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ホプメル行方不明事件

「……いない」


 朝の店内に、メルヴィルの低い呟きが響く。


 いつもならカウンターの上、あるいは奥の棚の間で丸くなっているはずの二匹の姿が、どこにもない。


 ――ホプとメルの姿が、忽然と消えたのだ。


 静かすぎた。


 棚の隙間からは、ホプの白い尻尾がぴょこんと覗くこともなく、カウンターの上もすっきりしすぎて見慣れない。


 ハーブティーの香りはいつも通りに満ちているが、それがかえって空虚だった。


 ふだんなら、「にゃーん」という鳴き声に続いて、ホプかメルが紙袋を荒らす音、店先の瓶を倒す音が、どこからか聞こえてくるはずだった。


 それがない今、耳に届くのは時計の針の音と、自分の足音だけ。


 そんな空気に、メルヴィルの耳が落ちる。


 雑貨屋は、急に「ただの店」に戻ってしまったようだった。


「どこ行った」


 淡々とした声の裏に、かすかな焦りが滲む。


 扉はしっかり閉じられており、外へ勝手に出た形跡はない。それでも何度探しても、彼らの小さな影は見つからなかった。


 メルヴィルは額に手を当て、静かに息をつく。


 普段なら、どこかで眠っているだけだろうと片付けるところだ。だが、今日に限って胸の奥に不快な焦燥感が広がるのを抑えられなかった。


 心臓の奥を小さく爪で引っかかれるような感覚。焦りを誤魔化そうとするが、知らず知らずのうちに指先に力が入り、拳を強く握りしめられている。それが、ひどく気に入らない。


