第33話:特別な背中
シャロンは知らなかった。
あのとき――冬馬は、自身の限界をとうに超えていたということを。
《セカンドアクセル》は、身体能力を一時的に二倍に引き上げる強化技だが、その代償は大きい。筋肉・関節・神経への負荷は凄まじく、長時間の使用は本来、自殺行為に等しい。
それでも、冬馬は迷わず踏み込んだ。
弱さも痛みも、仲間の前では一切見せなかった。
赤いオーラを纏ったまま、冬馬は雄叫びを上げるキングコボルトと対峙した。まるで凶獣のような巨体。その鋭い爪と巨大な棍棒が空を裂き、地を砕く。しかし冬馬は一歩も引かない。
「――来いよ、デカブツ!」
冬馬の一声に、戦意を喪失しかけていた仲間たちの目に、再び火が灯った。
彼が稼ぐ“時間”と“ヘイト”――それは、何よりの希望だった。
その間に、医療ハンターたちの懸命な治療が続けられ、倒れていたE級ハンターたちも徐々に立ち上がっていく。
――そして、流れが変わった。
冬馬がキングコボルトの注意を引きつけ続けることで、他のハンターたちが無理なく立ち回れるようになったのだ。連携が生まれ、攻撃が重なり、徐々に巨体が削られていく。
「今だ、押し込め!」
「畳みかけろ、もう一息だ!」
叫びと斬撃が交錯する中、冬馬の一撃がキングコボルトの膝を砕く。そこへ、E級ハンターたちの一斉攻撃が重なる。
――そして、ついに。
キングコボルトの巨体が、地響きを立てて崩れ落ちた。
静寂が訪れた。
全員がその場に立ち尽くす。
討伐成功――だが、信じられなかった。あのD+クラスの魔物を、中心戦力がE級、そして冬馬に至っては“G級”であるこのパーティが討ち取ったなどと。
冬馬は、G級に上がったばかりの新人。討伐系の任務を解禁されたばかりのはずだった。
――なのに、その背は、誰よりも頼もしかった。
誰かが、ぽつりと呟いた。
「あいつ……本当に、G級か?」
そんな声が漏れる中、冬馬はふらつく足取りでシャロンの元へと向かった。その身体は、無数の裂傷と痣に覆われている。
それでも、彼の目はしっかりとシャロンを捉えていた。
「……シャロン、待たせてゴメンな。大丈夫だったか?」
そして、年上である彼女の頭を、まるで子どもをあやすように、優しく撫でた。
その瞬間――シャロンの心の糸が、ほどけた。
緊張が一気に解けて、涙があふれ出す。
「バカ……あなたの方が傷だらけじゃない……バカぁ……!」
震える声で絞り出したのは、そんな言葉だった。
本当は、感謝を伝えたかった。
『来てくれてありがとう』
『助けてくれて、本当にありがとう』
でも、口から出たのは正反対の言葉。それでも、冬馬は笑った。
「うん。やっぱり、シャロンの治癒魔法が一番効くな!」
その言葉に、シャロンは泣きながら笑った。
――その瞬間から。
冬馬は、シャロンにとっての『特別』になった。
危険なときに、必ず駆けつけてくれる。
私だけのヒーロー。
いい歳をして、そんなことを思ってしまうなんて、誰にも言えなかった。
やがて、遠征メンバーは〈トウキョウ・ネクサス〉へと帰還する。
命がけで手に入れた希少薬草は、すぐに〈ネクサス製薬部門〉で加工され、《ハイポーション》となった。
数日後、それは別の遠征小隊の手に渡る。困難な任務で、多くの負傷者を出したが――ハイポーションのおかげで、誰一人命を落とさなかった。
帰還したその遠征小隊は、シャロンたちに何度も頭を下げた。感謝を伝えてきたのは、彼らだけではない。
彼らを待っていた家族、恋人、友人――多くの人々が、礼を述べに来た。
その時だった。
シャロンが、心の底から思った。
(……ああ、私……医療ハンターになって、本当に良かった)
これまで幾度となく、自分の無力さに打ちひしがれた。けれどこの瞬間だけは、胸を張って、そう言えた。
「――うん……? 夢……?」
シャロンは、ぼんやりと目を覚ました。
白い天井。静かな空気。ここは、医療棟のICU。彼女は冬馬のベッドの傍らで、いつの間にか眠ってしまっていた。
「ああ……私……」
ぼそりと呟き、すぐに思い出す。
「……雪菜!」
シャロンは立ち上がりかけて、ふと動きを止めた。
ベッドで眠る冬馬の顔。その頬に、そっと手を伸ばす。
「冬馬……早く、目を覚まして……」
声は震え、頬はほんのりと紅に染まっていた。
「私の……ヒーロー……」
ぽつりと、想いを零しながら――彼女は、再び優しく、その頬に触れた。




