第7章 熊の罠と狐の騙し
「番号、メモっとけよ。」マリがステファンに小さな破れた紙切れを差し出した。
「いやだね。この汚ねぇゴミ、俺がメモるわけねぇだろ!」
「まぁ、お前が聖人の道を歩んでるのは分かるよ、そりゃあね…でもさ、番号メモって、電話かけて、そのあと消すだけだろ。それってそんな大罪かよ?」
クジョーは黙ってマリとステファンを見比べていた。すると、ふと昨日の…ステファンの“濡れた妨害工作”が頭に浮かんで、思わず鼻で笑った。
「何だ?分かんねぇよ。ここで漫才でもやってんのか?何がおかしくて笑ってんだよ、ゴリラとニワトリのミックス野郎!」ステファンが目を細めてクジョーを睨んだ。
「いやさ、昨日のお前が犬クラブのニュースに登録しようとしたあの…“独創的”な方法を思い出しちまってさ!」クジョーがニヤッと笑った。
ステファンが威嚇するように近づいてきた。
「お前、アホ面引っ提げて地獄まで散歩でも行かねぇか、オンドリ野郎!」
クジョーも引かずに挑発に乗った。
「じゃあお前はそのオンドリのタマゴだな!」
「左か右か、どっちだよ!」
「両方だぁ!」
マリは無表情でこのサーカスを眺めていたが、やがて近づいてきて、二人を軽く肩で叩いた。ステファンとクジョーは同時に驚いた顔で上から彼女を見下ろした。
マリは可愛く微笑んで、手で二人に屈むようジェスチャーした。
二人は顔を見合わせたが、言う通りにした。
ファタリティ!
マリが奥義を溜め込んで、渾身の力で二人に鳩尾へ一撃を食らわせた。二人は目を剥いて膝から崩れ落ちた。
息を吸い戻そうともがく二人に、さらに強烈な拳が頭に炸裂。直後、二人の顔は床に叩きつけられ、尻が突き上がった。
マリの拳からはかすかに煙が上がっていた。
彼女は息を荒げていた。
「何…何だよ?」二人が同時に呻いた。
「お前ら、バカか?まだ分かんねぇのかよ!」
マリは色っぽく二人の顎を掴んで持ち上げ、笑顔で囁いた。
「もし右の毛むくじゃらと左のツルツルのタマゴが大人しくしねぇなら、お前らのみじめな人生が終わるまで忘れられねぇ目に合わせてやるからな。分かったか、アホども?」
ステファンは血まみれの口で笑い、クジョーを見やった。
「ほらな、俺だけじゃねぇだろ。お前がオンドリだってさ…クヘヘ…」
マリは迷わず振り向きざまに拳をステファンの顔に叩き込んだ。
クジョーは呆然と見ていた。ステファンは倒れながらも、クソッタレめ、意識を失う瞬間に30本の歯を見せる笑顔を浮かべていた(残りの2本はどっか床に転がってた)。
「マジかよ…この女、どこにこんな力があんだよ!?」クジョーが独り言をつぶやいた。
マリがクジョーの上に覆いかぶさるように近づいてきた。彼女の影が彼をすっぽり覆い、上から見下ろすその目は猛獣のようで、煙を上げる拳がゆっくり握り潰されていく。
「お前も大天使ミカエルに会いに行きてぇか?」
クジョーは慌てて手を上げ、ボコられた顔を守った。
「待て待て!分かったって!俺、バカじゃねぇよ!」
マリが甘く微笑んだ。
「素晴らしいね。」
病室は消毒液と無菌の匂い、そしてマリの包帯に巻かれた手から漂う微かな血の臭いで満たされていた。白い壁が頭を圧迫し、薄暗い照明さえも眩しすぎるように感じた。
ステファンはベッドに座り、腕を組んでいた。絆創膏と青あざだらけだが、何より歯が元に戻ってた(多少気持ち悪くても)。クジョーはスマホの画面に映る自分の顔を見ながら、貼られた眉を怠そうに擦った。
