XVII.垂井正志
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九月二十八日
それにはまだ、親しみやすさを感じる。
決定的な証拠がないという事は不安を生むが、かすかな可能性を信じる事ができる。
それにはまだ、安らぎを感じる。楽しさを感じる。思い出を感じる。
正志は、どう思っているのか。
そもそも、なんで僕は、正志に嫌われたと思ったのか?こっちが一方的に酷い事をしたと錯覚しただけではないか?
―きっとあのときも、無視されたわけではない。自分があの立場だったら対して話したことのない"友達"に気まずさを感じるだけではないか。
きっとそうだ。
…なら、それがわかるときまで待ってもいいんじゃないだろうか。
ただ、それが始まってから、どれほどの時間が過ぎただろう?何もないなら、次の日にでもなにか話したかった。それとも、飽きられただけだろうか。
よく話すようになって数ヶ月しか経っていないのに、これだけ後悔を感じる理由はなんだ?
なにかが変わるんじゃないか。そう信じて正志を待っていた。
何回目だろうか。誰かのために早起きするのは。彼の事も置いてきて。
今日は自分のために。
でも、正志に早く来て欲しいというような事は伝えていない。
焦っている。
雨が降っていて、空が暗いから電気を付けている。まるで放課後のように。窓を開けると不気味な風が吹き込んできそうだ。ザーという音は、窓を閉めているせいであまり聴こえないが、頭の中では砂嵐のような時間が流れている。なんで、今日にしたんだろう。
もはや、早く来てほしいというより、今日は休んで欲しいという気持ちのほうが強かった。事情に関わらずあとになって後悔することはわかっているのに。
しばらくして数人がドアを開けて入ってきた。ただ、休み時間話す友達はいてもわざわざ朝早くから明るく接するような友達は正志だけだった。他クラスに行く、なんて概念は朝にはない。時間は進むばかりで、止まることはない。
確かに最近、ちゃんと気分が上がるような事がない気がする。よく笑うのにつまらないなんて我儘な話だろう。あくまで、部活だったりは学校生活の延長線上のものである。
正志がいてくれたらそんな考えもなくなるだろうか。
一歩も立ち歩かずずっと待っていた。ちょうど八時を過ぎた頃、正志は友達の一人と入ってきたのだった。こっちをみるような事もなく、楽しそうにしている。それを見ても自分は自分に諦めたほうがいいとは言えない、思っても言えなかった。
思っても言えなかった。
そうか。僕は、友達が少ないらしい。ただそれを皮肉に変換する事はしたくなかった。
正志は気まずさを感じているのだろうか?もし、正志にすべてを話したとして、「なんの話?」で済ませられたら僕はなんと答えるだろうか?
今更素直になられて正志は気味悪さを感じないだろうか?
しばらく経って、また自分で自分の口実に溺れようとしている事に気がついた。
…帰り道に正志がいたとき話しかけられなかっのも、仕方なかったのではないか、と。ただそれは自己主張にすぎない、という反論を自分でしてしまっていた事に気がつく。
僕は何がしたいんだ?
結局、そのままチャイムが鳴ってしまい、ホームルームが始まる。
ああまた、正志をいろんな人が囲んでいる。皮肉な事にそう自分が思ってしまっても仕方ないのではないか?
正志がいなくて、果たして本当に僕に害があるだろうか?
僕にはまだ、楽しく生きる術がたくさんあるではないか?
三時間目の数学が終わって、家でヒッパソスに教えてもらった無理数の事を思い出す。分数で表せない数、だったっけ?
…でも、ヒッパソスがそれを楽しそうに話すのを見ていてもやっぱりヒッパソスがそこまで数学に心を惹かれる理由はわからなかった。無理数の存在はそんなに面白いだろうか。ピタゴラスは無理数の存在を否定していたらしいが無理数の存在くらいなんとなくわかったのではないか?
それともヒッパソスはもっと数が持つ哲学的な要素を知っているとでも言うのだろうか。
よくわからない人というのは今の状況にぴったりだった。何を思っているのかわからないのは日常茶飯事という意味だろうか。
何も言えないまま、昼休みになった。
ただ珍しくその時正志は教室を出ていかず、座って何か一生懸命にやっていた。課題だろうか。
そういえば、五時間目は英語になっていて、文法プリントが課題だったな。大多数(かどうかは知らないが)はいつも授業が始まる五分前くらいに慌ててやりだすのだが―そもそもそんなに大変なやつじゃないし―真面目だな。僕は英語が得意教科以前にそもそもこの前の授業中にやる時間があったのでとっくに終わっているのだが。
なんか今日はずっと正志の事を見ている。正志がそれを気にしていないか心配になってきてしまう。何をやっているんだ?僕は。
人目が気になって顔を戻す。再び顔を動かして教室全体を見渡すが、仲のいい、友達はいなかった。
自分の事を気にしている人は多分いないのに勝手に気まずくなってしまい、英語の準備を始めていた。
今すぐやらなければならない、事はすべて終わってしまい、再び席に腰を下ろす。教室の外に行きたくないという感情は頑固ながらまだある。
「有ー、これ、何?」
心がふと軽くなった気がしたのはその時だった。
正志が机の上にプリントを置く。
正志が指を指したのは簡単な穴埋め問題で、多分正志は単語を知らないのだと思う。
「provide、じゃない?」
いつもなら、「それくらい自分で調べなよ」とノリで言っていたと思うが、今回に限ってさすがにそれはできなかった。
それも個人の都合で。
「プロバイド?てことは―」
プロバイドじゃなくてプロヴァイドだよ、という正志にとってどうでもいい事をいいたくなった。
「そうそう、」
へぇ〜、ありがとう、といかにも興味なさそうに立ち去っていく。聞いといてなんなんだとこの時だけは思わなかった。―いや、正志に対してはいつも思わないかもしれない。
座っているのに膝から崩れ落ちそうになった。そのままチャイムは鳴って、少しあとにみんな帰ってくる。びっくりしてしまって手が震えている。
一体朝から、僕は何を考えていたんだ…?
何を心配していたのだろう。確かにこれだけで悩む意味がなかったなんて言い切れないが、でも信じられるようになった気がした。それならなんで、ずっと僕を避けるように…違うかもしれない。
興味がないとかそういう問題ではなくて、…うん。本当にいい関係なら気まずさも感じないでいられると思っているのだろうか。
転校してきてから僕がそれをよく感じていたのに。
今日は、ちゃんと眠れる気がする。
変えるときに見かけたが他の誰かと楽しそうだったので話しかけるのはやめた。
明日からは正志…となんでも言い合える関係に戻るだろうか。こっちが一方的に事を否定的に見ていたのは重々承知だ。
下駄箱で一人靴を履いて、傘を持って外へ出る。朝のあの暗さが嘘みたいだ。
明日からは、ちゃんと晴れるだろうか。
明日からは、タウと、楽しくやっていけるだろうか。
一日公開日時がズレていました!
次回は三日後(七月三日)に公開します。申し訳ありませんでしたm(_ _;)m