III.図書
お読みいただきありがとうございます。
九月三日
多分、昨日五時間だったのは二学期が始まった直後だったからではなくて、水曜日だったからだろう。水曜時程は大抵五時間なはずだ。ということは平常授業は昨日からであり、初の六時間授業が今日というだけなのだろう。
...本当に今更だが、小学校の頃と比べて、ここには結構いろいろな本があるように感じる。広さがあるというよりは本棚が密集していて、目の前の哲学書だったりも小学校と比べて多い。
中学校に入って最初にここに入ったのは本当に初めの頃だ。だから今日来たのは一年四、五ヶ月ぶりにもなると思う。ではなんで今日来たかといえば、新学期が始まって気が変わったからではない。いつも勇利がなぜか
「図書室来ない?」
と誘ってくるからだ。
木曜日限定の話だが、それは勇利の図書委員の仕事があるのが木曜日であるためだ。と、わかっていても、この行動の意味がやっぱり僕にはわからない。今日始めて、暇だからとついてきたのだが、結局勇利は貸出用のカウンターのところに行ってしまったし、僕がここにいる意味はあるのだろうか。
良く言えば同じ空間にいるという仲間意識にも思えるが、悪く言えば図書室に来てもカウンターに入れないという縄張り意識だともとれる。
...何言ってるんだ?
多分理由なんてなくて、良い意味でも悪い意味でも僕に対する意欲なのだろう。理由がなければその気持ちになりきることだってできるはずがない。
カウンターと対になっている壁の哲学書コーナーを左に抜けて入口から離れる。数秒で通路を歩き突き当たると、左側には歴史書が並んでいた。ここは割とカウンターから見える場所だろうか。
単色というわけではないが、歴史書は地味なカバーが多い気がする。長く置いてあるせいで色褪せているだけだろうか。手前から、日本史、世界史、数学史、文学史...量はどうであれ種類は豊富だった。一番多いのは世界史だろうか。
そういえば、ここにはないが生徒がリクエストすれば学校が本を取り寄せてくれることがあるというのを聞いたことがある。生徒の意見を尊重してくれる、というべきだろうか。もしそうなら世界史が好きな生徒が多ければ世界史本がそれに伴うのにも説明がつく。仕方なく、そして吸い込まれるように『世界史』と描いてある本棚の上のプレートの真下に行く。白く、木で作られているように見える。
何も借りないと本当の意味で暇つぶしに来ただけになってしまう。そんな変な危機感を覚えて、変に上の段から手に取ったのはナポレオンの本だった。イタリア、コルシカ、グランダルメ、パラパラめくって目に飛び込んできた言葉はどれもカタカナだ。しかし、哲学と同じで僕は歴史にも興味はない。
...勇利?
カウンターから誰かがこっちを見ているような気がしたが、気のせいか。
結局、学術書に興味はないというシンプルな言葉で僕はまとめられるようだった。気がつけば勝手に目の前の本が文学本になっている。
本を返すまでの期限は二週間。これから始まる課題部活委員会に追われる生活の中で読める本を選ばなければならない。といいながらまともな目安はわからない。ただ何かしら読みたい。と、明らかに読書に馴染んでいない人が思うようなことを考えながら目をつぶりながらランダムに引っ張り出した本の作者は僕の知っている人だった。
本棚から少し身を引いて周りを見渡してみる。
『矛盾ゼロを目指した数学者たち〜ヒルベルトプログラム〜』
『ギリシャが生んでしまった未知』
『和算の「華」に迫る』
ていうか、ここらへんの図書館では数学史専門のコーナーをあまり見たことがない。この学校は珍しいのだろうか。五段あるうちの上から二段目。読んでみたいと思う本は特になかった。
昼休みも中盤になり人の密集度も最大に近づいていく。人混みの中流れに逆らうように...とまでは行かないか。適当に腰を少しかがめながらカウンターに向かう。わずかに目に入っただけでもわかった。カウンターに立っている図書委員はさっきと違った。勇利ではない。
人混みといえどカウンター前は空いている。時間によって混み合う場所が違うのは不思議ではない。まっすぐ横長のカウンターの前に立ち、本を差し出して目に入った木目を眺めていると深緑の線で描かれた一枚の表が目に入った。飛んでいかないように小さなクリップボードみたいなやつに挟んであるらしい。貸出簿って言われるあれか。ところどころ折れ曲がりながらも半分くらいまでまで貸出者だったり貸出日だったりが書き殴られている。でもぎりぎり読めるか。
「はい」
きっとその人は三年生で、僕が二年ということがわかったのだろう、とその言葉を聞いて思ったが、もう一度顔を見るとどこかで見たことある同級生だとわかった。どこかで見たことのある、と表現するのは正直誰だかわからないからだ。
仕方ないだろう、二年は人数が多い。
相手の方も僕のことを見たことがあるのだと思う。僕は学校で目立ったことは特にないし、名前は知られていないとはずだ。
なんとなくお礼を言ってぼんやり図書室をあとにする。
流石に勇利に
「なんで先に出ってったんだよ〜」
と変なテンションで言われることはないと思う。
だが、その予感は部分的にあたったらしい。
「有、」
階段を登ろうとすると突然後ろから勇利の声が聞こえた。
「あれ、図書委員は?」
「もう貸出係終わったから行っていいって、佐藤さんが」
「で、素直に受け入れたの?」
右足だけ一段目に乗せて後ろを向いていると勇利が頷いた。
「...何借りた?」
まるでそれだけが聞きたくて焦って出てきたとでも言うように、地味な間を開けてから僕に聞いた。左手に持っていたそれを右手に移して、タイトルが勇利の目の前に来るように、差し出すと言うより押し出した。ただ正直に言うとこれが読みたかったわけではない。しつこいようだが僕は読書家ではない。
「ヒノキ...ってなに?」
一瞬、勇利は目を大きく開いたように見えたが、無意識だろうか。
今始めてしっかりタイトルを見る。ただ、さっき知ったようにこれの作者は結構有名な人だ。ベストセラー小説を何本も出している。
「木でしょ」
「そっか。」
勇利の態度の落差がすごかったので不思議に思うのと同時に笑ってしまったが、これは正真正銘の無意識だった。
「ちょっとどうしたの急に」
「いや、別に。次って数学だったっけ?」
「五時間目?社会だよ。地理。」
「あーちょっと待って。うん。地理。わかった」
僕より先に階段を登って教室に向かっていく勇斗。何かあったのだろうか。最初に思った通り焦っているように感じる。後を追って一段とばしで登っていくが、最近こっちのほうが普通に登るより疲れるのかもしれないということに気がついた。昼休みはまだ終わっていないので階段の途中にいる人は大抵雑談中である。僕が通ると若干声のボリュームを小さくしてくる。きっと、配慮という言葉はここにはない。
図書室は職員室のすぐそばで二階、教室は三階なのですぐに着いた。ドアを開けたとき見える光景と底にいる人はいつもとほとんど変わらないし、クラスメイトがいる位置も定位置がだいたい決まっている。
地理の教科書と他の一式を後ろのロッカーから出す。文庫本よりもかなり重いと思う。
時間に余裕があるときの一段とばしって体力を消費するだけなのかもしれませんね。