第32話:鍋の神話、そして呼び戻される者
夜の神殿跡。
焚き火が小さく揺れる中、鍋から静かに声がした。
「なあ、美咲。お前にちゃんと話さなきゃな」
美咲は顔を上げる。
ヴィクトリアも美咲の肩にそっと手を置いた。
◆◇◆
シレンツィアは語り始めた。
それはこの世界がまだ“境界”を持たなかった頃の話。
世界は繋がっていた。
この異世界と、美咲が生きてきた世界――
それらはかつて、一枚の大きな“生命の布”だった。
だが、人は“想いを食べる料理”に溺れた。
記憶を鍋で煮込み、過去も未来も他者のものを奪うことを覚えた。
それがやがて世界を引き裂き、二つの世界を完全に分けるきっかけになった。
「オレは、その裂け目を繕うために作られた鍋だ。
神々は、料理という“日常”で再び人を繋げようとした。
でも――人はまた欲を持ちすぎて、オレは封じられた」
◆◇◆
美咲はゆっくりと言葉を紡いだ。
「……じゃあ、私がここに来たのは?」
「偶然じゃない。お前は向こうの世界で、いつも人の心を繋ぐ料理を作ってた。
オレはお前みたいな奴を、ずっと待ってたんだよ」
「じゃあ私……最初から鍋に呼ばれてたの?」
シレンツィアは、少し照れくさそうに鍋の蓋をカタカタと鳴らした。
「……まあな。
でも選ぶのはいつだってお前だ。
鍋に触れたって、料理を続けるやつと、やめるやつがいる。
お前は……やめなかった」
◆◇◆
そのとき。
風が神殿跡の奥から吹き抜けた。
砂が渦を巻き、そこに黄金の光が集まっていく。
「誰か、来る……!」
ヴィクトリアが剣を構える。
だが現れたのは、戦士でも魔術師でもなかった。
白い僧衣に身を包んだ若い女が、静かに歩み寄ってきた。
「貴女が……アマギリ・美咲?」
声は穏やかだったが、目だけは深く研ぎ澄まされていた。
◆◇◆
「私は、《調理神殿》の巫女、イストリア。
鍋の神話を記す者にして、この世界の料理を監理する役目を持つ者です」
イストリアはシレンツィアを見つめ、深く頭を下げた。
「貴方はこの世界の祝福。ですが同時に、“記憶を煮詰める罪”です。
私はそれを再び封じに来ました」
「……そんな。せっかく、シレンツィアが私を選んでくれたのに」
「選ばれたのは貴女だけではありません。
ヴィクトリア・エルミナ。貴女もまた、鍋に心を寄せ、その罪を分かち合おうとしている」
ヴィクトリアが美咲の手を強く握る。
「罪でもいいわ。
この鍋と、私の愛しい料理人を奪うなら、あなたと神殿ごと戦うことになるわよ」
◆◇◆
イストリアは少しだけ目を細めた。
「ならば――いずれ決断を迫る時が来ます。
鍋と共に世界を再び繋ぐか、あるいは鍋を滅ぼしてこの世界を守るか。
それを選ぶのは、貴女たちです」
風がまた吹き、巫女の身体は砂の中へ溶けるように消えていった。
ただ、最後に小さく声だけが残った。
「願わくば、あなたの料理が“人を壊すもの”ではなく、“また結ぶもの”でありますように」
◆◇◆
夜。
二人は火のそばで寄り添い合い、眠れずにいた。
「ヴィク……ごめんね。こんな大きなもの、背負わせちゃって」
「馬鹿ね。私があなたを好きになったのは、鍋のせいじゃない。
あなたが“食べさせたい”って言ったその声が、私をここまで連れてきたの」
美咲の瞳に、涙がにじむ。
そっと指先が触れ合い、小さな誓いがまた結ばれた。
▽ 鍋と絆の更新ログ
項目内容
絆段階∞(互いの魂と鍋が同調し、運命共有レベル)
鍋スキル:《縫神の気配》世界の亀裂を僅かに癒す香気。近くの人々に過去の幸福を一瞬映し、争いを躊躇させる
ヴィクトリア美咲を守る魔力が完全に共鳴し、鍋の力を介して空間結界を一時展開可能に




