけば……何か変わるんじゃ……」
だが、冬夜は静かに首を横に振る。
「残念ながら……この儀式においては、外部からの魔力介入は一切無効です。回復魔法も、ポーションも、すべて……意味を持たない。冬馬は、自らの魂と肉体だけで、この力を受け入れるしかないのです」
その瞬間、冬夜は迷いのない動きで、両掌の銀光を昏睡した冬馬の胸元へとそっと当てる。
──シュウウウ……
銀の光は、抵抗の一切を見せず、まるで帰るべき場所を知っていたかのように、冬馬の体へと吸い込まれていった。
そして──
沈黙。
ただ、無音の空間が支配する。
シャロンは息を潜め、冬馬を見つめた。
「……何も……起きていない?」
不安を滲ませた声に、冬夜は穏やかに答える。
「……試練が発動するまでには、僅かに時間がかかります。その間に、これを預けておきます」
そう言って冬夜は、懐から一冊の手帳を取り出し、シャロンに手渡した。
手帳は革製の古びた表紙をしており、長い年月を感じさせる重厚な気配を纏っていた。
「これは……?」
問いかけるシャロンに、冬夜は静かに答える。
「雪菜ちゃんの今の状態についても、私たちは把握しています。その手帳には、ある《秘薬》の製法と材料が記されています。その薬を完成させれば──雪菜ちゃんの身体を、元に戻すことができます」
その一言に、シャロンの心臓が大きく跳ね上がる。
「……えっ……雪菜の体を……女に戻せる……?」
震える声で漏らしたその問いに、冬夜は確かな口調で頷いた。
「はい。間違いなく。その秘薬は、その者の体を万全へと戻します。ただし──」
「……ただし……?」
希望と同時に、不穏の影が差す。冬夜は口調を引き締めた。
「その秘薬、《エリクサー》を完成させるには、極めて希少で危険な材料が必要です。1つは《神酒、(ソーマ)》──極めて危険なダンジョンの奥深くに眠る神聖な液体。もう1つは、《オリジナルポーション》──アーヴェリスに存在した、あらゆる回復薬の原型とされる幻の薬です」
「オリジナルポーション……」シャロンは眉をひそめる。「それは聞いたことがあるけど……ソーマというのは……」
「知っている者はほとんどいないでしょう。ソーマが眠るダンジョンの場所は、手帳に記してあります。A級ハンターでなければ、生きて帰るのも難しいほどの場所です」
シャロンは、手にした手帳の重さが、心の底までのしかかるのを感じた。
「……これを……冬馬と雪菜には……?」
「しばらくは、秘密にしておいてください。たとえ冬馬が龍王の力に耐えたとしても、彼らにはまだエリクサーの材料を手にする実力がない。時が来たら──判断は、シャロン先生に委ねます」
その言葉に、シャロンはゆっくりと頷いた。眼差しは真っすぐに。
「……わかりました。今はまだ話しません。でも、いつか必ず……エリクサーを完成させて、雪菜を、元に戻します」
冬夜はその言葉に、深く、感謝のこもった頷きを返した。
「……ありがとうございます、シャロン先生。本当に……この子たちを……よろしくお願いします」
そして──
彼は冬馬の傍へと戻り、そっとその頭を撫でる。
「冬馬……。すまないな……兄ちゃん、何もしてやれなかった。だけど……今度こそ、ちゃんとお前を守るために、力を託すよ。戦いに巻き込みたくはなかった。でも、お前なら……雪菜ちゃんと一緒に、未来を変えられる。……だから、生きろ。絶対に──生きてくれ」
震える声で、涙を堪えながら言葉を捧げた。
──そして。
「……私は、もう行かなくてはなりません。仲間たちが、今も命を懸けて戦っています。説明不足を許してください。どうか──二人を頼みます」
シャロンは、深く息を吸い込み、ただ一言。
「……任せてください。絶対に、守り抜きます」
冬夜はそれに、静かに一礼した。
「……ありがとう。心から、感謝します」
その直後──彼の姿は、音もなく、まるで幻のように掻き消えた。
銀の光だけが、しばらくその場に残っていたかのように、揺れていた。
シャロンは、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我に返り、昏睡状態の冬馬へと近づいた。
その顔を見下ろしながら、静かに、心からの願いを込めて囁いた。
「……負けないでね、冬馬。あなたは……絶対に、生きるのよ……」
部屋には再び、静寂が戻っていた。
だがその中心で、確かに運命は動き始めていた──。