「俺の顔、マジひでぇな…まぁ、顔中に傷が残らなかっただけマシか。」
マリは静かに包帯を巻かれた指を揉みながら、ため息をついた。
「とにかく、まだ生きてんだよ。でもこのままグズグズしてたら、そう長くは持たねぇ。シロを捕まえなきゃな。」
彼女は顔を上げ、その声は硬かった。
「計画を聞け。俺らがトランスに電話して、適当な役者を雇う。その役者が空っぽの通りで襲撃を演じる。シロが出てきたら、周りを囲んでねじ伏せる。」
クジョーはスマホを手にクルクル回しながら、考え込むように唸った。
「狡猾だな…でも一つ問題がある。もしシロがこれが罠だって気づいたら、表に出てこねぇよ。もしくは騙されたフリして、逆に俺らを出し抜くかもしんねぇ。」
ステファンがやっと口を開いた。声は落ち着いて平坦だった。
「じゃあ防御が必要だ。防弾チョッキは絶対着る。」
マリが頷いた。
「その通り。相手が何者か忘れちゃいけねぇ。殺し屋だぞ。」
クジョーがニヤッと笑ってステファンを見た。
「で、頭に流れ弾が当たったらどうすんだ?それもチョッキで防ぐのかよ?」
ステファンは無表情でクジョーを一瞥した。
クジョーの笑みが広がった。
「だから言うんだよ。ケブラーを頭に被っとけって…じゃねぇと脳みそ無しになっちまうぜ。まぁ、元々少ない奴もいるけどな。」
彼は軽くニヤついてステファンに視線を流したが、ステファンは微塵も反応しなかった。
マリはそれを見て、狡猾に目を細めて腕を組んだ。
「どうやら脳みそが残ってねぇ奴がいるみたいだな。ケブラーが俺らの脆い頭を弾丸から守れると本気で思ってるとか。」
彼女は笑いながら首を振った。
今度は三人とも一斉に笑い出した。ステファンさえもかすかな笑みを浮かべた。
一瞬の笑いの後、マリが急に真剣な顔になった。両方の友達を見て、ため息をつき、姿勢を変えずに静かに言った。
「お前ら…その、ごめんな。」
ステファンが鼻で笑い、軽く彼女の肩を叩いた。
「気にするな、よくあることだ。」
クジョーは怠そうに伸びをして、腕を頭の後ろで組んで唸った。
「まぁ、そういう流れなら、お前がコーヒー奢れよ。」
マリは目を丸くした。
「お前ら、それしか頭にねぇのかよ…」
クジョーがウィンクした。
「じゃあ他にどうやって『まだ生きてる』を祝うんだよ?」
彼女は笑い、首を振ったが、結局頷いた。
「分かった。一杯ずつな。」
少し時間が経って:
「もしもし?やぁ、イケメン。」
マリが驚きと恥ずかしさで:
「えっと、イケメンって呼ばれたの初めてだよ…『美人』の方がいいな。で、お前、名前何だ?」
トランスがわざと女っぽい声で、ちょっと驚きながら:
「エリだよ。」
「なぁ、エリ、こういう話なんだけど…お前に仕事があって、金はほぼタダでもらえるようなもんだ。」
トランスが一瞬で興味津々の声に変わった。
「聞いてるよ。」
「女優やってくれ。每回の役で300ドルだ。」
「他に条件はある?」
「あぁ。もう一人、男の役者も見つけてくれ。」
エリがちょっと大げさに、皮肉を込めて:
「おぉ、クラシックか?クラシック大好きだよ。」
マリが少し詰まりながら:
「そ、そうだよ、クラシック…会う場所の住所はメールで送った。」
「待ってるね。じゃあね、美人。」
「じゃ、じゃあね…」
マリが電話を切った。
クジョーが我慢できずに爆笑した。
「プハハハハ!マリ、何だそれ!?」
ステファンも笑いながら彼女を真似た。
