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XXXIII.誤認

お読みいただきありがとうございます。


 十月十五日


 明後日、もう行ってしまうらしい。

 二人きりになるようなちょうどいいシチュエーション。これまではそれが来るのをしばらく待っていたものの予想通り来なかった。制限時間が過ぎてしまえば会えなくなってしまうからもう後悔する事しかできないし、話せそうなときに全部吐き出してしまうべきだという事は十分わかっていた。

「一個、聞きたい事あるんだけどいい?」

 夜、二人で寝ようと部屋に入る。引き戸を閉じて力の抜けた声で言い放った。

「なに?」

 何を言われるのか想像できていないようだった。

 別に、本当はどうだったからって僕がヒッパソスの事を責め立てる事はしないし非難もしない。ただヒッパソスが自分の中で少し心配になってしまっただけの話だ。もしなにか寄り添える事があるならそうしたい、それだけだった。

「本当は、日本人なんじゃないの?」

 初めから疑問に思っていたものの、最近ではそれがだんだん確信に変わっていっていた。

「......」

 最初の言葉を踏み出してしまったから、気づけばもう後戻りはできなくなっていた。心の奥底にあった異物、息苦しさの正体が消えた感覚がする。一時的に心が麻痺したのかもしれない。開き直った、みたいな感情に近いのかも知れない。

 口に出してから数秒経ってもヒッパソスは口を開かない。発言を待っているというより困惑しているようだった。

「ずっと不思議だったんだよ。韓国人にしては日本語が流暢過ぎるし慣れすぎてる。」

 ヒッパソスは何も言わずにこっちを見ては目を逸らしてを繰り返している。唐突に疑われたらそうなるだろうな、という感じに見えた。

「ごめん、この前、ジョーンズから通知が来るのもみちゃったんだ。『タウ』ってニックネームの人、そんなにいないと思うんだよ。だから――」

 にわかに信じづらい。でもやっぱり、よく考えたら筋が通っている気がしていた。体の中にある息を全部使って力任せで最後まで押し通す。

「――もともと、青中の生徒だったんじゃない?」

 部屋の真ん中に立ったまま微動だにしないヒッパソス。なぜだか動くのは気が引けてしまって引き戸から手を離せていない僕。静かすぎて安心できない。どこからか誰かに見られている気がしてならない。




 少しの間沈黙が流れたが、ヒッパソスは静かに頷いて、そしてかすかに笑顔を見せてくれた。

「もう、あんまり隠す気もなかったよ」

 ベッドに腰を下ろすと重苦しい雰囲気を避けるかのように後ろに手をついて話し始めた。ふと時計を見るがまだ十一時を回っていない。なんとなくどうしようもなくなりその場に立って聞く。

「タウと、なんかあったの?」

「僕は、タイスケって言う方が馴染みがあるんだけどね」

 ――タイスケ?

 今自分で考えていたのはタイスケではなくて垂井の方であった。

「誰?それ」

「え?塚田太佑っていうクラスメートが一年のときにいたんだけど」

「......そうなんだ」

 どうやら、僕の思っていたタウとヒッパソスの思っていたタウは違ったらしい。それなら、ヒッパソスがもともと青中生だったという推測の根拠の一つは単なる憶測に過ぎなかったという事になる。でも、青中にいた事は事実らしい。

 つまり、青中には現在タウが二人いるというわけだ。それも同学年に。

「タイスケに、いじめられてたんだよね。タイスケだけじゃないけど。」

 ヒッパソス的にはこうらしい。

 一年のときの運動会の練習をしていたとき、ヒッパソスはクラスの足を引っ張るような事をよくしていた。それは練習に限っての話ではなく、本番でもそうだったらしい。だからタイスケに目をつけられてそこからだんだんいやがらせが始まっていった。別クラスの人もそれには関わっていたという。

 例えば、ヒッパソスがもっている本に落書きしたり。

「図書室にもその本があったんだけど、それにも一枚紙が挟まってて―」

 なんとなく、その一枚の紙がどのようなものだったかは想像できた。その持っていた本というのはこの前ヒッパソスが読んでいたあの本だった。

『万物は数である -有理数が生んだ悲劇-』

 ヒッパソスにとってそれはお守りのような本だった。なんでそんなにこの本が大事なのかは知らないが、落書きされてしまってから触れる事さえためらっていたみたいだ。最近になってから新しく買ったのだという。

 ヒッパソスは数学を愛している。愛してやまないものがあるから、タイスケたちはその事を利用していじめを行っていたという事なのだろう。どういうふうに捉えてもそれがいかに下劣な事か伝わってきた。

「他にも、いろいろされてたんだけど。」

「タイスケ以外は?」

 さっきまで、垂井のタウの事を若干疑っていた自分がいた。でもそれは単なる誤解だったから安心した。

 ただ、その代わりに何かを怖がっていた。まわりの誰かしらがそれに関わっていたんじゃないか、と。

「四人いたかな。そのうちの一人は川田君っていう学級委員もやってた人なんだけど。よく覚えてないけど数学好きっていうのでだんだん別クラスだけど話すようになっていったの。結局、タイスケの指示で動いてたか知らないけど、仲良くしたいなんて思われてなかった」

 その次に自分の心の中に現れたのは、知らなければよかったという感情でしかなかった。よりによって、という感情だった。信じたくなかった。どうしても誤解だと思いたかった。

「......それと、英太と、勇利っていうクラスメート。」

 少しの間、頭の中が真っ白になり、自分の事を客観視しているかのような気分になった。

「英太にはタイスケたちと一緒に悪口言われる事があったよ。

 勇利には、なんか......その、悪口がいっぱい書かれた本渡されたりした。勇利も裏では何してたかわからない。それまでは勇利だけは一緒にいてくれる友達だと思ってた......

 それで、一年の終わりに結局引っ越したからもう終わりになったんだけど」

 体の中から出てきそうになっている得体のしれない言葉を飲み込みながら、必死の思い出口にした一言があった。

「本当は名前、なんていうの?」

吉田(よしだ)和日葉(わかば)

 しばらく下を向いていた自分の視線をヒッパソスの方にやる。ヒッパソスが今にも泣き出しそうになっている事に今更気がついた。

「ごめん、思い出させて」

 今自分がしている事を自覚した。解決できるわけでもないのに昔あった事を掘り返している。本気で寄り添えるわけでもないのに何をやっているんだ?

 最近、心にずっと眠っていた異物の正体がわかった。一時的に消えたそれがまた浮かび上がってくる。......ああ、僕はいつもこうやって、罪悪感にさいなまれているな。いい加減、心も学んでくれないものだろうか。

 全て、自己満足だ。

8/31追記:タイトルに間違いがありました。

誤⋯XXXIV.誤認

正⋯XXXIII.誤認

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