6 確かめたい②
昼休みにでもロイを探しに行きたかったが、今日もお客様はなかなか途切れず、その対応に追われているうちに日が傾き始めてしまった。
今日の出勤先は昨日とは違うから、あの言葉を吐いた店員はいない。ただ、「同じように思っていたらどうしよう」という考えに絡めとられそうなっては、「そんなわけない」と自分を奮い立たせる。気にしてはいけないと思う気持ちとは裏腹に、店員やお客様に傷を見せることが少し怖くて、つい、話しながら次第にうつむいてしまう。
「リリアお嬢様。今日はちょっと具合が悪いんじゃないかい?いつも働き詰めなんだから、たまには早く上がってゆっくり休んだほうがいいですよ。」
いつもと違う私の様子に気付き、心配してくれたのはラーナさん。もう成人した子どもがいるお母さんだ。40代らしいけれど、溌溂として明るく、いつも店内を走り回っている姿を見ているともっと若く見える。ラーナさんは息子が1人いるのだが、娘も欲しかった、と言いながら私のことを可愛がってくれていた。仕事中は「お嬢様」と言うが、外で会ったときは「リリアちゃん」と親し気に呼んでくれ、一緒にお茶をすることもあった。
「ラーナさん。ありがとう。ちょっと疲れが溜まってるだけなの。平気よ。」
そう言いながら、左側のこめかみの毛束を左手で下へ漉く。ぼこぼこした皮膚に髪が当たる感触がする。
いつも気遣ってくれるラーナさんにまで心を許せなくなっている自分に吐き気がする。
「リリアお嬢様の新商品の説明の仕方も大体わかったし、お客様も少し途切れ始めてるから、今日は抜けてくださいな。昼食も食べてないでしょう?」
「実は本社にも寄る用事があったの。お言葉に甘えて、抜けさせてもらってもいいかしら。」
「まあ!それじゃ結局仕事するんじゃないですか!いつか倒れちゃいますよ。」
本当は仕事ではなく、完全に私用なのだが、このもやもやを早く解決して逃れたかった私はラーナさんの提案に乗ることにした。
どこか不服そうなラーナさんに何度もお礼を言い、他の店員にペコペコとお辞儀をしながら店を出て、本店へ向かう。
夕日のオレンジが街の屋根に差し掛かり、足元を強く照らす。
その夕日の道をしばらく進むと、クロスナー商会本店が見えて来る。シンボルである大きな青い屋根が近づくにつれ、足がどんどん重くなっていくのを感じた。
本店まであと数十メートルのところ、建物の全体が認識できるくらいの距離で立ち止まり、ふう、と大きく息を吐き、手持ちのバックを肩に掛けなおす。
本店で仕事をすることも多いロイだ。もしかすると本店に入ってすぐ鉢合わせ、なんてことも十分ある。
―そうしたら、なんて切り出そうか。
そんなことを考えながらまた歩き出そうとした時だった。
ロイが本店の正面から出てくるのが見えた。
本店のあるこの大通りは両側に歩道、歩道に挟まれる形で馬車の行き交う道がある。本店は東側に建っており、ロイは店を出てすぐに私に背を向けて歩道を歩き始めた。
「っ、ロイ!!!」
とっさに大声で叫ぶ。
私は数十メートル手前の西側の歩道にいる。少し遠い上に、次々と通る馬車の音にかき消されて全く聞こえないようで、ロイは振り返りもせずそのまま歩き続ける。
向かいから歩いてきた人たちは大声に驚いてこちらを見るが、まず私の顔を見て、次に何かいけないものを見たかのようにさっと視線をそらせて通り過ぎていく。
両側の髪をぱぱっと頬に向かってかき集め、小走りでロイを追いかける。
ロイは通りを少し進むと、飲食店が立ち並ぶ通りに入っていった。
馬車が途切れたすきになんとか私も大通りを横切り、追いかける。
仕事を終え、夕食をとりに訪れる人でにぎわい始める時間。人波の間を縫って進みながらもロイを探し続ける。
ロイの特徴である、ふわふわで薄い色素の髪を探す。
日はもう落ちかけていて、一筋の光が家々の間から差し込み、私の背中を照らしていた。
その光の先に、キラ、と遠くで何かが光った。
―ロイだ!
街灯の下にいるロイのふわふわの髪が夕日に当たって薄く光っていた。
懐中時計を眺めながら立っている。
私は駆け寄ろうとしたが、ロイが急にパッと顔を上げ、思わず足が止まった。
ロイは私とは違う方向へ顔を向け、にっこりと笑いながら誰かに手を振っていた。
ロイの見ている方へ目を遣ると、そこには一人の女性がいた。
にこにこと微笑みながらロイに手を振り返すその女性は色白で可愛らしく、どこか守ってあげたくなるような雰囲気があった。小柄で流行の色のドレスを着て、瑞々しい金髪を美しく結い上げている。女性は慣れた様子でロイに駆け寄って右腕に自分の両腕を絡める。何言か交わして目の前のレストランへ入っていった。
しばらく呆然と2人のいた場所を見つめていたが、向かいから来た人と肩がぶつかって我に返る。
―そういうことなのね。
私は全て理解した。
―あんな風に笑うロイは見たことがないわ。
嬉しそうで、でもどこか恥ずかしそうな、そんな顔。
目の前の人しか見えていない、そんな眼差し。
私にもいつも笑顔をみせてくれていたけれど、それとは全然違う。
もう、なんの気力も湧かなかった。
心臓だけが、どくどくと嫌な音を激しく立て続けていた。