ホプとメルと、ねばねば大騒動
早朝のストーリア城、図書室の前。
図書室付きの従者たちが、小声で情報を交わしている。
「……また本棚の裏に、かじられた痕がありました。今度は資料の束まで……」
「こりゃもう、ねずみ取りを増やすしかないな。粘着紙の予備、まだあったか?」
「廊下にも数枚、念のため仕掛けておきます」
そう言いながら、ふたりは廊下の角や柱の陰に、そっと粘着紙を設置していった。
それを見届けた朝の陽光が、城の壁を淡く照らし出す――。
――ストーリア城の回廊。
ひょい、と影が飛び移る。白と灰の毛並みが連なり、柱の陰をすばやく抜けていく。
「にゃっ」「んにゃっ」
ホプとメル。今日もまた、雑貨屋からひっそりと抜け出し、城へ“冒険”にやって来たのだ。
目的は――最近お気に入りの寝床、図書室の陽だまり。
だが今日は、いつもと違っていた。
「にゃあっ!」
道中の廊下で寝転んだホプの背中に、ベタリと何かが貼りついた。
振り返っても見えない。粘着質なそれは、ねずみ捕り用粘着紙。
跳ね回るホプに、メルがぶつかった。
その拍子に、粘着紙がホプの背からずれて、メルの腹にぺたりと張りつく。
「にゃあっ!?」「んにゃああっ!」
くっついたふたりは大慌て。逃げようにも、互いの足がもつれて身動きが取れない。
そのまま転がるように廊下を暴走し――
「ふにゃっ!?」
角で居眠りしていたモコに、見事な勢いで突撃した。
なふわふわが三つ、もんどり打って廊下を転がる。
残されたのは、粘着紙に巻き込まれた三匹と、絶望的な毛の絡まりだった。
「ぐるる……?」
モコは困惑した様子で、ゆっくりと立ち上がる。粘着紙はホプの背からメルの腹へ、そしてモコの側面にまでべっとりと。
「にゃあああああっ!!」
そして今――モコが、レクサスのもとへ駆け込んでいた。
普段はのんびり屋の彼が、珍しく慌てている。
「……どうしたの、モコ?」
モコは「ぐぅ……!」と情けない声を漏らしながら、のそのそと歩み寄ってくる。
その背中と脇腹には、見事にホプとメルが貼りついていた。
真っ白と灰色の毛玉が、モコの毛に引っ張られる形で、じたばたと揺れている。
「にゃぁぁ……!」「ふにゃっ……!」
必死に足をばたつかせるが、粘着紙に巻き込まれたせいで逃げ出せない。
しかも、三匹の毛が絶妙に絡み合ってしまっており、ひと目で“お手上げ”な事態だった。
――その姿は、もはやちょっとした怪異である。
すべてを一目で理解したレクサスは、そっと頭を抱えた。
「……イストならどうにか出来るかな……」
そして呼び出された、近衛騎士隊長イスト・スタウト。
扉を開けるや、目に飛び込んできたのは、困り果てた飛竜とその毛に絡みつく猫たち。
「……説明は、後でよろしいですね」
静かな一言のあと、深く――本当に深く、ため息をついた。
それは己の鍛錬においてすら滅多に見せぬほど、心からの“覚悟の溜息”だった。
「状況を見るに……絡まりがひどい。特に、モコに貼りついた部分は――剃るしかありませんね」
厳粛な決断が、室内に響く。
ホプとメルが「にゃあっ!?」「ひにゃっ!?」と揃って抗議の声を上げたが、すでに遅い。
イストは淡々と道具を整え、小型の剃毛刃を手に取る。
「動かないように。……これは、命に関わりませんが、尊厳に関わります」
騎士らしからぬ発言に、レクサスが少し吹き出しかけたが、空気を読んで黙った。
ホプの背中、メルの脇腹、モコの側面――
三匹の毛ががっちり絡んだ箇所だけが、きれいに刈られていく。
その結果、ホプは“背中にまん丸のハゲ”、メルは“お腹に半月形のハゲ”。
