第3話:悪役令嬢と、朝のパンと鍋粥と
朝日が森の木々の隙間から差し込む頃、焚き火の灰の中で静かに余熱を保っていた鍋が、ふたたびくつくつと音を立て始めていた。
「……いい匂いがする」
ヴィクトリアは目をこすりながら、美咲が鍋をのぞき込む姿を見つめていた。
昨夜、初めて出会った“魔鍋の女”――否、元料理人・美咲。
その鍋から生まれたスープは、魔術でも薬草でも癒せなかった心の疲れを、すうっと和らげた。
それが、彼女の鍋の“真実”だった。
「おはよう。よく眠れた?」
美咲は鍋の蓋を開けながら微笑んだ。
「ええ、驚くほど。……あのスープ、魔法じゃなくて、なんなの?」
「んー、愛情……かな? ま、コンソメと野菜の力も侮れないけど」
そう言ってすくいあげたのは、昨日の残りスープにパンを浸して煮込んだ、即席の“鍋粥”。
しっかりとした朝食とは言えないが、味と香りは十分に人の心を癒すだけの力を持っていた。
「……あなたの鍋、やはりただ者じゃないわね」
「うん、ただの銅鍋だよ。焦げ付きやすいし、フタがゆるいし……でも、ずっと使ってきたから、手放せないの」
美咲は小さな笑みを浮かべながら、木のスプーンをヴィクトリアに渡す。
令嬢は戸惑いながら、それを受け取り、一口、二口と口に運ぶ。
パンが溶け込んだスープは、昨夜とは違う、やさしくほの甘い味がした。
「……あなたが来てから、何かが変わった気がするの」
「気のせいじゃないなら、たぶんそれ、血糖値のせいかも」
「……? 何の呪文?」
「いいの、こっちの世界じゃ流行ってない冗談だから」
ふたりの間に、昨夜とは違う穏やかな空気が流れる。
だがそのとき――
「令嬢!! ご無事でしたかッ!!」
森の奥から、複数の馬の蹄の音。
現れたのは、豪奢な鎧に身を包んだ騎士団と、それに続く使用人らしき一団だった。
「……あら、迎えに来たのね」
ヴィクトリアはさりげなく鍋を隠し、美咲の前に立つ。
「この方は私の命を救ってくれた恩人。軽々しく扱えば、家門の名に関わるわよ?」
「……し、しかし、その者は“魔鍋使い”との噂も……!」
「“魔鍋使い”じゃないわ。“鍋の魔法使い”よ。そう呼びなさい」
ヴィクトリアの毅然とした態度に、騎士団は押し黙る。
「あなた、私の屋敷に来なさい。命の恩人を森に置いていくわけにはいかないでしょう?」
美咲はぽかんと口を開けたまま、パン粥をかき込んだ。
異世界の朝は、どうやら忙しくなりそうだった。
▽ 成長ログ:美咲の料理スキル
スキル名効果備考
鍋粥のやすらぎ睡眠効果と心的疲労の回復を促す夜明け時限定の効果が上昇
食卓の盾(仮)食事をともにした相手が味方する信頼度によって発動強度が変化
料理による会話誘導料理中に心を開きやすくなる人間以外にも有効?
▽ あとがき
ご覧いただきありがとうございます。
第3話では、美咲とヴィクトリアの距離が少しずつ縮まってきました。
“食事を共にする”ことで生まれる信頼、それを描くのが本作のテーマのひとつです。
次回はいよいよヴィクトリアの屋敷へ移動し、貴族社会×鍋料理の衝突が……?
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