表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

雑貨屋と、猫と、てるてる坊主

 昨日からぽつぽつと降り続く雨。


 雑貨屋の窓辺には、白くてふわふわのホプと、灰色で耳の黒いメルが並んで、じーっと外を見ていた。


 窓の向こうは、濡れた石畳と止む気配のない雨模様。


「にゃ〜〜ん」


 ホプがメルヴィルの足元にすり寄り、前足でちょいちょいと袖を引く。


 その顔は『雨、やませてくれる?』と言っているようだった。


 メルもおとなしく隣に座って、じっと見上げてくる。


「……無理だ」


 メルヴィルはぼそりとつぶやき、ため息をひとつ。


 それでも、このふたりはあきらめない。瞳の奥にきらりと光る無邪気さと期待。


 ——本当に、困ったやつらだ。


 だが、その期待を拒絶する言葉は喉元で消えてしまった。


 思い出すのは、今朝方商品を卸しに来た旅商人が語った話。


「昔な、十五年かそこら前まで、この国には“天竜”って呼ばれる真竜がいてな。……いや、姿を見たって話は聞かねぇけどよ。嵐も落雷も、どこからともなく静まっていったんだ。ほんと、不思議なくらい、空が守られてる感じだったな……」


「けどある時から、ぴたりと止んじまったんだよ。風の流れも、雲の動きも、まるで誰かが手を引いたみたいに」


 店の隅でその話を聞きながら、メルヴィルは首をひねった。


 そんな存在が本当にいたのなら、記録のひとつも残っていそうなものだが……耳にしたことはなかった。不思議と、それを語る者もいなかった。


「……ま、俺はちょうどその頃、他の国を回ってたんだけどな。戻ってきたら、あの穏やかだった空が、なんつうか……“普通”になっててさ。竜の話も、まるでなかったことみてぇに消えてた」


 話の続きを求めることもなく、メルヴィルはただ黙って聞いていた。


 旅の話に真実が混じっていたのか、それともただの昔話だったのか。確かめようも確かめるつもりもなかった。


 だからこそ、ホプとメルは思ったのだろう——“メルヴィルなら、それくらいできるんじゃないか”と。


「……俺は竜じゃない」


 淡々と呟いた声は、自分に言い聞かせるようでもあった。

 だが心の奥底で——もしそれが叶うなら、一度くらいはこいつらのために晴れ間を作ってやりたい、そんな淡い願いが灯っていた。


 メルヴィルはゆっくりと立ち上がり、棚から布と糸を取り出す。

 ちくちくと無言で針を動かしている間、ホプとメルは隣でわくわくとした瞳を向けてくる。

 ——全く、素直でまっすぐすぎる。

 けれど、それが羨ましいと感じることも、たまにある。


 小さなてるてる坊主が二つできあがった。

 白くてふわふわしたものと、灰色に黒い耳がついたもの。それぞれホプとメルにそっくりだ。


 窓辺に並べて吊るしてみせれば——


「にゃあっ!」ホプが小さく飛び上がる。届かない。

「んにゃっ!」メルも跳ねてみるけれど、やはり届かない。


 その姿に、胸の奥がほんのりあたたかくなる。


「それは飾りだ、おもちゃじゃない」


 無表情のまま告げて、おやつとお気に入りのおもちゃを棚から取り出し、そっと差し出した。

 二匹はころりと転がりながら夢中で遊びはじめる。


 その音が店内に響くたび、不器用な胸の内に少しずつ染み渡るものがあった。


 外はまだ、しとしと雨が降っている。でも、この小さな空間はあたたかくて、柔らかな時間が流れていた。


 ハーブティーの香りと、跳ね回る二匹の鳴き声が静かな店を彩っている。


 ——それだけで、もう十分だ。


 だがいつか、本物の“天竜”に会うことができたなら。


 その時は、たった一度だけお願いをしてみてもいいかもしれない。


「わがままなこいつらのために、ほんの少しだけ、この空を晴らしてやってくれ」と。


 そんなことを、言葉にもしないまま胸に秘めて、メルヴィルは無言でカップを口に運んだ。


 湯気がゆらりと上がる先、窓の外の雨は相変わらず止まない。


 それでも、不思議と心は静かだった。


 無愛想な横顔に浮かぶごく僅かな緩みは、自分でも気づかないほど小さなものだった。


 小さなてるてる坊主を吊るしたその午後、まるで空が気まぐれを起こしたかのように、雨はするりと上がった。


 雲の切れ間から陽が差し込み、石畳がきらきらと濡れた光を返す。


「にゃにゃっ!」

「にゃっ!」


 ホプとメルが窓辺で同時に跳ねる。揃って振り向いた顔には、『……やっぱりメルヴィル、すごい!」という無言の賞賛が全開だった。


「……偶然だ」


 言いつつも、わずかに目を逸らすメルヴィルの耳が、どこか居心地悪げにぴくりと揺れた。


 すると、入口の鈴がからん、と軽やかな音を立てて鳴った。


「こんにちは。……やっと晴れましたね」


 扉を開けて入ってきたのは、銀髪の少女――ノア・ライトエースだった。


 扉を閉めながら、窓際のてるてる坊主に目を留めて、ふわりと表情を和らげる。


「……ふふ。ホプとメルにそっくりですね」


「にゃ〜ん」

「んにゃ」


 ホプとメルが即座に足元へ駆け寄って、誇らしげに鳴く。


「今日は……あの、裁縫道具を見に来ました。詰所で使うつもりなんですけど、針と糸、それから……できれば布も少し」


「……ああ」


 メルヴィルはゆるく頷き、棚の奥から道具箱を引き寄せる。


「練習か」


「はい。……城で、レク……王子と一緒に育ってた頃、母がよくボタンを縫い直してくれてて。あのとき、“私もできるようになりたい”って、思ったんです。」


「上手くできるかはわからないんですけど……」


 そう言って照れたように笑うノアに、メルヴィルはふと目を細めた。


 その笑顔は、どこか遠い昔に見た誰かに、少しだけ似ていた。


 ……随分と昔のことだ。まだ耳もやわらかく、何にでも苛立っていた頃。


 無駄だと思っていた努力を、無理に笑いながら重ねていた誰かがいた。


 似ている。けれど、それを誰にも語るつもりはなかった。


「お前も、そういう顔をするんだな」と、声には出さず、心の奥でだけ呟いた。


 まるで、少しだけ時間が巻き戻ったような、そんな不思議な錯覚。


「好きなのを選べ。糸はそっち。布は……籠の中から」


 そっけない声のくせに、針山の中から小花の刺繍の入ったものをさりげなく添えておく。


 ノアはすぐには気づかず、目を留めてから少しだけ頬を赤らめる。


「……ありがとうございます」


 その横で、ホプとメルがまたぴょんぴょんとてるてる坊主を狙っている。


 よく見れば、糸の結び目が少し緩んできていた。


 ――後で直してやるか。


「今日は、おかげさまで、いい日になりました」


 ノアがそう言ったとき、メルヴィルはただ小さく鼻を鳴らした。


 けれどその一瞬後、自分でも気づかぬほど小さく息をついた。


 胸の奥のどこか、ひどく静かな場所で、ほのかに何かがあたたまる。


 誰かのために何かをすることが、こんなにも煩わしくなく感じられたのは、いつぶりだっただろう。


 言葉にせず、記憶にもせず――


 ただ、それだけが、今の自分にはちょうどよかった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