表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

静かな雑貨屋と、銀の訪れ

本編十話の雑貨屋店主視点の話です

 朝の雑貨屋は、静かだった。

 ハーブの香りが、ほんのりと空気を満たしている。


 磨かれた木の床を踏みしめながら、メルヴィルは棚を一つ一つ確認していく。並べられた小瓶、手編みの布、吊るされたランプ。どれも特別なものではない。ただ、ここにあるべきものを、ここにあるべき形で置いているだけだ。


 カウンターの上では、白い猫と灰色の猫──ホプとメルが、ふたり並んで丸まっていた。

 小さな寝息を立てながら、時折、尻尾をぴくりと動かす。


「……ふわふわしすぎだ、お前たち」


 低く呟いても、猫たちは目を開けもしない。それでいい。――それがいい。


 この店を始めて、もう一年が過ぎた。

 もともと人付き合いが得意だったわけではない。むしろ苦手だ。

 だが、こんなふうに、ただ猫たちと、静かな空気と、少しの香りと暮らす日々なら悪くない、と思う。


 ぴん、と耳が動いた。


 扉につけた小さな鈴が、微かに鳴る。誰かが、来た。


 メルヴィルは顔を上げず、耳だけで探る。足音は二つ。軽やかだが、警戒を忘れない気配。

 

 ――知らない足音だ。


 ホプが、ぱちりと目を開けた。

 メルも、頭をもたげて、小さな声で「んにゃ」と鳴く。


「……かわいい」


 聞こえた少女の声に、猫たちは弾かれたように動き出した。

 ホプは、青年の足元に絡み、メルは、少女の膝に前脚をかける。

 何のためらいもなく、甘えるように擦り寄っていく。


 めずらしい。心の中で、ぽつりと思った。


 このふたりの猫たちは、気に入らない相手には決して懐かない。

 どんなに笑顔を見せられても、どんなに好物を差し出されても、駄目なものは駄目なのだ。


 それなのに――この少女と青年には、警戒心を見せなかった。


 メルヴィルはようやく顔を上げた。


 少女は、銀の髪を持っていた。

 しなやかに落ちるその髪は、まるで冬の朝靄のように、ひっそりと静かだった。


 隣に立つ青年もまた、銀の髪を持っている。

 だが、こちらはどこか、陽光に馴染む柔らかな光を宿していた。――見慣れた、王族特有の気配。王子のレクサス・アルファードだろう。


 同じ銀髪でも、纏う空気はまるで違う。


 この少女――おそらくノア・ライトエースも、街では噂になっていた。

 士官学校を若くして卒業し、聖騎士候補として二年間エテルナへ修行に行っていたと、商品を卸しに来た商人がいつか話していた。


 興味もなく聞き流していたが、目の前の銀の少女を見て、妙に納得する気がした。


――ただ、それだけではなかった。


 ラパン族の直感が、微かに囁く。この少女は、単なる人間ではないかもしれない、と。


 人に擬態した、別の存在。けれど、それは恐ろしいものではなかった。


 それ以上、深く追う気も起きなかった。今は、目の前にある静けさだけで、十分だったから。


 カウンター越しに短く告げた。


「……いらっしゃい」


 少女が、控えめに礼を返す。

 青年が、穏やかに声をかけてきた。


「とても落ち着いた店だね。君が店主かな?」


 メルヴィルは、帳簿から目を離し、ちらりとだけ顔を上げる。だが表情は変えず、短く答えた。


「……そうだ」

 

「いろいろ見てもいいかな?」


 続く問いにも、メルヴィルは淡々と答える。


「……猫たちが気に入ってるなら、構わない」

 

「ありがとう」


 礼を言われても、メルヴィルは特に応じることなく、再び帳簿へ視線を戻した。

 

 ふと、少女の控えめな声が耳に届く。


「この子たち、人懐っこいですね」

 

 メルヴィルは、ちらりと猫たちを見やった。喉を鳴らしノアの靴をふみふみしているメル、足元で尻尾を揺らすホプ。


 ──たしかに、今日の猫たちは、いつになく甘えている。


「……珍しいな」


 短く呟くと、少女が小さく首を傾げた。


「え?」

 

