X.エンドロール
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九月九日
「別に。いい感じする、このクラス。なんか、賑やかって感じ。」
自分も悩み事を打ち明けられるくらい、友達として馴染めていたのか。最初はそう思っていた。その相手が誰であろうと。
『明日、学校早く来れる?』
こんな事言われたら、他の誰にも話したくない事なのだと、勝手に解釈してしまうだろう。
...しかし、勇利が、クラスの事云々で悩んだりするとはとても思えなかった。少なくとも、勇利は社交的そうでそんな事ないし、周りの事にはそんなに興味はない。
だから、突然朝、学校で言われた
―「このクラス、どう思う?...っていうか有は今の生活楽しい?」
は全く悩みではなくて、もはや僕への気遣いなのかもしれない。もうすぐ半年も経つ今更?
―「おはよう有。来てくれたんだね。ありがとう」
―「ちょっと、ここ座ってくれない?」
そう言われて座ったのは、紛れもなくいつも座っている自分の椅子だったし。
「うん。やっぱり、このクラスは...ていうか、この学校自体、いい人ばっかりだよね。」
そう付け加えるとしばらく勇利は固まってから、言った。
「そっか。それって...」
さっきから妙に、勇利の口から言葉が滑らかに出てこない気がしていたが、朝だから呂律が回らないだけなのかもしれない。それと比べてみると、自分は妙に早口で、聞き取りづらいのかもしれない。
「...まあ、タウとか?うん。」
やっぱり、最近勇利はなんかおかしい。でもやっぱり、それをわざわざ聞くのも億劫に感じる。こういうのは、なんだなんだとでも言うように不思議な顔をして地味に笑って終わらせるのが最適解なのだとも。
「...そっか。」
タウの好きな所といえば、明るくて、喋りやすくて、面白い。それくらい。...ただ、今勇利が求めているのは、そういう回答なのだろうか?
「...いや」
...違う。確かに、勇利が求めているのは"僕"から見たタウの印象。客観的ななにかとかではない。
「ううん。なんでもない」
客観的ななにか、なのだとしても、今っていう時がどの類に属しているのか、僕にはわからない。わかりたくもない。
すると勇利は若干の笑みを浮かべる。話題が次に移る合図だろうか。
「なんか、平和すぎたら平和すぎたで、怖くなってくるよね。」
...これも、僕に対する気遣いなのだろうか?
「どういう事?」
「ああ、ううん。気にしないで」
仮に勇利になにかがあったのだとしても、それは僕には干渉しがたい事。知る資格も、義理もないと思う。
それが勇利にとってどんな苦痛であろうと、喜びであろうと、僕には気付けない。
...確かに、このクラスのクラスメートがどれだけ幸せそうでも、裏では何を思っているかわからないし、本音は見えない。もっと言えば僕の場合この学校との付き合いさえあさいのだから。
七時五十五分。もうすぐ、早い人は教室に入ってくるだろうか。今ここにいるのは二人だけなのに、ドアの近くだから、朝のよくわからない清々しさを感じる事もできない。何のために今日こんなにも早く来たのか。
かと言って、勇利に喧嘩を売りたいわけではない。
「...どうしたの?」
結局聞いてしまった自分。自分に負けたというよくわからない罪悪感を感じながらも気持ちよさを自分の中で汲み取っている。ある意味の自己満足。この自己満足は勇利に通じているのだろうか。
「あ、いや...ほんとに、なんでもないんだよ。気にしないで。...ほら、有って今年から来たから、なんか...大丈夫かなって」
どうしたのの五文字を投げかけられた、という実績。勇利の心のどこかを変えられたという自信。すべてが邪魔のように思えてくるが、実際勇利の本心はわからないという擁護の仕方がある。
「...でもなんか」
自分の足元に視線を移しながら言う。
「この町、変わってる人多いよね。」
勇利も、タウも。一番言いたいのは、...いや、違うかもしれない。
「そう?」
力の抜けた軽い音ではなくて、あくまで確認するような返答。反射的に頷く。
「うん。例えば...ほら、タウなんて昼休みに散歩行くんだよ。」
「なにそれ」
笑いながら寂しげな顔をする。
「別に、悪い意味じゃないよ」
勇利が何を思っているかわからず言い直す。...仮に悪い意味なら、どう取られるのだろうか。偏見か?それとも、皮肉か?俯きながら時が流れるのを待っている勇利。聞こえなくても、時計の秒針は動いているという事を改めて認識する。
「...そういえば、ジョーンズはどう?」
話が変わる。放課後、教室の机を揃えていた、彼の話に。
「ジョーンズは...わかんない。家でもあんまり学校の事話してないし。それに―」
そもそも、何のために、ホームステイしに来たのだろう。それを知らないのに、彼の事をわかったように語るのはちょっと違う気がする。
「―ジョーンズが、このクラスで楽しくやることを望んでるのかも、知らないから。」
もうしばらく経てば彼とはもう会えなくなる。それを知っていたが、それに見合うような気持ちで僕は過ごしていたのだろうか。
...でも正直な話、僕は彼が好きって言うわけでもない。それはきっと、僕がホームファミリーとしてホームステイに馴染みすぎていたからだ。
「喋った事はあるんだけどね。あいさつくらいだけど。やっぱり、俺英語わかんないから。有が羨ましいよ。苦労しないでしょ、テストとか」
「そ?まあ、ちょっとは役に立ってるけど。でも、やろうと思えばそのうち喋れるようになるよ。勇利、頭良さそう」
特にそんな事は思っていないのだが、話をつなぐためにはそうするしかなかった。
「ちょっと、トイレ行ってくる。ありがとう」
結果的に、そのうまくつながらなかったのだが。
右手のひらを顔の横に持ってくる動作、僕には逃げにも見えた。引き戸が開いて、閉じるまでには、そんなに時間はかからなかった。何を急いでいたのか、閉じると同時に響いた音がいつもより大きい。でも、それはこの教室から人が一人減ったせいかもしれない。映画が始まるときのように、突然教室が暗転するんじゃないか。もはや、暗転してくれたほうがいいかもしれない。なんだろう、この疲労感。
―「このクラス、どう思う?...っていうか有は今の生活楽しい?」
勇利の目的がわからない。同じ言葉を何回も心の中で連呼して、反響する。
―「このクラス、どう思う?」
時計を見ると、八時ぴったりになっていた。目をつぶって、背もたれに全体重を移そうと試みる。そして、後ろからガラガラと音がする―
「...おはよう」
―タウが、入ってきた。
「おはよう」
返事が返ってきてそれきり。朝だから、というのを口実に前を向く。数秒しか経っていないのに、目が覚めたようだ。
天井に映る少し黄みがかった白。秋というより、夏の始まりを感じさせた。