「『そ、そうだよ、クラシック』、『じゃ、じゃあね』…クハハハ!」
マリが怒鳴った。
「おい、お前、歯が治ったからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!で、お前、黒坊主、自分が偉くなったとでも思ってんのか?お前がトランスと普通に、蔑まず喋ってみろよ!」
二人は即座に笑いを止めた。
クジョーが申し訳なさそうに:
「なぁ、マリ、怒んなよ、ただ冗談だって…」
ステファンがまだニヤついて:
「まぁな…でもこんなショーは毎日見れねぇぜ。」
マリが目を細めた。
「今からお前をベーグルに変えてやる。」
ステファンが笑いながら:
「どうやってだよ?」
マリが邪悪な笑みを浮かべて:
「お前のハゲ頭掴んで、お前のケツに突っ込んでやるよ!」
ステファンが笑った。
「届くならやってみろよ、チビ!」
マリが飛びかかろうとした瞬間、クジョーが後ろから彼女をガッチリ掴んだ。
「離せよ、この染め髪のクソ女!離せって!今すぐこのヒットマン野郎の目をタマゴと交換してやる!」
「マリ、暴力は解決になんねぇよ!」
ステファンは腕を組んでニヤニヤしていたが、心の中ではこう思っていた。
「神様、どうかこいつがマリを離さねぇように…こいつが離したら俺、跡形も残らねぇよ。」
左から声が聞こえて、三人とも振り返った。
ユリコがドアに立ち、両手を背中に隠して笑顔で:
「遅れてごめんね、ちょっと用事があってさ。」
ステファンが肩をすくめて:
「いいよ、入ってこい。」
ユリコが興味津々に:
「計画はどうなってる?何かアイデアある?」
ステファン:
「計画はある。あとは実行だ。つーか…その実行役が来るはずなんだ。」
ユリコが困惑して:
「はぁ?何?どういうこと?」
マリが命令口調で:
「全員、カフェに集合!」
エリ:
「こんにちは!これがフレッドだよ!」
役者フレッド:
「よろしくね。」
エリ:
「俺らの目的って何?」
マリ:
「簡単だよ!俺らの頼みで、お前がある場所に出て、レイプのシーンを演じる。」
ユリコは黙って状況を観察していた。やっぱり沈黙は金だ。
エリが不満げに:
「うわ、こういうのあんま好きじゃねぇな…失敗するたびに服変えなきゃなんねぇし。」
「エリ、300ドルが道端に落ちてるわけじゃねぇぞ。」フレッドが言った。
クジョーが説得のために付け加えた。
「それに、報酬が一回きりじゃねぇ可能性もあるぜ。」
「ふーん、魅力的だな!やるよ!」
「ぷっ、ここじゃ『やるぜ』って言ってもいいよ。みんなくそ仲間だろ。」
「お前、黙れよ、フレッド。」
ユリコが微笑んだ。
「とりあえずここで待ってて。俺らが隠れなきゃならねぇから。合図出すよ。」マリが言った。
「合図?どんな?バイブとか?俺、バイブ好きだよ。」
「しょうがねぇな、携帯をバイブモードにしとけ。それで満足だろ。」
「まぁ、合理的だな。つーか、ここすげぇ静かで暗いな…こんな通り初めてだよ。」
「質問は後だ。フレッドがすぐ来るから、とりあえず通りに出て歩け。」
「分かった。じゃあな。」
エリが電話を切って、ゆっくり通りを歩き始めた。誰かの視線を感じながら。
彼女が歩く中、仲間たちは音を立てずに後ろをつけ、建物や路地の影に隠れた。
突然、彼女の背後の影が動き出した。
マリはそれが役者だと分かり、エリにメッセージを送った。
携帯が振動した。
エリは演技の時間だと気づき、足を速めた。後ろの影もスピードを上げた。
