7 知る①
◇◇◇
ロイとの婚約はあの事件の3年後、私が13歳の時に決まった。
事件後1年ほどは火傷がなかなか治らず、何度も膿んだり、体調を崩したりしており、とにかく元のように健康な体に戻すこと時間を費やした。
私の調子がよくないと知ると、ロイはいつもお見舞いに来てくれて、本を読んで聞かせてくれたり、おしゃべりをしたりした。そうしていると痛みを紛らわすことができて、そのうちに疲れて2人で寝てしまうことも多かった。
犯人は捕まったものの、まだ記憶は鮮明に残っている。私もロイも悪夢に飛び起ることが続いていた。そんな時は一方が一方を励まし、男がいないことを2人で確認しあうことで安心できた。
そんな私たちの様子を見て、互いの両親はいままで以上に私とロイが一緒に過ごせる時間をつくり始めた。子どもながらに、互いに支えあっている姿に、その方が2人の苦しみが早く癒えるのではと思ったのかもしれない。
悪夢をほとんど見なくなってきた頃、火傷の傷がやっと乾き、包帯を外すことになった。
医師から外してよいと言われ、私は飛び上がらんばかりに喜んだが、パパとママはどこか固い表情だった。
「リリア。言っておかねばならないことがある。」
パパは腰を落とし、私の目を見て言った。
「痛かったのに今日までよく頑張ったね。火傷の傷はよくなったのだけれど、元のようには戻らないんだそうだ。それだけ大きなけがをしたんだよ。」
「そう。」
元に戻らない、という意味がピンと来なくて小首をかしげながら返事をした。
そんな私を見て、パパは少し眉をしかめて続けた。
「包帯をとって、火傷の跡を見たらきっとびっくりすると思う。これからもずっと、どんなことがあってもパパもママもリリアのことが大好きだ。それだけは覚えておくんだよ。」
「…うん。」
パパの真剣な目に、何かこれから大変なことが起こるだろうと感じて不安になった。
医師が包帯を外し、火傷の跡を確認する。
「うん、しっかり傷口はふさがっているね。念のために、寝る前には消毒をするように。元気になって本当によかったね。」
と、医師は笑顔で帰っていった。
私はどんな傷が私をこんなに苦しめていたのか知りたくてたまらなかった。
「ママ、鏡かして。」
「そ、うね。…はい。」
ママはスカートのポケットをあたふたしながらまさぐり、小さな手鏡を渡してくれた。
子どもの掌ほどの鏡をそおっと覗く。
「え。」
まず目に飛び込んできたのは左目の上、赤茶に変色した額。
その傷は目の横から耳にかけて広がっている。
所々、何度も膿み、膨れては破れた跡が丸みのある傷や湿疹となり、まるでごつごつした荒野のようだった。まだ赤みも強く、生々しささえある。
こめかみ周辺の生え際は焼けてしまったようで、髪が少しなくなっていて、左右で形が変わってしまっていた。
予想をはるかに超える状態にパニックになった私は大声で泣いた。
こんなのいやだ、と只々繰り返して泣いた。
泣き叫ぶ私をパパとママはひたすら抱きしめて励ましてくれたが、何を言ってくれていたのかは全く覚えていない。そのうち泣きつかれて眠った。
それから私はどうにか傷を隠そうとした。
包帯をもう一度巻いて隠そうともしたが、自分では全くうまくできなかった。両親に巻いて隠してほしいと頼んだ。隠すと傷がまた膿んでもっと傷跡が悪くなると説得されて諦めた。今よりひどくなってしまうなんて想像するだけでゾッとした。
傷を塞いで隠すことができないので、家の中でも帽子を被って過ごした。髪もおろして、少しでも見られないよう子どもなりに工夫した。鏡を避けて過ごしてはいたが、「もしかしたらそろそろ良くなってきているかも」という考えが時折浮かんでくる。その考えが正しい気がして鏡を覗けば、わらず大きな傷が残っている私がいて、心底悲しい気分になった。
包帯をとってから1週間ほどしたころ、ロイが訪ねてきた。
私はロイにこの顔を見せる勇気がなくて、会いたくないと両親に言った。両親はわかった、とだけ言ってロイを帰した。
それからもロイは毎週のように訪ねてきたが、私は会うことができなかった。
―顔を見せなくても、こんなことを繰り返したら嫌われるだろうな。
そうも思うのに、やっぱりできなかった。
昼夜関係なく「私なんてもうだめだ」と漠然な不安感に苛まれた。
もう、自分の明るい未来など何も想像できなかった。
