猫達のふわふわ隠れ家
ホプが棚の上で、うとうとしていた。
白い毛並みに陽が差し、ふわふわの背がゆっくりと上下している。
その隣で、メルが灰色の体を丸めて眠っていた。
耳の先だけが時おりぴくりと動き、浅い夢の中にいることがうかがえる。
雑貨屋の朝は、いつも静かだ。
ハーブの香りと、天井の梁を渡る風の音。人の気配もまだ少なく、カウンター越しにメルヴィルの足音が響くのみ。
そんな中、ホプの耳がぴん、と立った。
ぱちりと目を開ける。
――ふわふわ。
頭の奥に、思い出がふわりと浮かぶ。
あたたかい、やわらかい、すべすべしていて、ほんのり良いにおいがして――
モコ。
あの白くて大きな、城に住む飛竜。
そうだ。ついこのあいだ、レクサス・アルファードに預けられて城に泊まった夜。
初めてモコの腹毛に埋もれた、あのときのこと。
ホプは頭をもたげて、ぐるりと店内を見渡す。
メルも、ホプの動きに気づいて目を開ける。
まだ半分寝ぼけながらも、ホプの表情を見てぴくりと尻尾を動かした。
二匹は同時に立ち上がり、静かに、軽やかに棚を降りた。
足音はまるで風。開いていた勝手口の扉から、するりと外へ抜け出す。
朝の王都は活気に満ちていた。
行商人のかけ声、焼きたてのパンの匂い、子どもたちの笑い声。
だが、ホプとメルにとってはすべて背景でしかない。
ふたりは曲がりくねった路地を縫い、建物の陰をすり抜け、
石畳のきらめきを足元に感じながら、城門へ向かって進んでいく。
途中、顔なじみのパン屋の店先で足を止めたホプに、店の娘が気づいた。
「あっ、ホプちゃん、メルちゃん。今日もふたりでお出かけ?」
娘は慣れた手つきで、布袋から取り出した小さな包みを開く。中には、焼きたての魚風味おやつが二粒。町の猫たちに人気の、ごほうび用の一品だ。
「特別だよ。ちゃんと噛んでね」
ホプとメルは順番に、丁寧にひとつずつ受け取ると、その場でむしゃむしゃ。
「にゃ……」
「んにゃぁ……」
満足げに尻尾を揺らしながら、ふたりは並んでひなたでころんと寝転びかけ――
ぴくり。
ホプの耳が立ち、メルの瞳がぱちりと開く。
――ハッ、そうじゃない。
ふたりは飛び起き、しゅばっと通りを駆け出した。
そうだ。目的はふわふわ。モコのお腹なのだ。
ふわふわ優先。モコ最優先。
そして、見えてきた。城門だ。
白い石の壁、重たそうな鉄の門。槍を持った衛兵が二人、きびきびと持ち場を見張っている。
ホプが門の隅にぴたりと伏せ、メルが脇の石壁をよじ登る。
メルの尻尾が軽く一振りされるのを合図に、ホプが塀の下をすべり込む。
ひとりの衛兵が、かすかに眉をひそめた。
「……今、何か白いのが通らなかったか?」
「猫じゃないか? 最近、このあたりで見かけるらしい」
「まさか城内に?」
「さすがにそれはないだろ」
そんな会話が交わされている間に、ふたりは門を突破していた。
足音ひとつ残さず、ふたつの小さな影が、城内の回廊へすべり込む。
――そのころ、雑貨屋では昼の鐘が鳴っていた。
「……いない」
カウンターの上にも、棚の隙間にも、白と灰の毛玉の姿はない。
メルヴィルは帳簿に目を落としながらも、時おり扉の方に視線をやっていた。
普段なら、おやつの時間にはどこからともなく現れて、棚の上で寝転ぶか、客の荷物に勝手に乗って怒られるかしている。
だが今日は、朝から一度も戻ってこなかった。
「……まさか」
メルヴィルは腰を上げると、店の看板を裏返し、『本日午後休業』の札を出した。
扉に鍵をかけ、長い耳を揺らしながら、町の方へと足を踏み出す。
探す場所には、心当たりがある。
あのふたりのことだ。きっとまた、“あいつ”のところにでも……
――中庭へとたどり着いたふたりの目に、広がっていたのは、 穏やかな陽光と、やわらかな風の流れる景色だった。
風が葉を揺らし、芝生には淡い影が落ちる。
芝生の匂い、揺れる葉の影、鳥のさえずり。
ホプとメルは、しばし足を止めて見渡す。
そして――いた。
「きゅ?」
モコ。
純白の体毛を広げ、陽だまりの中で気持ちよさそうに寝転んでいた。
その姿はまるで、ふたりを待っていたかのよう。
ホプは軽く息を吸い、目を輝かせる。