 時が過ぎ、陽が傾き始めた頃――雑貨屋の扉が軽やかに開かれた。

 すっかり常連となったノア・ライトエースとレクサス・アルファード。


「メルヴィルさん?」


 訪れたノアが、小さく眉をひそめる。


 カウンターにもたれかかり、疲れ切った顔をしたメルヴィルがいた。


「ホプとメルが……居なくなった」


 低く呟く声はかすれていた。


 棚の上には、乱雑に動かされた痕跡がある。彼がどれほど必死に探し回ったのか、それだけで容易に察することができた。


「行方不明か」


 レクサスが表情を引き締める。


「……どこかで眠っているだけ、という可能性は?」


 ノアの慎重な問いかけに、メルヴィルは無言で首を横に振った。


「……店の中はすべて探した。どこにもいない」


 普段は無愛想で感情を表に出さない彼の声に、微かな焦燥が混じっていた。


 胸の内側をじりじりと焦がすような不安が広がる。それを口に出せば、より現実味を帯びてしまう気がして、ただ拳を固く握り締めるだけだった。


 ノアとレクサスは、無言で目を合わせる。メルヴィルは寡黙な男だ。だが、そんな彼ですら明らかに憔悴していた。


「メルヴィルさん、ちゃんと食事は?」


 ノアの問いに、彼はわずかに目を伏せる。


「……考えてなかった」


「ダメですよ、それは……!」


 ノアの声が、思わず強まる。


「ホプとメルのことが心配なのはわかります。でも、メルヴィルさんが倒れたら、見つける人がいなくなっちゃうじゃないですか」


 沈黙がつづく。しかし、レクサスは見逃さなかった。メルヴィルの指先が、わずかに震えているのを。


「まずは落ち着こう。僕たちも手伝うから、一緒に探そう。」


「……ああ」


 こうして、ホプメル行方不明事件の捜索が始まった。


 市場の喧騒の中、メルヴィルの視線が鋭く動く。


 そして――


「……いた」


 彼の低い声が、僅かに震えた。


 屋台の影、小さな白い尻尾と黒い耳。ホプとメルが、身を寄せ合うように丸まっていた。


 どうやらどこからか抜けだし冒険を楽しんだ結果、迷子になり、動けなくなっていたらしい。


 メルヴィルは静かに歩み寄ると、そっと二匹を抱き上げた。


「……一体、どこから抜け出したんだ」


 その声は静かだったが、ホプとメルは小さく鳴き、彼の腕にすり寄るように顔をうずめる。


 じわりと力が抜ける感覚があった。喉の奥にわだかまっていたものが、少しずつほどけていく。


 ノアが安堵の息をつく。メルヴィルは何も言わず、ただホプとメルを抱いたまま、ゆっくりと店へと歩き出した。


 こうして、ホプメル行方不明事件は無事に解決した……はずだったのだが――


「にゃーん!」


「にゃにゃ!」


 その夜、店の中をホプとメルが駆け回る。まるで何事もなかったかのように。


「これは……全然反省してないな」


 メルヴィルはカウンターに突っ伏し、静かに目を閉じた。


 疲れがにじむ表情を見せつつも、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。


 ホプとメルには、反省という概念は存在しないのだ――




 その数日後、午前の遅い時間、雑貨屋の扉の鈴がからん、と鳴った。


「こんにちは、メルヴィルさん――」


 元気な声を響かせて入ってきたノアが、言葉を途中で止めた。


「……えっ?」


 そのすぐ後ろから続いたレクサスも、思わず眉をひそめる。


 カウンターにもたれかかるメルヴィルの姿は、どこかおかしかった。


 長い耳がだらりと垂れ、目の下には明らかな隈。肩の力も抜けきり、まるで数日寝ていないかのような疲弊がにじんでいた。


 足元にはホプとメル。ぐるぐると回りながら、じゃれ合ってはしゃぎ続けている。


「……大丈夫ですか?」


 ノアの問いかけに、メルヴィルは虚ろな目でこちらを見た。


「寝てない」


 ひと言。それだけで、全てが伝わった。


「……なるほど」


 ホプメル行方不明事件の後、メルヴィルはろくに休めていなかった。さらに、ホプとメルは相変わらず元気いっぱいで、夜中も店の中を駆け回る。


「つまり、ホプとメルが騒がしくて休めない、と」


 ホプが布をくわえて棚から引っ張り出し、メルが高く飛び上がってランプに前足をかける――騒がしさは、まるで昨晩から続いているかのようだった。


「……これは……なかなかの騒乱だね」


 レクサスが額に手を当てる。ノアは、呆れと心配の混じった顔でホプメルを見下ろした。


「……寝たい」


 静かに、けれど切実に――雑貨屋のカウンターにもたれながら、メルヴィルはぽつりと呟いた。


 カウンターの上で並んだ二匹は、きょとんとした顔で首をかしげた。


 ノアが苦笑すると、メルヴィルは無言で頷いた。


「少し……預かってみましょうか?」


 ノアがそっと提案すると、次の瞬間にはホプとメルが小さく鳴きながらレクサスにすり寄っていく。


「……あれ、僕のところってこと?」


 その提案に、メルヴィルがカウンターにもたれたまま、わずかに目を細めて――


「……それがいいかもな」


 そんなことはお構いなしに、ホプとメルはレクサスの足元にすり寄る。


「……仕方ないなぁ」


 レクサスは小さくため息をつきながら、ホプを抱き上げた。


「僕の部屋でおとなしくしてくれるならいいけど……」


「無理だと思う」


 メルヴィルは即答する。


「ええ……」


 ――こうして、ホプとメルは王城へお泊まりすることになったのだった。


 案の定、その夜。


「にゃー!!」


「ぷるにゃ!!」


「こら、カーテンで遊ばない!」


 レクサスの部屋では、ホプとメルが大はしゃぎし、レクサスは寝不足になった。


 一方、雑貨屋では――。


「……静かだな」


 メルヴィルはカウンターにもたれながら、店内をゆっくりと見渡した。


 棚の上に転がるはずの毛玉も、商品棚をよじ登る姿もない。ふだんならホプがじゃれて落としそうになる小瓶も、今夜は微動だにしない。


 その静けさに、最初こそ戸惑いがあった。


 ホプは、ちゃんと寝ているだろうか。夜中にレクサスの髪にじゃれついて叱られていないだろうか。メルは部屋の中の観葉植物を倒していないか。


 想像するまでもなく、光景がありありと思い浮かぶ。


「……あいつら、やりたい放題してそうだな」


 ぽつりと呟いて、自分で苦笑する。


 レクサスのため息混じりの顔が、目に浮かぶようだった。様子を気にしたノアが止めに入って、結局一緒に遊んでしまうのも、なんとなく想像がつく。


 ほんの少し、胸の奥が温かくなる。


 ほのかに灯るランプの明かりが、棚のガラスに柔らかく反射する。


 耳に届くのは、魔法仕掛けの時計の針の音と、自分の吐息だけだった。


 まるで、店そのものが深呼吸しているような夜。


 そっと目を閉じると、わずかに残る毛の香りが、まだ空気の中に漂っている気がした。



「……たまには、こういうのも悪くないか」


 そう呟いた声は、誰に向けたわけでもなかったが、確かにどこか満たされていた。


 メルヴィルは、そのまま静かな眠りへと身をゆだねた。


 ――だが、翌朝。


「……やっぱり静かすぎるのも落ち着かん」


 ぽつりと呟いたその声に、自分でも小さく笑ってしまう。


 心地よい静けさは、もう十分味わった気がした。


 そして午前の陽が高くなったころ、メルヴィルの姿は王城の門前にあった。


 長い耳を揺らしながら、警備の衛兵にそっと声をかける。


「猫を迎えに来た。聖騎士ノア・ライトエースにメルヴィルと伝えてもらえれば分かる」


 衛兵は慣れた様子で頷き、すぐさま城内へと向かっていく。


 しばらくして、元気な足音とともに小さな影がふたつ、階段を駆け下りてきた。


「にゃっ!」


「みゃう!」


 その後ろには、やや寝不足の顔をしたレクサスと、穏やかに笑うノアの姿があった。


「早かったですね、メルヴィルさん」


「静かすぎるのも……なんか違う」


「……昨夜は騒がしくてね。モコの寝床にまで二匹が入り込んでさ。さすがのモコも、困った顔してた」


「……悪かったな」


 メルヴィルが膝をつくと、ホプとメルが勢いよく飛び込んでくる。


 毛の感触とぬくもりに、自然と目を細める。二匹は嬉しそうに喉を鳴らし、彼にすり寄る。


「昨日は、世話になった」


 そう言って立ち上がり、小さく頭を下げる。ぶっきらぼうながらも、誠意ある礼だった。


「ふふ、君からそう言われるとなんだかこそばゆいね」


 こうして、ホプとメルを両腕に抱えたメルヴィルは、雑貨屋へと戻っていった。


 その背中はどこか軽く、足取りもほんの少し柔らかかった。

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