4 おそろしい記憶②
まだ襲われる場面の描写があります。苦手な方はとばしてください。
男と対峙した時間はとても短かったような気もするし、長かったような気もする。
ロイを逃がした後のことは、実は私自身、記憶が断片的だ。
男が私を捕まえようと追いかけて来るのを必死でかわし、そのうちに半身が床に打ち付けられたことは覚えている。男に投げられたのか、逃げそこなって転倒したのかは覚えていない。
その次の記憶はガシャンとガラスが割れるような音と頭への衝撃。
左目のあたりに激しい痛みを感じたこと。
赤い何か。
気がついたら病院だった。パパもママもいて、目が覚めた私を見て大声を出して泣いていた。
私はパパとママを見た瞬間、とてつもなくホッとしたと同時に、顔のひどい痛みに呻いた。
顔を歪めて「痛い、痛い」という私を見て両親は苦しそうな顔をし、「大丈夫、大丈夫」と呪文のように唱えて抱きよせた。気がついてから数日高熱が続き、私はほとんどを眠って過ごしていた。
時折、男のことを夢に見て飛び起き、汗だくになって走る痛みに泣くことがあったが、両親は私から片時も離れず一緒にいてくれ、熱が下がり、痛みがましになっていくにつれて気持ちも落ち着いてきた。
退院の日取りが決まった頃、両親は私にあの日あったことを教えてくれた。あんなことがあった家にまた帰らなくてはならないため、きちんと話し、私の様子次第では引っ越すことも考えようと思ったらしい。
私が男から必死で逃げている時、ロイが飛び込んできて両親は目を覚ましたそうだ。震えて言葉になってはいなかったが「リリスが…」と言いながら必死に両親の手を引いてどこかへ連れて行こうとするロイの様子に、「何かが起こった」とすぐに思った両親は子供部屋へ向かった。扉を開けると、そこにはナイフを持った見知らぬ中年の男と、割れ落ちたランプ、こぼれた油に火が引火し、あろうことかその上に顔をのせて気を失っている私がいたらしい。
ママは悲鳴を上げて私に駆け寄り、パパは男とにらみ合った。男は両親の登場にかなり動揺していたが、ナイフで上手く両親を脅しながら逃げた。パパは捕まえたかったが、相手はナイフを持っていたし、明らかに大けがをしている私を助けることを優先したため逃がしてしまったと申し訳なさそうに言っていた。
医者に診せたところ、体は打撲程度だったが、頭や顔のけがと火傷はかなりひどい状態だった。
苛立った男が私にランプを投げつけて見事頭に当たって割れ、私は気を失う。割れたランプから床にこぼれた油へ引火し、運悪くそこへ私が倒れてしまい、火の上にちょうど頭が当たる位置だったため、左側の額から目の横にかけて火傷を負うことになった。
-というのが、私を診てくれた医者の見立てだった。
発見が早く、衣服などに引火する前に消し止められたのは不幸中の幸いだった。
両親は交代で私の看護を続けながら、騎士団に出向き、男を捕まえてくれるよう頼みに行った。事の顛末と男の人相や服装、話していた内容なども伝えた。しばらくして、男が見つかったと連絡があった。男は日払いの仕事で生計を立て、街のあちこちで仕事をしていた。仕事をしながら通りかかる子どもを嫌な笑みを浮かべながらじろじろ見ていたため、一部の街の人間の間では「ちょっと変なやつだ」と噂だったらしい。最近は私たちが住む地区でよく目撃されており、襲われた日は我が家の周りを何度もうろうろしている様子を近所の人が目撃していた。
事情を聞こうと騎士団が男を取り囲むとあっさり観念し、自白した。
ちなみに、ずいぶん後で聞いた話だが、男は私とロイが2人でいたところをたまたま見つけ、何度か後をつけていたようだ。かなり気に入ったようで、よくお泊り会をしていることや寝静まる時間なども把握し、あの日、とうとう我慢できなくなって裏口のカギを壊して侵入したらしい。騎士団に捕まった後も、余罪がないかかなり厳しく操作が続いたそうだ。
「犯人は捕まったから、安心していいのよ。」と両親は最後にそう締めくくった。
両親の説明を聞きながら、私が1番気になっていたのは男ではなくロイのことだった。
震えていたロイ。
ロイも怖かっただろうに、両親を呼んできて来てくれた。
あの日から、ロイとは一度も会っていない。病院にお見舞いに来ることもなかった。
ロイは無事なんだろうか。
「ママ、パパ。ロイは?ロイは大丈夫なの?」
私が泣いたり取り乱したりするのではないかと危惧していた両親は、予想外の私の言葉に少し驚いたようだったが、すぐに笑顔で言った。
「大丈夫よリリア。ロイはしばらくは怖がっていたけれど、今はすっかり元気よ。けがもしてないわ。ロイもリリアのことをすごく心配していたけど、病院でしんどそうなリリアを見て悲しむとかわいそうだから、家に帰って元気になったら会いに来てねって伝えているのよ。」
ママの説明を聞いて私はそこで本当に安心でき、元の家へ帰ることになった。
子供部屋は火が出て焦げていることもあったし、何よりあんなことがあった部屋を使うことは家族みんながためらったため、別の部屋を新しく子供部屋として用意した。家のドアのカギは以前よりも頑丈なものに変わった。
ママが言った通り、帰宅後しばらくしてロイとロイの母が遊びに来てくれ、抱き合って泣いた。
それは喜びと安心の涙だった。
ロイは私の頭にぐるぐるに巻かれた頭を何度も見ながら、ずっと「ごめんね」と言っていたが、私は「ありがとう」を繰り返した。
そのうちに、同じ事ばかり言い合っていることがなんだかおかしくなって、私はふふ、と笑った。
ロイもつられて微笑み、それだけでもうあの日のことはどこかへ消えていったように感じた。
ロイに会えたことで一区切りがつき、また穏やかな日々が始まった。
でも、私の心は事件当初よりもずっと大きな混乱と、悲しみの嵐の中にいた。
あれ…最初思ってた長さの5倍ぐらいになりそうなんですけど!