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Last Episode.I

お読みいただきありがとうございます。


 某日


 しばらく連絡を取り合うこともしていなかった和日葉から一通の手紙が届いたときは高校二年生の春だった。封筒に貼られた『今井有様』の文字列がよくわからない距離を感じさせる。

 ちょっとずつクラスに馴染んできた学校の帰り、ポストにそれが入っているのを認識してから、少しずつ中学生の頃のことを思い出していった。そういえば、勇利やタウとももうほぼつながりはなくなっている。


 無根拠という根拠。

 衝動という理性。


 二つの言葉が唐突に頭を小突く。

 どれほど散らばったものだと思っても、自分がばら撒いてきたものは意外と一つの直線上にならんでしまっていたりする。

 未来が不確実であるように、過去のことも実際は曖昧にしか覚えていないからだ。

 期待して、手を伸ばして望んでいた未来が外れてしまったときの絶望感は、過去の話になると絶望するべきではなかった希望、に変わる。

 「ない」、という「ある」。

 特に理由がないと思っても実際にはあるのだ。意味が。やっぱり、自分の考え方はあの頃から何一つ変化していないらしい。

 本当は意味があることに気づかないから自分の思考の無秩序さに失望したりするし、その失望の矛先は知り合いやメディアに取り上げられた赤の他人だったりもする。

 だから和日葉も、自分のした行動を意味のなかった行動と勘違いしているわけだ。

 不確実性が招く自分に対する偏見。

 自分に対する偏見が招く孤独と寂しさ。

 和日葉だけではなさそうだな。

 しばらくドアの前で立ち止まり、この手紙を読むか読まないか迷った。あまり良い別れ方をしなかっただけに何を書かれているかわからないからだ。あの時の記憶は、もう過去のことだと自分の歴史に置き去りにしてきてしまっていた。

 苦い思い出なだけにあの頃の記憶は全体を占める時間が長い。

 でも、今日じゃなければ二度と読まないだろうな。見てしまったからな。と覚悟を決めて家の中に入った。



 十月十七日


 もう一度来たかった。それはつまり、暗いまま終わってしまった学校生活に対するやるせなさがあったという意味だろう。

「He used to live in this house.

(和日葉は以前、この家に住んでたんだよ。)」

 それは初めて聞く話だった。確かに、転校してきたときにはもう和日葉はあの学校にはいなかったし、時系列的にも矛盾していない。

 昔の記憶を、どのようにして抹消すればいいかわからなくなったのが和日葉が来た理由だろう。何か行動を起こしたい。和日葉は、見た目以上に行動力がある人なのかもしれない。

 和日葉の事をそこまで考えたい気分ではないので、直接和日葉の話をするのはやめよう。

「Does he have anything to do with you pretending to be American?

(自分をアメリカ人って偽っていた理由と和日葉はなにか関係があるの?)」

「Yes.」

 なるほど。と思いながら、その言葉の続きを求めて彼の事を見つめた。

「He was interested in Greek mathematics, right?

(和日葉はギリシャ数学に興味があったでしょ?)」

 そういえばそうだ。ヒッパソス、はギリシャ数学の本に出てきていた。ギリシャの数学者だったはずだ。

「...But then they started taking advantage of that and bullying him. In short, liking math is one of the reasons why he was bullied.

(でも、その事を利用して和日葉はいじめられるようになった。要するに、和日葉の数学好きはいじめられた原因の一つだったんだよ。)」

 そこで彼の言おうとしている事がわかったので、一度手を前に差し出して彼の口を閉ざさせた。

 ギリシャ数学は、和日葉のいじめを連想させてしまうから、彼もそれを隠していたという意味だった。

「I don't agree with you.

(そうは思わない。)」

 でもギリシャ数学がいじめの原因だったとは、僕には流石に思えなかった。

「They just used what he liked. It's not one reason.

(好きなものを利用されただけだよ。いじめられた原因ではない。)」

「Ah...that's true.