メルもぴんと耳を立て、静かに駆け出した。
「にゃっ」
「ふにゃっ」
草を鳴らす音もないほどの勢いで、ふたりはモコの元へと飛び込み――
見事、ふかふかのお腹にダイブした。
モコはびくっと身体を震わせて目を覚ましたが、すぐに「ああ、君たちか」と言うように喉を鳴らした。
「きゅぅ……」
ホプは腹毛をふみふみ、メルはモコの脇に顔をうずめる。
そこはまさに、思い出の中のふわふわ。何もかもそのままだった。
モコは、暖かな日差しを浴びながら、穏やかに目を閉じていた。その柔らかな腹の上には、小さな二つの影が寄り添っている。
「にゃーん」
「ゴロ……ゴロ……」
ホプとメルが、モコの腹毛にすっぽりと埋もれ、微かな寝息を立てる。その姿はまるで、陽だまりに抱かれる幼子のようである。
彼らの前足がゆっくりと動く。無意識のうちに、ふわふわとした感触を確かめるように――握っては開き、握っては開き――を繰り返していた。
「きゅぅ……?」
モコは喉を鳴らし、一瞬だけ身じろぐ。しかし、それ以上動くことはなく、ただ静かに目を閉じたまま、二匹を受け入れていた。
時折、ホプが小さく寝言のように「にゃふ……」と呟き、メルも「ぷにゃん……」と満ち足りた息をつく。彼らは互いの温もりを感じながら、心から安らいでいた。
そのころ、近くを通りかかったレクサスが、芝生の上の様子に足を止めた。
モコ。そのお腹に、白と灰のふたつのもふもふ。
「……ああ、やっぱり来てたんだ」
苦笑まじりに呟きながら、寝息を立てるふたりに目を細める。
モコもちらりと目を開けたが、すぐに「問題ないよ」とでも言うように喉を鳴らして目を閉じた。
レクサスは、すぐ近くにいた衛兵のひとりに声をかける。
「この子たちの飼い主――メルヴィルさんが迎えに来るかもしれない。もし来たら、通してあげて」
「……メルヴィル殿、ですか?」
「ああ。ラパン族の男性で、長い耳が特徴的だよ。王都でもそう多くはないから、見ればすぐにわかると思う」
「承知しました、殿下」
軽く頷いて返事を受け取ると、レクサスはモコの隣の芝生に腰を下ろした。
陽射しが柔らかく、風は心地よい。
ホプとメルはすでにモコの毛の中でまるくなり、静かな寝息を立てていた。
「……全く、君たちは自由すぎるよ」
そう言いながらも、その声にはどこか嬉しそうな響きが混じっていた。
そのすぐそば、モコの隣に腰を下ろし、足を軽く崩して、陽の光に目を細めながら――微笑を浮かべて、ぽつりと呟く
「……モコ、すっかりお昼寝クッションになってるね」
モコは尻尾をゆっくりと揺らし、ホプとメルを包み込むように丸くなる。しかし、二匹はその変化に気づくこともなく、さらに深く、彼の腹毛へと顔をうずめるのだった。
――暖かくて、柔らかくて、安心できる場所。
モコのふわふわお昼寝スペースは、ホプとメルにとって、最高の寝床となった。
穏やかな時間が流れる中庭。その静寂を破ったのは、低く響く声だった。
中庭の入り口に現れたのは、一人の青年。メルヴィルである。無愛想な彼の眉が、わずかに険しく寄せられていた。
雑貨屋で二匹の姿が見えず、彼は気づけばここまで探しに来ていた。
「……どこまで来てんだお前ら……」
ため息混じりに呟きながら、メルヴィルは中庭へと足を踏み入れた。
城の正門で足止めを食らうかと思いきや、門番の騎士は顔を見るなり「ああ、メルヴィル殿ですね」と丁重に道を開けた。
どうやら――レクサス王子が、事前に話を通してくれていたらしい。
……余計な気遣いを。
メルヴィルはそう思いながらも、心のどこかで「助かった」と思っていた。
そして、見つけた。
モコの腹毛にすっぽり埋もれ、幸せそうに眠る、白と灰のふたつのしっぽを。
その隣――モコの背に軽くもたれるようにして、芝生に腰を下ろしたレクサス。
昼下がりの光に包まれながら、猫たちの寝顔を静かに眺めていた彼が、メルヴィルの気配に気づいて顔を上げる。
「こんにちはメルヴィルさん。モコのところに来てますよ、また勝手に抜け出してきてたんですね」
――そこで気づく。
モコの腹毛の間から、ちょこんと覗く二本の尻尾に。
「……まさか」
ホプとメルは小さい。モコは大きい。――下敷きか?
