第29話:砂の街と、鍋を壊す者たち
街道をさらに南下し、ふたりは砂漠の交易都市へと辿り着いた。
白い石畳と褐色の建物。
風が吹くたび、乾いた砂が地面を這い、商人たちの軽口に混じって幾度も“鍋”の噂が耳に届く。
「……ここでも広まってるのね、シレンツィアの話」
「うん。いい噂ばかりじゃない。“人の心を操る魔鍋”だって怖がってる人も多い」
「……私、守りたいわ。この鍋も、あなたも、そしてあなたの作るスープも」
ヴィクトリアがそっと鍋を撫でる。
◆◇◆
その夜、砂漠の市場跡地に鍋を置き、小さなスープ屋を開く。
干した砂瓜と塩羊肉を煮込んだスープ。
塩辛さの奥に、羊の甘い脂がじんわり染みる。
「……砂漠の味だね。ちょっと荒っぽいけど、身体に沁みる」
「そうね。食べてくれる人の顔が見れるの、やっぱり嬉しい」
だが、そんなひとときは長く続かなかった。
突如、鍋の側に影が落ちる。
◆◇◆
「おや、こんなところで商売とは奇特なことだ」
現れたのは、黒装束に身を包んだ数人の男たち。
胸元には、《鍋破り》の刻印。
鍋を制御不能な魔具と見なし、破壊することを使命とする宗派集団だった。
「我々は“鍋を壊す者”。
その鍋は危険だ。この地で人の心に触れる前に、処理させてもらう」
「やめて――!」
ヴィクトリアが前に立つ。
「この鍋は、人を救うの。奪わないで」
「救う? お嬢さん。人の心ほど醜いものはない。
鍋はその醜さを増幅し、争いを生む。
我々は、それを何度も見てきた」
黒衣の男が短剣を構え、鍋に歩み寄る。
◆◇◆
「シレンツィア、お願い!」
美咲の声に応じて、鍋の奥から柔らかな光があふれ出す。
その光は男たちに触れた瞬間――
幼い子供が母に抱きつく映像や、仲間と酒を酌み交わす記憶へと変わった。
「……これは……俺の……弟……?」
「……昔の、妻……」
短剣を持った手が震える。
「ほらね。鍋は、人を救えるんだよ」
美咲の声は小さかった。けれど、確かな強さがあった。
だが、その中の一人は違った。
「――それが悪だ!」
男は光に目を伏せると、鍋へ刃を振り下ろそうとした。
◆◇◆
ガキィィィィン――!
火花が散る。
ヴィクトリアが間に入り、剣で短剣を弾いた。
「やっぱり私は、あなたを絶対に譲らない。
鍋を――美咲を、絶対に壊させない!」
「ヴィク……!」
鍋が一瞬強く光り、スープの香りが周囲を包む。
怒りや憎しみが、わずかに緩む。
黒衣の男は舌打ちし、仲間と共に後退した。
「……逃げるか」
「いや、撤退だ。まだ鍋は完全に覚醒していない。また機会はある」
そして彼らは、夜の砂の中へと消えていった。
◆◇◆
戦いのあとの静けさ。
美咲は鍋を抱きしめ、ヴィクトリアの方へ顔を向けた。
「ありがとう、ヴィク。私……」
「もう言わなくていいの。分かってる。
私はこの鍋を守りたいんじゃない――
鍋を抱えるあなたが、泣かずに済むように守りたいだけ」
美咲は、小さく息を飲んだ。
そしてそっと、ヴィクトリアの肩にもたれかかる。
砂漠の冷たい夜風の中、鍋だけが小さく暖かく、ふたりを照らしていた。
▽ 絆ログと鍋の進化
項目内容
絆段階SSS(もはや互いの生きる理由に近づきつつある)
鍋スキル:《共鳴結界・砂塵》攻撃を“情景記憶”で鈍らせる防御効果が追加。対象は攻撃者の過去を一瞬追体験し動揺する
ヴィクトリアの成長感情を鍋とリンクさせ、防衛の力を直接引き出すレベルに到達
▽ あとがき
今回は、ふたりが「鍋を壊す者たち」に遭遇し、
それでもなお鍋を、人を、未来を守る選択をした回でした。
ヴィクトリアの決意はもはや“鍋を守る”を超えて、
美咲という料理人そのものを守る愛に近づきつつあります。