(ああ...たしかにそうだね。)」

 そう言い放った事で、自分にまだ和日葉を肯定したい気持ちがしっかりあったという事を自覚する。少し、安堵した。

 その次に彼は、でもとにかくギリシャという言葉からいじめが連想されてしまうと和日葉は考えたんだ、と口にした。

 要するに、いじめがこの家の人にバレるかもしれないから、それが嫌だから、ギリシャ人という国籍を隠していた。自分の予想した通りだった。

 確かにそれなら、彼が国籍を偽っていた理由と和日葉がここに来た理由がつながる。彼は辻褄の合った話をしていた。

 しかし、それを聞いた時点で僕には二つ疑問が浮かび上がってくる。

「Wait a minute, are you his friend?

(まって、和日葉と知り合いなの?)」

 和日葉の事が理由で国籍を偽った。でも事実として、そもそも彼がこの家に来たのは和日葉が来るよりも前だ。それが逆だったとしてもおかしな話に感じるが、この順番ならなおさら、もともと彼と和日葉につながりがあった可能性しか考えられない。

「Yes.」

 案の定、ギリシャと日本という地理的に遠く離れた二人が知り合いだったわけだ。

 そこで初めて、知り合いだという事を隠したくて、僕の前で二人があまり話をしていなかった事に気がつく。あの時にスマホの画面に、僕が直接話せばいいじゃないかと思った会話が浮かび上がってきた理由もそれだ。

 どのようにして知り合ったのかは気になるものだ。でも、それよりも重要な二個目の質問に移った。



 某日


『お久しぶりです。三年前にお世話になった吉田和日葉です。』

 意外にも堅い文章で思わず身構えた。ホームステイに関する感謝が書かれているとは全く思っていなかった。そのことを書きたいなら手紙の対象を僕一人に向けないほうがいいんじゃないか、とも思った。心のなかではなった言葉が心のなかで反響する。部屋の中にはカーテンがめくれる音が響き、しばらくして外で自動車が道を通り抜けていく音が聴こえてきた。

『今から書く内容は誰にも見せないでほしいです。』

 突然の注意書きにまた緊張した。しかし、その後にでてきた文に思わず困惑する。

『無理数は、特別な存在なんです。』

 僕にしか話せないような内容なのかなと思ったらそんなこと全くないように受け取れた。急に何の話だろうか?

 ......そういえば、昔和日葉から無理数と有理数の説明をされたことがあった。

 特に興味もない数学の話に僕は食いつきもしようとしなかったものの、今でもそのとき話した内容はぼんやりとだが覚えている。

 あのあとしばらく経って学校で無理数と有理数を習ったが、そのときに自分は和日葉のことを思い出したのだろうか。はっきりとは覚えていない。

 そうそう、循環小数は有理数なんだよみたいなこと、いわれたっけ。分数で表せるから。

『ヒッパソスが見つけた無理数は不思議な数で、円周率のπのように一目でわかるものもあれば、表し方のわからないただ数字が羅列されているだけのものもある。つまり、有理数が分数で表せるのに対応するような無理数の表現方法は現時点ではありません。分数というテンプレートで表せないなりに無理数は個性を持とうと必死で生きている。人類はすべての数という存在に意味をもたせようと数学を研究し続けた。そんな思いがあったと、自分は信じています。

 あの頃の自分はうまい生き方というものをうまく咀嚼できなかった。

 でも時間が経つに連れ、ヒッパソスが教えてくれたことをだんだん理解できるようになってきた。

 群衆にまみれながらも、自分たちは生き方探しに必死なんだっていうことを。』

 敬体と常体が混ざる文章をよそに、和日葉の言っていることを少しずつ咀嚼していく。

 しばらく経ってから思った。やっぱりあの頃の和日葉は自分と同じ感情を抱いていたんだな。

 あの頃僕と和日葉は理解し合えなかったのかもしれない。でも、その中でもなにか通じるものがあったのなら安心できる。

 数年ぶりに送られてきた手紙にしてはあまり具体的な中身がないように思えた。でもそれに和日葉らしさを感じた。

 外から差し込む太陽光にちょっとだけ希望を感じて、ちょっとだけ自分は間違っていなかったんだと思えている気がする。

『ヒッパソス、ゲオルク・カントールに捧ぐ

 吉田和日葉より』





 十月十七日


「But he once explained Greek mathematics to me.

