第42話:「帰還、そして交錯する想い
それから――雪菜は、再び静かに眠りについた。
本来ならば、今ごろ彼女は病院のベッドで、絶対安静の状態でいなければならない。だが、彼女の体は無理を重ね続けていた。限界を超えてなお動き続けたその代償は、確実に彼女の身を蝕んでいた。
キャラバンライナーの内部を支配していたのは、ただただ沈黙だった。誰もが言葉を失い、ただ、魔力駆動の微かな機械音が、低く規則的に響いていた。
もうすぐトウキョウ・ネクサスへと到着する。ようやく、長い戦いの終わりが見え始めていた。
そんな静寂の中、ぽつりとアイリスが口を開いた。
「……九条先生。さっきは手を上げてしまって……謝罪します。あの時、私は冷静じゃなかった。でも……それでも、私はあなたを許せない……」
その言葉は震えていた。けれど、それでも真っすぐだった。雪菜を想う気持ちから来る、抑えきれない葛藤の吐露だった。
鞠子は、まっすぐにその言葉を受け止めた。
「当然の反応です。貴女だけではない。ギルド中の誰が私を糾弾してもおかしくない。私は、それだけのことを……したんだ」
その表情には、医者としての矜持と、どうしようもない悔恨の色が滲んでいた。
すると、運転席から宗一郎の低い声が響いた。
「……そこまでにしよう。過去は変えられない。今、我々が考えるべきは“これから”のことだ」
その声には、長年多くの修羅場を乗り越えてきた男の、確固たる覚悟があった。
「まずは、雪菜を安全な場所で休ませること。冬馬の方も……状況は楽観できない。シャロンが付いているとはいえ、ギルバートの命令で、やつの取り巻きが動いていると聞いた。昏睡状態の冬馬が狙われたら、ひとたまりもない」
宗一郎の眉間には深い皺が刻まれていた。ギルド長として、そして一人の男として、彼もまた深い責任を背負っているのだ。
(まずは情報の整理と共有が急務だ……だが、何より今は、皆に少しでも休息を与えねばならん。今回は……色々ありすぎた)
そのとき――キャラバンライナーが静かに減速し、トウキョウ・ネクサスのゲートに滑り込んでいった。
やがて扉が開き、宗一郎はそっと雪菜を担架に乗せると、控えていた職員たちへと命じた。
「彼女を医療棟へ。くれぐれも慎重に運んでくれ。……かなり衰弱している」
キャラバンライナーの駆動部では、いまだ魔力を注ぎ続けていたハンターたちへと、宗一郎は感謝と労いを込めて言った。
「……すまない。もう少し、だけ頼む」
職員たちの手によって、雪菜は慎重に、丁重に運ばれていった。その傍らには、鞠子が無言で付き添っていた。
一方、アイリスは迷った末、ギルド本部へと戻っていく。後ろ髪を引かれる思いだった。だが、これ以上ギルドを空けておくわけにはいかない。宗一郎と自身が不在の間、残された職員たちの負担は計り知れない。
医療棟では――
シャロンが、ICUから出てきたところだった。
彼女は、暇さえあれば冬馬のそばに付き、何度も何度も医療魔法をかけていた。だが、その魔力は、ジャガーノートの瘴気に悉く弾かれてしまっていた。
(どうして……?これほど強い瘴気……いや、これは……瘴気とは違う……)
シャロンの顔に、強い焦燥が浮かぶ。彼女ほどの使い手であれば、普通の瘴気など一瞬で浄化できるはずだった。なのに、何度試みても、結果は同じ。
(これも……ギルバート……あなたが……!)
拳を握る。爪が食い込んでも、痛みすら感じない。怒りと無力感に、全身が震えそうだった。
強ければ、何をしても許されるのか?
誰かの大切な人を踏みにじって、それで満足か?
(ふざけるな……!)
「絶対に……死なせない……!」
その言葉は、静かに、しかし鋼のように堅く響いた。
――昔、冬馬に助けられた。
今度は、シャロンの番だ。
雪菜のことも、気がかりだった。できることなら、自分が雪菜を探しに行きたかった。だが、冬馬を放っておくことなど、できるはずもない。
……雪菜が、男の身体にしてほしいと願い出たあの日。
シャロンは、その願いを拒んだ。
できるわけがなかった。
なぜなら、雪菜の“本当の想い”を知っていたから。
彼女は、気づいている。
雪菜が目を背け続けている、その想いに。
なぜなら、自分もまた――同じ想いを抱いていたから。
シャロンは祈った。
どうか、間に合ってくれますように。
雪菜が、取り返しのつかない選択をしてしまう前に――
だが、その祈りは、あまりにも儚く、そしてあまりにも遅すぎた。
医療棟の廊下の奥から、担架が現れる。
その上に、眠る雪菜の姿があった。
寄り添うように付き添うのは、見知らぬ女性――鞠子。
胸の奥で、嫌なざわめきが膨れ上がる。
(……まさか)
シャロンの中で、眠っていた不安が、黒く、赤く、形を成していく。
雪菜が……取り返しのつかないことをしたのではないかという予感が、喉元を、心臓を、鋭く締め付けていた。
――それは、直感ではなかった。
確信に近い、恐るべき現実の予感だった。