静かにモコへと近づき、慎重に毛の間を覗き込む。
そこにいたのは、ぬくぬくと丸まり、幸せそうに眠る二匹の猫だった。
メルヴィルは無言で彼らを見つめ、やがて深く息をつく。
「……全く、なんてところに」
問いかけるが、当然返事はない。
ホプとメルは、モコの温もりに包まれながら、かすかに喉を鳴らすだけだった。メルヴィルは額に手を当て、呆れたようにため息をつく。
レクサスは苦笑しながら、モコをぽんぽんと撫でる。
「ホプとメル、モコのことがよっぽど気に入ったみたいだね」
「……好きにしろ」
そうぼそりと呟くと、メルヴィルはゆるやかに背を向け、中庭の隅にある石のベンチへと歩いていった。
ベンチに腰を下ろし、長い耳をひとつ軽く揺らしながら、静かに三匹を見守る。
その姿には、呆れたような気配と、それでもどこか安堵したような空気がにじんでいた。
モコのふわふわのお腹の下で、ホプとメルはたっぷり昼寝を楽しんだ。心地よい温もりに包まれながら、二匹は満足そうに喉を鳴らす。
モコも安心したように静かに目を閉じ、三匹は穏やかな時間を過ごしていた。
けれど――。
ホプがふと目を覚まし、モコの毛の間から顔を出した。
メルも続いて起き上がり、軽く伸びをする。
モコのお腹は暖かくて気持ちよかったけれど、二匹はなんとなくそわそわし始める。
――帰りたくなってきた。
モコの羽毛はふわふわで最高の寝床だったけれど、自分たちの“お家”じゃない。
雑貨屋のカウンターや、店の奥の棚の上。メルヴィルがいる、いつもの場所。
「にゃーん」
ホプがモコのお腹を軽くふみふみし、メルが尻尾を揺らしながら立ち上がる。
「きゅ?」
モコが不思議そうに首をかしげると、ホプとメルはそろってレクサスの足元へ駆け寄った。
「どうしたの?」
レクサスがしゃがみ込むと、ホプとメルは尻尾をぴんと立てて、帰る道の方を見つめる。
その視線の先、中庭の隅、ベンチに腰掛けたメルヴィルの姿があった。
先ほど静かにそこへ座った彼は、視線に気づき顔を上げた。
「……にゃっ!」
ホプが駆け寄り、メルヴィルの足元にすり寄る。
メルも続いて、彼の膝に前足をちょこんと乗せた。
「……好き勝手して、最後は戻ってくるのか」
メルヴィルは呆れたように言いながらも、二匹の頭を優しく撫でた。
「まぁ、ホプとメルにとっては、やっぱり雑貨屋が一番の居場所なんだろうね」
レクサスが微笑むと、ホプとメルはにゃふっと小さく鳴いた。
メルヴィルがホプとメルを抱き上げ、静かに立ち上がる。
その腕の中で、ふたりは安心しきったように丸くなる。
帰ろうと踵を返しかけたそのとき――
ホプがふいに、メルヴィルの腕の中から身をよじって、ちらりと後ろを振り返った。
メルもそれに倣い、顔だけをそっとレクサスの方へ向ける。
「にゃーん」
「んにゃ」
二匹の鳴き声は、まるで「またね」と言っているようだった。
レクサスは微笑み、手を軽く振る。
「うん。またいつでも遊びにおいで」
その言葉に、ホプは尻尾を一振りし、メルは軽くまばたきを返した。
メルヴィルも、小さく頷いた。
「……悪かったな、面倒かけた」
それだけを言い残し、彼はホプとメルを抱いたまま、ゆるやかに中庭をあとにした。
モコはその背中をじっと見送りながら、きゅぅ……と少し寂しそうに鳴いた。
「モコ、またすぐ会えるよ」
レクサスが優しく撫でると、モコは満足そうに目を細めた。
こうして、ホプとメルはふわふわのお昼寝を満喫しながらも、やっぱり自分たちのお家に帰っていくのだった。
暖かくて、落ち着く場所。遊びに出ても、最後は戻る場所。
ホプとメルにとって、やっぱり“お家”が一番だった。