(でも、和日葉は一回ギリシャ数学を僕に説明してくれた事がある。)」

 それも、ヒッパソスという人物について。その行動はまったくいじめを連想させないためにした事とは思えなかった。

 和日葉は僕に有理数と無理数について教えてくれた事があった。あまり興味を持てなかったもののヒッパソスという言葉のインパクトのせいで内容はぼんやりとだが覚えている。

 彼はしばらく動かなくなって、何も言わずに「そんな事知らなかった」と目で訴えかけてくる。確かに、知らなかったなら自分が国籍を偽っていた意味なんて崩れ落ちるからな。

「...I don't know. Is that true?

(知らない。ほんとに?)」

 言葉の意味をほとんど噛み砕かずに頷いた。

 どちらにしろ、過去にあった事はもう僕は知ってしまったのだから、連想させないようにもなにもないのだが。そしてその事は彼だって知っているはずだ。

「When I decided to come to Japan for a homestay, he was planning to come here, so I thought why not come with him?

(僕がホームステイのために日本に来ることに決めたとき、和日葉もここに来る予定だったから、一緒に来たらどうかと思ったんだ。)」

 ショックからなのか、僕に「なんで国籍を偽ってまで一緒にきたの?」と聞かれるかと思ったからなのかわからないが、彼は話をずらした。

 最初から最後まで、彼の口から話された話は辻褄が合う話だった。なんとなく、偶然ってあるんだなとも思っていた。

「You don't have to tell me everything.

(全部話してくれなくたっていいのに。)」

「I'm glad I came to this house. I enjoyed going to that school.

(この家に来れてよかった。あの学校に通えてよかった。)」

 それを聞いて、そろそろ会話を終わらせたいんだなと彼が思っている事を悟る。そう思うと途端に眠気が襲ってきて、さっきまで聞こえていなかった風の音が耳に入る。今晩は風が強いな。

「Thank you for everything.

(今までありがとう。)」



 あれから三時間も経っていないと思う。母に起こされたのは朝の六時を過ぎたくらいのときの事で、僕にとっては早い時間帯だったので「どうしたの?」と聞くと「二人がもう行っちゃうから」と言われ、昨夜......さっきあった事を思い出してどことなく胸の奥に重いものを感じる。

 階段を降りると和日葉たちがもう既に朝食を食べているところだった。和日葉に関してはもともとこっちになんて注目していないだろうが、気まずくてこっち側からも目を逸らした。

 Why God provided Mathematics to Wakaba――

 これまでにあった事がひどく懐かしく感じられる。妙に長い時間だったように感じられる。長く感じるのは中身のある時間だったからだって、ちょっとは信じてみたいな。

 気づいたら、眼の前の鮭を食べ終わっていた。

 母と父は事情を知らないだろうが、異様なほど静かな空気が部屋に立ち込めていたので、それを察したのか母が

「I should have bought some souvenirs. I'm sorry.

(おみやげくらい買っておけばよかったね。ごめんね)」

 というが、「I don't mind at all.(全然気にしてないです)」といささか冷ややかなトーンで和日葉が言ってその会話は終わった。

 家を出る準備など、すべてが終わったとき、父が

「Thank you for everything.」

 と、数時間前聞いたセリフが耳に入った。

 ドアを開けて二人が出ていく――その直前になって、このままだと自分に後悔が残る事になるのだと気がついた。

 和日葉――

 心のなかでは言っていた。でも本当は、自分は手を振って作り笑いをしているだけだった。

 右隣にいる両親につられてなにか言葉が出ていたが、自分でもなんと言っているのかわからなかった。ドアを開けたときにちょっとだけ差し込んだ太陽光にちょっとだけ心が動いて、涙さえも出そうになってしまった。

 これが寂しさや嬉しさによるものだったらどれだけよかっただろう。

 全部自分の行動が原因。

 誰かに教えてほしい。自分に教えてほしい。

 勇利も、和日葉も、ジョーンズも、みんなそうだ。

 ――自分が、わからない。

 通り抜けてゆく風。

 取り残される心。

 もう遅い。


 end.



最終話までお読みいただきありがとうございました。

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