彼女がわざとらしく走り出すと、追っ手も加速した。
だが、次の角を曲がったところで、予想外の袋小路にぶつかった。
「よし、時間だ。」
エリが振り返って軽く微笑んだ…が、そこで凍りついた。
目の前にいたのはフレッドじゃなかった。
フードで隠された醜いデブ顔が、小さな狂った目で彼女を見つめていた。手にはナイフが鈍く光っていた。
エリは恐怖で固まった。叫ぶ暇もなく、口を塞がれ、服が引き裂かれ始めた。
「なぁ、動き出したけど…なんかリアルすぎて、逆に怖ぇよ。」クジョーがマリとの無線で言った。
ステファンは近くに立って状況を見ていた。
クジョーの肩が後ろから叩かれた。
「遅れてすまねぇ。いつ始めるんだ?おっ、もう一人役者雇ったのか?」
クジョーとステファンの目は、状況を理解した瞬間、恐怖で一杯になった。
「クソッタレ!」クジョーが大声で囁いて、銃を再装填した。
銃声が響いた。
レイピストの脳みそが近くのビルの壁に飛び散った。骨の欠片、肉片、血しぶきがエリに降りかかった。
彼女の目は恐怖で大きく見開かれた。
影から街灯の光の下に人影が現れた。
そいつだった…でも写真の奴とは全然違った。
顔は暗いマスクで半分隠れ、冷たく鋭い目だけが見えた。髪は乱れていたが、その乱雑さが意図的なように感じた。まるで内面の混沌を映してるみたいに。長いマフラーが首を覆い、暗いコートが姿をさらに幽霊っぽく見せていた。
全員が固まった。
こいつが本当に探してた奴なのか?それとも、もっとヤバい別の誰かか?
エリは冷たいアスファルトに倒れ、荒く息をしていた。レイピストの血の塊が顔と服にべっとりついていたが、今はそれさえ気にならなかった。目の前に立つ知らない男から、恐ろしい何かを感じていた。
なんとか立ち上がり、彼女は後ずさりしながらその謎の男を見た。
シロが一歩近づき、冷たく妥協のない声で言った。
「荷物持って、ここから消えろ。」
エリが震えた。彼女の目は死体と、顔を布で半分隠したこの奇妙な男の間を彷徨った。恐怖で叫んだ。
「こんなのにサインした覚えねぇよ!俺、帰る!」
振り返って、彼女はつまずきそうになりながら逃げ出した。
シロは驚いたように眉を上げて彼女を見送ったが、何も言わなかった。彼が立ち去ろうとした瞬間、左からけたたましい銃声が響いた。
弾が彼の手に当たり、銃を落とした。
シロが素早く振り返り、撃った相手の方に目をやった。暗がりの中、ユリコがまだ銃を構えているのが見えた。近くにはマリ、少し離れてクジョーとステファンがいた。
彼は緊張し、ユリコの顔を凝視した。するとその目に驚きと…かすかな恐怖がよぎった。
「お前…!?」彼が息を吐いて後退した。
一瞬も無駄にせず、シロは振り返って路地に消えた。
「お前、何やってんだよ、クソッ!」マリが叫んで追いかけた。
ユリコは唇を噛み、何も言わずに後を追った。
「俺らどうすりゃいいんだ!?」フレッドが困惑して叫んだ。
ステファンはクジョーを一瞥し、きっぱりと言った。
「ここに残ってこいつを見てろ。」
そして彼は走り出し、女たちと同じ方向へ突進した。
ステファンは暗い路地を走っていた。街の明かりは遠くに消え、ここの街灯は微かにしか光っていなかった。濡れたアスファルトが足元で滑り、闇が彼を飲み込むようだった。方向感覚を失い始めた時、突然鋭い痛みが足を貫いた。
銃声が響いた。
ステファンは悲鳴を上げて地面に倒れ、歯を食いしばった。彼は撃たれた足を掴み、血がズボンを染め始めた。
