X3.ふたり
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五月十二日
そういえば昨日は雨が降っていた。水たまりから出てくる光は本当は太陽のもので、それを反射的に避けながら足も蛇行する。この時間にこの道は車は滅多に通らない。ここまで、無意識に足を動かしている事が他にあるだろうか。
しばらくするとこの荒々しいアスファルトが消えて、通学路である事がわかるグリーンベルトが見えた。
確か、今日から選択種目の練習が始まる。放課後。部活にいけなくなるだろうという不安をそのまま『嫌な事』として受け入れられる自分に感心する。
綱引き。小学校の頃に一回やった。ただ、出てくるのは保健室から眺める校庭の情景くらいだった。最後尾で、勝手に足が滑って軽く頭を打った事はよく覚えている。頭に保冷剤のようなものをつけた紐を巻いて座って、後先の疲労を考えずにみんなは全体力を降り注ごうとしていた。そのせいか、しばらく経つともう一人同じ原因で保健室に来た友達がいた。
まだ一年だから顔は思い出せるものの、おそらくもう会うことはない。中学校が違ってしまえばそんなものだと思う。
「おはよー。」
リュックを手のひらで押され、振り返ってみるとワカバが笑いながらこっちを見ていた。朝に強いってこういう事か。
「おはよう」
適当に返事をして、改めて前を向いてみると街路樹が続いていた。小学校の頃はこっちと反対側に進んでいたからこの景色に出会うの頻度はそう高くなかった。ここまで爽やかならと中学校に入学する時は登校に対してワクワクしていたのだが、慣れてしまえばそんな事もなくなっていく。これがあと三年近く続くのかと思うと急速に飽きもする。
「何、その言い方」
ツッコミを入れるように、わざとらしいふてくされたような声を出す。ワカバは朝テンションが高いが、夜に高いよりは断然マシだと思う。もはや、登校中人と話す話題が特にない俺にとっては一方的にしゃべってくれるのが助かる。
「今日から練習だっけ」
正直な話、そんな事に興味はない。でも、何かしらの話題を提供する義務は俺にも少しある。
ワカバがそこまで運動会に乗り気じゃないという事に気が付いたときにはもう、答えが返ってきていた。
「ああ...そうだね。綱引きだよね。やった事ある?」
朝なのに会話に乗ってこない。すなわちワカバも興味がない。
互いに関心がない話題を掲げてしまった。
「まあ。あるよ。あた...結構、みんなやり始めると本気になっちゃうんだよね。ワカバは?」
ネガティブな経験をあげると火に油を注ぐ事になる。ギリギリのところで「頭」という言葉を吐き出すのをやめた自分は正解だった。
「ない。別に、つな、引っ張るだけでしょ?いてもいなくてもそんなに変わんないと思うけど」
なんと返したらいいのかわからなくなる。とりあえず、「俺もそう」と言ってみる。きっとワカバは謙遜とかではなく本気で言っている。
根拠として、今までの体育の授業で見てきた限りワカバは運動神経がない。事実として、この前測った五十メートル走のタイムが十一秒台だった。
「...でも、なんか、大縄とかならわかるけどさ、綱引きって練習してそんな変わるのかな?」
「変わるんじゃない?...並び順とか、力の入れ方とか」
ワカバ含めて、俺達はきっと端のほうで人の言う事をのそのそと実行するだけになるので、気にしていない。
はあ。なんでこうなんだろう。
九月十日
ドアを開くと小柄な自動車が一歩を踏み出すのを邪魔した。
ビューンという音を立てながらフェードアウトしていくその影からは、とても朝は感じる事ができなかった。この景色もまだ一年目。慣れない景色にも程がある。
すぐそばの信号まで歩くと、その自動車がまだかまだかというように止まっていて、それにつられて僕もそれより少し後ろで止まった。
七時五十五分くらいに家を出たから、割と学校に着くには少し余裕がある。数分の差でこんなに人通りに差が生まれるのか。感心してしまう。
十字架の道路で、全部で四つも信号がある。横向きの道路の信号が赤になってもうすぐ変わるかと思った途端、左から英太が飛び出てきた。
「あ、やっぱりそうだ。」
英太は走ってきたのに息はあがっていなかった。英太の全てから健康体という言葉がにじみ出ている。きっと目もいいのだろう。
「おはよう」
登校途中で英太と会うなんて事は今までなかったが、この時間にでているのか。でもその事に首を突っ込むと「いつもより今日は遅いよ」なんて言われそうだ。
「有、今日いつもより早いの?」
なにか用事があるわけでもない。そもそもいつもより少ししか変わらないのに。
「なんでわかったの?」
「いやあ、なんとなく」
平然とした顔で、前を向いて信号を渡る。この丸が横に三つ並んだ信号は学校の近くにある長方形の信号より断然青の時間が長く、慌てることはない。その分、ギリギリのタイミングで赤になってしまった時は「今日は悪い日になりそうだ」と思うのだが。
ただ、余裕を持って歩き出したものの僕達は知っている。二人の間には部活の話題しかない。
近くにある合唱部の発表なんて音楽祭くらいしかない。それを話題に出してもそうだねだけで終わる。英太もそれを察したのか、同時に黙り込んでしまった。
しばらく歩いてまた信号が見えてきた。また十字架の道路、信号がいっぱいある。やがて沈黙を破ったのは英太だった。
「今日は、部活ないよね?」
木曜日だからない。そんな事はきっと英太だってわかりきっている。
「ないよ」
「だよね。...そういえば、部長になる気になった?」
期待した自分が悪かった。この前も全く同じ話題を出していた。でも「そういえば」と言っているのだから、この前も話したよね、という前提なのだと思う。
なっているわけないのに。
「ないって」
なんと返したらいいのかわからず笑いながら適当な相槌を打つ。
都合よく信号はすぐ青になった。わたって曲がって、また曲がる。帰り道と違って、英太に合わせて着いて行って問題ないはずだ。
話しかけなきゃよかったな、なんていう後悔は英太はしていないと勝手に信じている。よっぽど仲が良くない限り気まずさくらい感じるものだろう。
前で四人くらいのグループが歩いていて大声で喋っているが気にしない。むしろ無音が生まれない事に感謝する。後ろ姿だけ見て知らない人だとわかった。ただ身長的に同じ二年生だと思う。
適当な話題を出して、自然消滅していく。それがなんだか楽しかった。部活の話題だけじゃなくなってきたなと思えてきたところで、また同じ話題に帰着する。
「僕が部長なんてやったら、漁夫の利みたいで嫌じゃん」
漁夫の利の使い方が正しいのかは置いといて、でも英太には伝わったようだった。
「そう?有が来て割と時間経つと思うけど。...別に、誰も部長になりたいなんて思ってないだろうし妬まれもしないと思うよ」
よっぽど部長をやらせたいのか?
八時ちょっと過ぎくらいに学校に着いて下駄箱に入った。クラスが違うから英太の姿は見えなくなる。
そして聞こえた。
「あ、タウ」
英太も、タウと仲がいいのだろうか。
英太は、タウと仲がいいのだろうか。
気まずいの苦手です。