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XVI.ヒッパソス

お読みいただきありがとうございます。


 九月二十五日


 ヒッパソス。

 実はかすかに、その名前は偽名なのではないかと疑っていた。憶測に過ぎないが、学校に行くと本名がバレる、その事を恐れているのではないか、と。

 ただ、実際につけた事はないとしても、有名人とか偉人とかに倣って子供の名前をつけてあるというのは見たことがある。もしかしたらヒッパソスは本当に本名で、韓国人なのかもしれない。

 ...でもやっぱり、あの日本語の使い方には日本人を感じてしまう。

 親は日本人で、韓国で育った?それとも韓国生まれで、幼い頃に日本に来たのか?

 ...ただ、日本で育ったならわざわざホストファミリーであるうちに来るだろうか?しかし韓国で育ってあれだけ日本語がうまくなれるとも思えない。

 実際に自分がなった事はないからわからないけど。

 当たり前のように、思考が巡り始める。それに気づく事のほうが遅かったくらいには。

 考えたせいで何もかもわからなくなってしまったのは全部、この文章が原因だと思う。

 かなりのページを読み飛ばした先にあったのが、この本の主題であるその『数学史』についてだった。

『いよいよこれから、今まで何度も触れてきた無理数の起源に入っていきます。

 数学史に残る大きな一歩が事件を生んだ、負の歴史へ―』

 それから数十ページ、時間がないので斜め読みをしたが、それでも自分にとって衝撃的なあらすじを得る事ができた。


 ピタゴラス教団。古代ギリシャでピタゴラスによってつくられた団体である。

 ピタゴラス―ピタゴラスの定理。そう関連付けられる事が多いだろうと筆者は書いている。シンプルで革命的な定理、と言っているものの、加えてピタゴラスの定理はピタゴラス本人が生み出したわけではないのかもしれない、ともあった。

 とにかく、ピタゴラス教団は数学とか、いろんな事を研究していたらしい。筆者は、ピタゴラス教団を象徴するこんな言葉を載せている。

『万物は数である。』

 どこがだよ、と素直に思ってしまった自分は置いておいて、とにかくすべての事象は数で表せるよ、というそのままの意味である。ピタゴラス教団の中では統一されていた考え方らしい。別にあの雲も太陽も数そのものだよと言っているわけではなくて数で表せるよという意味だろう。

 また、この事は無理数の存在を否定している事になったらしい。多分、これまで読み飛ばした二百ページ近くを読めばここにある数学用語は全部わかるのだろうが、まあいいか。

 ピタゴラス教団はすべての数は有理数で表せる事にしていた―

 しかし、その考え方に水を差したピタゴラス教徒がいたのだという。


 ヒッパソスである。


 全ては有理数である事を確信していたピタゴラス教団。どのように水を差したかと言えば答えは簡単だ。無理数の存在を証明してしまったのである。

 『どのように証明したのかについては、前章で解説したとおりです。』

 数学に興味があるわけではないのでわざわざ読む気にもならなかった。が、同時に驚くべき情報が目に飛び込んできた。

 ヒッパソスは、ピタゴラス教団の思想に反したとして殺されたのだ。なんとなく、ピタゴラス教団は恐ろしい団体だったのかなと思えてきてしまう。

 この文章を読んでしばらく経って、猛烈に疑問がわきあがってきた。

 殺された人物の名前を自分の子供に付けるだろうか?