モコは長めの体毛のおかげで、絡んだ部分も表面の毛を整えるだけで済んだ。
ふわふわの毛並みはいつもより艶やかで、むしろちょっと上機嫌。
「ぐぅ」
鏡に映った自分の姿を見て、しっぽを小さく振るモコ。
それを横目に、背中にハゲを作られたホプがしょんぼりと耳を伏せる。
「にゃぁぁ……」
メルもまた、剃られたお腹をしきりに気にしながら、「んにゃ……」とため息のような鳴き声を漏らしていた。
――雑貨屋の扉が、からん、と小さく鳴った。
静かな夕方の空気に、その音は妙に緊張を孕んでいた。
店内に入ってきたのは、レクサス。
その腕の中には、毛並みが不自然に整えられたホプとメル。
「……メルヴィルさん、その……ホプとメルのことなんだけど……」
普段よりもわずかに小さな声。
自分の責任ではないと分かっていても、どこか申し訳なさそうに俯くその様子に、
カウンターの奥にいたメルヴィルの耳がぴくりと動いた。
ゆっくりと顔を上げる。
その視線が、ホプとメルへ――そしてレクサスへ。
「……何があった」
静かな問いかけに、レクサスは小さく咳払いをして説明を始める。
「その……城に忍び込んでたみたいで、ねずみ捕りの粘着紙に……で、モコも巻き込まれて……イストが、処置してくれて……」
語るうちにしぼんでいく声。
ホプは「にゃあ」と弱々しく鳴き、メルは視線をそらしてしゅんとする。
メルヴィルは無言でカウンターを回り込み、ふたりの猫たちのもとへとしゃがみ込んだ。
そっとホプの背を撫でると、いつもと違うつるっとした手触り。
――その手を止めないまま、ぽつりとつぶやいた。
「……すまん」
「えっ」
レクサスが驚いて顔を上げる。
「えっ、いえ、謝るのは――」
「こいつらが、迷惑をかけた。……悪いのは俺の管理だ」
そう言って、メルヴィルはゆるく、しかし確かに頭を下げた。
「……い、いえ……その、モコも元気だし……皆、怪我はしてないので……! いや、ふたりは剃られちゃったけど……」
レクサスがあたふたと手を振る。その動きに驚いて、ホプが「ふにゃっ」と鳴く。
「それじゃホプ、メル、今度は気をつけてね」
ホプとメルをひと撫でし、それだけ言うとレクサスは静かに扉を開け、城へと戻っていった。
レクサスを見送った後、ふたりの、刈られた毛並みに目を留め、しばし無言。
そして、そっとホプとメルを毛布の上に降ろすと、棚の一角へと視線を向ける。
そこには、以前仕入れていたアームカバーが、控えめに並べられていた。
柔らかい綿素材。伸縮性あり。
猫の腹に巻くには、ちょうどいい太さだった。
何も言わずに一組を取り出すと、ちょうどいい大きさにカットして手際よく切り口を留めて、即席の“腹巻き”に仕立て、それぞれの小さな体にそっと巻いてやる。
お揃いのチェック柄の腹巻きをつけたホプとメルは――
まだしょんぼりとしたまま、でもほんの少しだけ安心したように丸くなった。
「……これで少しは、あったかいだろ」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
ホプが「にゃぁ……」と情けなく鳴き、メルはおとなしく身を丸めた。
――数日後。
店にふらりと立ち寄ったノアが、毛布の上で丸くなっているふたりを見つけた。
「……あっ、ホプ、メル……その腹巻き……ふふ、かわいいですね」
その言葉に、ホプの耳がぴくりと動く。
メルは小さく伸びをして、そっと尻尾を揺らした。
しょんぼりしていたはずのふたりは、ほんの少しだけ胸を張るように身を起こすと、ノアの足元へすり寄っていった。
「かわいい」――その言葉は、ホプとメルにとっての最強回復魔法だった。