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X5.本

お読みいただきありがとうございます。


 九月二十五日


 書いてあった日から二週間ちょっとが経った。流石にもう返してあるだろう。そう思って昼休み、図書室に足を運んだ。

 まさか、二度数学史のコーナーを目の当たりにするなんて考えてもいなかった。勇利は、数学が好きなのだろうか。

 えっと...

 上の方を見るのがめんどくさく、効率が悪いとわかっているのにど真ん中からその本を探し始める。

『万物は数である -有理数が生んだ悲劇-』

 これだ。九日だっただろうか。勇利はこの本を借りていたはずだ。

 でも、やっぱりおかしい。何の話かわからなくても数学のなにかだろうなとはわかるけど...勇利が数学を好きな訳が無い。今まで一緒にいて、そんな事は言っていなかったし、数学が好きそうな性格もしていない。

 まあ、今までで出会ってきた数学好きのクラスメートが全員同じような人かといえばそうではなかったか。

 表紙にあるのはヒゲが長く生えた昔の誰かの肖像画だった。多分外国人だと思う。筆で描かれたような何本かの横並びの線の中に映し出されていて、かっこいいとも取れるがくすんだ茶色が基調になっていて恐ろしさも感じさせた。タイトルにある『悲劇』の言葉からもそれが滲み出ている。

 ページをめくってみると歴史の本のくせに数式がすごい数出てきていた。『数学史』の三文字中二文字を数学が占領しているだけあるな、と思った。

 少し黄ばんだ紙の色は堅苦しさを感じさせるが、文章が敬体だからやっぱり学校の本なんだな。何の偏見だろう。

 ただ、読んでみるとこれは明らかに学生目線ではなかった。

『はじめに

 

 学校数学は、なぜ好き嫌いが分かれるのでしょうか。

 私は学生時代から数学が好きでした。数学愛好家というのは周りを見るに珍しかったようで、周りにその事を言ってみると「え〜!なんで?」なんてよく言われました。

 高校に入学すれば数学の授業が終わるたびに「あの先生意味わかんなーい」というような事を言う生徒もいて、自分が理解しようとしないだけだろうと言いたくなったものです。それくらい、数学を嫌っている人は周りに一定数いたという事です。なので数学は好き嫌いが激しい。ずっとそう思っていました。

 しかし、社会になって数学講師として働いてみると、学校数学と"楽しむ"数学は似て非なるものなのだと気付かされました。――』

 とりあえず、僕は数学は嫌いでも好きでもないが。少なくとも中二の内容にはついて行けている。でも、学校数学の好き嫌いが分かれるというのは妙に納得できる。

 ...ただ今気になっているのはそんな事ではない。勇利がなんでこんな本を借りたのかが重要である。

 カウンターの上の時計を見るが、急いで来たせいかまだ五時間目まで十五分くらい時間があった。余裕があるので一ページをぎっしり埋めている前置きをすべて読み通す。

『一人でも多くの人に、数学というドラマが届きますように―。』

 ページをめくると目次があった。二ページを使っていて、この本意外と長いんだなと認識する。実際、三百ページ近くあった。 

 なるほど、すべてが歴史になっているような構成ではなくて、最終章のいわゆる『ドラマ』に向けての数学的な説明が大部分を締めている。

 これって本当に数学史の本だろうか。スペースが足りずどこにこの本を置くか困って仕方なく空いていた棚のテーマが偶然本と関係があっただけではないか?

 ...意外にも、見渡してみるとスカスカの棚もあった。

 面倒くさいので、別に大丈夫だろうと最終章まで読み飛ばす。ここに来て妙な本に対するやる気が巻き起こっている事を自覚する。


 五月十六日


 なんとなく、気づいていた。

 最近、ワカバの様子がおかしい。

 朝。もう金曜日で週末だし、ここで何も行動しなかったら後悔しそうだ。ここで何も行動しなかったらこんなにワカバが来るタイミングにアンテナを張っていた自分がバカバカしくなる。

 心臓の鼓動は秒針の二倍くらい速い。感じる時間がどんどん早くなっていく。体感時間は長くなっていく。

 一昨日くらいからだっただろうか。いつもは昼休み教室にいるワカバが、チャイムが鳴った途端スタスタと給食を片付けて教室から出ていってしまった。

 別に、それだけの事ならなにか用事があったんだろうなで済ませられる。でも帰ってくるときには落胆した表情でゆっくり歩いていた。

 それが二日続いている。

 ワカバは委員会、もっと意えば部活にも所属していない。

 本人にはとても言えないが仲の良い友だちなんて存在もあまりいないだろうし、―それが俺であると信じたいし。仮にいたとして、二日連続で気を落として帰って来るなんて事あるだろうか。

 ―きた。

「ワカバ」

 逃がしたくないからなのか、思わず立ち上がってしまった。そもそも昨日、早く来てほしいと連絡を取ったのに。

「おはよう、話したい事ってなに?」

 昨日や一昨日とは打って変わっての軽い表情だった。軽い言い方だった。

 電気のついていない自然の光が差し込む教室。梅雨入りはまだ先。教室まで晴れ晴れしているのが妙に神秘的な風景となる。二人しかいない教室。誰かが歩いてくる空気は感じない。

 一回言い出してしまえばもう楽になれる。そう信じて、口を開く。

「なんか困ってる事ない?」

 楽になれるというよりも、自分を追い込んでいるだけなのかもしれない。

 図星でびっくりしているのか、急に理由のわからない事を言われて困惑しているのか、どっちなのかわからない表情をする。それでも目をしっかり開けているだけで明るく見えてしまうワカバの顔はどんな構造をしているんだろう。

「...ああ」

 本心はわからないのに、そんな事かと思っている、と考えてしまう。力を抜いたように口を開けて、事を話し始めた。

「ちょっと探し物してるんだよね」

 探し物。何か、失くしたんだろうか。何を失くしたのか聞きたいという俺の気持ちをワカバは察したようだった。

「本。数学の本なんだけどね」

 ここに来て、ワカバが数学好きというのを改めて思い出した。

―「あ、タイスケ、...ワカバは数学が好きだよ。めちゃくちゃ」

 タイスケに聞かれたばっかりなのに。まだ、自分の中でワカバの人柄が整理しきれていないらしい。

「いつから失くなったの?」

 もともとの自分の趣旨からズレているという事は重々承知の上だった。でも、この事を聞いた以上詳しく訪ねないわけには行かない。そう思った。

 ワカバにとっては答えづらいわけでもなかったようで、すぐにその経緯をスラスラと、話し始めた。


 川田君。

 ワカバと同じく数学が好きなのだと言う。

 同じ数学好きという事で、最近急に距離が縮まったらしい。そして、端折ってしまえばワカバの持っていた本をその川田君に貸したのだそうだ。

 一ヶ月くらいで返してほしい。そう言ったが、貸して数日経って川田君から告げられたのは「失くした」という事実だった。

 何度も何度も、見つかったか、見つかったかと、昼休みクラスを訪ねる。

 今日も行くつもりなのだという。

 その本は、昔からずっと自分の近くにあり、自分のお守りのような、そんな存在で大切だったのだという。

 大切なものが失くなった。そう言っていた。

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