 帳簿をめくる手を止めずに、メルヴィルは続けた。


「そいつら、気に入らないやつには見向きもしない」

 

 青年が、白い猫を撫でながら微笑んだ。


 その柔らかな気配に、メルヴィルはふっと小さく息を吐く。


「……ホプ、おまえは調子がいいな」

 

「ふふ、ホプっていうの?」


 青年の問いかけに、白い猫──ホプは「にゃーん」と答えるように鳴き、さらに足元でぐるぐると回った。

 

「こっちはメル」


 メルヴィルは、灰色の猫を指し示して簡潔に告げた。

 

「ホプとメル……かわいい名前ですね」

 

 少女の微笑みに、ホプとメルが喉を鳴らし、尻尾を揺らす。


 控えめな少女の声が、静かな空気を震わせた。


「……あの、よければ、店主さんのお名前も教えていただけますか?」

 

 帳簿をめくる指先が、一瞬だけ止まる。


 メルヴィルは、短く答えた。


「……メルヴィル」

 

 それだけを告げると、再び黙って帳簿へ視線を落とした。

 特に顔を上げることもなく、淡々と作業を続ける。

 

 ――それでも、店内の空気は、わずかに柔らかさを帯びた気がした。



 棚の隙間には、小さな腰掛けがいくつか置かれている。

 客が荷物を整えたり、少しだけ腰を下ろすための、控えめな配慮だった。


 もともと、長居する客は好まない。

 けれど、あの猫たちが懐いた客だけは──まあ、特別扱いしてもいいだろう。


 ホプは、白い尻尾を揺らしながら青年の足元に丸まり、メルは、灰色の体をすり寄せながら、少女の膝へと器用に収まった。


 ノアは、驚きながらも、そっとメルを受け止める。その細い腕には、どこか頼りなさと、静かな温かさがあった。


 レクサスは、足元に丸まったホプを見下ろし、ふっと微笑む。


(……甘えすぎだろう)


 メルヴィルは、帳簿をめくる手を止めずに、内心でぼやいた。


 けれど、猫たちの喉を鳴らす音が、店内の静けさにふわりと溶けていくのを聞いて──悪い気はしなかった。


 棚から一瓶、ハーブを取り出し、静かに湯を沸かす。二つの小さなカップに香り高い茶が満たされる。


 何も言わず、カウンターの端にカップを置いた。


 ノアは小さな声で「ありがとうございます」と言った。その声音には、素直な温かさがにじんでいる。


 レクサスは、穏やかに微笑みながら、柔らかく言葉を紡いだ。


「このハーブティー、まるでこのお店の香りを閉じ込めたみたいですね。……とても、落ち着きます」


 青年は、警戒する様子もなく、静かにカップを手に取った。


――王族なら、もっと慎重に振る舞うものだと思っていたが。


 メルヴィルは、帳簿をなぞりながら、静かに思った。

 だが、それを無謀とは思わなかった。この空気を、信じているのだろう。

 

 ホプが喉を鳴らし、メルが尻尾を揺らす。店内は、変わらず穏やかなままだった。


 メルヴィルは、特に表情を変えずに帳簿に目を戻した。そして、心の中で小さく呟く。


――たまには、これくらい、いいか。


 猫たちは、静かに膝の上で呼吸を刻んでいる。陽光に照らされた銀髪が、そっと揺れた。


 雑貨屋の空気は、変わらず穏やかだった。そして、その静けさを壊さぬ者たちがいることを、メルヴィルは、どこかで嬉しく思っていた。


 日が傾き、彼らが店を出たあと。


 メルヴィルは、ホプとメルを抱き上げて、カウンターの奥へ戻った。


 白い毛並みは、陽だまりのように温かく、灰色の毛並みは、夜明け前の空気のように静かだった。


「……悪くないな」


 ぽつりと呟いた言葉に、猫たちは小さな声で応えた。


 雑貨屋の一日は、また静かに、そして確かに続いていく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