第21話:《赤の極限(リミットブレイク)》
深い森の奥、血と土の匂いが立ち込める中――
冬馬は血まみれの身体を引きずり、巨獣との距離をどうにか広げようと必死に足を動かしていた。
後方では、巨獣が唸り声を上げ、ジリジリと追い詰めてくる。
その鋭い爪が、木の根をえぐり、牙が岩を砕く。まるで地獄の使者だ。
息は浅く、視界は二重にぶれる。
激痛が全身を蝕み、脈打つたびに傷口から血が流れ出す。
(……今動かなきゃ、確実に殺られる)
死の足音が背中に触れる。
冬馬は唇を噛みしめ、身体を支える脚に力を込めた。
「――セカンド……サードアクセルッ!!」
無理やり気を練り上げ、脚部の筋肉へと力を集中させる。
次の瞬間、身体に砕けるような衝撃と焼け付く熱が走った。
「ッッ……ぐぅあ……あああ……っ!」
声にならない悲鳴を喉の奥で噛み殺す。
骨が軋み、筋が裂けそうだ。それでも、身体を動かす。
――生きるために。
懐へと手を伸ばし、血に濡れた剣帯から、2本の投げナイフを抜き取る。
そして、半ば本能で、獣の巨体めがけて振りかぶった。
「喰らえッ!」
刹那、銀の軌跡が空を裂く。
一本は大気を切り裂いて飛んだが、ジャガーノートの分厚い前脚に弾かれた。
しかし――もう一本が、運命を変えた。
ズブリッ――!!
「グォオオオオオオオオッ!!」
鋭い悲鳴が森に響き渡る。
ナイフは、ジャガーノートの左目に突き刺さったのだ。
獣がのたうち回り、巨体を揺らす。
その隙を逃さず、冬馬はすぐさま木陰に飛び込み、荒く息をついた。
(……やった……いや、今のうちに、体勢を……)
大木の影に身を隠す。だが、油断はできない。
傷は深く、身体はすでに限界に近かった。
とくに胸の裂傷はひどく、片腕を動かすたびに血が滴っていた。
冬馬は、震える手で携帯バックからミドルポーションを取り出す。
それは、孤児院への仕送りを削って買った、唯一の高価な回復薬。
「……ごめんな……シスター、みんな。今回だけ……借りるぞ」
そう心で詫びると、まずは瓶の半分を傷口に直接流し込んだ。
「ッ……ぐぅぅぅぅ……!!」
痛みが、神経を焼いた。
身体がのけ反りそうになるのを必死に堪え、歯を食いしばる。
傷が、ゆっくりと閉じていく。出血は止まったが、完治には至らない。
次に、残りの半分を口に含み、流し込む。
薬の苦味が、口の中に広がる。血の味と混ざり、吐き気すら覚える不快な味だった。
だが、効果は確かだ。
打ち据えられた際にひびが入っていた肋骨が、ギシギシと音を立てて癒えていくのがわかった。
――残るはローポーション二つ、投げナイフ三本、簡易爆薬が三つ。
あまりにも心もとない戦力。
だが、それが万年金欠の冬馬に用意できた全てだった。
(……これでも、装備を新調してなきゃ、とっくに死んでたな)
雪菜が何度も援助しようとしてくれていたが、冬馬はそれを断ってきた。
雪菜は自分たちの孤児院だけでなく、他の施設にも支援をしている。
――そんな彼女に、甘えたくはなかった。
「……こんなことなら、少しは頼っておけばよかったかもな」
かすかに笑みが漏れる。
冗談を口にする余裕すらないはずの状況で、それでも笑う。
その姿は、哀しみを纏いながらも、どこか美しかった。
冬馬は静かに目を閉じ、オーラを全身に張り巡らせる。
治癒魔法のような効果はないが、それでもわずかに身体が温まる。痛みが、ほんの少しだけ引いた。
――そして。
木々の隙間から響く、重く唸るような足音。
怒気と殺意を纏いながら、ジャガーノートがこちらへと歩を進めているのが分かる。
その姿を感じながら、冬馬は深く深呼吸した。
――選択肢は、もうない。
(やるしか……ないよな)
限界を超えた戦闘技術。
《アクセラレーター》の五倍――禁忌の領域。
反動は必至。いや、生き残れる保証すらない。
だが、そうしなければ生き延びられない。
冬馬の身体から、赤いオーラが立ち上り始める。
今まで白だった気の奔流が、熱を帯び、血のような紅に染まっていく。
それは限界の証。
超えれば、代償はあまりにも大きい。
それでも――冬馬は、拳を握った。
彼を支える者たちの顔が、次々と脳裏をよぎる。
シスター、孤児たち、雪菜、シャロン、アイリス、宗一郎――
「……生きて、帰る」
呟いた言葉は、誓いのようだった。
刹那、地を蹴り、空気が悲鳴を上げる。
《フォースアクセル》を超えた、フィフスアクセル――
赤の閃光が、森を貫いた。




