相俟い
優しさって何て曖昧なんだろう
悪意なんかよりもずっと扱いにくい
優しさ故に残酷なそれは
傷ついた人に反論の余地さえ与えない
曖昧なことが許せなくて
なのにその心地よさも知っているから
自分の言動が相手にとってどう作用するのかも
自分に相手の優しさを否定する権利があるのかも
わからなくなる
大嫌いなのに突き放せない
大好きなのに解らない
同じ時代の同じ星、同じ国の同じ土地に生まれた僕ら
こんなに共通点があるのに
違うことを探す方が難しいのに
そこにいるのは“僕じゃない誰か”で
“僕自身”ではない
その“誰か”にはそれぞれ名前があって
皆みんな、どこかは似ていてどこかは違う
人が人として機能するために必要な肉体
同じものが集まって動いているのに
どうして個性が存在する?
血だって内臓だって代わりがきく
なのにどうして僕は僕だと言える?
曖昧な存在の曖昧な言動が一体どれだけの
相互作用を引き起こしてきたんだろう
もしも
その一つに優しさがあるならば
曖昧でも思いやることが出来たならば
誰に対してでも関係ない
それは
奇跡と言ってもいいと僕は思う