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第39話:「心と身体の距離」

二人はバーの外に出て、ひとまず呼吸を整えた。夜のサイタマ・ノード。雑然とした空気の中にも、どこか冷えた静寂が漂っていた。

照明の落ちた通りは、灯りの届かぬ影を濃くし、ふたりの吐く息さえも白く、儚く消えていく。


鞠子はその場に腰を下ろし、壁にもたれながら荒い息をつく。

手術に要した時間は、実質わずか数時間だった。だがその間、彼女は高精度な手術操作と、連続した治癒魔法の同時行使を成し遂げたのだ。


鞠子は雪菜から手術前に聞いた、シャロンの冬馬への手術の内容を思い出す。


「……ったく、あの女狐め。あれを平然と12時間もやっただと……?」

思わず呟くその声には、自嘲と敬意が入り混じっていた。


鞠子の腕も、決して劣ってはいない。この国で、並ぶ者は数えるほどしかいないだろう。

だがそれでも、あの“伝説の女医”と同列に語られるには、まだ距離がある。

彼女自身、それを誰よりも自覚していた。


そして、その傍らにいる雪菜もまた、術後の全身の鈍痛と、心の奥底からの悲鳴に、今にも膝をつきそうになっていた。


女の心を持ったまま、身体を男に変える——

それは、単なる医学的変化などではない。

魂にまで揺さぶりをかける、自己否定に近い“変質”だった。


雪菜は、ぐらりと身体を揺らしながら、必死に立ち続けていた。

ふらつく彼女の肩を、鞠子が支える。


「雪菜、お前……どんな手段でこのサイタマ・ノードまで来た?」


「……ライドギアをレンタルして、ここまで……」


その答えに、鞠子はあきれたように息をつく。


「術後の身体で、あの振動の塊に乗って帰るつもりだったのか? 傷口が裂けて死にかねんぞ、馬鹿者が……」


「……ごめんなさい。でも……ボク、早く帰らなきゃいけないんです……」


震える声。

絞り出すような言葉に、鞠子の眉がわずかに寄る。


「……また“冬馬”か。……雪菜、その冬馬ってやつ、お前にとって一体何なんだ?」


雪菜は言葉を詰まらせる。一度口を開きかけ、すぐに閉じた。

その心の中に浮かびかけた感情を、強引に飲み込む。


——それは、認めてはいけない。

たとえ本心でも、言葉にしてしまえば、何かが壊れてしまう気がした。


「……冬馬は……ボクの、憧れであり……相棒です。……大切な……」


遠くを見るような、虚ろな目。その横顔に、鞠子は何かを感じ取っていた。

言葉にならない“それ”の正体に、踏み込むのが恐ろしかった。


「……お前、それは……」


だが、その先の言葉は続かなかった。

もう、手術は終わってしまった。時間は巻き戻せない。

今この瞬間に問いを投げることは、あまりにも残酷だった。


(私は……過ちを犯したのかもしれない。いや、もう……取り返しがつかない……)

何故、自分はこの手術の依頼を受けたのだろう。断ることは出来た。いや、いつもなら断っていただろう。

だが、シャロンが手術を断ったと聞いた瞬間、受けることを決めていた。

それはあるいは、ついぞ届かなかった、シャロン・セイルズという天才への対抗心だったのか。


(だとしたら、私は最低最悪の医者だな)


鞠子は唇を噛む。だが、その自責を振り払い、目の前の現実に集中しようとする。


——今、優先すべきは、雪菜を安全に送り届けることだ。


「……さて、どうしたものか……」


ライドギアは論外。振動を完全に除くことはできない。

魔術で痛みは抑えているが、雪菜の身体は本来なら絶対安静が必要な状態だ。

それに、今の彼女にもうひとつでも心が揺れれば、身体よりも先に“精神”が崩れてしまいかねない。


(他の手段は……あるか?)


交差クロスによって世界のインフラは破壊され、旧世界の自動車などはとうに姿を消している。

それでも、いくつかの手段はある。


——《浮走艇》キャラバンライナー。


魔導船型の浮遊ビーグル。オーラや魔力を燃料にし、多人数を振動少なく運ぶ特別仕様。

負傷者の搬送などにも使われる、現代における数少ない“高精度の移動手段”の一つ。


だが、問題も多い。


まずは絶対数が圧倒的に少ない。一都市に数台あれば良い方で、個人所有などは論外。

生産に必要な素材は、上級ダンジョンの奥深くでしか手に入らないような超希少物ばかりだ。


そして何より、膨大な魔力とオーラを消費する。

大型であるがゆえ、運転できるのは高位の魔術士か、膨大な魔力量をもつ一部のハンターに限られる。


——今の鞠子と雪菜に、そんな手段を用意できるはずがない。


(無理だ。……だが、他に方法は……)


途方に暮れながらも、立ち止まっているわけにはいかない。

とりあえず、雪菜が乗ってきたライドギアを回収することだけでも済ませる必要があった。


二人はゆっくりと歩き出す。

サイタマ・ノードの入口にある、レンタル駐車場へ向かって。


どこか壊れそうなほどに儚い沈黙が、ふたりの間を満たしていた。

交わす言葉はなくとも、歩幅を合わせ、支え合いながら進む。


焦る気持ち。

叫び出しそうな胸の奥。

でも、それを押し殺して。


雪菜は、ただ前だけを見て歩いていた。

冬馬の元へ、戻るために。


その決意だけが、雪菜を支えていた。

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