28.確信
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九月三十日
「川田なら転校したじゃん」
「...どういう事?」
川田に会ってみたいと直接言ったわけではない。どこにいるかわかってしまえばそこに向かうのは俺の勝手だから、川田のクラスを尋ねただけだ。絵梨花の口から放たれた返答に衝撃を受けて少しの間息が詰まった。
家を出てすぐに絵梨花がいたから一緒に来たらこれだ。朝から衝撃を受ける。
道に光が差し込んでくる。直線的な光が複雑に混じり合い、一つの面となって、体となって目の前で霧のようになる。
え...川田が転校したなんてだれも...
「ああそういえば、終業式の日休んでたっけ。終業式の日の学年集会で井上先生が言ってたよ」
井上先生は学年主任の先生だった。一学期最後の日、確かに俺は風邪を引いて学校に行かなかった。そのせいで後日夏休みの課題などを持って帰らなければならなくなったのをよく覚えている。そもそも俺は川田と直接的なつながりがあるわけではなかったし、転校したという事が耳に入らないのも無理はなかった。
「なんで?」
「知らない。親の都合じゃない?どこに転校したかも知らないし」
それを聞いてすぐに思った。果たして本当に仕方のない"事情"だろうか...いや、それはおかしい。悪事を働いてしまって居心地が悪くなったから転校なんていう話が川田から川田の親に通用するとは思えなかったからだ。
どこへ行ってしまったかさえわからない。なら、川田にはもう会えないし話す事もできない...。
川田は、きっとワカバの事をいじめていた。本をワカバに返さなかったという時点であれはもう嫌がらせだったのだ。
―そう、失くしたと川田が言ったのも嘘で、本当はそれはワカバに対する嫌がらせをするための猶予を作るための言い訳だったわけだ。一生懸命探して見つかったから返せた、ではなくて、本の中を悪口で埋め尽くす事ができただけだ。本当にちゃんと返す気があったのなら先生からなどと送り主を偽ったりしないはずだ。ではなんで英太がそれを持っていた?...いじめたという責任をなすりつけるためだ。
もちろん、すべて自分の妄想に過ぎない。
でもとにかく、終業式の日に転校すると伝えられたのだから一学期の間は川田はこの学校にいたはずだ。ワカバの机にずっと眠っているあの本は一学期にワカバに返された。
...ワカバは、夏休みの間はあの本も家に置いておいたのだろう。でも、だからといって捨てる事もできず結局学校に持ってきてしまった。
ワカバにとって本当にあの本は大切なものなんだ。
大切な―いや、違う。それだけじゃない。
正門が近づいてくる。ワカバはもしかしたらこの事が公になるのを心の底から望んでいるのではないか。声の大きい誰かに、代わりに叫んでほしいのではないか。
それは自分ではないのではないか。
誰かに気づいてほしい―?
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
でも、怖くてそれを自分から見る事はできないと、ふと頭の中に浮かんだ仮説をすぐさま取り消した。
徐々に、表情が曇っていくのが自分でもわかった。
―これだと、図書室に行くのが嫌になってしまう。
「なんか話したい事でもあるの?この前もなんか気になってたけど」
一瞬核心を突かれた気がして驚いた。
「いや?ちょっとほら、部活の事でいろいろあって」
川田とは違う部活だし、本当は何一つ関わるようなポイントはなかった。でももう転校したし絵梨花がその事に気づいたりはしないだろう。
「へぇ、転校しちゃったしもう大丈夫な感じ?」
「うん、そうそう。―そういえば、なんで今日早いの?」
「日直だから今日」
川田が転校してしまったという事は、ワカバをいじめる人が一人減ったという事だった。そう思えば良い事実と受け取れるのかもしれないが、それは同時に解決できないまま終わったという事でもあった。
なんとなくワカバも川田とタイスケがしている事だとわかっているだろうし、きっと川田が転校した事も知っているのだが、それに対してどう思っているのかはわからない。
でも、俺はそもそも川田と話そうとしていたし、...そう、ワカバを守りたいのだ。本来、すぐに先生に知らせるべきなんだろうが、知らせなければいけないんだろうが、でもその勇気がまだない。もう少し後にしたい。
ちょっとした事からいじめに気づいてしまったという体で先生に話せばドサクサに紛れて証拠も渡せるのではないかという言い訳がそこにはあった。
だから、タイスケと話してみたい。もう、タイスケにどう思われてもいいし、自分に矛先が向いてしまっても良い。
ワカバはどんな人だったとしても自分にとって光だったから。学校生活を楽しくしてくれた人だったから。それを、タイスケや川田に奪われたから。
下駄箱を見ると一つだけ靴が目に入った。
...タイスケだった。
部活の朝練はないらしい。他に一つも靴がないからだ。
この前早く登校してきたときにタイスケと会ったからこの光景は二回目だった。タイスケは朝が早い事がよくあるのだろうか。
「職員室行ってくる」
「うん」
日直日誌を取りに行くんだろう。ここから職員室は少し距離がある。教室に来るまでには少し時間を要するだろう。絵梨花が教室への道と逆方向に歩いていくのを見送ってから教室へ向かう。心拍数がだんだん上がってくるのがわかった。
「...おはよう」
「おはよう」
扉を開けると予想通りタイスケだけがそこに座っていて、こっちを眺めた。
きっとワカバは今日も来る時間が遅い。
だから大丈夫だ。ワカバの机からそれを取り出す。適当にページを捲り、目の前に差し出した。
「...なにこれ」
するとしばらくタイスケは固まる。困惑しているのが明らかにわかった。
「なにそれ?」
タイスケはかなり驚いた様子だった。立ち上がるまでして少しあからさまな感じがする。でも、頭がいいなと思う。「どういう事?」などと返事をされれば、なんでこれに対して驚かないのかという疑問を呈する事ができるようになるからだ。
「タイスケがやったんでしょ?...タイスケだけじゃない。転校した川田といっしょに」
「...え?」
「運動会のときからそう。もっと前かも知れない。ずっとタイスケはワカバにムカついてた。違う?
...だから、俺にワカバの事、聞いてきたんじゃないの?人の好きなもの汚そうとしたんじゃないの?
この字はタイスケの字でしょ」
「待って、一回待って。何の話?俺何もやってない」
ページをパラパラとめくってみる。...思ったとおりだ。途中から字のクセが変わっているような気がする。
「川田ともう一人、これをやった人がいるはずなの!」
「だからってなんで俺なんだよ!そんな字の書き方俺以外にもいっぱいいるだろ!」
そう言われてハッとした。確かに川田は怪しいが、タイスケが一緒にやっていたという保証は何処にもない事を。
...階段から誰か登ってくるのが聞こえた。大声は避けていたから内容までは聞こえないはずだ。
「...また話そう」
そう言って本をしまう。廊下に逃げた。階段を登ってきていたのは絵梨花だった。
「...なんかあったの?」
「...え?いや、なんもないよ」
「そっか...。なんか顔赤いよ」
そう言われて初めて自分が興奮状態にある事を自覚した。
ワカバ...。
なんで...?
原因はわからないが、もしかしたら自分が本気でワカバに嫌われているかも知れないという恐怖を感じた。...俺は、誰のために動いているのだろうか。




