表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/67

第15話:昇級の朝、讃えと影

 その朝、摩天楼の掲示板には、目ぼしい依頼がほとんど残っていなかった。


「……仕方ないな。狩りの時期、外れちゃったか」


 雪菜は肩をすくめつつ、軽い気持ちでハンターギルド・トウキョウ・ネクサス支部へと足を向けた。なにか他に良さげなクエストはないか――そう思っただけのつもりだった。


 だが、ギルドの扉を開けた途端、思わず足が止まる。


 ――騒がしい。


 いつもと違う、ざわめく空気。

 緊張感、というよりは何か軽やかな華やかさを含んだ音。かすかに笑い声も聞こえてくる。

 緊急任務……?と一瞬警戒するが、そういったピリピリした雰囲気ではなかった。むしろ、祝賀のような……浮き立つものを秘めた騒がしさ。


 雪菜は、近くにいた見知った顔のハンターに声をかける。


「すみません。何かあったんですか? ギルド、すごく賑わってるみたいですけど……」


 振り返ったのは、E級ハンターの青年。

 彼は、かつて自分がまだ駆け出しだったころに、冬馬が親切に接してくれたことを今でも忘れていなかった。


「あ! 雪菜さん!ちょうどいいところに!」


 妙に浮き足立った声に、雪菜は少し首を傾げた。


「ちょうどいい?」


「聞いて驚かないでくださいよ!……冬馬さんが、ついに昇級したんです!」


 ――その言葉は、まるで鐘の音のように、雪菜の胸に鳴り響いた。


 (……冬馬が……昇級……? 冬馬が……昇級!?)


 頭で理解するより先に、喜びが胸を満たす。身体の芯が熱くなる。思わず叫びそうになるのを、ぎゅっと堪えた。


 だが、その興奮を押し殺しながらも、雪菜は周囲の声に耳を傾けた。ギルド中に飛び交う冬馬の名前。その反応は、実にさまざまだった。


「おいおい、Eに上がるのに何年かかってるんだよ、あいつ」「Fで燻ってた理由、才能ないって話だったろ」


 見下すような声は、確かに存在していた。

 だが、それ以上に、温かな声もあった。


「やったぜ!ついに冬馬さんが昇級した!」「本当に良かった……あの人が報われて……!」「当然だ!むしろもっと上がっていいくらいだよ、あの実力なら!」


 雪菜の心に、またしてもこみ上げるものがあった。


(……そうだよ。ちゃんと見てくれてる人がいる……冬馬を……ボク以外にも、こんなにも……!)


 このギルドにも、ギルバートのような下劣な者ばかりではない。

 そう思えたことが、何より嬉しかった。


 だが、ふと、気づく。


(……本人は? 冬馬は、今どこに?)


 雪菜はギルド内を見渡す。すぐに見つかった。

 人だかりの中心で、祝福の言葉を受けている冬馬。困ったような、でもどこか嬉しそうな顔をして、ぽりぽりと頬を掻いていた。


 雪菜は、気づけば足を動かしていた。


 本当は、みんなの祝福が一段落してから声をかけるつもりだった。だけど――我慢できなかった。


「すみません、ごめんなさい、ちょっと通してください……すみません……」


 人波をかき分けて進む。気づけば、少しだけ肩が震えていた。


「……冬馬!」


 その声に、冬馬が振り返る。


「雪菜か? どうした、血相変えて」


 ――いつも通りの反応。

 それが、たまらなく愛おしく、嬉しかった。


「しらばっくれるなよ! ボクにすぐ教えてくれないなんて、水臭いじゃないか!」


 そして、胸の中にあふれるものが、ついにこぼれる。


「……冬馬……昇級……おめでとう……!」


 それしか言えなかった。

 本当は、もっと言いたいことが山ほどあったのに。


 冬馬は、そんな雪菜を優しく見つめ、微笑んだ。


「……ありがとうな、雪菜。お前や、みんなのおかげだ」


 雪菜はぐっと唇をかみ、目をそらした。


「……バカ。君の……実力だよ……。むしろ、もう一ランク上がっても良いくらいさ……!」


 ギルド内に集まっていた者たちも、二人のやり取りに拍手や歓声を送った。

 たかが一ランク。されど一ランク。

 妨害と不遇に晒され続けた冬馬にとっては、大きな、大きな一歩だった。


 だが――その場にいるのは、祝福の者ばかりではない。


 ギルドの隅に潜んでいた数人の男たちと女たち。

 彼らは、ギルバートの取り巻きだった。


「……いい気になっていられるのも今のうちだわ」「貴様のような野良犬が、ギルバート様の女に近づくなど……身の程知らずにもほどがある」「昇級? どうせ他の奴らにおこぼれを貰ったんだろうよ。あんなの偶然の産物だ」


 その視線と声に、冬馬も雪菜も気づいていた。

 だが、あえて何も言わなかった。

 この空気を――今この場にある、心からの祝福を壊したくなかった。


 ――そして、場所は変わる。


 摩天楼の一角、装飾も豪奢な一室。

 その部屋の主、ギルバート・グレイモアは、ソファに座り、グラスの中の琥珀色の液体を揺らしていた。


 取り巻きの一人が、冬馬の昇級とギルドの反応を詳細に報告すると、ギルバートは低く、静かに笑った。


「……好きに騒がせておけ。今はな」


 琥珀の光が、歪んだ笑みに反射する。


「なぁに……じきに思い知ることになる。あの野良犬も――雪菜もな」


 冷たい笑い声が、摩天楼の高みで微かに響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