 ヒッパソスという名前が本名なら、そういう事になる。ただ、無理数を発見したという大きな功績を残していたとしてもちょっと縁起が悪いのではないか。そう思うのは僕が歴史に無関心だからなのだろうか。


 歴史的な位置づけ。それが後世にどう影響を与えたのかは知らないが、ヒッパソスという人物と関わる以上、その事から目を逸らすわけにはいかなかった。そもそも、ヒッパソスが数学好きという事実がうまくかみ合いすぎていた。

 ...しかしだとしたら、やっぱりこの名前は偽名ではないか?親が数学関連の名前をつけて子供が必ず数学に興味を示すと言えるだろうか。

 帰ってきた時、ドドドンと足音が聞こえた。足音にしては大きいがどうしたのだろう。今はヒッパソスと過ごす場所になっているあの部屋の近くから聞こえた気がしたから向かったが誰のものだったかは分からなかった。ヒッパソスが立っている。

「おかえり」

 ヒッパソス周りには何もない。今まで何をしていたのか。…あっちの部屋で話していたのか?

 リュックを下ろして例の本を取り出そうとする。ただ、手を中に突っ込んだところで結局借りていなかった事を思い出した。ヒッパソスという名前を誰がつけたのかさえわからないから本人の前で出すのも気が引ける。

 ただ一つ思い出されるのは、ヒッパソスがこの前読んでいた本の事だ。

「あのさ、この前読んでた数学の本?みたいのってどこにある?」

 何を急に言っているんだ、とは思われなかったらしい。ああ、あれねと言いながら本棚から一冊を取り出した。勝手に、とは言わないが一番下の段に入れられていたらしい。一番下なら片目で見ているだけなら気付かないはずだ。目の前に小さな机が置いてあるからなおさらだ。

 なんとなくわかっていたはずなのに、唖然としてしまった。

『万物は数である -有理数が生んだ悲劇-』

「何回も読んだ事あるけど、大事な本だしもう一回読んでみたいところがあって」

「へえ」

 適当な相槌しかできない。大事な本、ヒッパソスという名前をここからとった事は確実だろうか。

「何の本?」

「古代ギリシャの歴史の話だよ。無理数っていう数の種類があるんだけど

 …ヒッパソスっていう人が見つけたんだよね」

 まさか、自分から言うと思っていなかったのでびっくりしてしまった。かといって、本人は話しづらいわけでもないらしい。

「ピタゴラス教徒の中ではこの世に無理数があるなんて思われてなかったんだけど、ヒッパソスっていう人が見つけちゃってね。殺されたっていう話」

 軽そうに話しつつ、しっかりヒッパソスの事を「ヒッパソスっていう人」と表現して自分と区別している事がわかった。

「あれだよね、その歴史以外にもその発見がどう受け継がれてるかとか、この本の内容は良いと思う」

 同時に、ヒッパソス自身、ヒッパソスの事をリスペクトしているらしい。

「無理数って何?」

 学校では分からなかった、スルーした疑問を投げかけてみる。得意げとはとても思えないぎこちない話し方だ。どこからか白紙を取り出してペンを持って、まず0.5と書いた。

「たとえば、0.5って分数にしたらどうなる?」

 キリがいいからわかりやすかった。

「1/2だね」

「そう、じゃあこれは?」

 次は0.21だ。分母を100にして分数にしてみたが、そこから約分はできない事が少し後にわかった。

「21/100?」

「そうそう。こういうのは分数で表せる数、有理数って言う。

 でも、これならどう?」

 長く小数を書いて最後に…と書いた。3.141592…

「円周率?でも円周率って無限に続くよね?分数じゃ表せなくない?」

「そう、円周率って無限に続いてるから、()()()()()()()だと表せないんだよね。これが無理数」

「無限に続くのが無理数って事?」

 もしそうなら、それくらいの事は明らかだったのではないか。例えば…

「そういうわけじゃないんだけどね。」

 そう言いながら、自分で想像していたそのままの数字0.111...が連ねられた。

「循環小数。こういう何かを繰り返す小数なら分数で表せるんだよね。実数なら、循環小数、どこかで切れてる数字が有理数。それ以外が無理数。」

 …よくわからないので、また適当に相槌を打っていた。

 


辺の長さが1:1:√2だとこれは直角二等辺三角形になります。簡単な例ですが、この√2は無理数ですね。

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