第30話:決意と拒絶
「――何をバカなこと言っているの!!」
シャロンの声が診療室に響き渡った。
静かな空気が、一瞬で破られた。彼女は手に持っていた治療道具を思わず落とし、震える手を、必死に抑え込んだ。
「そんなこと、考えてはダメだって……前にも言ったでしょう!?」
雪菜は、悲しげに目を伏せた。唇がわずかに震えている。それでも、口から出た言葉は、すでに諦めを超えた覚悟に満ちていた。
「……ごめんね……でも、ボクには……もうこれしか思いつかないんだ」
「……っ」
「ボク達じゃ、ギルバートを止められない。……ギルド本部にも、もうアイツの影響は及んでる。助けなんて、どこにも無いよ。……時間がないの」
静かな語り口だった。淡々と、しかし、残酷な現実を突きつけられるような重さがあった。
シャロンは首を振る。かぶりを振ることで、雪菜の言葉を否定しようと必死だった。
「だ、だめ……ダメよ!絶対にダメ!!」
その声は叫びとなり、やがて嗚咽混じりの訴えへと変わっていく。
「貴女の心は……女なのよ!?それなのに、身体だけを男に変えてしまったら……心が壊れてしまう……そんなこと、認められるわけない!!」
彼女の全身が震えていた。言葉が、喉を焦がすように出てくる。怒りでも憤りでもない。ただ――悲しみだった。
しかし、雪菜の意志は変わらなかった。迷いの色もない。ただ、シャロンの優しさに感謝するように、静かに言葉を返す。
「ありがとう、シャロン。……本当に、心配してくれて。ボク……嬉しいよ。でも、もう決めたの」
「……ッ!」
「ギルバートの取り巻きくらいなら、ボク一人でもなんとかなる。でも、ギルバート本人が動いたら……冬馬は、確実に殺される。だから――その理由を消さないと」
シャロンの足が一歩、二歩と後ずさる。診療室の壁に背が触れる。
「嫌……よ……できない……私には、そんなこと……できるわけないじゃない!!」
震える声。泣きそうな目。いや、もう涙はすでに溢れていた。
シャロンにとって、それは医師としての限界でもあり、人としての限界でもあった。大切な者を救うために、もう一人の大切な人の「本当の姿」を壊す――そんな選択、どうしてできようか。
けれど、雪菜は、穏やかな声で続ける。
「お願い、シャロン。……他の誰かじゃなくて、シャロンに手術してほしい」
シャロンの身体から、力が抜けた。膝が崩れ、床にへたり込む。
「私には……できないよぉ……!」
嗚咽が、診療室に響く。涙が頬を伝い、白衣を濡らしていく。
その姿を見た雪菜は、一瞬だけ寂しげな笑みを浮かべた。
「そっか……そう、だよね。ごめんね? 無理なお願いしちゃって。他に手術してくれる人……探してみるよ」
そう言って、雪菜は診療室のドアへと向かう。
「ま、待って……!」
シャロンは震える足で立ち上がると、雪菜の前に立ちはだかった。
「ダメよ、雪菜……! 冬馬があんな状態で……貴女まで、そんなことになったら……私……私は……!」
泣きながら叫ぶ。
「私は……耐えられない……!!絶対に行かせない……!!」
彼女の目には、恐怖と絶望と、どうしようもない愛情が宿っていた。
しかし――雪菜は、その心を切り裂くように、静かに、そして確かに言った。
「シャロン……本当に、ありがとう。でも……もう、決めたんだ」
その目には、一片の迷いもなかった。
「ボクは――男になるよ」
次の瞬間、雪菜の身体がふわりと動いた。シャロンの隙を突き、彼女の横をすり抜ける。
体術において、雪菜の方が遥かに上。シャロンには止められない。
「ま、待って、雪菜!!」
振り返った雪菜は、微笑んでいた。
「冬馬のこと……お願いね、シャロン」
そして――その姿は、診療室から消えた。
「雪菜……!!」
シャロンはその場に膝をつき、崩れ落ちた。
胸の奥で何かが裂ける音がした。
「なんでよ……なんで……どうして……!」
涙が床に落ちる。
雪菜の残した温もりだけが、そこにぽつりと残されていた。
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