影からユリコが出てきた。
「クソ…」彼が驚きの目で彼女を見て呻いた。
迷わずステファンは銃を抜き、発砲した。弾は壁やアスファルトに鈍く当たったが、ユリコはすでに角を曲がって消えていた。
マリは暗闇の中を進み、銃を固く握っていた。空気は血と埃の匂いで重かった。路地に足音が反響した。彼女は立ち止まり、地面に続く血の跡を見つけた。
気合を入れて、マリは角から飛び出し、銃を構えた。
目の前には、足を引きずりながら歩くシロがいた。
彼は泥だらけで服はボロボロ、髪は埃まみれで乱れていた。右足がねじれ、太ももには小さな鉄筋が深く刺さり、真っ赤な跡を残しながら彼は頑なに進んでいた。
「止まれ!」マリが叫んだ。
シロが立ち止まった。彼の目が彼女と合い、その瞬間に何か…認識?驚愕?がよぎった。
だがマリが理解する前に、彼が突然叫んだ。
「気をつけろ!」
二発の銃声が響いた。
一発目が彼女の手から銃を弾き、二発目が腹に食い込んだ。
マリは息も絶え絶えに地面に倒れた。血が熱い波となって冷たいアスファルトに広がった。
影からユリコが出てきて、暗闇で目が光った。
「よくやったね、ワンちゃん。」彼女は首をかしげ、獲物を弄ぶ猫のようにつぶやいた。
マリを跨いで、彼女はマリの銃を蹴り飛ばし、ゆっくりシロの方へ歩き出した。
シロは重いため息をつき、彼女から目を離さなかった。
「ユリコ…」
「あぁ、その名前を聞くのって気持ちいいね。」彼女の声は甘い毒で満ちていた。「ずいぶん長いこと私の名前を呼んでくれなかったじゃない…でも私、寂しかったんだから!」
ユリコは貪るように彼の全てを見た。血まみれの足、汚れた服、緊張した筋肉、冷たい表情。その姿に彼女の目は燃え、唇が期待で震えた。
彼女は近づき、熱い息が彼の耳を焼いた。
「お前がどれだけ私の頭にいたか、分かんねぇだろ…」彼女は指で彼の首を軽く引っ掻いた。「どんな妄想をしてたか…」
シロが歯を食いしばった。
「離れろ。」
ユリコがクスクス笑い、唇を彼の唇に近づけたが、直前で下に下がり、彼の血まみれの足に顔を寄せた。
「痛い?」彼女の声は優しく、まるで気遣うようだったが、次の瞬間、彼女は傷を強く押した。
シロが体を震わせたが、声は出さなかった。
「お前ってほんと…」ユリコは唇を舐め、彼の我慢を楽しむように見つめた。「我慢して、耐えて…あぁ、興奮するね!」
彼女の手が彼の胸を這い上がり、再び指が彼の唇をなぞった。
「なぁ、シロ…」彼女の声が囁きになった。「あの夜の後、お前が私に何でもしてくれたらって、ずっと願ってた。お前が去らなけりゃ…私がどれだけお前を欲しがってるか分かってくれればって!」
シロは彼女の目を見つめ、その視線は氷のようだった。
「でもお前は拒んだ…」彼女の声が低く、不気味に変わった。「私を汚物みたいに無視したんだ!」
彼女は拳を握り、力いっぱい彼の顔を殴った。
「私をゴミみたいに捨てた!まるで私が何でもねぇみたいに!」彼女の目には純粋な狂気が宿っていた。「でも私はお前を愛してたんだよ、シロ!欲しかった!今でも欲しい…」
彼女は再び彼に寄りかかり、指を彼の髪に這わせた。
「でさ、皮肉なことに何だと思う?」彼女の笑みが広がった。「今、お前は私の物だよ。完全に。誰もお前を奪えねぇ…」
彼女の手が彼の血まみれの足に下がり、泥と血を指でなぞった。
「このお前の姿…」彼女は目を閉じ、快感に息を吐いた。「あぁ、お前が自分の姿を外から見れたらなぁ…私がずっと夢見てた瞬間だよ…」