この11歳の時期はかなりひどい精神状態だった、と今になって思う。
私のことを大切にしてくれる家族に守られながらも、ここまで落ち込んでしまったのは、近所のデックとの一件がきっかけだった。
デックは特別仲が良かったわけではないが、何度か遊んだことのある同い年の男の子だった。社交的で友だちは多かったが、体も大きく、親分気質でものをハッキリ言うタイプだった。大人しくてうまく輪に入れないロイに「じゃまだ」などと言って泣かせたりするため、何度も代わりに言い返した思い出がある。
包帯をとってそんなにたっていなかった頃だったと思う。
ある日、私の部屋の窓からこつん、と音がした。はじめは気のせいかと思ったが、また音がするので不思議に思って窓を開け、身を乗り出して見まわしたらデックがいた。私の部屋は2階だったため、デックが小石を投げて合図を送っていたようだった。デックは私が出てきたのを見つけた瞬間、「うわっ!」と言った。
―しまった、見られた。
サー―っと血の気が引く音がした。
「おまえ、どうしたんだ!その気持ち悪いの!」
デックは私を指さし、目をこれでもかと見開いて大声で言った。
―気持ち悪い。
ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。
デックは続けて何かを叫んでいたが、何を言っていたのかあまり覚えていない。多分、傷についての疑問や、なんで最近家にずっといるのか、みたいなことを言っていた気はする。私は何も言えなくて、急いで部屋に引っ込み、窓を閉め、布団に潜り込んだ。
遠くから私を呼ぶ声がしていたが、しばらくすると止んだ。
いつもの街の生活音だけになったことを確認し、私は布団から出た。
―気持ち悪い。
デックの言葉がぐるぐる頭の中で暴れまわり、くらくらしたが、もう涙も出なかった。
自分の傷が周りからどう見られるのかを初めてちゃんと知ってしまった。その刃をどう受け止めていいのかが分からず、苦しい日々が始まった。このデックの一件を両親に相談することはできなかった。そんなことを言われたと知ったら、両親はひどく悲しむだろう、と思った。両親をこれ以上悲しませることはひどく罪なように感じた。
私は日に日に弱っていき、閉じこもるようになった。
家にこもってすることと言えば、絵を描いたり、本を片っ端から読んだりすることぐらいだった。ドキドキする冒険ものや王子様との身分違いの恋…その世界にどっぷりと浸かると苦しい気持ちを一時、忘れることができた。
ただ、どんなに面白い物語だったとしても、姿形がおそろしい悪役が出てくる本は最後まで読むことができなかった。
―これは私だ。
そう思ってしまった。
私は物語の主人公のように、仲間を集めて旅に出ることも、誰かと微笑みあう時間も得られることはない。
私は人から怖がられる、おそろしい怪物の姿になってしまった、と。
姿形のおそろしい者はみんな悪役だ。
登場人物が悪役に投げかける言葉は、まるで自分に向けられたように感じた。
悪役はたいてい、途中でひどい目にあって物語から姿を消す。
主人公はいつも美しく、明るく、みんなから好かれている。
「気持ち悪い」なんて絶対に言われない。
そんなことを考えながら読み進めるうちにポロポロと涙が流れ、もう、物語の世界に入ることができないばかりか、自分の傷のことで頭がいっぱいになってしまい、苦しみが増すばかりだった。
どうしてこんなことになってしまったの。
私はあの時どうしたらよかったの。
また、誰かにひどいことを言われたらどうしよう。
みんなにも迷惑をかけている。
なんで私は物語の主人公のように立ち向かえないんだろう。
なんて私はだめなんだろう。
嫌だ。
嫌だ。
嫌い。
悲しくなる本は本棚の一番下、端の方に立てて、もう2度と読まずに済むようにした。
家から出ず、家族以外に会おうともしない私の様子に、両親は心配そうにしつつも私の好きなようにさせ、見守ってくれていた。
時折、家族の前でも不安定になってしまうこともあったが、両親は私を抱きしめ、「大好きよ」と繰り返し励ました。
だが、包帯を外して半年ほどした頃。
ここままではよくない、と感じた両親がとうとう強行手段に出た。
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