その頃、近くに倒れていたマリは二人をじっと見ていた。服に広がった血は実は偽物だった。気をそらすための特殊な液体パックだ。防弾チョッキの下、彼女の体は無事で、指はすでにゆっくり銃に伸びていた。
彼女は待っていた。
完璧なタイミングを待っていた。
ユリコは狂気に没頭しすぎてそれに気づかなかった。彼女の手がシロの胸を撫で、触れるたびに楽しんでいた。
「今すぐお前を殺せるよ…」彼女の声は夢見心地だった。「ゆっくり切り刻んで、お前の息づかいや血の一滴一滴を味わえる…」
彼女は急に彼の髪を掴んで後ろに引っ張り、目を合わせさせた。
「そんで…」彼女の笑みが獰猛になった。「お前の命が私の手の中で消えるまで、お前と愛し合いたいよ…」
彼女は深く息を吸い、そのイメージに酔いしれた。
「最高のフィナーレになるね…」彼女が吐息した。
ユリコが独白に夢中になっている間に、マリは静かに周りを見た。銃は少し離れたところにあり、ユリコが蹴り飛ばした場所に落ちていた。気づかれないよう、彼女はゆっくり銃に向かって這った。
「あぁ、シロ、お前が自分の姿を見れたらなぁ…こんな無力で、脆い姿…」ユリコが唇を舐め、興奮で声が震えた。「私がこういうのが好きだって知ってるだろ?お前がこんなだとこっちが燃えるんだよ…」
マリが手を伸ばし、慎重に銃を掴み、素早く立ち上がった。
銃声が鳴った。
ユリコが急に脇腹を押さえ、歯を食いしばって痛みに耐えた。でも恐怖の代わりに、彼女の顔には奇妙で狂った笑みが浮かんでいた。
「あぁ…このクソ女…」彼女が息を吐いてよろめいた。
時間を無駄にせず、彼女は後ろに跳び、路地の闇に消えた。マリはすぐさま狙いを定めて再び撃ったが、ユリコはすでに速く逃げていた。弾は壁やアスファルトに鈍く当たるだけだった。
数秒後、全てが静かになった。ユリコは消えた。
沈黙。
マリは荒々しく息をしながら、ユリコが消えた方向を見ていた。彼女は歯を食いしばり、銃をホルスターに戻し、何も言わずシロの方を向いた。
「立て。」彼女が手を差し出して言った。
シロは無表情で彼女を見た。少し躊躇った後、彼女の手を取り、立ち上がり、足を引きずりながら数歩進んだ。
「何でだ?」彼が低く聞いた。
マリは短く彼を見た。
「その必要があるからだ。」それ以上何も説明せず答えた。
二人はゆっくり戻り始め、濡れたアスファルトに足跡を残した。
突然、前方から苦しげな呻き声が聞こえた。マリが顔を上げ、急に立ち止まった。
彼らの方向に、撃たれた足を引きずりながら這うステファンがいた。
彼の目は二人を見て大きく見開かれた。痛みを忘れるほど驚いていた。
「何…このクソ状況?」彼が掠れた声で言った。
マリも彼を見て呆然とした。
「クジョー!」彼女が叫んだ。
10秒ほど経つと、路地にクジョーが現れた。彼は素早く駆け寄り、ステファン、シロ、マリを行き来する目で見た。
「何だ…」彼が言いかけたが、三人の状態を見て言葉を止めた。
時間を無駄にせず、彼は電話を取り出し、すぐ番号を押した。
「緊急だ!特装車と救急車を頼む。負傷者3人だ。座標を送る。急げ!」
話しながら、彼の視線が再びマリに落ちた。
「ユリコはどこだ?」彼が鋭く聞いた。
マリは疲れたように息を吐いた。
「質問は後だ。」
クジョーは眉をひそめたが何も言わず、頷いて電話をポケットにしまった。
あとは待つだけだった。
続く…